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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第三学年・冬〈旅立ち〉と〈ハッピーエンド〉の物語
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第113話 帰ればおかえりと言ってもらえるところ 4


 美女が空から降ってきたのは、年の瀬も差し迫った12月29日の昼過ぎのことだった。なにやら屋根の上が騒がしいので外に出て顔を上げると、とんでもない美人が文字通り空から降ってきた。

 

 俺はとっさに両手を伸ばし、その体を受け止めた。いわゆる、お姫様抱っこのような恰好になる。わけがわからず混乱する俺を尻目に、お姫様は腕の中でにっこり微笑んだ。

「ハロー、悠介」


柏木・・おまえ、なにやってんだ!?」

「早く会いたかったから、空を飛んできた」


「空を飛んできた?」

「それはウソ。あれ、見て」

 

 彼女の視線の先には、電柱の陰からビデオカメラをこちらに向ける男がいた。湯川君だ。手には「柏木さんらしく、ド派手な登場を!」と書かれたスケッチブックがある。十年後の同窓会で流す映画の撮影中だということを、すっかり忘れていた。


「屋根がドタバタ騒がしかったのは、おまえが登っていたからか」俺は呆れる。そして心臓の病気を案じる。「あんまりムチャすんなよ」


「これくらい、なんでもないですよーだ」

「それで、何の用だ? このシーンを撮るためだけに来たのか?」

 

 柏木は首を横に振ると、全身をしなかやに動かし、体操選手のようにピタッと着地した。

「ちょっとね、これからのことで悠介に聞いてほしい話があって」

 

 俺は電柱の方へ目をやる。「それなら、家に上がれよ。あいつに聞かれたら嫌だろ?」


「いいのいいの。そんなに深刻な話じゃないから。むしろ撮ってほしいくらい。高校生活最後の冬。愛する男と未来について語らう乙女。あら。絵になるじゃない」


 ♯ ♯ ♯


 結局、絵になるというよくわからん理由で、俺は見晴らしの良い高台へ連れていかれた。もちろん監督兼カメラマンもついてきた。


 高台の頂上に到着すると、はかったように雪が空を舞い始めた。柏木は両手を広げてくるくる回り、「わあっ、きれい!」とはしゃいだ。その姿は文句のつけようがないほど絵になっていた。

 

 俺と彼女は街が一望できるベンチに腰を下ろした。

「聞いてほしいことってなんだ?」


「大学のことなの」と柏木は言った。「あたしも大学を受けるって宣言してから一ヶ月が経つけど、受験勉強をいざ始めてみると、トーダイ合格はぶっちゃけ厳しいかなっていう感じがしてるんだよね。こう、手応えがあまりないというか?」

 

 ここは笑うところか、と喉元まで出かかったが、いくら彼女が学年240人中230位台が定位置の生徒だからといって、それを口にするのはさすがに失礼というものだった。劣等生にだって赤門を目指す権利くらいはある。権利くらいは。

「なるほど、それで?」


「それで、妥協ってわけじゃないんだけど、うちから通える近場の大学に行くのも悪くないかなって考えていてね。ほら、あそこ」

 

 柏木が指さした先には、名前を書くだけで――下手すりゃ名前すら書けなくても――受かるという評判の単科大学があった。


「ひとつ聞いていいか?」と俺は疑問に思って言った。「“大学イモ”とか“堀口大学”とか聞いただけで耳を塞ぐほど大学嫌いだったおまえが、どうしてこの冬になってこうも進学に前向きになってるんだ? 一ヶ月前はまわりがみんな受験生だから仲間外れみたいで寂しいとか言ってたけど、それだけが理由じゃないだろ?」

「まぁね」


「どうしてだ?」

「わからない?」


「わからない」

「ある一人の人物のせいなんだけど」


「誰のせいなんだろう?」

「おまえだー!」柏木は隣からチョークスリーパーをかけてくる。「悠介がいつまで経ってもあたしと将来居酒屋をやるって決断しないから、こっちは保険をかけなきゃいけないんでしょうが!」


「ギブギブ!」俺は彼女の腕にタップした。技が解けると、自分の優柔不断さを詫びた。「悪かったよ。でもなんで、大学に行くことが保険になるんだ?」


「だって大学に行かなきゃ教員免許がとれないもん」と柏木は何事もなかったように言った。「いつか話したと思うけど、あたし、小さい頃の夢は小学校の先生だったんだよね。悠介と『世界一幸せな家庭を築く』っていう夢が叶わないんなら、せめて『世界一幸せな教室を作る』ことにしようかなって。子どもは好きだし」


「柏木センセイ」と俺は試しに口に出してみた。

「自分で言うのもアレだけど、あたしは先生に向いてると思うのよね」


「先生は空から降ってきたりしないけどな」さらに言えば首を絞めてきたりしない。

 

 柏木は苦笑した。「とにかく、もし悠介が優里や月島との未来を選ぶなら、あたしは教師を目指そうと思ってる。そのために行きたくはないけど、まぁ、どっかの大学は受けるつもり。一応それを伝えておこうと思って」

 

 俺は理解したしるしにうなずいた。

 

