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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第三学年・春〈選択〉と〈恋人〉の物語
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第83話 人魚はなぜ陸を目指したと思う? 2


【交際2日目】


「高校生カップルたるものランチは屋上で一緒に食べるべし!」という柏木の鉄のポリシーに従って、せっかく昼休みは空けておいたのに、肝心の柏木の都合がつかなかった。彼女だけ進路指導室から呼び出しを食らったのだ。


 高校三年の五月にもなって進路希望調査票がいまだ白紙のままの柏木に対し、教師たちはとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。そんなわけで俺のカノジョは今頃さぞ耳の痛い話を聞かされていることだろう。かわいそうではあるけれど、こればかりはどうしようもない。カレシでもどうすることもできない。

 

 急にやることがなくなって青空の下すっかり途方に暮れていたが、最近は柏木を除く大学進学組の四人で昼休みに勉強会をするのが日課になりつつあることを思い出した。それで俺は秘密基地へ行ってみることにした。誰か彼かいるだろう。


 ♯ ♯ ♯


 旧手芸部室にはやはり月島と太陽がいて、彼らはやはり問題集を広げていた。しかしそこに高瀬の姿はなかった。俺が部屋に入るなりすぐに太陽が立ち上がった。そして唾を飛ばしてきた。

「おい悠介、聞いたぞ! おまえさん、柏木と付き合い始めたんだって!?」


「誰に聞いたんだよ?」と俺は唾をよけて言った。


「高瀬さんから」と月島がいつも通りクールに答えた。「たった今までここにいたの。いきさつは全部高瀬さんから聞いた。新人賞の受賞。校則違反の副賞。周防君の出した条件。突きつけられた選択。大時計の伝説。それから12日間限定の恋人関係」


「新人賞のことも高瀬は話したのか?」

 

 月島はうなずいた。「私たちには隠しておけないだろうってことで」

 太陽もうなずいた。「オレたちは学校にチクるようなマネはしねぇよ」

 

 まぁたしかにこの二人は信用してよかった。というか、当事者以外で信用できるのは、この二人しかいなかった。


「それにしても月島嬢よ」太陽は不思議そうに言う。「ずいぶんケロッとしてるけど、なんとも思わないのかよ? 擬似的とはいえ、悠介が柏木と恋人同士になっちまったんだぞ?」


「べつになんとも」と月島は指でペンを回しながら平然と答えた。「だって途中経過なんてどうだっていいんだもん。最後の最後で神沢のハートを射抜いぬけばいいんだもん。私にはその自信がある。だからたいして焦りもしないし嫉妬もしない」

 そこで彼女は左目をつむり、ペンを銃に見立て、俺の胸を撃つ仕草をした。

「射抜いちゃうぞ、ばきゅーん・・・・・

 

 流れ弾を避けたわけではないだろうが、太陽は上半身を仰け反らせた。

「そういうことをさらっと言ってのける月島嬢を、オレは心から尊敬するよ」

 

 月島は何ごともなかったように前髪を払った。

 俺は何も聞かなかったふりをして席に座った。

 

「しっかし周防もひでぇことしやがるよな」太陽も腰を下ろして腕を組んだ。「新人賞のことを黙っていてほしければ柏木と交際して“大時計の伝説”を検証しろってか。あの野郎は柏木が悠介に対して複雑な想いを抱いているのをわかっていて、そんなえげつない条件を出してきたんだ。血も涙もない、冷酷な男だよ」


「まったくだ」と俺は同意した。


「それにしても、なんでまた柏木は、おまえさんと付き合うことにOKを出したんだろう?」

「というと?」


「これまでの経緯もあわせて考えてみろよ」と太陽は言った。「柏木は一年の頃から悠介のことを想い続けてきた。ところが去年の冬に『“未来の君”は不幸を招く』と知っちまった。それで“未来の君”であるあいつはみずから身を引く決断をした。悠介の幸せを思えばこそ、自分の気持ちとはまったく無関係に、恋を諦めたんだ。柏木にとってはそりゃあもうつらい選択だったはずだ。もう二度とそんな思いはしたくなかったはずだ。そこへ持ってきて今回の一件だ。


