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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第三学年・冬〈旅立ち〉と〈ハッピーエンド〉の物語
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第118話 この物語はこれで終わりじゃない 3


 11個の冒険の証を持って帰宅した俺は、どの未来を選ぶかもうかれこれ四時間ほど考えていた。


 外はすっかり暗くなり、窓の外にはやけに大きな月が見える。今夜は満月だ。

 

 考えれば考えるほど――月の位置が高くなればなるほど――とるべき選択肢は一つしかないように思えた。


 今日の昼、俺は三人娘にこう宣言した。「実はもうほとんど答えは出かかっている」と。それは決して苦しまぎれの出任せなんかじゃなかった。嘘偽りのない事実だった。


 彼女たちと共に高校最後の季節を過ごしていくうちに、俺は自分のなかに一つの思いが芽生えていることに気がついた。それは日に日に大きくなり、最後の試練と向き合う頃には俺をある未来・・・・へ進むよう、皮膚の下から突き動かすようにまでなっていた。

 

 とはいえ、もちろんまだ迷いがないわけじゃなかった。なにしろ一生を左右する決断だ。本当にその選択でいいのか、と自分に問う余地は残っていた。そうして一人で問い続けて、いつしか月は夜空のずっと高いところまで昇っていた。


「夢を重視するなら高瀬。やすらぎを重視するなら柏木。安定を重視するなら月島……」

 俺は無意識にそうつぶやいていた。俺はこの先の人生を――何事もなければ少なくとも60年は続く人生を――どう生きればいいのだろう?

 

 考えすぎて思考が麻痺まひしだしたところで、窓から射し込む月光が冒険の証の一つを照らした。卑猥な店のポケットティッシュだ。俺は思わず目を凝らした。なぜならコンパニオン募集を呼びかける紙とは別に、もう一枚、不自然に折り畳まれた紙が透けて見えたからだ。

 

 俺はポケットティッシュを手にとった。そしてその折り畳まれた紙を開いた。それは手紙だった。月島から俺に対して書かれた手紙だった。


 

 ディアー神沢。キミが今この手紙を読んでいるということは、私はもう……。


 いやいや、冗談を言っている場合じゃないね。ラブレターくらいはマジメに書かなきゃね。あはっ。ラブレターだって。嫌になっちゃうね。ゼンゼン私らしくないよね。でも大切なひとに大切な想いを伝える手紙だもの、それをなんて呼ぶかといえば、世間一般的にはラブレターってことになるよね。


 私がこんな手紙を書くのはおそらく生涯でこの一度きりだ。貴重なラブレターである。心して読むように。


 なんちゃってね。だからマジメに書かなきゃね。それに前置きが長い。お遊びはこれくらいにして、そろそろ本文に入ろう。


 さて、ゆう君。しっかしキミは馬鹿な男だよ。


 なんだってせっかく受かった鳴大獣医学部への進学資金を柏木の手術代に充てちゃったんだい? 柏木を助けたい気持ちはわかるよ。でも『それはそれ、これはこれ』じゃない? 

 

 ずっと夢見てきたんだろう? 高瀬さんと一緒にキャンパスライフを送ることを。そして将来、獣医になることを。キミはその未来をつかんでいながら、自分から手放したわけだ。まったく、どこまでも馬鹿な男だよ。


 ――ただ、中学の時からキミを知る私としては、なんだか感慨深くもある。すべてに絶望して屋上から飛び降りようとした少年が、こうして他の誰かを救って、生きる希望を与えるとはね。


 私がキミの命を救い、そのキミが柏木の命を救った。そう考えるとお姉さん、ちょっと込み上げるものがあるよ。うん。馬鹿な男というのは撤回しよう。さすがに言い過ぎだ。お馬鹿さんだよ、キミという男は。


 でも私はそんなキミが好きだよ。時にお馬鹿な選択をしてしまうゆう君のことが。そうそう。キミにはこの後、もうひとつ重要な選択が待っているね。誰と一緒に生きていくか。それを決めなきゃいけない。大きな決断をしなきゃいけない。

 

 もし私がキミの立場なら、高瀬さんか柏木を選ぶね。だって高瀬さんはなんてったって社長令嬢だもん。ギャクタマってやつじゃん。食いっぱぐれることはないし、獣医になる夢だってもう一度目指せる。最高じゃん。


 柏木はなんてったって柏木晴香だもん。あの顔であのスタイルであの性格だもん。反則だよ。あの子とならどんな困難も乗り越えていけるよ。なんとかなるって。最強なの、柏木晴香は。

