お前の話を聞きたくない
俺が勇者に選定されて早四年。装備や金回りは良くなり、仲間も増えた。
昔住んでいた家より、冒険初めの頃泊まった宿より質のいい宿の部屋で柔らかな椅子に腰掛けていると、側にいた魔法使いが口を開く。
「勇者様、勇者様。今日も僕の幼馴染の話を聞いて頂けませんか?」
「……ああ。お前は本当に幼馴染の話が好きだな」
「ふふ、嫌ですねぇ勇者様。僕が好きなのは幼馴染の話ではなく幼馴染そのものですよ」
「……そうか」
新しくパーティに加入した魔法使いは自らの幼馴染の事を大層好いているらしく、いつでも幼馴染の話をしたがった。
他の仲間たちは街を散策している、二人きりの室内。そわそわと此方を見ていたから、今日も話したがるだろうと茶や菓子を用意しておいたのは正解だった。
普段は無口なこいつの話は、幼馴染の事に限ってはとても長い。
「ある時、あの子は山で魔物に襲われた僕を助けてくれたんです。木の枝を振り回して、僕の手を引いてくれました。あの子はとても優しいのです。そして、それはもう強いのですよ。僕なんかよりもずっとずっと、勇者様のお側に相応しい位に」
「お前だって十分強いだろ?」
「ありがとうございます。……ですが、僕が本当に強いのなら、あのような方々に好きにされる事は、きっと無かったでしょう」
「……」
「あの子とも離れずに済んだのでしょう」
魔法使いは、少し前まで悪名高い貴族の屋敷に奴隷として捉えられていた。対象の魔力を登録し吸い取り続ける事で主人の命令外の事は一切出来なくなる死刑囚用の枷を嵌められ、屋敷の片隅の部屋で転がされていたらしい。本人が口に出す事は決して無いが、数多の痕跡が過去受けていた仕打ちの酷さを物語っている。
生来の内気さから自己否定が強いものの、こいつはかなりの実力者。故に命を落とす事無く生き残り、他の件で貴族の屋敷に潜入していた俺の仲間により発見され、そして今、ここにいる。
「あの子……そう、あの子の話をしていたのでしたね。あの子は赤色が好きだったのです。よく一緒に赤色の花や木の実を集めて、服を揃いに染めたりしていました」
「勝手に染めたのか。親に怒られただろ?」
「やはり分かりますか。ええ、ええ。それはもう酷く叱られましたね。知らず色の定着がし辛いものばかり使ってしまいましたし、木の実をそんな事に使う位なら、家族の為に持って帰って来いとも。……でも、幸せでした」
「お前は、本当に幼馴染が……好きなんだな」
魔法使いは、結婚式に臨む花嫁のような雰囲気を漂わせ、幸せそうに笑んだ。
「私の唯一の、友人でしたから。私を仲間と呼んでくれて、仲間と呼ばせてくれるパーティの皆様と出会うことが出来た今も、あの子と過ごした日々は宝物なのです。あの子との思い出があったから、私はあの屋敷で心を壊さずにいられたのですよ」
「……友人か。……友人とは、いいものだな」
「はい!」
仲間たちが帰って来た後も、魔法使いの話は続いた。
「……それで、兄に食事を抜かれてしまった私に、あの子は自分の食事を分け与えてくれました。今の食事と比べ、決して豪華な物ではありませんでしたが、あの時食べた物が私の人生の中で最も美味なものであったと、私は胸を張って言うことが出来ますね」
「へぇ、本当にいい人だったのね!」
「お前の話は和むにゃあ」
「やっぱり、子供の頃の思い出って、掛け替えのない物だよねー……」
ほにゃほにゃと擬音が付きそうな位幸せそうな魔法使いの周りを、仲間たちが囲む。
俺は、一人その輪から外れて剣を手入れしていた。
「勇者さんはこちらへ来ないのですにゃあ?」
「一緒に喋ろうよー!」
「私の初恋、話しちゃうよ?」
「……いや、俺はもう、これが済んだら寝る」
「えー、私の話も聞いてよー……」
「夜はまだまだ、これからですにゃあ」
「お前からすれば、夜の方が本番なのは分かるが……」
こちらに話を振られたので躱した所、仲間たちから不満の声が上がる。確かに眠るにはまだ早い時間帯だが、正直あまり聞きたい話でもない。やはり寝る事にする。魔法使いの、どこか遠くを見るような瞳が悲しげに歪んだ。
「僕が昼間に沢山話しすぎて、疲れてしまったのかもしれませんね……」
「いやぁ、お前は普段喋らなすぎるから、丁度いいのですにゃあ」
