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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第三学年・秋〈反撃〉と〈花嫁〉の物語
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第100話 招待状はもうすでに出されています 1


《♥優里》


 トカイとの政略結婚は必ず俺が阻止する。だから俺と一緒に大学に行こう。


 高瀬優里は旧手芸部室の棚に飾ってあるヒカリゴケを見るたび、悠介がその約束をしてくれた日のことを思い出さずにはいられなかった。今日はいつにも増して、その日のことが鮮明に脳裏によみがえってきた。


 あれは高校に入ったばかりの一年生の春だった。


 悠介にはまだニキビ跡があり、優里にはまだ八重歯があった頃だ。高校の林間学校で行った山で遭難した二人は、たまたま見つけた洞窟に身を寄せた。その洞窟は壁一面に――のちにどこでもいつまでも・・・・・・・・・光る新種だと判明する――ヒカリゴケが繁殖していて、淡いエメラルドグリーンの光が未熟な二人を包んでいた。


 そんな幻想的な世界で結ばれたのが、その約束だった。

 

 あの日から私たちの旅は始まったんだな、と優里は思った。この二年半のあいだ、いくつもの季節を越え、いくつもの苦難を乗りきってきた。二人で同じ未来に進むため、手を取り合って着実に歩みを進めてきた。


 しかしその旅が今、道なかばで終わろうとしている。悠介の高校退学という、ほとんど最悪といってもいいかたちで。

 

 この旅はここまでなんだろうか? 約束は果たされないのだろうか?

 

 いや、と優里はシャーレに入ったヒカリゴケを見て首を振った。いや、私が諦めてどうするの。あの日の約束を寡黙かもくながら見守ってくれていたヒカリゴケは今も光り続けている。きっとこの光が私たちの未来を照らしてくれる。ヒカリゴケが輝きを放っているかぎり、私も諦めちゃいけない。そうだよね、神沢君?

 

 優里がそう決意を新たにしたところで、視界が柏木晴香の顔で埋め尽くされた。

「ちょっと、優里! あたしの話、聞いてるの!?」

 

 さっぱり聞いていなかった。今は悠介を復学させるための会議中であることを、優里はすっかり忘れていた。議場の旧手芸部室にはおなじみのメンバーがそろっている。晴香の顔に隠れてはいるが、月島涼と葉山太陽もいる。悠介だけがいない。

「ご、ごめん晴香。なんの話だっけ?」


「悠介を学校に戻すにはどうすればいいかって、聞いているの! 何を考えていたの?」


「ちょうどそれを考えていたところ」

 優里は実際に考えてみた。しかしそんな簡単に名案を思いつけたら、苦労はなかった。

 

 優里が何も答えられないでいると、晴香は次に葉山太陽の方へその長い首を伸ばした。

「あんたはなにか思いつかない?」


 悠介の大親友だけあって、太陽はいつになく真剣な顔つきで考えていた。

「退学させられそう、って状況ならまだ、なんとかなったかもしれん。でも悠介はもう退学させられちまっている。事後だ。教室からは机も消えた。野球で例えるならゲームセットが宣告されて、選手もベンチから引き上げた状態だ。試合結果を今から覆すのは、至難の業だぞ」


「優里も葉山君も、もっとちゃんと考えてよ!」晴香は両手で髪をかきむしる。すぐ感情的になるのが彼女の短所だ。「あたしは考えるのが苦手だから、二人に聞いているのに!」

 

 そこで涼が「まぁまぁ」と取りなすように口を開いた。「神沢が心配でイラ立つ気持ちもわかるけど、今は内輪揉めしている場合じゃないでしょ?」


「そうだよね、ごめん」素直に非を認めるのが、晴香の長所だ。「で、月島は、何か良いアイデアはない?」


「ない」涼は潔い。「まぁそう焦らないで。まずは敵を知るところから始めようじゃないの」

「敵?」

 

 涼はしたり顔で微笑んだ。そして脚を組んだ。「今回の一件の黒幕はトカイ。トカイが裏で糸を引いている」

「トカイ? ねぇ月島。それ、間違いないの?」


「マルメ君って覚えてる? 一年生の丸目守君。ほら、夏に一緒にボウリングをやったでしょ。彼から聞き出した情報だから、信頼していい。だって彼、トカイのおぼっちゃんだものね」