 悠介と交際するってことは、一度はふたをして心の深い場所にしまっておいた想いを、そこから無理矢理引き上げてくるってことだ。でも何日か後には、またそれを元の場所に戻す作業が待ってる。別れの日が待ってる。つまりまた自分の気持ちとは無関係に、恋を諦めなきゃいけねぇんだ。そんな思いは二度としたくなかったのに。


 たしかに恋人同士でいられる12日間は夢心地かもしれない。でもよ、その反動で13日目以降がつらくなるのはわかりきっているじゃねぇか。なんだってわざわざ自分がつらくなるような選択をするかね。オレには柏木の考えがわからんよ」


 ひとしきり沈黙が流れた。沈黙を破ったのは月島だった。


「私はわかるけどな」と彼女は言った。「というか、私がもし柏木と同じ立場になったら、同じ選択をするかな。13日目が来ないことはわかっていたとしてもね」


「どうしてだ?」と太陽は聞いた。

 

 月島は直接的な回答を避け、こんなことを口にした。

「泳ぎが下手な人魚の話、知ってる?」

 

 俺と太陽は顔を見合わせた。ふたりとも首を振った。どうせ俺たちは『人魚姫』くらいしか知らない。


「昔々どこかの海に、若くて美しい人魚がいました」月島はそう語り始めた。「その人魚は泳ぐのがひどく苦手で、よくお姉さんたちに連れられては、おかの近くで泳ぎの練習をしていました。沖には天敵の大サメがいてたいへん危険なのです。お姉さんたちの指導はとても厳しく、彼女は練習が嫌で嫌でたまりませんでした。


 陸にいる人々のあいだでも彼女は“カナヅチ人魚”として有名でした。彼らは『泳げない人魚なんて飛べない鳥と同じだ』と言って彼女を笑いものにしました。しかしその中にひとりだけ、彼女を励ます者がいました。人魚と同じ歳くらいの、若い男の漁師でした。不器用な彼も日頃から『この出来損ない』と他の漁師に罵られていたので、泳ぎが下手な人魚の気持ちがよくわかったのです。


 二人は人目を忍んで言葉を交わすようになり、やがて次第に惹かれあっていきました。人魚はもう前みたいに練習が苦痛ではありませんでした。彼に会えるのが楽しみで仕方ありませんでした。


 しかしある日のこと、お姉さんたちはもう泳ぎの練習はしなくていいと言います。人魚が漁師に恋心を抱いていることに気づいたのです。人魚の世界では人との恋は御法度でした。人魚は悩みました。あの人にどうしても会いたい。どうしても……。


 しかし自分の下手な泳ぎでは、途中でサメに襲われてしまうかもしれない。それにもしうまく陸まで泳ぎきったとしても、掟をやぶった以上もう人魚の世界には戻れない。とはいえ陸では私はそう何日も生きられない……。


 人魚はとても悩みました。寝食も忘れて悩みました。そして悩んだすえに彼女は、みんなが寝静まったのを見計らって、密かに陸へ向かう選択をしたのです。さてここで、涼ちゃんからキミたちにクエスチョン! 人魚はなぜ陸を目指したと思う?」


「さぁ?」と太陽は言った。

「さぁ?」と俺も言った。


「それが恋というものだからだよ」と月島は言った。

「ばきゅーん」と太陽は言った。

 

 月島は言った。「人魚だってわかってるんだよ。漁師と結ばれたとしても未来なんてないことくらい。遠からず終わりが来る恋だっていうことくらい。それでも彼女は陸を目指さずにはいられなかったの。それが恋の力なの。たとえ短いあいだだとしても、たとえ身を滅ぼしたとしても、彼と一緒にいたい。サメも掟も未来も何もかも差し置いて今この瞬間の恋に生きることを選んだ人魚。私は今の柏木を見ていると、この人魚の話を思い出してしまうんだ」

 

 そこで部屋のドアが開いて、顔を紅潮させた柏木が現れた。さては進路指導室で相当しぼりあげられたな、と想像はついた。


「人魚登場」と太陽はつぶやいた。

 