「そうだよ! 勇者が話を聞くだけで疲れるなんてないよねえ?」
「や、勇者かどうかは関係なくない……? あーあ、行っちゃったよ」
「すみません……」
「まーまー、続けよ?」
「……はあ、嫌になる……」
やっと一人になることができた俺は、溜息を吐いた。あいつの話は何度も聞いているし、知っている。
あいつが食事を抜かれたのは、幼馴染の悪戯の濡れ衣を着せられたからで、分け与えられたという食事も、幼馴染の普段の食生活から言えば本当に残飯のようなものだった。
罪人に付ける枷を作る事を生業にしていた幼馴染の家は裕福で、幼馴染の家族は貧しい家庭の魔法使いと幼馴染が共に居る事を良しとしなかった。
何度も何度も家族から魔法使いの悪口を聞かされた幼馴染は、いつしか魔法使いを見下すようになっていた。それでもその時はまだ、友情があった。
魔物に襲われたのだって、元はと言えば幼馴染が魔物のテリトリーにある木の実を取りに行きたいと、怖がる魔法使いの手を無理矢理引っ張って立ち入りの禁じられた山へ登ったからだ。幼馴染は、よく魔法使いを巻き込んで悪事を働いた。それでも、確かにその時は魔法使いへ好意を持っていた。
底意地の悪い男だ、あいつの幼馴染は。
あいつに膨大な魔力があると知った途端、嫉妬して、嫌悪して、排他したがって、そうしてあいつの家族すら丸め込んで、村ぐるみであいつを売り飛ばしたのだ。
俺は知っている。
プレゼントだ、などとのたまう凶悪な幼馴染に嵌められる凶悪な枷を、その見かけだけは美しいそれを、あいつは一切疑わなかった。
あいつは、幼馴染を好いていた。男同士だというのに、愛していた。幼馴染である男は、それを知っていた。だからこそ、嫌悪していたのかもしれない。
そして魔法使いが村からいなくなって、数日も経たないうちに、魔法使いがどれだけ自分を好いていたか、自分が魔法使いへどんな思いを抱いていたかを、愚かな男はようやく知った。もう、遅かった。
自分の後ろをにこにこと着いて来ていたあいつがいない。何があっても自分を信じて、味方でいたあいつがいない。濡れ衣を、見下しを許し、嫉妬も嫌悪も受け止め笑いかけてくれたあいつが。どこにもいなかった。魔法使いを買い取った奴隷商はもはや行方が分からなかった。
自分の手をゆるやかに包む、あの柔らかい掌を、もう一度。できるなら、ずっと。
魔法使いを探す為、男は村を出た。村を出てすぐ、愚かな願いを掛ける為立ち寄った少し大きな教会で、神父に神託が下り、男は神父により王都へ送られた。
あいつを売り飛ばした非道な男は、王により勇者と認定され、幾度も強敵を倒し、悪とされる者を倒し、輝かしい道を歩んだ。多額の報奨金を得た。良質な装備を手に入れた。いつしか共に旅する仲間が増えた。
そして、偶然発見され、再び会うことのできた魔法使いは、幼馴染が分からなかった。
勇者と呼ばれ、自分へ好意を抱いている男が、かつて自分を謀り、地獄へ突き落としたあの幼馴染だということなど、心のどこかを壊した魔法使いには理解出来なかったのだろう。あるいはもう、あいつの『幼馴染』は、死んでいるのかもしれない。あいつを陥れたあの瞬間に。
「おはようございます、勇者様」
「……ああ、早いな」
「こんな天気の良い日は、幼馴染の事を思い出してしまうのです」
「……そうか」
目が覚めてすぐに、魔法使いがぼんやりと窓の外を眺めていることに気が付いた。
一拍おいて、『尊敬する勇者様』が起きた気配を感じたらしい魔法使いは、近寄って来て笑顔を浮かべた。
あれほど望んだ笑顔は、きっと俺には向けられていない。
「なあ、幼馴染の名前は、何と言うんだ?」
「幼馴染の、……あの、子、は……?」
愚かな男は、時折質問する。
再会の奇跡を懇願して。
「……? そう、あの子の話をしていたのでしたね……」
「……ああ。天気のいい日は、飯事をしてたんだろ?」
「ええ! とても楽しかったのですよ、僕は。今思えば、腕白なあの子はそんな遊び、やりたくなかったでしょうに。……あの子は、僕に付き合ってくれたのですよ」
「そいつもきっと、楽しんでたさ」
「そうでしょうか……!」
魔法使いの、遠い昔の光景をみるような、虚ろな瞳。
そこには、かつて役の中での新婚生活を楽しんでいた、愚かな勇者が映っている。