 晴香は顔をしかめた。「つまりトカイが学校に圧力をかけたってこと……」


 なぜ地方都市の一企業が一介の男子生徒をやめさせるよう高校に圧力をかけたのか。

 考えられる理由は一つしかない。企業の行く末を大きく左右する政略結婚を阻止しようと、その男子生徒が動き回っていたからだ。ではなぜ他の三人はそれについて口にしないのか。その理由も一つしかない。優里に気を遣っているからだ。三人の優しさが優里にとってはかえって痛かった。


「とにかく敵はトカイだね!」晴香は少し重くなった空気を追い出すようにそう言った。「どうにかしてトカイにダメージを与えられないかな。そうだ、もうトカイで買い物するのをやめるってのはどう?」

 

 太陽は鼻で笑う。「オレたち四人が不買運動をしたところで、市内一のシェアを誇るトカイは痛くもかゆくもねぇよ」

 

 優里は無意識のうちに棚のヒカリゴケを見ていた。そして神沢君に会いたいな、とふと思った。それが聞こえたわけじゃないだろうが、太陽はこんなことを口にした。


「なぁ、そういえば、悠介が退学処分を受けてから、誰かあいつと一度でも会ったか?」

 

 優里は首を振った。晴香と涼も首を振った。晴香は言った。

「月島と一緒に悠介の家に行ってみたけど、何度チャイムを鳴らしても出ないの。ね?」

 

 涼はうなずいた。「昼だってのにカーテンも閉めっぱなしだった」

 

 優里はこの数日のあいだ、何十回もそうしたようにスマホで悠介に電話をかけてみた。しかし聞こえてきたのは、何十回も耳にした「電源が入っていません」の人工的な電子音声だった。優里は三人に対してもう一度首を振った。


「あんまり考えたくねぇけど」と太陽は言いにくそうに言った。「悠介の奴、思い詰めやすい性格だろ? だから未来を悲観して……」


「やめてよ」と感情的に叫んだのは、晴香ではなくまさかの涼だ。「ゆう君・・・は大丈夫。縁起でもないこと言わないで」

 

 ゆう君? と優里は思った。涼が悠介のことを呼ぶときはいつも「神沢」だったはずだが。今のは私の聞き間違いだろうか?

 

 太陽は発言を謝罪してから、話を続けた。

「でもよ、悠介を高校に戻すって言っても、その悠介の居場所がわからないんじゃ、そもそも話にならねぇぞ? あいつは今どこで何をしてるんだ?」


「そういうことなら、あたしに任せてよ」晴香が胸を張る。「考えるのは苦手だけど、感じるのは得意だから。ちょっと感じてみる。悠介の居場所を」

 

 晴香は目を閉じると、肩の力を抜いて両手を膝に置き、瞑想するようなポーズをとった。やがてかっとその目を見開いた。

「旅に出たね」


「旅!?」と優里はびっくりして言った。


「そう。悠介はもう何もかもイヤになって、旅に出た。あまり人のいないところ。人より牛の多いところ。コンビニもタピオカ屋も行列のできるラーメン屋もないところ。悠介はそこにいる」


 ♯ ♯ ♯


 明日さっそく四人で悠介を探しに行くことを満場一致で可決して、会議はお開きとなった。明日からはちょうど連休だった。悠介の消息がまったくつかめない以上、晴香様のお導きを信じるより他に手はない。

 

 それにしても晴香はいったいどうなっているのだろう? 普段から何を見て何を聞いて何を食べたら神沢君の居場所を感じとれるようになるのだろう? 


 優里はなんだか悔しくなってきた。面白くない。彼のことは私が一番わかっているはずなのに。試しに晴香を真似て目を閉じてみた。しかしそれらしいものは何も浮かんでこなかった。軽い空腹を感じただけだった。

 

 これが神沢君の“未来の君”とそうじゃない女の違いなのかな。


 そんな考えが浮かび優里がちょっと卑屈になりながら一人で家路についていると、道の先に見たくなかった顔を確認した。目障りな女だった。その女はいつものようにダークグレーのスーツを着てかかとの低いパンプスを履き、襟にトカイのバッジをつけていた。

 

