第113話 帰ればおかえりと言ってもらえるところ 1
「お父さんは、私のことが好きじゃないんだ」
縁側で昔話を再開しようとした矢先、娘がそう言い出したので僕はたじろいだ。
「ど、どうしたんだよ?」
娘はふくれっ面で目を合わせようとしない。すぐにピンときた。
「さっきうちに来たお姉ちゃん――唯に、まだヤキモチ焼いてるのか」
「だってすごく仲良かったじゃない。すっごく。なんだか本当の親子みたいだった。お父さんは私よりあの人の方がかわいいんだ」
「そんなことないって」
「それじゃ、もし私とあのお姉ちゃんが同時に怪獣に襲われていたら、どっちを助ける?」
ここでの正解はきっと、おまえに決まってるだろと何も考えず即答することだったんだろうけど、どっちも助ける方法をほんの一瞬考えてしまったのが、まずかった。
「ほら、やっぱり!」と娘は言った。「すぐには答えられないんだ。迷ったんだ。お父さんは私のことが好きじゃないんだ。私もお父さんなんかキライ。もう口をきいてあげない!」
「なんでそうなるかな……」
こういうことは、これまでもたびたびあった。普段は素直で良い子なのだけど、ひとたびスイッチが入るととたんに気難しくなる。誰に似たのだろう? 僕に似たのだろう、きっと。
6歳児の扱いの難しさをあらためて痛感していると、またしても家のチャイムが鳴った。唯が何か忘れ物でもしたのだろうか?
でもあたりを見渡してみても、彼女の所持品らしきものはなにも見当たらなかった。花見の時間にはまだ早い。いったい誰が来たのだろう? またしてもまったく見当がつかなかった。
僕は縁側から立ち上がって一人で玄関へ向かった。そして静かにドアを開け、そこに現れた顔を見ると、静かにドアを閉めた。
あいつだ。あいつがいる。28年の人生で会った中でいちばんの変わり者が。これといった外見的特徴のない、まるで政府広報に出てきそうな男だが、その平凡な顔は僕の記憶には鮮明に焼き付いている。何も見なかったことにして、縁側へ戻ろう。
「ちょっと!」と彼は外から叫んだ。「僕はマルチ商法の構成員でもなければ、カルト宗教の勧誘員でもないよ! あんまりじゃないの。それとも僕の顔、覚えてないの?」
「覚えてるからこそ、ドアを閉めたんだよ」と僕は背中越しに告げた。
「本当にあんまりじゃないの、神沢君! 僕は君に会いたくて会いたくて仕方なかったっていうのに!」
「近所にあらぬ誤解を与えかねないことを大声でわめくな」
「それじゃ開けてよっ!」
放っておいたらこの男なら庭の桜の木によじ登ってでも侵入してきそうだった。それで僕はやむなく振り返ってドアを開けてやった。そこには肩から平凡なバッグをかけた高校時代のクラスメイト・湯川ヒデキが立っていた。
「何しに来たんだよ」
「神沢君、こないだの同窓会に来なかったでしょう?」
たしかに行かなかった。なぜならこの後の花見こそが僕にとっての同窓会だからだ。
「実はその時、みんなにあるものを配ったんだ」と彼は妙にすまして言った。「それを同窓会係として欠席した神沢君に届けに来たのさ」
「あるもの?」
「そう。それと……」
「それと?」
「なんでも聞いたところによると、娘さんが生まれたそうだね」
「本性を現したな」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。神沢君。どうか二世のご尊顔を、拝ませてほしい」
僕はため息をついた。「あいにく今娘はご機嫌ななめだけど、それでもよければ、どうぞ」
♯ ♯ ♯
「……お父さんのファン?」
娘は湯川君の自己紹介を聞いて、首をかしげた。
「ファンじゃない、大ファンさ!」彼は娘の隣に腰を下ろして、熱弁をふるう。「高校時代のお父さんはまるで、青春モノのマンガやドラマの主人公みたいだったんだ。勉強に恋愛に大忙し! 次から次へと降りかかる困難と闘う日々! カッコよかったなぁ。いたって平凡な僕は、そんな神沢君に心から憧れていた。お父さんのことで知りたいことがあれば、聞いて。なんでも答えられるよ!」
娘はもっと首をかしげた。そして湯川君の逆となりに座る僕の顔を見上げた。
「お父さんのことをパパって呼ぶあのお姉ちゃんといい、この人といい、お父さんの知り合いって、変な人しかいないの?」
苦笑するしかない。「昔から変な奴を引き寄せやすい体質なんだ」
「ちょっと! 親子そろってひどいじゃないの!」と変人はうれしそうに言った。
そこで娘ははっとして、口に手をあてた。「いっけない。お父さんとはもう口をきいてあげないんだった」
今度は湯川君が首をかしげた。「どうかしたのかい?」
「ねぇ聞いて、変な人」娘はかくかくしかじかと事の次第を説明した。「――だからお父さんは、私のことが好きじゃないんだよ」
「ええ?」湯川君は娘越しに僕を見る。「そんなことはないと思うな。神沢君研究家の僕に言わせれば、君のことを心から愛しているはずだよ?」
「ショーコでもあるの?」
「証拠」湯川君は得意顔をして、例の平凡なバッグをまさぐった。「証拠になるかどうかはわからないけど、君に見せたいものがあるんだ」
娘に何を見せる気だ、と思って僕は緊張した。「見せたいもの?」
「さっき言ったでしょ? 僕はあるものを届けに来たって。ちょうどいい。それを見てもらえれば、神沢君の想いがこの子に伝わるよ」
「いったい何を持ってきたんだ?」
「わからないかなぁ? ヒントは」と言って湯川君は、縁側から庭に下りてビデオカメラをかまえるフリをした。そして、まるで映画監督みたいにこう続けた。「3、2、1、アクション!」
あるものの正体に思い当たって、僕は全身から嫌な汗が噴き出すのを感じた。「わかった! アレか!?」
「そう、アレだよ!」
「だめだ! 頼むからアレだけはこの子に見せないでくれ! 恥ずかしくてたまらん!」
「でもさ、仲直りする絶好のチャンスじゃない。ねぇお父さん?」
当然ながら娘は、アレに興味津々だ。そして湯川君も娘にアレを見せる気満々だ。どうやら僕は腹をくくるしかないようだ。
「わかった。見てもらおう。でもその前にせめて、あんなものができるに至った経緯をまず話させてくれ。今ちょうど、高校時代の昔話をしていたところなんだ」
「どうする、娘さん?」と湯川君はバッグに手を入れたまま尋ねた。
「しょうがないから聞いてあげる」と娘はぷんっと顔を背けて言った。
「それじゃ、話を再開しよう」と僕は言った。「最悪のクリスマスが終わってお正月になるまでの一週間も、それはそれはもういろんなことが起きたんだ」