 

 では月島さんはどうか。うぅん。ないね。一番ないね。せんべい屋の店主として一生を過ごすなんてあまりにも面白みがないものね。私は賢いから月島さんは選ばないかな。


 でも選ぶのは私じゃない。キミだ。お馬鹿さんだ。どうかまたお馬鹿な選択をしてくれることを期待してる。


 うん。素直じゃないね。私の悪いところだ。

 

 率直に言う。ゆう君。私を選んでほしい。私はあなたのことが好きです。


 最後に。


 ゆう君がどんな選択をしても、私は恨んだりしない。その代わりこれだけは約束して。

 

 どうか、幸せになって。



 俺はその手紙を読み終わると、まさか、と思って他の冒険の証をよく調べてみた。するとコルクボードからは高瀬の手紙が、そして進路希望調査票の入った額からは柏木の手紙が出てきた。


 思い返してみれば俺が11個の証を持ち帰ることに決まった後、あの三人は妙にこそこそしていた。


 俺は迷った後で柏木の手紙から先に読むことにした。


 

 悠介。きのうはごめんね。せっかくお見舞いに来てくれたのに、ムスッとして顔すら合わせないで。いくらなんでもあれはないよね。あたし史上一番ひどかった。うん。反省してます。

 

 でもね。わかってほしいんだけど、夢を追うのを応援してきた人が、自分のせいでその夢をあきらめるっていうのはね、これはね、つらいものなんだよ。すごく、すごーーーく。


 だからあれは、悠介に怒っていたんじゃないんだ。あたし自身に怒っていたんだ。きのうはね、本当に合わせる顔がなかった、って感じなの。そういうわけなので、どうか許してほしいな。許してくれるよね。だって悠介だもんね。


 あたしはさ、悠介と出会ったばかりの頃に『運命を感じた』って言ったじゃない? なんだかこれじゃ、こうして命を救ってもらうために言っていたような感じがしてイヤだね。そんなことない? あはは。あたしの考えすぎか。

 

 でもいろいろあったけど、あたしはやっぱり今でも悠介が運命の人だと思ってるよ。『未来の君』は結局でたらめだったけどさ、あたしは悠介を幸せにしてあげられる。その自信がある。

 

 だからね。どうか、お返しをさせてほしいの。あたしの命を救ってくれたお返し。これから一生かけて悠介を幸せにするから。そのためにも明日はあたしを選んでほしいな。


 ……ていうかね、選んでくれなかったら、大きな借りを作ったままお別れってことになっちゃうじゃない。そんなのあたしの性格が許さない。ギブアンドテイクの精神を忘れちゃいけない。そうでしょ?


 だから悠介。明日はあたしを選びなさい。いいね。


 それじゃ、おやすみね。


 

 俺は一度深呼吸をしてから、柏木の手紙を閉じ、それから高瀬の手紙を開いた。そこには簡潔にこうあった。


 

 秋にお返ししたあの指輪をもう一度、私の指にはめてくれることを心より祈っています。


 追伸


 他の二人がきっと長い手紙を書くだろうから短くしました。こういうのを読むのって、きっと疲れるものね。神沢君。また明日ね。


 

 高瀬らしいな、と思って俺は頬をゆるめた。本文より追伸の方が長い手紙なんて高瀬くらいにしか書けない。

 

 三通の手紙を両手で持つ。紙ではなく石版でも持っているのかと思うくらい、しっかりとした重みを感じた。

 

 手紙を読む前と後とでは、当然ながら同じ心境ではいられなかった。先ほどまではとるべき選択肢は一つしかないように思っていたが、それが今は大きく揺らいでいた。

 

 時計を見る。24時を過ぎている。考えなきゃいけない。決めなきゃいけない。でも考えられない。決められない。

 

 これはちょっと頭を冷やした方がいいかもしれない。

 

 俺は手紙を置くと、コートを羽織り、夜の街へ出た。


 ♯ ♯ ♯


 外は思いのほか寒くなかった。コートはいらないくらいだった。


 ひと冬のあいだ降り続けた雪がとけきった道を歩いていると、俺は嫌でも新しい季節の訪れを感じることになった。すぐに頭が冷えると思っていたが、このぶんだとしばらく歩かなきゃいけないみたいだ。


