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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第三学年・夏〈希望〉と〈初体験〉の物語
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第91話 愛し合うことでしか救われない 3


 写真は一枚だけではなかった。全部で六枚あった。撮影された日時も場所もバラバラだけれども、直行さんと俺の母が一緒に写っているという点は六枚とも共通していた。


 ある写真ではブティックで直行さんのネクタイを母が選んでいた。またある写真では直行さんがBMWの助手席を開けて母を愛車へとエスコートしていた。どこかの公園のベンチで母がたこ焼きを直行さんの口へ運んでいる写真もあった。あーんして、と聞こえてくるようだった。

 

 何も事情を知らない第三者にこれらの写真を見せたとして、ふたりは高校時代のクラスメイトだと教えたとして、ただ単に20年ぶりの再会を懐かしんでいるだけと感じる人は、きっとひとりとしていないだろう。


 逢瀬、という言葉が俺の頭に浮かんだ。


「三ヶ月あたり前からパパの様子がおかしかったの」と明里さんは言った。「帰りはやけに遅いし、ファッションの好みは急に変わるし、自分の車には私たち家族を乗せたがらないし。あからさまに怪しいから探偵を雇ってみたら、案の定。まぁまさか、私たちに内緒で会っている相手がキミのお母さんだとは、さすがに思わなかったけどね」

 

 息子の俺もさすがに思わなかった。まさかこんな事態になっていたなんて。


「お母様のだいたいの経歴は、優里から聞かせてもらったわ」汐里さんは気丈にも、しっかりした声で言った。「悠介君、気を悪くしたらごめんさないね。でもとても大切なことだからあらためて確認させてね。高校卒業後、望まない結婚をしてあなたを産んだ有希子さんは、あなたを置き去りにして元々の恋人だった柏木恭一さんと富山へ駆け落ちした。そして恭一さんとのあいだに双子のお子さんを設けた。自家製のジャムやスイーツを売り出してそれが大成功。すべては順風満帆だった。ところが恭一さんは心臓の病気で亡くなってしまった。まだ幼い双子をこの世に残して。それが去年の秋のこと。間違いない?」


 俺は無言でうなずいた。そしてやり場のない視線を六枚の写真に落とした。

「僕からもいくつか確認させてください。ここにある写真が撮られたのは、この街ですか?」

 

 ふたりは首を縦に振った。


「ということは、母は双子を連れて、富山からこっちに帰ってきたんですね」


「市内のアパートで双子と三人で暮らしているみたい」と明里さんは言った。

 俺は言った。「どういうきっかけでふたりは会うようになったんでしょう? もっとあけすけな聞き方をすれば、直行さんと僕の母、どちらから接近したんでしょう?」

 

 汐里さんは手を振った。「そこまでは私たちも掴めていないの。なにしろこの六枚の写真が探偵さんから渡されたのは、ついおとといのことだから。どこまで仲が深いのか、どこまで本気なのか、詳しいことはまだよくわからない。ふたりのことで今わかっているのは、主人が有希子さんとこそこそ会っているということだけ」


「言い寄ったのはどうせ有希子さんでしょ」と明里さんは独り言のように言った。「双子を育てていくにはお金がかかるもの。タカセヤ社長のうちのパパからたんまりお金をせしめるため、色目を使ったのよ。あの泥棒猫は!」

「明里、言葉が過ぎますよ!」

 

 明里さんは口を尖らせた。そして母親に反論した。親子はひとしきり激しい言葉で応酬した。なんだか俺は申し訳ない気分になってきた。

「すみません。うちの母がいろいろとご迷惑をおかけして」

 

 汐里さんはびっくりしたように腰を浮かせた。

「悠介君が謝ることはないのよ。あなたは何も悪くないんだから」


「そうそう」と明里さんも続いた。「悪いのはあの女狐――じゃなくて、有希子さんなんだから」

 

 汐里さんはおもむろに写真を一枚手にとった。それは例のたこ焼きの写真だった。

「主人は私と出会う前――高校時代――有希子さんにぞっこんだったのよね。柏木恭一さんという大きなライバルがいたからその恋は叶わなかったけれど」

 

 何が何でもモノ・・にしたいと思わせる魔力が有希子には備わっていた。女としての母をそう称したのは、他でもなく直行さんだった。俺は複雑な思いでその話を聞いていた。


「あの人、良い顔してる」と汐里さんは写真に指を這わせて言った。「まるで初恋の人との初めてのデートで張りきる少年のよう。私にはこんな顔、一度だって見せたことなかったのに……。それにしても、有希子さんって、本当に美人ね。女優さんみたい。私なんか足下にも及ばないわ」


「そんなことないですよ」と俺は反射的に言った。「汐里さんはとってもきれいです。魅力的な女性です」


「ありがとう。あなた、優しいのね」

 

 明里さんがくすくす笑っていた。

「キミってもしかして、熟女好きだったりするの?」


「そういうんじゃないですけど」

 ハイエースの車内で初体験はこの人でもいいと思ったのは、もちろん内緒だ。俺は深呼吸してこれまでの情報を整理した。

「直行さんと僕の母がしきりに会っているというのはわかりました。でもそれを教えるためだけにわざわざ僕をこの家に連れてきたりはしませんよね? ましてや、あんな一歩間違えば通報されるやり方で。はっきり言ってください。この件に関して、お二人は僕に何か、頼みたいことがあるんじゃないんですか?」


