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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第三学年・夏〈希望〉と〈初体験〉の物語
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第97話 こんなに目覚めのいい朝はいつ以来だろう? 2


 東京滞在三日目となるこの日が、俺に与えられた自由な一日だった。俺はこの一日を使って、川崎市内に住んでいるゆいと唯の母親に会いに行くことにした。“未来の君”と老占い師の情報を聞き出すために。

 

 唯の母親とコンタクトをとるのはさほど難しくなかった。SNSを使えばよかった。

 

 26歳/シングルマザー/受験生/新聞記者志望という自己紹介文のアカウントがあり、唯の母親だろうなと思ってメッセージを送ってみると、やはり唯の母親だった。


 約一ヶ月にわたって血のつながりもない赤の他人の子の面倒を見た俺に対し、彼女はだいぶ負い目を感じているらしかった。そのせいもあってか、俺が事情を説明すると、二つ返事で会うことを承諾してくれた。

登戸のぼりとのマンションまでいらっしゃい。唯はあなたに会うのをとても楽しみにしている」

 

 なんだか別れた奥さんとやりとりしているような気がしないでもなかったが、なにはともあれ、当然ながら俺も唯に会うのは楽しみだった。

 

 両国駅から電車を乗り継いで向が丘遊園という駅で降り、唯の母親から教わった住所を頼りに徒歩でマンションを目指した。道は狭く入り組んでいて、ともすると人と肩がぶつかってしまいそうだった。

 

 そんな不慣れな土地を30分ほど歩き続けたところで、俺はあるひとつの不都合な事実を認めなくちゃいけなかった。立ち止まり、あたりを見渡し、うん、とつぶやく。疑いの余地なく、比喩でもなんでもなく、道に迷った・・・・・


 もうかれこれ15分ほど同じ場所をぐるぐるまわっているような気がする。ここはいったいどこだろう? 通行人に尋ねようにも、田舎者だと思われるのがシャクで、それができない。

 

 立ち尽くしてどうしようか考えていると、出し抜けに背中がずんと重くなった。誰かが飛び乗ってきたのだと直感的にわかる。普通の男子高校生ならば驚いて腰を抜かしたかもしれないが、幸か不幸か俺は普通の男子高校生じゃなかった。とっさに腕を後ろに伸ばし、誰かの体を受け止めていた。その重みは俺に八ヶ月前の記憶を呼び起こさせた。来る日も来る日も朝から晩まで甘えん坊の娘におんぶをせがまれたひと冬の記憶を。


「ねぇパパ」と背後から小生意気な声がした。「私が誰か、わかる?」


「俺のことをパパなんて呼ぶ人間は世界で一人しかいない」俺は背中から娘を優しく下ろした。そして笑顔で振り返った。「ずいぶん熱烈なお出迎えだな、唯」


「忘れてなかったか。褒めてやるぞ!」

「そりゃどうも」と俺は言った。「というか、唯。なんでここにいるんだ?」


「助けに来たんだよ。パパならきっと道に迷ってるだろうと思って」

「なんでわかるんだよ?」


「すごいでしょ。パパのことならなんでも知ってるよ」

 

 それは八ヶ月前、彼女がうちに来た時に口にしたのと同じセリフだった。俺はなんだか嬉しくなった。「変わってないな」

 うしし、と白い歯を見せて唯は笑った。

 

 もちろん唯は変わってないわけじゃなかった。それどころかむしろ、めざましい成長を遂げていた。身長はりんご1個分伸び、体重に至ってはりんご12個分は増えていた(おんぶでわかった)。


 あごの丸みはとれて鼻筋はすっと通り、瞳の奥には色気のかけらのようなものがちらちら見え隠れしていた。俺と暮らしていた時も唯はすでに美人さんへの道を歩んでいたが、こちらに来てからその歩調はだいぶ早まったようだった。


 彼女が近い将来、川崎市多摩区登戸界隈に住む決して少なくない数の男を虜にすることは、容易に想像できた。

 

 唯は額の汗を拭って、もう一度白い歯を見せた。「ねぇパパ。喉かわいた。このあっついなか迎えに来てやったんだから、ジュースくらい買ってよ!」

 

 俺は思わず苦笑した。「変わってないな」


 ♯ ♯ ♯


 親心、というほど立派なもんじゃないけれど、俺には唯に関して心配していたことがいくつかあった。母親の前だとしにくい話もある。マンションへ向かう道すがら、俺は口を開いた。


「なぁ唯。こっちの生活はどうだ? 夏の暑さとか、人の多さとか、前の街と何もかも違って大変だろう?」

「平気!」と唯は答えた。「遊ぶところがたくさんあるから楽しいよ!」

 

 学校はどうだ、と俺は続けた。「友達はできたか?」

「バッチリ!」と唯は答えた。「パパに教わった通り、勇気を出して自分から話しかけるようにしてみた。そしたらね、いっぱいできた。えっと、ナナちゃんでしょ。アヤちゃんでしょ。それから……」

