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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第一学年・秋〈失恋〉と〈探偵〉の物語
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第24話 いつか羽ばたくその日のために 3


「なるほどなるほど。それはたしかにあたしが適任かもね?」


 鳴桜高校が午前授業だったこの日、柏木を助っ人として迎えた俺たちは作戦を決行するべく私立南高までやってきた。自由な校風が売りの南高は私服登校なので制服を用意する必要はなかった。校門前で作戦内容を俺と高瀬から聞いた柏木は、すっかり得意になっていた。


「そういうことなら一肌脱いであげようかしらん。感謝しなさいよ? 本当ならあたしは日比野さんのために表立って動くわけにはいかないんだから。ま、でも他校でコソコソやる分にはあたしの友達にもバレないでしょ」


 俺と高瀬は柏木様に頭が上がらない。俺は中学時代の知り合いに顔が割れるのを防ぐため用意していた大きめのマスクを高瀬と柏木に手渡し、自分も装着した。


 柏木はそれで顔の約3分の2を覆った。

「こうしてマスクで顔を隠して浮気調査をするなんて、なんだか探偵みたいね」


 探偵、というその響きは高瀬の冒険心をくすぐったらしかった。

「みたい、じゃない。探偵なんだよ。私たちは今から探偵団!」


「春は宝探しをして、夏はロックバンドを組んで、この秋は探偵か」俺は思わず苦笑する。「この調子だと冬に何をすることになっても驚かないな」


 ♯ ♯ ♯


 思いがけず探偵団を結成した俺たちはいよいよ南高に潜入した。校内はちょうど昼休み時で、多くの生徒が廊下に出てきていた。マスクで顔を隠しているとはいえ、我々を知る誰かに気づかれないとも限らない。俺たちは細心の注意を払って校舎を進んだ。


 目的の人物は意外とすんなり見つかった。羽田星菜は今まさに職員室から退出してきたところだった。丈の短いスカートから、細身の脚がすらっと伸びている。

 

 星菜は「失礼しました」とまずはへりくだった声で挨拶をし、舌打ちを一つ挟んで、なにやら小さくつぶやいた。「うるさいっつーのクソ教師」、はっきりとはわからないが、そんな感じの恨み言だ。


「晴香、その娘だよ!」高瀬が咄嗟に言い、後はよろしく頼むぞ、と俺が続いた。「作戦の要点はわかってるな?」


「バッチリ」と柏木は請け合った。「まぁ見てなさいって」

 

 星菜の本音を聞き出すため、俺たちが立てた作戦は、こうだ。

 

 見ず知らずの女子に突然「話があるんだけど」と言われて用心しない娘もそうそういないだろうから、そこは柏木持ち前のコミュニケーション能力を遺憾なく発揮してもらって、とにもかくにもまずは星菜の(ふところ)に潜り込む。

 

 美辞麗句を教義に並べた新興宗教の勧誘だと思われたら本意ではないが、万が一それで星菜が乗ってくるのならチャンスと前向きに捉え、柏木には終末論と恋の尊さを織り交ぜて説く若き宣教師を演じてもらう。その後のことは知らん。

 

 南高の三階には、都会の女子大を彷彿(ほうふつ)とさせる洒落たラウンジがある。話はそこでする。

 

 俺と高瀬もラウンジで柏木と星菜の会話の様子を見守る。もちろん星菜に気付かれぬよう、彼女たちの卓とはある程度の距離は保って。


 旗色が悪くなりはじめたら、生来の人懐っこさで柏木にはどうにか持ちこたえてもらう。


 その甲斐なく彼女の正体が割れそうになったら、その時はすたこら逃げる。一目散に。「ずらかるぞ」が合図だ。

 

 慎重さと大胆さをうまく使い分けることが作戦成功の鍵となる。

 

