第112話 誰も傷つけずに幸せになることはできるのだろうか? 4
他に好きな人ができちゃった。そう書かれた紙切れの謎が結局解けないまま、パーティは夜6時きっかりに始まった。
パーティと一言で言っても唯の歓迎会兼高瀬の18歳の誕生会兼クリスマス会なので、「おかえり」と「ハッピーバースデー」と「メリークリスマス」が飛び交うなんだかよくわからん混沌とした催しとなった。
俺たち6人はテーブルを囲んで座り、月島が腕をふるった料理を食べ、太陽が用意したノンアルコールの(もちろんノンアルコールだ)シャンパンを飲んでいた。
主役の唯と高瀬を中心にトークは盛り上がっていたが、俺はその輪の中にすすんで入っていくことができなかった。その理由は言うまでもなく、ポケットの中の紙切れが頭にちらついてもやもやしていたからだ。
よっぽどそいつを三人娘に突きつけて、事の真相を確かめようかと思った。でもそんなことをしたらせっかくのパーティが台無しになるのは目に見えていた。それで俺はポケットに手を伸ばすのをぐっと堪えた。
でも結論からいえば、俺のその我慢もむなしく全てがぶち壊しになった。どうやらこのパーティは最初から混沌で始まったように、最後も混沌で終わる運命だったらしい。
それは宴もたけなわとなった午後9時過ぎのことだった。
ぐふふふふ、という悪魔じみた笑い声から悲劇の幕は開けた。笑っていたのはテーブルの向かいの高瀬だった。見れば目はとろんとして、顔は赤らんでいる。
「あれぇ?」唯が俺の右隣で反応した。「なんだか優里ちゃん、酔っ払ってる人みたい」
「おちびちゃん。わたしゃ酔ってなんかないよ」高瀬の言葉遣いは、もうすでにおかしい。「地球上でもっとも清楚でもっとも賢くてもっとも美しい完璧美少女のこの優里様が酔っ払うわけないでしょう。ぐふふふふ……」
「だめだ、完全に酔っ払ってやがる!」俺は確信を持って断言した。そして身構えた。彼女が酔うと手に負えなくなるのは過去の実例から学んでいた。
「なんで?」柏木はシャンパンのボトルを手に取る。「え? アルコール入ってた?」
ソムリエの太陽がすぐに否定した。「それなら、今頃オレたちだってベロンベロンのはずだろ」
柏木は次にテーブルの上をくんくん嗅いだ。「何かの料理にお酒が使われてる?」
シェフの月島がすぐに否定した。「唯ちゃんも食べるのに、使わないって」
「それじゃ、なんで?」
ぐふふふふ、と優里様が不吉に笑うなか、俺たちは元凶を探した。やがて太陽がチョコレートの入った小箱に目をつけた。そしてそこに貼られたラベルを見て、天を仰いだ。「こいつだ。原材料のひとつに、ウイスキーってしっかり書いてある」
「誰が買ってきたの?」と月島が頭を抱えて言った。
気まずそうに手を挙げたのは、唯だ。「それ、唯の優里ちゃんへの誕生日プレゼント。だって18歳って、結婚できるでしょう? もうオトナのジョセーだと思ったから」
もちろん誰も唯を責めたりしなかった。高瀬が微量のアルコールでもへべれけになる体質だなんて、8歳児にわかるわけがない。
高瀬はあろうことかさらにもう一個チョコを食べると、あろうことかテーブル越しにこちらの顔を見つめた。ロックオン、という言葉が俺の頭をよぎる。案の定彼女はぐふふふふ、と笑いながらテーブルを回り込んできた。そしてあろうことか俺の左隣にいた太陽を押し退け、そこにどっかり腰を下ろした。
「神沢君。優里様が遊びにきたぞ。感謝しなさい?」
絡みにきたの間違いだろ、と思ったが、逆らわない方が賢明だ。
「はい、ありがとうございます」
「しっかしキミはダメダメな男だよ」と高瀬はベタベタ俺の体を触って言った。「もうちょっとで卒業だってのに、いまだに未来を決められない。どうなってるんだね、えぇ?」
「はい、すみません」