 

 俺よりはるかに友達が多いようでなによりだった。俺は次に一番聞きたかったことを口にした。

「お母さんはどうだ? 前みたいにおまえを何日も家に一人で残して、旅行に行ったりしてないか?」

「大丈夫! ママはシンブンキシャを目指して猛勉強中だもん。外に出るのは、ヨビコーに行くときくらいだよ」


「となると、ゴハンとかはどうしてるんだ?」

「親戚のおばさんが作ってくれるの。おばさんはね、ヒトツバシ大学の学食で働いていた人だから、お料理がとっても上手なの! 優しくていい人だよ!」

 

 それを聞いて俺はほっと胸をなでおろした。どうやらすべて杞憂だったようだ。唯は大丈夫だ。もうどこかの男子高校生が20年後からタイムトラベルしてきた自分の娘に振り回されることはないだろう。


 ♯ ♯ ♯


 母親の方も娘に負けず劣らず、この八ヶ月で大きな変化を遂げていた。指名とか同伴とかアフターとかいう言葉が札束と共に飛び交う世界で生きていた以前とはまるで別人だった。化粧っ気はまるでなく、無造作に伸びた髪は後ろで一つに束ねられ、鼻の上にはあくまでも実務的な黒縁のメガネがかかっていた。

 

 俺は高瀬からのおみやげを唯に渡すと、母親には自分からのおみやげを渡した。

「せんべいです。両国の月島庵というお店の」

 

 母親は手を叩く。「月島庵といったら知る人ぞ知る名店じゃない。あなた、顔に似合わず良いセンスしてるのね」

 

 せんべいなら売るほどあるから持って行きなさい。月島庵の人たちにそう言われただけなのだが、黙っておく。

 

 唯は高瀬からのおみやげを開封した。中からはビスケットが出てきた。

「このビスケット、ずっと食べたかったんだ! 優里お姉ちゃん、なんでわかったんだろう?」

 

 せんべいじゃなければなんでもよかったんだろう。そう思ったが、もちろん黙っておく。


「たいしたもてなしもできなくて申し訳ないけれど」と唯の母親は言った。「あいにく私もあなたと同じ受験生なの。今はとにかく一秒でも時間が惜しい。8年も勉強から遠ざかってる26歳の頭ってね、おそろしくカチコチなのよ。石みたいに吸収力がないの。その分を勉強量でカバーしなきゃいけない。そんなわけで、できれば早く本題に入りたいのだけど」

 

 もちろんこっちもそのつもりだった。積もる話があるわけでもない。俺はさっそく唯が残していった書き置きを取り出し、二人に見せた。


〈ミライのキミのうらないは、でたらめ、うそっぱちだよ!〉

〈ミライのキミは、しあわせもふこうもよばない〉

〈だからパパは、すきなようにいきていいんだよ!〉


 それを読んだ母親は、娘に対し、自分の部屋でビスケットを食べながら遊んでいるよう指示を出した。娘は素直に従った。次に母親は、俺に椅子に座るよう促した。俺が素直に従うと、彼女はテーブルをはさんだ向かいの席に腰を下ろした。


「ここからは鳴桜高校の先輩後輩として話をしましょうか。遠慮はいらない。さぁ、なんなりと聞いてちょうだい」


「それではまずは確認から」と俺は遠慮なく言った。「“未来の君”の占いを受けたのは、お母さん――先輩ご自身ですね?」

「そうよ。もちろん、唯じゃない」


「先輩から“未来の君”の話を聞いていたから、唯はこのメッセージを僕に残すことができた。そういう理解でいいですか?」

 

 彼女はうなずいた。「“未来の君”のことで悩むあなたをあの子なりに救いたかったのでしょう。優しい子だから」


 優しい子です、と俺は同意した。

「次です。先輩が占いを受けたのは、いつのことですか?」


「あれはたしか、私が高校二年生のときね。季節は今と同じ夏だった」

「『あなたが幸せを望むのなら、“未来の君”と共に生きねばならない――』」


「たしかに占い師は当時の私にそう言ったわ」

「先輩の“未来の君”は、誰だったんですか?」


「私の“未来の君”は――」彼女は言葉をきって、メガネの位置を調整した。「それを話す前に、当時の私が置かれていた状況を説明しておいた方がいいと思う」


「お願いします」と俺は言った。

 

 彼女は言った。「私の父は――つまり唯の祖父は――あなたが今暮らしている街で小さな工場を営んでいた。農業用重機の細かい部品なんかを作る工場。父は職人としての腕はたしかなのだけど、商人としての才はなくてね、経営はいつも綱渡り。頼みの綱は銀行の融資だった。ところがある日、その融資が打ち切られてしまったの。私たち一家は途方にくれた。母は病気がちなうえにまだ小さい弟もいたから、私は高校をやめて働きに出ることも考えなきゃいけなかった。街で占い師に呼び止められたのは、そんな時」


「まさに先輩が、幸せについて考えていた時」と俺は言い換えた。

 