 臨機応変さを備え、常識に囚われない柏木には、最適な任務と言えるだろう。


 そして柏木はその期待を裏切らなかった。おそろしいことに彼女は作戦開始からわずか五分で「星菜」「晴香」と互いを呼び捨てにできる関係性を作り出していた。


 俺と高瀬は柏木と星菜の会話がかろうじて聞き取れる席に座り、向かい合っている。


〈さすが柏木だ〉と俺はルーズリーフに書いて高瀬に見せた。我々の声が星菜に聞かれたらまずいので、意思疎通方法には筆談を選んでいた。


〈うまくいきそうだね〉

 高瀬はそう返してきた。現代文の教科書みたいな整った美しい字だった。

 

 柏木の声を耳が拾う。

「マスカラの使い方ひとつ取っても、やっぱり目のつけ所が違うもん。さっすが星菜!」

 

 メイクの教えを()うという名目で柏木は星菜に接触していた。悪い気はしないのか、メイクの話題だと星菜はえらく上機嫌だった。つまり柏木の狙いは当たったということになる。さすがだ。


「褒めすぎだって」星菜はまんざらでもなさそうだ。「あ、あとね、綿棒を使うと良いよ。細かいところの仕上げに便利だし、全体的に柔らかい印象になるから」

 

 正面で高瀬が「へぇ」と声を漏らし、はっとしてマスクの上から口に手を当てた。でも彼女だってオシャレに敏感なお年頃だ。責めることはできない。

 

 柏木は言った。「なるほど、綿棒ね。覚えた。本当に勉強になります、星菜先生!」

 

 星菜は脚を組んで柏木の顔をじっと見た。柏木はマスクを外していた。

「ていうか、晴香は元がカワイイんだから、メイクなんかがんばらなくていいじゃん」


「そんなことないって。星菜のかわいさにあたし、ずっと前から憧れたんだから」

 

 彼女たちの間に流れる空気が、微妙に濁った気がした。俺はペンを手に取り、ルーズリーフにこう書いた。

〈女が女に対して言う“カワイイ”って、なんか恐く感じるの、俺だけ?〉


 高瀬は、母猫の乳首をうまく探し当てられない仔猫を見るような眼差しを俺に向け、それに回答した。

〈大丈夫。1割くらいはピュアな“カワイイ”もあるから〉

 

 おいおい残りの9割はいったいどんなカワイイなんだ、と疑問が浮かんだが、それは筆談ですべきやりとりじゃない。いつか時間がある時にこの続きは取っておこう。


「ちょっと変なこと聞くけどいい?」と星菜は首をかしげて言った。「晴香ってさ、本当に南高(うち)の生徒?」


「やだなぁ、もちろんだよ。南高の生徒じゃなかったら、どこの生徒だっていうの」


「もう10月だし、晴香みたいな娘が同じ学年にいたら、私、なんとなく見覚えあるはずなんだけど。だって晴香、すごく目立つし」

 

 柏木が作り笑いを浮かべながら返答に困っていると、星菜は廊下を見渡して続けた。

「晴香って、何組なの?」


〈まずい!〉と高瀬が素早く記す。俺もまさにそう思った。


 ここで柏木がもし星菜が在籍するクラスを答えてしまったら、そこでゲームオーバーだ。いくらオツムが弱そうな星菜とはいえ、「そういえば私たち同じクラスだっけ」とはさすがにならないだろう。

 

 鳴桜とは違い南高は一学年6クラスしかない。つまり6分の1の確率で数秒後には外へ駆け出さなければいけないということだ。

 

 柏木は言った。「えっとね、E組」


「は? E組?」星菜はあからさまに怪しむ。「何言ってんの晴香。うちの高校のクラスは数字でしょ。1組、2組って。鳴桜じゃないんだから」


「違う違う、良い(・・)組ってこと。グッドな組。6組だよ」


「あー」と星菜は納得した声をあげた。「6組、たしかに良いよねぇ。担任の小石川(こいしかわ)先生、超優しくて。私の担任とは大違い。さっきも私、職員室に呼び出されてスカートのことで文句言われてたの。マジむかつくあのクソ教師。6組の晴香が羨ましい」


「小石川先生の6組は最高!」

 

「教室が遠いから、私が気付かなかっただけか。私、1組なの」

 