「ま、今日の優里様はすこぶる機嫌が良い。もっともっと言いたいことはあるけど、これくらいにしといてやるぞ?」
「はい、ありがとうございます」
「それにしてもキミは今夜、なんだか元気がないな。この優里様の18歳の大生誕祭だというのに、さっぱり会話に入ってこなかったじゃないか」
「はい、すみません」
「もしなにか心に引っかかってることがあるなら、この優里様に話してみなさい。さすれば救われるでしょう」
ついに神になったのかという所感はさておき、俺は今しかないと思い、例の紙切れをポケットから出して、高瀬に見せた。
「実はこんなもんが家の中に落ちててさ……」
「どうしよう、他に好きな人が、できちゃった」
高瀬はそこに書かれた字を読んで、ぐふふふふ、と笑った。「なるほど。これを拾って以来、気分はブルーというわけだ、キミは」
「はい、すみません」
「安心しなさい、神沢君」と高瀬は俺の肩を叩いて言った。「私はこんなものを落としたりしない。私はこんな紙、知ーらない」
これまでずっと傍観していた柏木が口を開いた。「ちょっと優里、計画が……」
月島も眉をひそめて続いた。「これじゃ、作戦が……」
計画? 作戦? いったいなんのことだろう? いずれにせよ、彼女たちがあまり褒められないことを企んでいたのはたしかなようだ。
「神沢君、心配ご無用」と高瀬は甘ったるい声で言った。「優里様は世界でいちばんキミのことが好きだぞ。他のオトコにも告白されたりするけど、あんな連中まったく目に入らない。キミに出会えて本当によかった。私はキミが大好きだ。愛しちゃってる。そんな紙を落としたのは、きっとあの二人のどっちかでしょ」
「ち、違うもん」と柏木はすかさず否定した。「あたしだって悠介のことしか見えないもん」
「わ、私も」月島は顔が真っ赤だ。「神沢以外の男には触れることすらできないわけで……」
そこで高瀬は馬力をつけるようにまた一つチョコを口に放り込むと、二人の方を向いた。「おおっ!? なんら? おまえら、やるのかぁ? 言っとくけどなぁ、このダメダメ男と結婚するのは、この優里様だぞー? こないだだってうちに泊まりに来て一緒に寝て愛を――」
「わーわーわーわー」俺は慌てて左隣の酔いどれの口を塞いだ。でもこの時本当に留意すべきは、右隣に座るおませさんだった。
「パパは唯のものだもん! パパと結婚するのは唯だもん!」
立ち上がってそう叫ぶと唯はそのまま走って玄関へ向かった。あまりに唐突の出来事に俺たちは体が動かなかった。しかし玄関から鍵の開く音がしたことで、さすがに全員が立ち上がった。
「あの子!」月島は唯のコートを手にとる。「上着も着ないで……」
「いや、寒さよりおっかねぇもんがある」太陽は青ざめた顔でつぶやく。「たしか昼間の臨時ニュースで、強盗事件の容疑者が逃走したって言ってたよな……」
柏木が思い出したようにうなずく。「もしその容疑者と唯が鉢合わせちゃったら……」
俺は最悪のケースを想像し、ぞっとした。「みんな、すぐに追いかけよう! あいつはまだそんな遠くには行ってないはずだ!」
♯ ♯ ♯
凶悪逃走犯が潜んでいるかもしれない夜の街へ飛び出していった唯を探すべく、俺たち5人もすぐさま外に出た。
一刻を争うこの状況でひとり酔っ払っている高瀬は足手まとい以外の何ものでもなかったが、本人がついていくと言ってきかないので、やむなく同行させることにした。
新雪でも降っていれば18cmのかわいらしい足跡をたどればよかったけれど、あいにくもう何日も降雪はなく、唯の足跡はおろか野良猫の足跡さえ地面にはついていなかった。
家を出て少し進むと、三叉路に突き当たった。左の道は上り坂になっていて見通しが悪く、正面の道は前方にコンビニがあるおかげで比較的明るく、右の道は街灯が少ないせいでやけに暗かった。さて、どうしよう?
