第103話 助演女優として最後まで堂々と演じきるだけ 4
《♣悠介》
火曜日の夕方、俺は一人で鳴桜高校近くの公園へ向かっていた。なにもしばらく見ていない制服姿の女子高生をこの目で拝もうというつもりはなくて、ただ単に悪友に呼び出されたのだ。
太陽の姿を見つけるのは難しくなかった。鳩にパンくずを投げ与える姿がやたら様になっている男がいるなと思って近づいてみると、それが太陽だった。鳩に餌をやる姿まで絵になる男子高校生なんてそうそういやしない。
男前は俺と目が合うと、近くのベンチに座るよう視線で合図した。俺はそれに従った。ベンチの後ろには人が一人隠れるにはちょうどいい大きさの藪があった。なんだかつつけば蛇が出てきそうな藪だな、と俺は思った。願わくば何も出てこないことを祈った。
「すまんな」と太陽はベンチに腰を下ろして言った。「忙しい中、来てもらって」
「わざと言ってるよな?」と俺は呆れて言った。「おまえの隣に今座ってんのは、高校を辞めさせられたただの17歳だぞ?」
親友は笑った。「でも柏木の店でバイトしてんだろ? 完全な暇人ってわけでもない」
「まぁな」今日は店が定休日だった。もっとも、定休日でも来てもかまわないとあの鬼上司は言っていたが。「それで、いったい何の用だ?」
「まぁなんだ。ちょっと悠介とサシで話したいことがあってよ」
思い当たる話は一つしかない。おそらく、例の件だろう。
「占い師の疑いのある四人の教師と、トカイの関係がわかったんだな?」
「いや、そいつはまだ調査中だ。もうちょっと時間をくれ」
俺は拍子抜けした。「それじゃ、何の話だよ?」
「実は悠介にひとつ聞きたいことがあるんだ」と太陽は妙にあらたまって言った。「もし、だぞ。もし仮に、おまえさんが高瀬さんと出会っていなかったとしたら、柏木晴香と月島涼、どっちの女の子を選ぶ?」
「俺は高瀬優里と出会ったんだよ」
「だから、もし仮に、って言ってんだろ」
「なんで急にそんなこと聞くんだよ?」
「ここだけの話、前から一度聞いてみたいと思ってたんだ」
「それじゃ、この質問をするためだけにわざわざ呼び出したのか?」
「まぁいいじゃねぇか」太陽は手を肩に置いてくる。「このところ顔を合わせれば堅っ苦しい話ばっかりしてるだろ? だから息抜きだよ息抜き。たまにはこういういかにも男子高校生っぽいくだらん話も必要だっつの」
「そうかな?」
「そうだよ」太陽は言い張る。「さぁ悠介。考えてみろよ。柏木とこの街で居酒屋を一緒に切り盛りするのか。それとも月島と東京で一緒にせんべい屋を営むのか。いい気分転換になると思うぞ」
唯一の友達がそこまで言うなら、と思って俺は考えてみた。しかしあいにく、気分転換にはまるでならなかった。かえって頭の中がとっ散らかっただけだった。
「あのな。こんな難しい二択、そうはないよ。柏木にも月島にも、これまでさんざん困らされてきた。さんざん悩まされてきた。でもなんだかんだ言ってもどっちも良い子だ。めちゃくちゃ良い子だ。俺にはもったいないくらい良い子だ。今の時点でどっちか一人なんて、選べないって」
それを聞くと太陽は、スクールバッグから何かを取りだした。
「まぁ優柔不断のおまえさんのことだから、そう言うと思ったよ。そこでこういうものを用意してきた。とくと、ご覧あれ」
それは二枚の写真だった。一枚には柏木が、もう一枚には月島が写っていた。そしてどちらも、染みひとつない純白のウエディングドレスを着ていた。手には華やかなブーケを持っていた。
「どうしたんだよ、これ。二人に着せて撮影したのか?」
太陽は首を振った。「合成だよ、合成。俺の知り合いにこういうのがめっぽう得意な奴がいるんだ。そいつに作ってもらった。ちなみに、ご所望とあれば、えっちぃのも作れるみたいだぜ?」
「最後のは聞かなかったことにしておく」
「冗談はさておき、今度はこの写真を参考にして考えてみろ。どっちを花嫁にするのか、イメージが湧きやすいんじゃないか?」
俺は太陽の持っている二枚の写真を交互に見比べた。柏木も月島も思わず見惚れてしまうほどきれいだった。甲乙つけがたかった。それでも不思議なもので、結婚、と意識すると――合成とはいえウエディングドレス姿を見れば、いやでも意識する――おのずと一方の写真に手が伸びていた。
「柏木だろうな」と俺は彼女の写真を掴んで言った。
「ほう? そりゃまたどうして?」
「どうしてかはうまく説明できないけど」それでもなんとか説明を試みる。「もしこれが何かの物語だとして、俺がその物語の主人公だとして、その主人公は最終的に柏木を選ぶのがいちばん幸せになれる気がする……からかな」
「自分の状況を俯瞰して見ると、ってことか?」
俺はうなずいた。
「その主人公はガキの頃に母親が元恋人と駆け落ちしたせいで不幸な幼少期を過ごした。高校で会った少女はその元恋人の娘だった。彼女もまた父親が駆け落ちしたせいで不幸な目に遭っていた。そんな二人は誰より未来の幸せを願っていた。客観的に見ればどう考えたってその少女が――柏木が――物語のヒロインだ」