 鳥海慶一郎の――認めたくはないがフィアンセの――女秘書だ。このところ頻繁にこうして優里の元に来ては、決して結婚から逃げぬよう念押ししていた。


 笑わない女というのが優里の第一印象だったが、その後も笑った顔を見たことは一度たりともない。手渡された名刺によればたしか椿原えみという名前のはずだ。笑わない女がえみなんて笑わせてくれる、と優里はその能面を目にするたび思っていた。


「ごきげんいかがですか、花嫁・・」と椿原はすれ違いざまに言った。

 

 優里は立ち止まって彼女を睨んだ。「その呼び方はやめてって、いつも言ってるでしょう?」

「いいえ、やめません」と女秘書は無表情で返してきた。「なにしろあなたは、我々トカイにとって替えの効かない、大切な花嫁なのですから」

 

 優里は無視して先を急ぐことにした。明日の旅の準備もある。しかし十歩ほど進んだところで、背中に声がかかった。

「神沢悠介に会えなくなって今日で一週間ですね。寂しいですか?」

 

 優里は思わず振り返った。椿原の口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。この一件の黒幕はトカイだと涼が言っていたこと。そして笑わない女が初めて笑ったこと。優里がある確信を持つにはそれだけで充分だった。

「あなたなのね? 神沢君を退学させるよう学校に働きかけたのは」

 

 椿原は否定しなかった。優里の足はひとりでに彼女の方へ向いた。

「どうやって!? 一人の高校生をやめさせるなんて、そう簡単なことじゃないはず」


「トカイを侮ってもらっては困ります」と椿原は言った。「我々は多方面に太いパイプを持っています。もちろん市の教育界にも。何の後ろ盾もなければ両親すらいない少年の名前を高校の名簿から消すことくらい、たやすいのですよ」

 

 優里の体は怒りで震えた。それを察知したのかすかさず椿原は口を開いた。

「ああ、花嫁。トカイを憎まないでくださいね。トカイの内部では『そこまでやらなくても』という意見がほとんどでした。これは私の一存で行ったことです。私は目的のためなら手段を選ばないのです」


「目的」

 

 おわかりでしょう? と言いたげに椿原は短い前髪を手で払った。そして話し続けた。

「神沢悠介。不幸な少年です。不幸ながらに地の底を這いつくばって生きていたようですが、あなたと出会ったことが運の尽きでした。あなたと出会って一緒の未来を約束したりしなければ、今頃は大学進学の夢に向かって、地道に勉強とアルバイト・・・・・に打ち込んでいられたのに……」

 

 それを聞いて優里は眉をひそめた。

「もしかして高校だけじゃなく、居酒屋のバイトまでやめさせたの!?」

 

 笑わない女の口元に再び笑みが浮かんだ。悠介の心情を思うと、優里はいたたまれなくなった。気づけば椿原の頬を平手打ちしようとしていた。しかしもう少しで命中するというところで、相手に手首をつかまれた。動きには無駄がなかった。


「花嫁、いい加減目を覚ましてください。あなたは4ヶ月後にはトカイの人間になっているのですよ? いつまで夢を見ているつもりなんですか。来年の3月1日の披露宴を成功させるべく、招待状はもうすでに出されています。いいですか? 今さらこの婚姻を無かったことにはできないんです。今回の件は言わば劇薬でした。気付け薬と言ってもいい。あなたを悪い夢から覚ますための。そう。神沢悠介はあなたのせいでやめなくてもいい高校をやめ、やめなくてもいいアルバイトをやめ、諦めなくてもいい夢を諦めたのです。あなたが彼の未来を奪ったのです、花嫁」

 

 優里はつかまれていた手を振り払った。今度こそビンタをお見舞いしてやろうかとも思ったが、椿原が合気道の有段者であることを思い出し、やめた。


「花嫁、神沢悠介のことがそんなにお好きですか?」

 優里はそれには答えなかった。あなたに答える道理はない。神沢君にさえ言っていない。

 

 椿原は何かを確信したように一拍間を置いた。そして言った。

「神沢悠介を高校に戻したくはないですか?」


「できるの!?」

「ええ、さきほども申し上げた通り、我々は教育界に太いパイプを持っています。簡単なことです。一度きつく閉めたネジを緩めればよいのです」


「戻してよ! 神沢君を高校に戻してよ! 彼は夢を叶えなきゃいけないの!」


「それでは花嫁、私から一つ条件があります」と椿原は、その言葉を待っていたという顔で言った。「この条件をクリアできたなら、彼を高校に戻して差し上げましょう」

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