「どうしよう?」と俺はみんなに聞いた。
「三手に別れよう」と柏木が提案した。「それがいちばん効率的!」
「でも男は二人しかいないぞ?」と太陽が言った。
「あたしを侮らないでよ」と柏木は言った。そして見事なハイキックを俺と太陽のあいだに放った。「戦闘能力なら、そのあたりの男よりよっぽど高いから」
それはそうかもしれないが、それでも心配なものは心配だった。
「ならせめて、正面の明るい道へ行ってくれ」と俺は柏木に命じた。「それからさすがに、ひとりはまずい。月島と高瀬も連れていってくれ」
「オッケー」と柏木は言った。
「ラジャー」と月島は言った。それから酔っ払いを白い目で見た。「ねぇ柏木。これは、どうしよう?」
「お荷物にもほどがあるけど、ここに置いていくわけにもいかないでしょ」
そのようにして正面の明るい道へは三人娘が、右の暗い道には太陽が、左の見通しの悪い道には俺が、それぞれ進むことになった。
「みなの者、急ぐのじゃー!」と高瀬は、足下もおぼつかないくせに発破をかけた。
♯ ♯ ♯
唯を見つけたのは、結局俺だった。
その姿は坂を上りきってから50メートルほど進んだところにあった。上着も手袋もマフラーも身につけていない8歳の少女は、自動販売機の前で身震いしながらおつり口や下のスペースを漁っていた。
ポケットを探ると小銭が入っていたので、俺はそっと近づいて、投入口に硬貨を入れてやった。
「ホットココアが欲しいんだろ?」
「パパ!?」唯は驚いたのも束の間、すぐにココアのボタンを押した。そして――よっぽど寒かったのだろう――ほっぺたや首筋に缶をあてて暖をとってから、両手でそれを大事そうに抱えて中身を飲んだ。あいにく唯のコートは月島が持っていた。仕方ないので俺は上着を脱いで唯に着せた。
「ごめんね、パパ」と唯は言った。「カワサキでの生活にすっかり慣れちゃって、冬がこんなに寒い季節だってことを忘れてた」
「場所がどこだろうと、季節がいつだろうと、女の子が夜の街に飛び出すなよ」
体が温まってきたのか、唯は無邪気に微笑んだ。
「でもいいんだ。パパの気持ちはわかったから」
「俺の気持ち?」
「そう。こうして来てくれたってことは、パパ、本当は唯のことが好きなんでしょう?」
「はぁ?」
「照れなくていいって。ホントは晴香ちゃんでも優里ちゃんでも涼ちゃんでもなく、この唯ちゃんと結婚したいんでしょう?」
俺は唯の狙いがわかってため息をついた。「つまり、俺を試していたってことか?」
「ふふん。唯はもうお子ちゃまじゃないんだよ。恋のカケヒキだってできるんだから」
さっきまでは唯の安否が心配だったが、今はこの子が将来どんな大人になるか、それが心配でならない。
♯ ♯ ♯
唯を見つけたことを他の2ルートへ進んだ仲間に連絡しようと思ったが、俺としたことが大慌てで家を出たせいで、スマホを持ってきていなかった。唯と一緒に坂を下り、三叉路の分岐点まで戻ってきても、4人の姿はなかった。
ここで待つべきか一旦家に引き返すべきか迷った後で、後者を選択した。唯をはやく安全な場所へ移動させた方がいいだろうし、それになんといっても、寒い。まさか唯に上着を返せとも言えない。このままでは俺が風邪をひいてしまう。
俺が冬の寒さとは別の種類の寒さを感じたのは、自宅のドアの前でポケットをまさぐった時だった。当然俺は帰宅したらいつもそうするように、鍵を探していた。そこでおそろしい事実に気づいて肝を冷やした。
俺は家を出る時、そもそも鍵をかけていない。あまりにも気が動転していて、スマホを携行することだけじゃなく玄関に施錠することさえも忘れていた。もちろんポケットにも鍵は入っていない。