「それにあたし、体調崩して休みがちだったから、星菜は見覚えなくて当然!」


「なぁんだ。鳴桜生が潜入してきたのかと思った」と星菜は言った。「でも普通に考えたら、他校に潜入しようなんて思いつく頭のおかしい人はそうそういないよね」

 

 安堵した俺は〈どうにか乗り切ったな〉とルーズリーフに記したが、正面で眉間(みけん)を盛り上げ怒りを(こら)える発案者の目には、きっとそれは映っていない。


 ♯ ♯ ♯


 冷や汗ものの危機を脱した柏木は一転、少しも臆することなく星菜と話をするようになった。まるで「当たって砕けろ」という言葉を作戦のスローガンとして急きょ採用したかのようだった。


 素性がばれるのを恐れない柏木のその姿勢は、もうやけっぱちになったのか、と俺と高瀬を慌てさせたけれど、結果としては星菜との心の距離をぐっと縮めることに成功した。


「で、星菜はカレシいるの?」

 ついに柏木は勝負に出た。不自然さとは無縁の、とてもさりげない物言いだったから、心で拍手を送る。


「晴香はどうなの?」


「あたしはいるよ」と柏木は答えた。「鳴桜のサッカー部でキャプテンしてる」


「へぇ。文武両道じゃん。まぁでも、晴香にはそのくらいの男じゃないと釣り合わないか」

 柏木を持ち上げているような台詞の割には、星菜の声にはいやに(とげ)があった。

 

 それを受け、高瀬がペンを走らせる。

〈星→負けず嫌い 晴→見抜いた〉


 俺は彼女に対してうなずき、頭の中で足りない部分を補った。なるほど。要するに柏木は、自分がレベルの高い男と交際しているとはったりをかまし、星菜の対抗心を刺激することで、本音を引き出そうと考えたのだ。


 その目論見は当たり、「私もいるんだなぁ」と星菜は甘い声を出した。


「来た来た。ねぇ、どんな人? 教えてよ」


 もし星菜が頭の中で太陽をイメージしていたなら、柏木が鳴桜高校の名を出したのだから、「偶然だね」と言い始めてもおかしくなかった。しかし俺たちが実際に聞けたのは「優しくて」だった。


「優しくて、面白くて、超気が利く彼だよ。デートの時なんかいつも必ず、家まで送り届けてくれるし」


 いつも(・・・)、と彼女はたしかに言った。いつも?


 太陽と星菜は交際を再会してからわずか数日で、そんなに何度もデートをしているのだろうか? いや、と俺はかぶりを振る。星菜は太陽以外の男を思い浮かべていると考えるのが自然だ。


「私のダーリンは魔法使いなんだ」彼女はそんなことを言う。「私の気持ちがわかっちゃうの。あれ欲しいな、これ食べてみたいな、あそこ行ってみたいな、って思っていたら、全部叶えてくれるんだもん。すごいでしょ」

 

 柏木は「どこの生徒?」とか「同級生?」とかいうようなことを聞きたそうな顔をしていたけれど、すかさず星菜が何かを思い出したように手を叩いから、質問する機を逸した。


「そういえば彼、今度の日曜に、水族館に連れて行ってくれるんだ。私、深海魚が大好きで。あの不細工な顔がたまらないでしょ。このこと話してないのに、ダーリンはわかっちゃうんだよなぁ。私の好みが」


「以心伝心じゃん。いいなぁ。そういうの羨ましい」

 嫌な顔ひとつせず星菜のお惚気(のろけ)に付き合ってやるあたりが、柏木の人徳なのだろう。芝居だろうが。

 

 いつの間にか高瀬のルーズリーフには新たに〈水族館???〉と書き出されていた。疑問符が三つも並ぶのは当然で、海なきこの街に水族館はない。最も近い施設でも、電車で二時間はかかるはずだ。

 

 それにしても先日は動物園、今度は水族館とは、星菜は将来獣医にでもなるのだろうか。

 

