第100話 招待状はもうすでに出されています 4
《♣悠介》
変装をいとも簡単に見破られた俺は、牧草の上で正座させられて、柏木と月島にこってり絞られていた。
なぜ家に行っても出てこなかったのか。なぜ電話にすら出なかったのか。あたし/私がどれだけ心配したと思っているのか。心配してこの村まではるばる来てみれば、女の子と肩を並べてほのぼの弁当を食べているとはどういう了見なのか。
二人は仁王立ちして口々に俺への鬱憤を吐き出した。下手に言い訳をすれば火に油を注ぎかねないので、俺は黙りこくって平身低頭を貫いていた。足を崩すことが許されたのは、説教が始まって30分後のことだ。
「ていうかさ」柏木は呆れたように遠くの小高い丘を眺めた。「あの娘、なんなの?」
その視線の先では、風ちゃん――もとい風子さんが、牛と牛のあいだを縫うようにして逃げ惑う太陽を追っかけ回している。
「ああ、彼女はひどい面食いなんだ」と俺は苦笑まじりに説明した。「この村は若い男自体が少ない。俺でさえ彼女の中では今まで会った中で一番カッコ良い男だったっていうんだから、太陽のハンサムな顔を見た日にゃ、そりゃあ夢中にもなる」
丘から風子さんの黄色い声が聞こえてきた。それは聞き覚えのあるセリフだった。「イケメンのお兄ちゃん! 運命って信じる? うちな、お兄ちゃんの顔を一目見た瞬間、全身に電気が走るのを感じたんだわ。この出会いは、運命だと思うんだわ!」
太陽は身振りでSOSを寄越してくる。「おーい! おまえたち! 黙って見てないで、助けてくれよっ!」
「放っとこう」と月島はすげなく言った。
「そうしよう」と柏木は同意した。
すまん太陽、と俺は心で悪友に詫びた。助けたいのはやまやまだが、今この二人に逆らうわけにはいかなかった。
なにはともあれ、彼女たちがやっと冷静に話ができるようになったようなので、俺は疑問に思っていることを尋ねてみることにした。二点、ある。
「ところで、どうして俺が、こんな縁もゆかりもない村の牧場にいるってわかったんだ?」
「ああ、それはね」月島がスマートに指を立てる。「東欧一の透視能力者、アシフェチ・フクラハギスキー氏に協力を仰いだんだ。日本一の脚フェチ男(17)の行方がわからない。探してほしいって。そしたらシンパシーを感じたのか、氏は快く引き受けてくれたよ」
「嘘つけ」と俺は呆れて言った。「柏木、本当は?」
「あたしが目を閉じて意識をとぎすませたら、感じたの。悠介はここにいるって」
嘘つけ、と言いかけたがやめた。柏木ならあり得なくもない。まぁどっちでもいい。肝心なのは、もう一つの疑問だ。
「それで、どうして、高瀬はいないんだ?」
「ああ、それはね」月島は懲りもせず指を立てる。「お嬢様、ゴルフボール大のイボ痔が出ちゃってバスの長旅は……」
「嘘つけ」と俺は呆れ返って言った。「柏木、本当は?」
「一緒に来る予定だったんだけどね、今日の朝になって、電話で急に『行けない』とだけ。くわしい理由はあたしたちにもよくわかんない」
それこそ一番嘘であってほしかったが、あいにく一番嘘ではないようだった。律儀な高瀬が理由すら告げないなんて、彼女の身になにかあったのだろうか?