でもまぁ、家を空けていたのは、せいぜい15分から20分程度だ。よりによってこの短時間のあいだに誰かが侵入することはないだろう。いくらなんでも俺はそこまで不運に愛されていないだろう。そう自分に言い聞かせながらドアを開けると、凍り付いた。
そこには20分前とはまるで違う光景が広がっていた。
直立していたはずの傘立ては傘もろとも倒れ、一カ所にまとめておいたはずの掃除用具は床に散乱し、壁にかけてあったカレンダーは無残に剥がれ落ちている。そしてなんといっても、何者かが土足で上がった跡がいくつもある。この状況から導き出される答えは、ひとつしかない。
「この家の中に、誰かいる」と俺は息を呑んで言った。
「イブだから、サンタさんが来たんじゃない?」と唯は呑気に言った。
サンタなんかいない、と俺はあやうく言いかけた。なにも子どもの夢を壊すことはない。「サ、サンタさんなら、こんなに家の中を荒らさないだろ?」
「それじゃ、だれ?」
臨時ニュースです。俺は昼間に聞いたアナウンサーのその声を思い出さずにはいられなかった。「逃走中の強盗犯だ。そうとしか考えられない」
「えぇ? 怖いよぅ……」
俺は目についた金属バットを持って、両手で強く握りしめた。「唯はここにいろ」
「何言ってるのパパ。唯をひとりにするつもり?」
考えてみればたしかに、ひとりにしておく方が危険だ。どうかしていた。俺も冷静ではいられない。
「わかった。唯。絶対に俺から離れるな」
土足の跡はリビングへと続いていた。俺たちは物音を立てないように忍び足でその跡を追った。唯は俺の背後からジーンズのベルトに掴まりながらついてきた。
俺はバットをすぐにでもフルスイングできるように、足でリビングのドアを開けた。その場に留まり、目をこらして、中の様子をたしかめる。カーテンの裏にも、ソファの陰にも、テレビの裏にも、誰かが隠れているような気配はない。
ほっとしたのも束の間、あっ! と後ろから聞こえたから、ひっ! と声が出た。
「どうした!?」
「見て見てパパ」と唯はテーブルを指さした。「食べ物も飲み物も、なくなってる!」
見ればたしかに、まだ残っていたはずの月島の手料理はきれいになくなり、飲みかけだったシャンパンはどのグラスからも一滴残らず消えている。
「悪いひと、お昼からずっと逃げ回ってるから、きっとお腹もすいてたし喉もかわいてたんだよ!」
俺は深くうなずいた。真っ当な考察だ。そう考えるのがもっとも理にかなっている。
「間違いない。この家に上がり込んだのは、やっぱり逃走犯だ」
「悪いひと、どこにいるのかな?」
俺は再び土足の跡に注目した。もし庭にでも向かっていれば、腹ごしらえをして出て行ったんだなと安堵することもできたが、残念ながらそれは二階へと続いていた。思わず、尻込みしてしまう。
「ねぇパパ。ビビってるの?」
「そんなわけあるか」と俺は虚勢を張った。「悪党め。二階に上がったなら袋のネズミだ。安心しろ。何があっても唯は俺が守るからな」
俺はキッチンでアルミ鍋を兜代わりに頭に装備すると、唯と共に階段を上り始めた。
抜き足差し足で一段一段、時間をかけて慎重に上がっていく。二階が近づくにつれて、心臓の鼓動は早くなり、呼吸は荒くなる。
そうしてなんとか階段を上りきると、俺たちは顔を見合わせた。聞こえるな? と俺は口の動きだけで言った。聞こえるよ、と唯も同じように答えた。どこからか、うめき声ともうなり声ともつかない声が聞こえる。
それはどうやら、俺の部屋の中から発せられている。逃走犯が俺たちに気づいて威嚇しているのかもしれない。