「察しがいい男の子は好きよ」と明里さんは悪戯っぽく言った。

 妹さんに嫌というほど鍛えられてるんで、と俺は思った。

 

 汐里さんは写真を置くと、ソファの上で身を乗り出した。

「悠介君。主人とこれ以上会うのをやめるよう、有希子さんを説得してもらえないかしら? 不躾なお願いだというのは重々承知しているのだけれど、こんなことを頼めそうな人は実の息子であるあなたを置いて、他にはいないのよ。もし仮にこの醜聞が世間に広まれば、タカセヤのイメージダウンは避けられない。そうなると主人の社内での立場だって危うくなるわ。これは高瀬家の危機なの。お願い。どうか悠介君の力を貸してちょうだい」


「この通り」と言って明里さんは頭を下げた。

「この通り」と言いたげにボーダーコリーは見上げてきた。

 

 俺は二人と一匹の視線を一身に受けながら、母との対話を頭でシミュレーションしてみた。答えは10秒で出た。

「お力になりたいのはやまやまですが、あの人は僕の言うことを聞き入れたりなんかしませんよ。賭けたっていい」

 

 汐里さんは眉をひそめる。「どうしてそこまで言いきれるの?」


「親子だからです」と俺は、自嘲混じりに答えた。「血はつながっていても、ガキの頃はあの人の考えていることなんてさっぱりわかりませんでした。でも成長してちょっとは大人に近づいた今ならわかります。あの人はなにがなんでも幸せになりたいんです。それが唯一の行動原理なんです。直行さんとこうして何度も会っているのも、これから自分が幸せになるうえで直行さんが欠かせないと判断したからです。


 考えてもみてください。母は何もかもかなぐり捨てて本当に好きだった男と富山へ駆け落ちする人間ですよ? 幸せのためならなりふりかまわないんです。極端な話、幸せになれるなら世界を敵に回してもいいとさえ考えている。そんな人が僕にとやかく言われたくらいで、行動を改めたりはしませんよ」

 

 それを聞くと二人と一匹は肩を落とした。不憫なので俺はすぐに言葉を継いだ。

「とはいえ、母のせいで高瀬家が壊れていくのを黙って見ているつもりはありません。僕も知恵をしぼります。一緒に他の方法を考えましょう」

 

 ♯ ♯ ♯

 

 それからは例の紙袋に入っていたケーキを三人で食べながら意見を出し合った。しかしこれといった名案はなかなか出なかった。議論が停滞したところで、俺はふと思ったことを口にした。

「話は逸れますが、僕がこうして家に来ていることを、優里さんは知っているんですか?」


「そのことなんだけどね」汐里さんはとたんに小声になる。「悠介君。今日のことはどうか、優里に内緒にしてほしいの」

「どうしてですか?」


「六枚の写真が探偵さんから渡されたおととい、さっそく優里も含めた女三人で家族会議を開いたの。これからどうしようかって。そこで私とお姉ちゃんは悠介君を頼ることで意見が一致したんだけど、優里だけはそれに猛反対。『有希子さんのことでどれだけ彼が苦労してきたと思っているの。これは高瀬家の問題なんだから、彼を巻き込まないであげて。これ以上彼を有希子さんのことで苦しめないであげて』って。だからこんなことが優里に知られたら、私たち、ひどく怒られちゃう」

 

 明里さんは気まずそうに苦笑する。「今日は優里がミュージカルを観に行って夜まで帰ってこないから、私たちからすれば、キミをうちに連れてくる絶好のチャンスだったってわけ」


「なるほど」俺は納得した。「喫茶店やレストランで話そうにも、こんなイナカじゃどこで誰が聞き耳を立てているかわかりませんしね」

 

 玄関の方が騒がしくなったのは、その時だ。鍵の開くような音がしたかと思うと、それから「ただいま」と声がした。聞き慣れた澄んだ声だった。ボーダーコリーは尻尾を振って玄関にいそいそと向かい、汐里さんと明里さんは慌てふためいた。


 隠れましょうか、と俺が言うより先に、リビングのドアが開いた。高瀬家の次女様のお帰りだった。


「神沢君!?」高瀬は目を丸くする。「なんでうちに神沢君がいるの?」

「なんであんた、こんな早くに帰ってきたの!」明里さんの声は裏返る。「ミュージカルは?」


「機材トラブルとかで、公演が中止になったの。それで仕方なく帰ってきたんだけど……」

 高瀬は俺の顔と六枚の写真を交互に見た。そしてすぐに状況を理解した。そういうこと、と気色ばむ。「お母さん。お姉ちゃん。私、神沢君をこの件に巻き込まないでって釘を刺したよね? だいたい神沢君は受験生なの。考えなきゃいけないことがいっぱいあるの。志望校のことだったり、偏差値のことだったり。来週には期末テストもある。それなのに余計なことで煩わせないであげて。彼の頭の中は“未来のこと”でいっぱいなんだから。そうでしょ、神沢君?」


「そ、そうですね」

 実は“童貞を卒業すること”で頭がいっぱいでしたなんて、口が裂けても言えやしない。

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