 彼女はしばし無言で雪の舞う空を見上げた。それから口を開いた。

「ねぇ悠介。誰と一緒に生きていくのか、まだ決められない?」


「申し訳ないとは思ってる」

「どうしてそんなに迷ってるの?」


「理由はいろいろあるけど」と俺は考えた後で言葉を選んで答えた。「ひとつは、これからの人生で何を重視するか、それが決まらないからだと思う」

「何を重視するか、か」


「夢を重視するなら高瀬だ。俺はやっぱり獣医になりたい。高瀬はそれを応援してくれる。でもこの夢を叶えるのは簡単なことじゃない。叶えたとしても幸せになれるとは限らない。それだけ獣医の仕事はハードワークだ。高瀬の求めるものを提供できないかもしれない。高瀬と歩む人生は、少なからず冒険になるだろう」

 

 柏木は中立的な顔でそれ聞いていた。

 

 俺は続けた。「逆に安定を重視するなら月島だ。なにしろ俺は、小難しいことはなにも考えず、この身ひとつであいつと東京に行けばいい。月島庵第15代当主として、来る日も来る日もせんべいを焼けばいい。血の滲むような努力をしなくても、危ない橋を渡らなくても、大都会の一角に住むところと一生涯の仕事が保証されている。ただそれで果たして俺は満たされるのかっていう問題がある。夢に挑戦すらしなかった生き方。月島と歩む人生は、これで良かったのかと自分に問い続けることになるだろう」


「あたしは?」と柏木は隣から身を乗り出してきて言った。「何を重視したら、あたしを選ぶの?」

「おまえは……」あいにく、適切な言葉が見つからない。「おまえは、なんだろう?」

 

 柏木は漫画みたいに見事にベンチからずり落ちた。

「ちょっと! そこはバシッと答えてよ!」

 

 ぶつぶつ言いながらベンチで体勢を直す彼女を見ていると、俺は思わず頬がゆるんだ。毎度のことだけど、ひょうきんな女だ。美人でひょうきんなんて、反則のような気さえする。


「こっちからもひとつ聞かせてくれ」と俺は言った。「『世界一幸せな家庭を築く』っていう夢、パートナーはどうしても俺じゃなきゃだめなのか?」


「どうしても悠介じゃなきゃだめ」と柏木はきっぱり即答した。「あたしが思い描く家庭では、お父さんは悠介にしか務まらない。親のことで人一倍苦労してきた――あたしと同じ痛みを背負ってきた――悠介にしか」


「お父さん」と俺は口に出してみた。それから月島も高瀬も子どもは欲しがっていたな、と思い出した。「俺もいつか父親になるのかなぁ……」


「なるよ。悠介はね、母親が誰であれ、女の子・・・ができるよ」

「女の子? なんでわかるんだよ?」


「女の勘」柏木は得意げに指を立てる。「父と娘のいろんなシーンが目に浮かぶもん。たとえばこういうの。その時悠介は6歳くらいの娘ちゃんと一緒に家の縁側みたいなところに座って、高校時代の思い出話を聞かせたりしている。でもちょっとした気持ちのすれ違いで娘はヘソを曲げちゃう。気難しい性格なのね。それで悠介は、誰に似たのかな、きっと俺だな、って自分を納得させる。父親似の娘に手を焼いて困り果てる悠介、すっごく絵になる!」


「やめてくれよ」なんだか本当にそうなりそうだから、こわい。


「とにかく、あたしは悠介じゃなきゃだめなの」と柏木は言った。「たしかにあたしと一緒に歩む人生では悠介の夢は叶わないし、安定も約束されない。うん。それは認める。でも悠介が求めているもの――幸せは、確実に手に入ると思うけどね」


「そうなんだろうな」と俺は、気づけば無意識につぶやいていた。「俺はさ、おまえと一緒にいる時がいちばん落ち着くんだよ。今も大学入試が二週間後に迫ってるっていうのに、とてもリラックスしている。真冬で雪も降ってるっていうのに、心は暖まっている。ああそっか。やっとわかった。適切な言葉が見つかった。これからの人生で、やすらぎ・・・・を重視するなら、おまえなんだ」

 

 柏木は柄でもなく隣で慌てふためいた。居住まいを正し、髪を整える。

「な、な、なによ、急に。それって、最大最高の褒め言葉じゃない。めちゃくちゃ嬉しいんだけど。本当に嬉しいんだけど。やばい、泣きそう。泣かないけど。バカ……」

 

 ふたりのあいだに甘い空気が漂っているのは、鈍感な俺でもさすがにわかった。参ったな、と思ったところで、スケッチブックが目に入った。いつの間にか斜め前方の木の陰に移動した湯川君が、「ここはキスでしょ!」とそこに力強く書いていた。


「おーい」と俺は監督兼カメラマンに対してNGを出した。「ありのままの姿を映すドキュメンタリー映画じゃなかったのかよ。さっきの空から降ってくる演出といい、キスの催促といい、これじゃまるで、ヤラセ映画じゃないか」

 

 そこで俺は冷えた頬に暖かいものを感じた。何が触れたかは、顔を動かすまでもなくわかった。目に映るのは、降り続ける雪だけだった。


「ヤラセじゃないよ」と隣から柏木の声がした。「あたしはあたしがしたいことをしているだけ。いつだって、そう。だからこれは、ノンフィクション」


 やすらぎだけじゃないな、と俺は思った。それだけじゃない。やすらぎ、時々、どきどき。そういう人生を求めるなら、選ぶべきは柏木だ。子どもの前で“あたしがしたいこと”をされると、お父さんとしてはちょっと困るだろうけど。

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