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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第一学年・秋〈失恋〉と〈探偵〉の物語
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第25話 幾度となくその温もりに包まれたならば 3

 

 16度目の誕生日を翌日に控えた日曜の夜、俺は土管の中で体を屈めていた。正確には、公園にある土管を模したカラフルな遊具の中で、だ。


 秋の寒空の下、何が悲しくてこんな場所で窮屈な思いをしているのかといえば、それは探偵活動のまっただ中であるからに他ならない。


 私立南高校への潜入捜査で得た情報から、高瀬が着目したのは以下の二点だ。

 

 一、次の日曜に星菜は“本命の恋人・X“と水族館へデートに行く。

 二、デートの後星菜は、毎回必ずX氏に家まで送り届けてもらう。

 

 それらを踏まえ、探偵団団長の高瀬が立てた作戦は、至ってシンプルなものだった。


「星菜さんの自宅を見張るの!」と彼女は言った。言い逃れできない決定的瞬間を捉えるんだよ神沢君、と。


 そんなわけで、夕方の4時から羽田星菜(はたせいな)の自宅に隣接する公園にて、張り込みを行うことと相成(あいな)った。


 もう一度単独で南高に潜入し、星菜宅の住所を調べる手間さえ惜しまないのだから、団長殿の探偵魂(サンドイッチを侮辱されたことに対する復讐心?)には舌を巻くしかない。


 しかし待てど暮らせど星菜が男と一緒に姿を表す気配はまるでなかった。


 そうして一時間が過ぎ二時間が過ぎた。

 

 日曜の公園を無邪気に駆け回る子ども達の笑い声も今はすっかり懐かしい午後10時過ぎ、この任務は太陽のためなのか、日比野さんのためなのか、はたまた高瀬のためなのか、根本的な部分がわからなくなり始めていた俺は、おそるおそる口を開いた。

「あのさ、もう諦めて、帰らないか?」


「もう少し頑張ってみよう。もう少し」

 高瀬は立案者として、引くに引けなくなっているようだ。彼女のそういう頑固さは、俺はそれほど嫌いじゃない。


「二人は帰らなくて平気?」高瀬の視線の先には、柏木と月島がいる。


「大丈夫」とまず柏木が答えた。「あたしがいない方がむしろ叔母さんは羽を伸ばせるから。今頃ホストクラブで楽しんでるんじゃない?」


「まぁ私は、この街ではシングルライフですから」

 月島は本音を隠す。


 玄関の鍵を増強したとはいえ、ストーカーの恐怖が存在することには変わりがなく、彼女は密かに「家に一人でいるよりも土管の中の方がよっぽどマシだ」と俺にだけ耳打ちしていたのだった。


「一番家が厳しいはずの社長令嬢が私たちの心配をするなんて、なんだか皮肉ね」

 

 そう言う月島に対し、高校3年間は冒険をすると決めている高瀬は苦笑いを見せる。「家には、何も言わせません」

 

「それにしても、こんな時間なのに、星菜に限らず誰も帰ってこないな」

 俺は数十メートル先の立派な一軒家を見ていた。羽田邸だ。日が落ちてからだいぶ経つが、いまだに明かりを灯していない。

 

 高瀬が反応した。

「星菜さんのご両親、二人とも貿易会社の重役さんらしくて、家にいないことがほとんどなんだって」

 

 名探偵は、何事もしっかりリサーチ済みらしい。


「両親は仕事で忙しく、娘は夜遊び。ありがちだねぇ」

 柏木の声が土管の中で反響する。

「これ言いにくかったんだけどさ、星菜ちゃんがお泊まりしちゃうっていう可能性を、誰か考えてた?」

 

 はっとした。全く考えてなかった。俺は青い。柏木の言う通りだ。それならば、決定的瞬間が訪れないのも納得がいく。


「こうなると、それが濃厚だよね」

 月島は得意げに指を立てた。


「でもね、明日学校だよ?」

 妙に早口だったから、高瀬も俺と同じで、そこまで考えが及ばなかったとみえる。彼女は「高校生のお泊まりはだめだよ」とも続け、俺の全身を(こわ)ばらせた。

 

 おそらく悪戯心が目を覚ましたであろう月島が余計なことを言い出さないうちに、この話題を終わらせるべきだと判断した。


「遠い水族館から帰ってくるんだから、まだ外泊だと決まったわけじゃない。このまま見守ろう」


「そうだそうだ。見守ろう」と素直に同意するあたりが、月島の恐いところだ。


 ♯ ♯ ♯


「お腹すいたねぇ」と柏木がひもじそうに膝を抱えてつぶやいたのは、10時半のことだ。


 月島が腹をさすって同意した。「4時からこうしてるもんね。晩ご飯も食べてない」


「あんパンと牛乳買ってこようか?」と高瀬は言った。

「なんであんパンと牛乳?」と俺は尋ねた。

「張り込みといえば、あんパンと牛乳でしょ」拳を握る彼女は、きっと刑事と探偵を混同している。


 月島は息を両手に吹きかける。「寒いから、温かいものが食べたいね」

 柏木は麺をすする仕草をする。「ラーメンとかね」

「ラーメン」高瀬が言うと祈りの言葉のようだ。「食べたい。インスタントでもカップでもない、お店のラーメンね!」

 