柏木は体をぐるっと360度回転させてから、退屈そうにあくびをした。
「ねぇ悠介。なんだってこんな牛しかいないヘンピなところに来たわけ? 酪農家にでもなるつもり?」
俺は手を振った。「別にどこだってよかったんだよ。あの街から離れられて、俺の素性を知る人間がいない場所ならどこだって。新しい環境で頭の中を空っぽにして、じっくり考えたかったんだ。これからの身の振り方を」
「で、何か良い考えは浮かんだの?」
「もうちょっとで浮かびそう、って時に誰かさんたちが来たんだよな」
「それは悪うござんしたねぇ」月島はふくれる。
柏木は言った。「これからの身の振り方って言うけど、卒業まであと四ヶ月って時に高校を退学させられて、はいそうですか、ってこのまますごすご引き下がるつもり?」
「それじゃ聞くが、不服を訴えたところでどうなる?」と俺は言った。「俺が校則違反のバイトをしていたのはまぎれもない事実だ。どんな能弁を垂れたって、その事実が消えるわけじゃない。どうにもならん」
月島はふて腐れる子どもを見るような目で俺の顔を見た。もう指は立てなかった。
「キミもうすうす感づいていると思うが、念のため教えておく。キミが高校を辞めさせられたのは、居酒屋でバイトをしていたからじゃない。それは高校が用意した表向きの理由だ。キミが退学処分を受けた本当の理由は、トカイが裏でそうするよう圧力をかけたからだ」
「同じことだよ」と俺は言った。そして牧草を意味もなくちぎって、意味もなく空に吹いた。「本当の理由はなんであれ、処分が下ったことに変わりはない。というか、本当にトカイが関与しているなら、組織的なバカでかい力が働いているということだ。なおさらどうにもならん。俺一人の力ではな」
「ねぇ悠介」と柏木は詰め寄ってきた。「本当にこのままでいいの? 悔しくないの? 学校に戻りたくないの?」
「悔しいに決まってるだろ。戻りたいに決まってるだろ。でも俺一人でどうにかできる問題じゃないんだ。今回ばかりはいくらなんでも分が悪すぎる」
それを聞くと月島はやれやれという風に肩をすくめた。
「神沢。正直、キミにはがっかりだよ。キミはこの二年半のあいだ、いったい何を学んできたんだ? なぜ一人で解決しようとする? なぜ人を頼ろうとしない? たしかに中学時代のキミはずっと一人だった。でも高校に入ってからのキミは違うだろ。一人じゃないだろ。私がいる。柏木がいる。ヘンな女と鬼ごっこをしているが葉山氏もいる。ここには来なかったが高瀬さんもいる。キミは一人じゃない。一人じゃ不可能なことも力を合わせれば可能になるってことを、これまでに私たちを救ってきたキミがわからないでどうするんだ。それを私たちに教えてくれたのは他でもなくキミじゃないか。神沢。私たちをもっと頼りなさい」
あたしたちを頼りなさい、と柏木も続くかと思いきや、彼女は不満そうに口を尖らせていた。「ちょっと月島。そういう、悠介の目を覚まさせる熱いセリフをバッチリ決めるのは、あたしの役目でしょう? 人の仕事を横取りしないでよ」
そんなこと言ってる場合か、と月島が返すかと思いきや、彼女はしてやったりの表情を浮かべていた。
「たまには私が見せ場を作ったっていいじゃないのさ。いつも柏木や高瀬さんばっかりおいしいところを持っていくんだから」
「あたしが言い直す。あたしの方が悠介の心に響くことを言える」
「そんなことないね。私の方が――」
放っておいたら収拾がつかなくなりそうだった。俺は慌てて二人のあいだに割って入った。「わかったわかった。おまえたちの気持ちはよくわかった。言いたいこともよくわかった。俺は一人じゃない。ありがたく、頼らせてもらう。だから、とりあえず落ち着けって」
「目が覚めたんだね?」と月島は言った。
「覚めました」としか答えようがない。
「大事なことを思い出したんだね?」と柏木は言った。
「思い出しました」としか答えようがない。
柏木と月島は無言で顔を見合わせた。そして「それならいいか」という風にそれぞれ息を吐いた。
月島は南方の空を見た。「一件落着ってことで、あの街に帰りますか」
柏木は小高い丘を見た。「帰るのはいいけど、あれは、どうしようか?」
見ればそこでは、相も変わらず色男が面食いの風子さんに追いかけ回されていた。「この村に残ってうちと結婚してぇぇ!」とついには求婚される始末だ。
「放っとこう」と月島はすげなく言った。
「そうしよう」と柏木は言った。そして両手をメガホンにして、丘に向かって叫んだ。「あのね、あたしたちは帰るから。あんたはここに残って、牧場を継ぎなさい。そういうのも悪くないよ。その娘とお幸せに!」
「ふざけんな!」太陽は血相を変えて丘を駆け下ってきた。「オレも帰る! オレだって仲間だ!」
♯ ♯ ♯
街へと帰るバスの中で、俺はシートに深く体を沈ませ、占い師の言葉を思い出していた。他の三人は長旅で疲れたのか、寝息を立てて眠っている。
バイトをクビになった雨の夜、俺の前に現れた占い師は、二年半前に俺を呼び止めた理由についてこう説明した。
「水晶の中に見えましたのが、こうしてすべてを失い、肩を落として雨の中をとぼとぼ歩くあなた様の姿だったからです」
なぁ占い師、と俺は心で奴に語りかけた。あの雨の日、胸にぽっかり穴が空いた俺はあんたのその言葉を不覚にも信じちまった。あやうく騙されるところだった。あんたはひとつだけ、決定的に間違えている。大事なことを見落としている。
たしかに俺は高校生という立場を失った。居酒屋のバイトも失った。でもすべてを失ったわけじゃない。俺にはまだ、仲間がいる。
なぁ占い師、と俺は今度は気づけば声に出していた。「あんたのその未来が映るっていう水晶には、この三人の寝顔は、見えなかったのか?」
「忘れてたくせに、格好つけるな」と誰かが言ったような気がした。誰だ? どうも月島が怪しい。それとも、太陽だろうか? いやいや、柏木もありえる。
誰でもいい。誰かの寝言だと思って、聞かなかったことにしておく。