行くぞ。俺は背後の唯に目でそう言って、自分の部屋の前まで進んだ。バットを握る手はいつしか汗でぐっしょり濡れていた。それでもグリップを強く握り直し、思いきってドアを開け、バットを大きく振りかぶった。
「俺の未来は誰にも邪魔させーん!」
そう啖呵をきった次の瞬間、全身からガクッと力が抜けた。バットが手から滑り落ち、アルミ鍋が脱げ、床に転がる。
どうやら俺は想像力がまだまだ足りないようだ。玄関をめちゃくちゃに荒らし、残っていた料理をたいらげ、土足で二階まで上がり得る可能性がある人物はもう一人だけいた。
俺のベッドでは、ブーツを履いたままの高瀬が、グースカ気持ちよさそうに眠っていた。
さきほど三叉路で別れた後、正面の道で何が起こったか、ありありと目に浮かぶ。さしずめ、足手まといにしかならない高瀬を柏木と月島が玄関まで送り届けたのだろう。
「なぁんだ」と唯はジーンズのベルトから手を離して言った。「犯人は優里ちゃんだったんだ。そういえば、酔っ払ってたもんね」
十年後の花見では絶対に酒を飲ませないと幹事の俺は誓った。
「それにしてもすごいイビキ。ケモノみたい。そりゃあ部屋の外まで聞こえるよ」
「なぁ唯。間違っても、こんな大人にだけは、なっちゃだめだぞ?」
「ハンメンキョーシー!」と8歳児は愉快そうに笑って言った。
* * *
「あとでわかったことだけど」と18歳の少女は愉快そうに笑って言った。「逃走犯は夕方頃にとっくに警察に捕まっていたんだってね。でもパパはそれを知らず優里ちゃんを逃走犯と勘違い。バットを持って鍋までかぶって『唯は俺が守るからな』だもん。あの日のことを思い出すと何度でも笑っちゃう。ああ、おっかしい!」
「なんにもおかしくない!」と僕は照れて言った。「あの後、家中の掃除に追われるわ、起きてきた酔っ払いに絡まれるわで、さんざんだった。最悪のクリスマスだったよ、まったく……」
本当の娘が左隣で口を開いた。「ねぇお父さん。そういえば、お話の中で出てきた謎の紙切れって、いったいなんだったの?」
「それがさ、結局わからないままなんだよ」こんなこともあろうかとポケットに入れておいた実物を僕は取り出した。そして眉をひそめた。「『どうしよう、他に好きな人が、できちゃった』。誰が書いて誰が落としたんだ?」
今度は右隣で唯がなにやら含みのある笑みを浮かべた。
「さては唯。おまえ、なにか知ってるな?」
「その紙の謎、知りたい?」
「もちろん」
「しょうがないな」と唯は恩着せがましく言った。「ねぇパパ。その紙をもう一度じっくり見てみて。『どうしよう』は晴香ちゃんの字に、「他に好きな人が」は涼ちゃんの字に、「できちゃった」は優里ちゃんの字に見えない?」
「見える」と俺は三人の字の特徴を思い出して言った。
「見えるよね。だって、実際、そうなんだもん」
「どういうことだ?」
「要するに、ドッキリなの」
「ドッキリ!?」
「そう。あの三人組がパパに対して仕掛けたドッキリ」
「つまり、なんだ。この紙を拾ってどきまぎする俺を見て、楽しんでいたってわけか?」
「それもあるけど、それ以上に、自分たちの気持ちをパパにもちょっとでもわかってほしかったみたい。自分の好きな人の心が他の人に向かうのがどれだけつらいことなのか」
ちょっとどころかよくわかった。胸が痛くなるほどわかった。そしてそのことが、のちのちの選択に決して小さくない影響を与えることになった。
唯は続けた。