 そうしてあてもなく街をぶらぶら歩き続けて、だいたい一時間が経ったその時だった。


 俺の足はひとりでに動きを止めた。それはなぜかといえば、前方のさびれた街灯の下に、ある存在・・・・を認めたからだ。


 そいつは今夜俺が大きな迷いを抱えてこの道を通ることをわかっていたかのように――いや、実際にわかっていたのだろう――ほのかな笑みを浮かべてそこにたたずんでいた。思えばこいつの言葉がすべての始まりだった。


「あなた様はもうすでに“未来の君”に出会っております。心当たりがおありなのでは?」


 俺は無意識に天を仰いだ。そして月の満ち欠けのタイミングに運命じみたものを感じ、思わず苦笑した。


 今日は、すべてが始まったあの日と同じく、満月だった。


 占い師だ。街灯の下にはフィクション世界を彷彿ほうふつとさせる漆黒のマントで全身を覆った、あの老占い師がいる。


「ご無沙汰しておりました」と占い師はしゃがれ声で言った。


 言うまでもなく俺は黒マントの下の正体が誰なのか、わかっていた。そしてそのことを、彼もまたわかっていた。


 それでも俺は小芝居に付き合うことにした。なにしろご丁寧にシワの一本まで緻密ちみつな変装を施し、ボイスチェンジャーで声まで変える徹底ぶりだ。マントを剥いで名前を呼ぶのは野暮というものだ。


「今でもあんたに呼び止められた夜のことをよく覚えてるよ」と俺は言った。「あの時も今夜と同じ、満月だった」


「あれからもう三年になりますな。いかがでしたかな。この三年は?」

「何も起こらない平穏無事な高校生活を望んでいたわけだけど、望み通り・・・・に過ごすことができたよ。あんたのおかげで」

 

 占い師は皮肉に気づいてひとしきり笑った。

 俺も笑った。ただし、ひっきりなしに面倒事が起こり続けた三年間を思い返して。


「それで、こんな時間にこんなところでなにしてんの。また幸せな未来を願う不幸な少年にもっともらしい甘い言葉をかけて、惑わすつもりでいたの?」


「いやはや、これは参りましたな」と占い師はバツが悪そうに言った。「そのようなつもりはいささかもありませぬ。わたくしは、何を隠そう、あなた様にお目にかかりたかったのでございます」

「光栄なことで」と俺は言った。そうだろうとは、思っていた。「で、何の用?」


「不本意ながらあなた様を惑わせてしまったことの、お詫びをしたいのです」

「お詫び?」

 

 占い師は卓の上の水晶に視線を落とした。

「見えまする。いくつもに分岐した道の前で、立ち止まってどの道に進もうか迷うあなた様のお姿が。僭越せんえつながら、わたくめならば、それぞれの道の先に何が待っているか占うことができまする」

 

 なるほど、と俺は思った。先生は――いや、占い師は例の能力を使って、文字通り“見る”つもりなのだ。俺の前にあるいくつかの未来を。


「もちろんお代などちょうだい致しませぬ。いかがなされますかな?」

 

 それについて俺は考えた。答えが出るのにさほど時間はかからなかった。


「正直言うと、それぞれの道の先に何が待っているのか、占ってほしい思いはあります」気づけば敬語になっていた。「でも、遠慮しておきます」


「ほう。もしよろしければ、その理由をお聞かせ願えますかな?」


「俺はこの三年間で数えきれないほど多くの人と出会いました」と俺は切り出した。「いろんな人がいました。そのなかには、人の未来が見えるという人すらいました。その人は学生時代に雷に打たれたことで、人知を超えた能力が身についたそうです」

 

 占い師は身じろぎひとつしなかった。俺は話し続けた。


「今から二十年ほど前、その人はある未来を見てしまいます。自分の愛する娘が若くしてみずから命を絶つ未来です。それ以来、彼はその未来だけに意識を向けて生きるようになりました。今身の回りで何が起こっているのかなんて、まったく気にかけなくなってしまいました。良いことだって、すばらしいことだって、日々の中でたくさんあったはずなのに。


 そうなんです。未来を知るっていうのは、そういうことなんです。娘を亡くすという絶望とは対極にある、希望に満ちた未来を知ったとしても同じです。きっとその未来だけに意識を向けて生きてしまう。今をないがしろにして。人間って、そういう生き物です。

 

 俺はずっと、自分にとっての幸せとはなにか、考え続けてきました。でもきっとそれは、億万長者になるとか、ノーベル賞をとるとか、そういう偉業を成し遂げた先にあるものじゃなくて、あったかいメシを食えるとか、ふかふかの布団で寝られるとか、そんな日々のささやかなことの積み重ねのように思うんです。