 柏木は「そうそう」と賛同したが、月島は渋い顔をした。「この話はもうやめよう。食べたくなっちゃう」


「食べたいなら、食べちゃえばいいんじゃない?」と柏木は言った。


「でもさ、こんな時間に無理でしょ」

 高瀬がスマホで時間を見て言う。

「そもそもこの辺りは住宅街で、ラーメン屋さんはなさそうだし」

 

 見れば、柏木はえびす顔になっていた。

「それがねぇ、なんとかなっちゃうんだよなぁ。出前、取っちゃおう」


「え、出前?」

 高瀬は、天動説を本気で唱える少年を見るような目をしている。

「公園の土管の中まで、持ってきてくださいって言うの?」


「ウチの近所に、夜中の12時まで営業している人気のラーメン屋さんがあってね。そこならあたしが頼めば、きっとどこであろうと持ってきてくれるはず。ほら、ウチも同業の飲食店だから、横のつながりってもんがあるのよ」


「この時間にラーメンかぁ」

 細身の月島は、食欲と女心を天秤にかけているようだ。

「太るなぁ。でも、食べたいなぁ」

 

「言っておくけどあたしは食べるよ」と柏木は宣言した。


「今夜は特別と割り切って、食べちゃおっかな」高瀬は誘惑に負ける。


「じゃあ私も」と月島も乗る。「二人に食べる姿を目の前で見せられるのだけは、我慢ならない。特にラーメンは」


「はい、決まりね」

 柏木が手を叩き、それからなぜか、こちらに視線を転じた。


 じりじりじり(・・・・・・)、と俺の中で警報音が鳴る。


 一つの季節に一度は耳にする、例の対柏木警報器だ。この秋は今日だったか、と呑気に感想を抱いている場合ではない。

 

 彼女は土管の中を体育座りに近い姿勢のまま近付いてきて、言った。

「そこの素敵なお兄さん、ちょっとお願いがあるんだけど」


「いやだ」

「なによ! まだ何も言ってないでしょ!」


「だいたいわかるんだ。なにを言われるか」

 

「あのね」柏木は俺の言葉を無視して、甘い声を出した。「あたしたちにラーメンを(おご)ってほしいな、なんて、言ってみたり」

 

 予想通りの要求に、ため息をつくしかなかった。土管の奥へ目を向ければ、月島はわざとらしい笑みを浮かべ、高瀬もいくぶん申し訳なさそうではあっても、微笑んでいる。


 月島はともかくとして、高瀬も春先に比べるとずいぶん図太くなったものだ。


「こんな可愛い子たちに夜食をごちそうできるだけ、光栄だと思いなさいよ、悠介」

 柏木はそう抜かすと、俺の返答を待たずに馴染みのラーメン屋に電話をかけてしまった。

 

 潜入捜査も張り込みも別にかまわないけれど、財布の中が寂しくなっていくのは、憂慮(ゆうりょ)すべき事態だ。


 ♯ ♯ ♯


 (おご)るだけでは面白くないので、俺もラーメンを食べることにした。


「晴香ちゃん、まいど!」と、土管の中に威勢の良い声が響いた時はさすがに吹き出しそうになったが、とにかく、味は上等だった。


 中太のちぢれ麺に豚骨ベースの濃厚なスープがよく絡み、チャーシューやメンマといった脇役も良い感じに存在感を発揮していた。

 

 俺が選んだ味噌味は隠し味のニンニクがほどよく()いていて、寒空の下で体を温めるにはもってこいのラーメンだった。

 

 夜中に公園の土管の中で三人の女の子がラーメンをすする光景は奇々怪々で、非現実的で、滑稽(こっけい)で、俺は一体何をやっているんだろう? と首を傾げもしたが、立ちのぼる湯気で暖を取り、一杯のどんぶりに舌鼓(したつづみ)を打つ彼女たちの感謝の言葉を聞けば、悪い気はしなかった。

 

 もうしばらくは身銭を切らないぞ、と自分に言い聞かせてもいたが。



「愛って、何?」

 柏木がチャーシューを箸でつまみながら口にした。例によって唐突だった。


「まーた変なこと言い出した」

 月島が皆の思いを代弁してくれる。


「いやほら、前に日比野(ひびの)さんが言っていたじゃない。『葉山君のことを愛しています』って。あれ以来、ふとした時に、考えちゃうんだよね。『人を愛するって、どういうこと?』って」

 

 高瀬はにこにこする。「晴香って、意外と哲学者っぽいところがあるよね」


「世の中にはさ、『愛』って言葉が溢れてるでしょ? でもさ、みんな、その意味をちゃんと考えて使ってんの? なんかさ、案外テキトーなんじゃないの?」


「すごーい」と月島は無感動な声を出した。「私たち、日曜の夜に公園の土管でラーメン食べながら『愛』の話をするらしい」

 