 彼女は深くうなずいた。そして眉をひそめた。「“未来の君”の占いは、当時の鳴桜高校でもウワサになっていて、私も耳にしたことはあった。『強い絆で結ばれた運命の人』だっけ? 高校生くらいの女の子ってそういうの好きじゃない、いつの時代も。正直、当時の私も憧れてた。ところが街で占い師に呼び止められて、実際に“未来の君”の名前を告げられると、途端に興ざめした」


「誰だったんですか?」


「融資を打ち切った銀行員の息子」と彼女は言った。「彼は高校のクラスメイトでもあった。そして私にしつこく言い寄ってきていた。彼は私に振り向いてもらえない腹いせで、融資を打ち切るよう父親に掛け合ったの。その男の名前を聞いたとたん、私は思った。『ああ、この占い師はインチキだ』って。だってそうでしょう? そんな卑劣で陰湿な男がどうしたら私を幸せに導けるっていうの? 冗談じゃないわよ。私はあまりにも腹が立って――あの頃は私も若かったから――占い師の胸ぐらをつかんで言ってやった。『未来の君の占いはでたらめ、うそっぱちだ』って」

 

 俺は黙って聞いていた。やがて彼女は何かを思い出したように席を立ち、隣の部屋へ入っていった。帰ってきた彼女の右手には、何かが握られていた。


「さっき私は『占い師の胸ぐらをつかんだ』って言ったでしょ?」彼女は椅子に座り直すと、テーブルの上で右手を広げた。「その弾みで、占い師のマントの下からこんなものが落ちてきたの」




挿絵(By みてみん)

 

 

 

 それは十円玉ほどの大きさのバッジだった。海の上を金色の鳥が翼を広げて空へ飛び立っていく――そんな躍動的なデザインがあしらわれている。


「なんのバッジですか?」と俺は尋ねた。


「わからない?」と彼女は言った。「これはある会社のバッジよ。あの街で生まれ育ったあなたなら、知らないはずがない会社だと思うのだけど」


「すみません、どこの会社ですか?」


「金色の鳥と大海原というデザインを見てもまだ気づかない?」と彼女は言った。「スーパーマーケットを運営する鳥海・・よ、トカイ。タカセヤさんのライバル企業よね。占い師のマントの下からは、どういうわけか、このトカイのバッジが転がり落ちてきたの」


 ♯ ♯ ♯


 またいつか会うことを唯と約束して登戸のマンションをあとにした俺は、両国へ戻る電車内で、先ほど聞いた話を整理していた。

 

 残念ながら、“未来の君”とはいったい何かという根本的な謎の解明には至らなかった。


「未来の君の占いはでたらめ、うそっぱち」というのはあくまでも唯の母親の主観によるもので、そこに何かしら確固たる根拠なり裏付けなりがあるわけじゃなかった。要するに一番欲しかった情報は、得られなかったということになる。

 

 それでも俺はうつむく必要はなかった。俺の拳の中には、あのバッジがあった。金色の鳥があしらわれた、トカイのバッジ。


 マンションからの帰り際、唯の母親が持っていきなさいと言って渡してくれたのだ。私にはもう必要のないものだから、と。

 

 俺は右手を広げ、そこに目を落とした。このバッジが占い師の黒マントの下から落ちたということは、占い師はトカイになんらかの関係がある人物と考えてしかるべきだろう。

 

 占い師とトカイ。

 

 これまでまったく無関係だと思っていたふたつの点のあいだに、予期せぬ形でつながりが見えてきた。それがいったいどのような線であるかはまだわからない。しかしいずれにせよ、この小さなバッジが占い師の正体を示す大きな手がかりとなるのは間違いなかった。

 

 占い師の正体さえ暴くことができれば、おのずと“未来の君”の謎も明らかになるはずだ。

 

 俺はひとまず胸にたまった息を吐き出し、窓の外の風景を眺めた。

  

 このバッジを手に入れることができただけでも、遠路はるばる川崎まで来た甲斐はあったというものだ。高瀬にちくりと小言を言われても月島の誘いに応じて、正解だった。

 

 それにしてもこのところ、やけにトカイのことを耳にする。そういえばマルメはこんなことを言っていた。『鳥海慶一郎はある罪を犯している』と。トカイの次期社長の罪と“未来の君”は何か関係があったりするのだろうか? そんな疑問がぼんやり浮かんだところで、ぎゅううう、と誰かの腹が鳴った。俺の腹だった。これ以上考え事をするには腹が減りすぎていた。思えば昼飯がまだだった。

 

 俺は何か食べるものはあるか月島に聞いてみようとスマートフォンを取り出した。するとそこには数分前に誰かからのメッセージが届いていた。その誰かは月島の母親のみやこさんだった。京さんからのメッセージを読んだ途端、俺の手からスマホが滑り落ちた。


「悠介君。おじいちゃんが危篤なの。用事が終わり次第、すぐに病院まで来てちょうだい」

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