「そうはいってもパーティだからね。終わり頃に、『テッテレー』って明るく種明かしするつもりでいたの。ところが優里ちゃんがチョコで酔っ払っちゃったでしょう? ドッキリのこともすっかり記憶から飛んじゃったみたいで、その紙切れのことなんか知らないって言い出しちゃった。そしてしまいには私が家を飛び出す始末。もうてんやわんやで、種明かしどころじゃなくなっちゃったってわけ」
「なんだよ……」僕は十年の時を経て黄ばんだ紙切れを破いて捨てた。「まぁ、そんなところだろうとは思っていたけど、唯から本当のことを聞いてスッキリした。長いあいだ喉に引っかかっていた小骨が取れた気分だ」
「パパのことだから、なんだか怖くて奥さんにも聞けなかったんでしょ?」
図星だった。「よくわかったな」
「そりゃあ、娘ですから」
「お父さんの娘はこの私!」とそこで本物の娘が抗議した。
「嫉妬深いところはママ似なのかな?」唯は軽くいなすように笑ってそう言うと、腕時計を見て縁側から立ち上がった。「さて。それでは偽者の娘はそろそろ退場しましょうかね」
「おい待て」僕も立ち上がり、庭の桜と唯の顔を交互に見た。「もうちょっとしたら、みんなが来るんだよ。ここで花見をするんだ。もちろん太陽の奴も来るはずだ。唯も参加すればいい。太陽から託された夢を叶えたこと、自分の口からあいつに伝えてやれって」
「私もできることならそうしたいんだけどねぇ」と唯は口惜しそうに言った。「さっきも言ったでしょ? この後、デビュー曲のプロモーションビデオ撮影なのよ。実は外にマネージャーを待たせてるの。無理言ってこのおうちに寄らせてもらっているから、これ以上ワガママは言えないんだ」
ワガママばかり言っていたお子ちゃまからそんな言葉が聞けただけで、なんだか嬉しくなった。どんな大人になるか十年前のクリスマスイブは心配していたが、それは杞憂だったようだ。
「そっか。そういうことなら、太陽のやつも納得するだろう。わかった。あいつには俺から伝えておく。唯がプロのドラマーになったこと」
「お願いね」
「任せとけ」
僕は唯を玄関まで見送ることにした。娘はバイバイとにべもなく言っただけで、縁側に残った。仕方ない。難しいお年頃だ。
「もっといろいろ話したいことあったんだけどねぇ」と唯は靴を急いで履いて言った。
「ゆっくりできる時にまた来いよ」
「縁起でもないこと言わないでよ。ゆっくりできるってことは、バンドが売れてないってことじゃない」
「す、すまん。たしかにそうだな」
「まぁでも」と唯は微笑んで言った。「うん。時間を見つけて、またいつか来るよ。娘ちゃんの成長も楽しみだし。今度は奥さんやみんなにも会えるといいな」
「もう『未来から来た』はやめろよ?」
「わかってる」
「元気でな」
「パパもね」
唯は去りかけたが、思い出したようにこちらを振り返った。そして悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだ。これだけは話しておかないと。もし奥さんと離婚することになっても、安心して。この唯ちゃんが再婚相手になってあげるから!」
「縁起でもないこと言うな」
立派になった唯の背中を見送ると、僕は台所へ行って水を飲み、それから娘の待つ縁側へ向かった。
すると、ちょうど居間と縁側のあいだの廊下に何かが落ちているのを見つけた。それは小さな紙切れだった。つたない字で、何かが書かれている。僕はそれを拾い上げて、その字を読み上げた。
「どうしよう、他のおうちのお父さんが、うらやましくなっちゃった」
十年前と違って、この紙を誰が落としたのかすぐに目星がついた。その犯人は、縁側に座って何事もなかったように鼻歌を歌っている。僕はその紙をもちろん破り捨てることができなかった。
親馬鹿かもしれないが、たまらなくかわいい娘だ。