「主演女優だ」と太陽は言った。
「呼び方はなんでもいい」と俺は苦笑して言った。「とにかく、幸せな家庭には恵まれなかった二人が結婚というかたちで結ばれるってのは、物語のオチとしてはしっくりくるだろ? ハッピーエンドだ。うん。あいつとなら、俺は幸せになれる気がするよ」
そこで出し抜けに、背後の藪からがさがさと大きな音がした。何かの気配を感じて俺は振り返った。藪から出てきたのは、蛇でも棒でもなく柏木だった。
「悠介! よく言った!」彼女はベンチの背もたれを軽快に飛び越えた。そしてそのままの勢いで俺に抱きついた。「今のはプロポーズと受け取ってもいいよね! 結婚しよう! ねっ!」
俺は柏木のキスを逃れながら、横目で悪友をにらんだ。
「太陽おまえ、さては柏木に頼まれて、仕組んだな!?」
「し、知らん! オレは柏木には頼まれてねぇ!」
「柏木には? どういうことだ?」
「と、とにかく信じてくれ。柏木が藪に隠れているなんてオレも知らんかった。本当だ。きっと尾行が十八番の柏木のことだから、高校から後をつけてきたんだろ!」
♯ ♯ ♯
太陽は嘘をついていなかった。柏木の単独犯だった。俺と一対一で会う約束を取り付けた太陽を怪しんでの犯行だった。
一時間かけてあれはプロポーズではないと柏木の誤解を解き、二人と別れた俺は、一人で日の暮れた街を歩いていた。
写真屋の店頭には大きなブライダル写真が飾ってあった。ほぼ100%のブライダル写真がそうであるように、新郎も新婦も極上の幸せを手にしたような笑みを浮かべていた。花嫁か、とそれを見て俺はつぶやいた。
太陽に合成写真を見せられた時は結婚なんてまだまだ先の話だと思ったが、よくよく考えてみれば、あとわずか10日で18歳の誕生日だ。
もしかするとそれはそんなに遠い未来の話じゃないかもしれない。いったい誰が俺の花嫁になるのだろう? いや、その前にまずは高校に戻らなきゃな。そんなことを考えながら歩いていたのがまずかった。車に対する注意が散漫になっていた。
信号のない横断歩道を渡っていると、赤いスポーツカーが減速せず突っ込んできて、体に触れるか触れないかというすれすれのところを通り過ぎていった。俺は気づけばその場に尻餅をついていた。あやうく18歳を迎える前に死ぬところだった。
安堵とも自嘲ともつかないため息をついていると、向かいの歩道から一組の男女が駆け寄ってきた。二人は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「おい君、大丈夫か?」とお兄さんが言った。
大丈夫です、と俺は答えた。
「ケガはない?」とお姉さんが言った。
轢かれてはいないので、と俺は答えた。そして無傷であることを示すために自力で立ち上がった。それから歩いて歩道に戻った。二人も介護者のようについてきて、ほっとしたようにうなずいた。
「全部見てたよ」とお兄さんは言った。「ひどいよな、あの赤のスポーツカー。もうちょっとで大事故だった。まったく、何考えてんだ」
「俺が悪いんです」と俺は言った。「車の往来をよく確認しなかったから」
「君は悪くない」とお兄さんは言った。「信号がない横断歩道は歩行者優先だ。車は必ず停まらなきゃいけない。道路交通法第39条でしっかりそう定められている。悪いのはあのスポーツカーの運転手だ」
そこでどういうわけかお姉さんが顔をしかめた。「ちょっと、それは38条だって。39条は緊急車両の走行に関わる規定でしょう? 格好つけたい気持ちはわかるけど、若い子に嘘を教えちゃだめじゃない」
いっけね、という風にお兄さんは頭をかいた。「たしかに若いな。君、高校生か?」
本当のことを話すと長くなるので、俺はうなずいておいた。「三年生です」
「受験生か」
「はい」
「今が追い込みの時期じゃないか。ちなみに第一志望は?」
「鳴大です」
それを聞くと二人は顔を見合わせた。そして楽しい秘密を共有するようにくすくす笑った」
「あの、何が可笑しいんですか?」
「私たち、鳴大生なの」とお姉さんはもったいをつけて言った。「法学部の四年生。君、受かるといいね」
「勉強、がんばれよ」とお兄さんは格好をつけて言った。「あんまり遅くまでほっつき歩いてないで、早く家に帰るんだぞ。変な車に轢かれたら、オレたちの後輩になれないぞ」
二人は俺に手を振ると、むつまじく何かを談笑しながら、人混みの中に溶け込んでいった。肩を寄せ合っているところをみると、恋人同士なのだろう。
いいなぁ、と俺はその後ろ姿を見て思った。とてもいい。とても素敵な大学生だ。
俺は体の内側に、熱いものが込み上げてくるのを感じた。それは久し振りの感覚だった。帰ったら真剣に勉強をしよう、と思った。
喜んでいた柏木には悪いけれど、やっぱり俺は高瀬と大学に行きたい。そしてかなうなら――いつになるかはわからないけれど――高瀬を花嫁として迎えたい。
たとえ彼女が、この物語では助演女優だとしても。