 柏木は今度こそその魔法使いの正体を探ろうと口を開きかけたが、またしてもそれは叶わなかった。「小石川(こいしかわ)先生!」と星菜がちょうど声を上げたのだ。


 見れば、優しそうな男の教師がラウンジの前を通りかかったところだった。


〈これ以上はダメ!〉高瀬はすばやくそう書き、実際に荷物をまとめ始めた。俺も焦る。


 柏木が在籍していることになっている1年6組の担任が、たしか、小石川という名だった。それほど多い名字ではないし、視線の先にいる穏和な人物が俺たちにとっては危険人物であるのは間違いなかった。


「小石川先生」と星菜は媚びるように言った。「私も6組に入れてくださいよ。うちの担任、厳しすぎだって。さっきも怒られたばっかりだし」

 

 小石川先生は苦笑を浮かべ星菜に近付いていく。「羽田さんはちょっと問題児だからねぇ。1組で鍛えられた方がいいと思うよ」

 

 星菜は「ひどーい」と冗談めかして言った。それから正面に座る潜入者の顔を覗き込んだ。「ねぇ晴香。担任の小石川先生だよ? 挨拶くらいすれば?」


 限界だった。


「ずらかるぞ!」俺より先にそう叫んだのは、探偵団の結成を宣言したお嬢様だった。


 ♯ ♯ ♯


 高瀬柏木と別れ帰宅した俺は、いつものようにベッドで仰向けになり、今日のことを思い返していた。

 

 南高近くの公園で協議の場を持った俺たち三人は「星菜には太陽以外にもう一人彼氏が存在し、なおかつそちらが本命だ」という結論に達した。

 

 星菜の口ぶりにはどことなくしばらくの間継続して付き合っている男を念頭に置いている雰囲気があったし、なにより――これが決定打となったのだが――柏木が太陽に電話をかけて次の日曜の予定を尋ねたところ、「なんにもねーよ。暇だし、オレとおまえで悠介を襲撃するか」と返ってきたのがすべてだった。

 

 この時点で、なぁ太陽、と切り出しても良かった。おまえやっぱり今回も遊ばれているぞ、と。

 

 だが高瀬が「相手を特定できるまでは黙っていよう」と慎重な意見を出したので、太陽の落胆は先送りとなったのだった。

 

 高瀬は“星菜の魔法使い”を特定するつもりでいる。


 つまり探偵団の活動は継続ということだ。どうすれば星菜の尻尾を掴めるか。二次不等式を解いている時より数段難しい顔をして次のプランを練る高瀬を見れば、もうこの辺でやめておこうよ、と言い出すことはできなかった。


「動かぬ証拠を突き付ける!」乗り掛かった船ということなのだろう、この頃には柏木もそう言ってすっかりその気になっていて、どうせ否が応でも強制参加させられる羽目になる俺の気分たるや、ブレーキが故障した車に乗っているそれであった。


 さいわい運転手は高瀬だから、大事故にはならず済みそうではあるが。


 いや、どうだろう? 助手席に柏木が座ってしまったから、想定外の目的地に着くことにはなるかもしれない。

 

 夜空の星を見上げ、憐れな友のことを考える。


 一度ならず、二度までも強く恋をした人に裏切られたと知ったら、太陽はいったいどんな顔をするだろう。どんな言葉で、自分を責めるだろう。きっと彼は、星菜に激しく詰問したりはしない。歪むのは、星菜の仮面ではなく、太陽の端整な顔だ。


「オレさ、星菜のこと好きなんだよ、今でも」

 そう喜色満面で語っていた太陽が、俺は忘れられない。誰かを想うことの喜びを、その人の笑顔を信じられる感動を、あいつは再び失うことになる。

 

 未来に大きな悪影響を及ぼしかねない心の空白を、俺の唯一の友人は埋めることができるのだろうか? 


「男殺しの毒蛇め」

 妖しい光を放つ星に向けてそうつぶやいたところでスマホが鳴り、思考は途切れた。

 

 高瀬が何か妙案を思い付いたのか、はたまた、太陽の虚しいお惚気話(のろけばなし)を聞かされるのかと予測したが、画面に表示されたのは、まったく予想していなかった人物の名前だった。


 俺は首をかしげながらも、呼び出しに応じた。

「もしもし、どうした?」


「神沢! お願い、今すぐ来てっ!」

 

 月島のその声は、切迫している。

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