 男女間の愛をコインの表だとするならば、その裏側について疑問を抱いているお前も柏木とそんなに変わらないんだぞ月島、と意地悪な横槍も思い浮かんだが、もちろん口には出さない。


「そこの悩める少年」柏木は箸をこちらに向ける。「愛って、なに? 5秒以内に答えよ」

 麺が喉に詰まってむせた。「答えられるか!」


「じゃあ10秒。はい、どうぞ」

「時間の問題じゃない」

 

 回答によっては、高校卒業まで語り継がれるような赤っ恥をかきかねない。わざわざ彼女たちに俺をちくりとやる材料を与える必要もないだろう。


 ここは、我関せずが吉だ。

「それにしても、星菜は帰ってこないな」


「逃げたな」と柏木が言って、「逃げたね」と月島が続いた。


 けっこうけっこう。なんとでも言えばいい。

 

 しばらく麺をすする音だけが土管内を満たした後で、参考になるかどうかわかんないけどと言ったのは月島だ。「うちの祖父母の話をしてあげよっか」

 

 すぐに頭で、東京の下町にて来る日も来る日もせんべいを焼き続けるおじいさんと、それを支えるおばあさんをイメージした。


「はい聴きましょう」と柏木が興味を示した。


 それを受けて月島は語り始めた。

「私のじいさん、決して悪い人ではないんだが――孫としては言いにくいんだが――尋常じゃなく女癖が悪くてね。若い頃から何度もよそに女を作っては、その都度ばあさんを困らせていたらしいの」

 

 英雄色を好む、という言葉が思い出された。


 “名誉都民”という称号を持つ彼女のおじいさんは、地方都市で未来に困難を抱えた一高校生からすれば、充分、英雄だ。


「ばあさんが私のママを妊娠中、入院していた産婦人科の看護婦さんにじいさんがちょっかいを出したと知った時には、さすがに『殺してやろう』と思ったみたいで、調理室から包丁を持ち出して病院内を追っかけ回したこともあったんだって。もちろん止められて、事なきを得たわけだけど」


「あたしが同じ目に遭ったら、絶対刺すけどね」

 柏木の視線は、あろうことかこちらに向いている。


「でも今も一緒に暮らしてるんだよね?」

 

 その高瀬の問いに月島はうなずいた。


「信じられないくらい仲は良いよ。一回ね、ばあさんに聞いたことがあるの。『なんでじいさんの浮気を許してきたの?』って。返ってきたのは、『ずっと(した)わしく想っていた人だから』という答えだった。結婚する前からじいさんに憧れていたんだって。『もう一度生まれ変わってもまた一緒になりたい』とまで言っちゃうんだから、これは愛って言っちゃっても言いすぎじゃないよね」


「それはすごい」と高瀬が目を見開いて言った。「『生まれ変わってもまた一緒に』って、その想いは、本物だ」


「愛とは、許すこと?」柏木は()に落ちないようだ。「でもそれって、なんか寂しくない? そりゃあ想われてる側のおじいさんはいいかもしれないけど、おばあさんはさぞかし大変な人生だったでしょうよ。愛って、もっと、人を楽にするものじゃないの?」


「ことさら昔気質(むかしかたぎ)な人たちだから、私の祖父母は」

 月島は整った眉を曲げた。

「若い私たちとは、感覚が違って当然」


「難しいなぁ、もう」

 柏木はやけを起こしたようにラーメンをかっ込む。そして、むせる。

 

 ふうふう、と煮卵を冷ましていた高瀬は、何かに思い当たったような顔で口を開いた。

「ひとつ言えるのは、愛には時間が必要ってことだよね」


「どういうこと?」柏木が箸を休めた。


「たとえばね、昨日今日会ったばかりの男の人に、『晴香ちゃん、愛しています』って言われて、晴香はそれを信じる?」


「信じるわけないでしょ。そんなに簡単に『愛』を使っちゃう軽薄男、股間を蹴っ飛ばして再起不能にしてやる」


 高瀬は大人の対応で笑ってそれを受け流した。

「だよね。でもね、10年近く葉山君のことを想い続けている日比野さんが言うなら、誰もそれを疑わないじゃない? 月島さんのおばあさんなんか、もっともっと長いわけで。恋で始まって、それが愛に変わるには、時間が要るんだよ。きっと」

 

 愛の説法が染みた煮卵は、ようやく高瀬の口に運ばれた。


 柏木は唸った。「恋でも愛でもさ、人を想うってことは、つらいことなのかもね」


「少なくとも、楽なことばかりではないだろう」

 先ほどの柏木の意見をそれとなくたしなめるように、月島が応じた。


「つらくて痛いことだよ」と高瀬は言った。「人を想うってことは、大きな何かを背負うっていうことなんだよ」


 俺は無心でラーメンをすする。

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