 それを俺に気づかせてくれたのは、明日なにが起こるのかすらわからなかったこの三年間です。未来に何が起こるかをここで知って、今が――自分の身のまわりで何が起きているかが――見えなくなるんじゃ、本末転倒です。

 

 だから占いはいりません。未来はわからない。それでいいです。これまでもそれでやってきましたし、これからもそれでやっていきます。何が起こるかわからない人生を、俺なりに楽しんでいきますよ」

 

 占い師は卓の上で手を組んで長いあいだ黙っていた。やがて息を大きく吐くと、意を決したように立ち上がった。そして顔を覆っていた黒マントをみずから脱ぎ、それからボイスチェンジャー内蔵のループタイを首から外した。


「どうやら私は君のことをまだ子供だと思ってあなどっていたようだ」と松任谷先生は目を細めて言った。「まさかそこまで考えられるようになっていたとはね。せめてもの償いとして、未来を教えてあげようと思った私が浅はかだった。神沢君。この三年で、本当に成長したね」


「おかげさまで、いろんな体験をさせてもらいましたから」今度は皮肉抜きで答えた。

 

 先生はうれしそうに笑った。それからこちらの顔をまじまじと見つめた。

「神沢君。どうやら、その顔からするに、迷いが消えたようだね?」

 

 俺はうなずいた。深く、うなずいた。

「今、自分の幸せについての考えを話してみると、はっきりと見えました。進むべき道が。実はもう答えは出かかっていたんですが、簡単な選択じゃないだけに、それでいいのかずっと自問自答していました。でも決めました。やっぱりはじめに進もうと思った道に進むことにします」


「そうかい」と先生は言った。そしておそらく、その未来を見た。「ほうほう。なるほどなるほど。その道・・・を選んだか。なんとも君らしいね」

 

 俺は微笑んだ。

 先生も微笑んだ。そして言った。

「それにしても、君の言葉にははっとさせられるよ。『何が起こるかわからない人生を楽しんでいく』か。私も叶うならそんな生き方がしてみたかった」


「今からでも遅くないんじゃないですか?」

「え?」


「未来が見えたって、気にしなきゃいいんです。未来なんて、いくらだって変えられます。現に、娘のジュンさんがみずから命を絶つ未来は変わったじゃないですか。先生も明日から、何が起こるかわからない人生を楽しめばいいんですよ」


 * * *


「もったいなぁーーーーい!」隣であいは足をバタバタさせた。縁側が、揺れる。「未来が見える人が未来を見てあげるってせっかく言ってくれてるのに、それを断るなんて、ホント、もったいない!」


「これでよかったんだよ」と僕は6歳の娘をなだめた。「これでよかったんだ。だいたい、十年前のあの夜にもし先生に未来を教えてもらっていたら、きっと愛はこの世に生まれてなかったんだぞ? それでもいいのか?」

 

 娘はおもしろくなさそうに頬をふくらませた。

「わたしなら、ゼッタイに未来を見てもらうな。うん。知りたい。ねぇお父さん。マツトーヤ先生に、会わせてくれないかな?」


「すまんな。それはできないんだ」

「どうして?」


「もう占い師はこの世にいないからだ」

「え?」


「松任谷先生は去年、病気で亡くなった。70歳だった」

「そう、だったんだ」


「実はな、先生はあの夜の時点で一年後に自分が死ぬ未来を見ていたらしいんだ。でもそんな未来のことはまったく気にしないことにした。するとそこから十年も生きたんだ。ずっと運命に囚われていた先生は、ようやく人生の最後の十年を生きたいように生きることができたんだ」


 娘は何か思うところがあったのか、庭の桜の木を無言でひとしきり眺めた。それから口を開いた。

「とにかく、お父さんは、その夜にどの道に進むか決めたんだね?」


「ああ」と僕は当時を思い出して言った。「あとは家に帰って寝るだけ、だったんだけどな。問題はもう一つあった。その決断の結果を、どう三人に伝えるか。それも考える必要があった。それで家に帰ったはいいが、考えて考えて考えて、一睡もできなかった。結局、徹夜でその日を迎えたんだ」


「その夜眠れなかったのは、お父さんだけじゃないね」


「違いない」と僕は言った。「それじゃ、いよいよ語ろうか。高校三年間でいちばん長い日になった、あの一日のことを」

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