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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第一学年・夏〈再生〉と〈ロックバンド〉の物語
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第12話 この聖域に立ち入ることは決して許さない 3

 

 夏至を少し過ぎた時期だから、18時過ぎではあっても、日が暮れる気配はまだなかった。

 

 暖かい風が吹くなか、俺と月島は街を歩きながらいろんな話をした。


 そのうちのほとんどは、この地方都市と東京の相違点についてだった。


 気候、人々の気質、交通手段、娯楽の種類、休みの日の過ごし方などなど。

 

 月島は俺を実家のせんべい屋“月島庵(つきしまあん)”の次期店主とすることをちっとも諦めていないらしく、宝石を砕いて散りばめたような瞳で東京の魅力を存分に語った。


 そのあいだ、俺の心には東京に行く意志がないことを改めて表明しようかと何度も思ったが、そんな月島の爛々(らんらん)とした目を見てしまってはそれはどこか人倫にもとる行いのように思えた。

 

 俺と月島はつれづれに街を歩き続けて、いつの間にか俺の家に近い小さな公園に足を踏み入れていた。公園には他に誰の姿もなかった。夏の夕方の公園で若い男女がふたりきり。どこからともなく甘酸っぱい空気がただよってくる。


 それを嫌った俺は、今日はここで彼女と別れようと口を開いた。

「ま、月島なら良い跡取りを見つけることができるさ。高校生活は始まったばかりだ。卒業まではたっぷり時間がある。月島はなんと言っても俺の命の恩人だから、俺もおまえの幸せを祈っている」

 

 慎重に言葉を選んで、俺の考えに変更がないことをそれとなく伝えた。俺と月島は鳴桜高校では所属するクラスが違うから、そうそう顔を合わせるわけではない。変に期待を持たせない方がいいだろう。

 

 それを聞くと彼女はおもむろに空を見上げ、どんよりとしたため息を吐いてから言葉を発した。

「私と月島庵を救えるのは、神沢。世界で、キミひとりなんだよ」

 

「世界で俺ひとり? それはいったいどういうことだ?」

 

 彼女はなにも答えなかった。その代わりゆっくりと歩み出て、俺の正面で足を止めた。そして何を思ったか、自分の顔を俺の胸にうずめてきた。まるで枕の質感をたしかめるみたいに。

 

 月島のふわっとした柔らかく、それでいてスマートな香りが鼻腔をつき、俺の男心を刺激する。


 それにしても、とかたちのきれいな月島の頭を見下ろし思う。


 それにしても、どうして女の子というのは、こうも良い匂いがするのだろう? そうか、それは俺が男だからだ、これが生魚やヘドロの匂いだったらどんなに綺麗な子だって、尻込みしてしまうもんな。


 そんなどうでもいいことを考えながら、俺は直立不動で、ただただ時間が流れるのを待った。


「やっぱりな」としばらく後で彼女はささやいた。「やっぱりこの場所は、()()()()()()だ」


「あのな月島。さっきからさっぱり意味がわからん」

 

「ごめん、そうだよね」

 そう言うと彼女は、胸への密着を解き、俺の顔を見上げて柔らかく微笑んだ。だがそれも束の間、彼女はすぐに表情をぐっと引き締めて、そばにある二人がけのベンチに向かって歩き出しそこに腰掛けた。


 空いているスペースが「座りなさい」と呼びかけている気がしたので、俺もベンチに腰を下ろす。それが合図となったかのように彼女はこう打ち明けた。

「私さ、男の人、ダメなんだ」


 その口ぶりには、たとえば、毛虫がダメ、とか、わさびがダメ、といったニュアンスよりは明らかに強い拒絶が言外に含まれていた。月島は続ける。


「これでもだいぶ良くなった方なの。一時期は、男の人とは目も合わせられなかったし、話もできなかった。今でも近寄ったり直に肌に触れたりするのは、すごく抵抗がある」

 

 それを聞いて篠田先生に職員室に呼び出されてから、依然として残されていた一つの謎が、ようやく解ける。

「それがきっかけで、警察の厄介に?」


「正解」と月島はすげなく言った。「昨日の放課後、私に声を掛けてきた男、これがかなりしつこい奴でね。ずっと無視していたら激高しはじめて、突然私の腕を掴んだの。気がついた時には、私の目の前でその男が鼻血を出して倒れ込んでいた。女でもいざとなると、男の鼻の骨を折るくらいの力は備わってんのね」

 

 彼女は自身のガラス細工みたいに華奢(きゃしゃ)な右手を、まるで自分のものではないように不思議そうに見つめた。

 

 ふと、ハンバーガーショップでのワンシーンを思い出す。注文した商品の受け取りを月島は自分の分まで俺に委ねた。対応していた店員が男だったことを考えれば、それも腑に落ちる。

 

 俺は人間のメンタルの専門家ではないけれど、こういった症例には往々にして、何かしらきっかけとなる出来事があるということくらいは知っている。


 ではその出来事は何かと月島に問うのは、踏み込み過ぎというものだろう。おそらくとてつもなくデリケートな領域の話になってくる。


 気がつけば陽が落ち始め、空は赤く染まり始めていた。ベンチに腰掛けたまま、低空を飛行するカラスを黙って見つめていると、隣で月島が重たい息と共に言葉を吐き出した。


「私、男に襲われたんだ」


 ()()()()()()――発音するのにわずか一秒か二秒そこらのその台詞は、俺の中に馴染むのにえらく時間を費やした。それくらい俺の日常からは縁遠い言葉の組み合わせだった。


「あれは2年前のことだ」と月島は言った。まさかそのディテールを話し始めるつもりなのかと思って俺は「無理はするな」と彼女の話をさえぎった。


「いいの」彼女は強く言う。「これは、神沢に聞いてもらうべき話だから」

「俺が聞くべき話」


「私と月島庵を救えるのは、世界でキミひとりなんだよ」と彼女はもう一度繰り返してから、事の詳細を語り始めた。

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