 柏木は脇目も振らずこちらに近づき、俺を強制的に椅子から立たせた。

「あのさ、悠介のこと、借りるから」


「どうぞどうぞ」と太陽は言った。

「どうぞどうぞ」と月島も言った。「出来損ないの漁師でよければ」


「あんたたち、人魚とか漁師とか、何わけわかんないこと言ってんの?」


 ♯ ♯ ♯


「聞いてよ悠介!」と柏木は部屋から出たとたん声を荒らげた。

「進路指導室のセンセーたち、ひどいんだから。鳴桜生めいおうせいとしての自覚が足りないとか、世の中をなめているとか、とにかくあたしを取り囲んで言いたい放題。もうアッタマきちゃった!」


「まぁまぁ」と俺はなだめた。「あいつらなりに、進路が決まらないおまえを心配してるんだろ」


「そんな立派なもんじゃないんだって。あの人たち、自分の保身のことしか考えてないの。うちの高校は進学校だから進学率は毎年ほぼ100%でしょう? それであたしが『やりたいことが見つからない』って正直に打ち明けると、いかにも奥歯に物が挟まったようなカンジで、こう言うの。「いいか柏木。とりあえず大学にだけは行っておけ。やりたいことは大学で見つければいい』って。あいつらはね、あたしのためを思ってそう言ってるんじゃないの。進学実績に傷をつけたくないだけなの。その証拠に『おまえの場合は大学ならどこでもいい』とまで言うんだから。ねぇ悠介。そんなのって、進路指導って呼べる?」

 

 俺はおとなしく首を振った。


「ここからがまたひどくてね。あたしはセンセーたちの魂胆がわかっちゃったし、それに『とりあえず』なんて中途半端な生き方は大嫌いだから、ムキになって『大学には絶対に行かない』って突っぱねたわけ。そしたらあいつらなんて言ったと思う? 『大学に行かない鳴桜生なんて空を飛べない鳥と同じだ』って言ってみんなして笑うの! 冗談じゃないっての! 飛べない鳥の何が悪いの。ペンギンだってダチョウだって一生懸命生きてるじゃないの。あたしだって勉強はできないけどそれなりに一生懸命生きてる。そうでしょ? ……それともあたし、そんなにダメ?」

 

 俺は思いつく限りの言葉で柏木を励ました。俺だって大学に行けると決まったわけじゃない。彼女の気持ちはよくわかった。


「とにかく、今は一分一秒でも惜しいの。貴重な時間をこんなつまんないことで奪われたくないの。だから最後にあいつらに言ってやったの。『二週間後には何があっても必ず進路調査票を出すから、それまではもう二度と呼び出さないで』って。そんなわけで悠介。カノジョとしてあたしから緊急指令・・・・。残り11日間で、あたしが進むべき道を見つけて。いい?」


「はぁ?」


「カレシならそれくらい当然でしょう?」と柏木は言った。「悠介が『晴香にはこういうのが向いていると思うぞ』って言ってくれれば、あたしは悠介の言うことを信じて、迷わずその道に進むから」

 

 俺がもしミイラ職人やコブラ使いと答えたら、彼女はいったいどうするつもりなのか。いずれにせよ、さすがにこれは、荷が重すぎるというものだった。


「わかった」と俺は妥協点を探しつつ言った。「カレシとして精一杯努力はする。するけど、柏木。いや、晴香。おまえもちゃんと探すんだぞ? いいか? 二人で一緒に見つけよう」

 

 柏木はその答えを待っていたかのように静かに深くうなずいた。


「ちなみにさ」と俺は言った。「おまえ、泳ぐの下手か?」


「泳ぎ? 得意中の得意だってば。今でも水泳部から勧誘されるくらいだもん」

「それじゃあ、水泳のインストラクターとかはどうだ?」


「あームリムリ」柏木は大きく手を振る。「こんなスタイル抜群のきれいなお姉さんが水着姿になんかなってみなさいよ。男子生徒が興奮しちゃってレッスンどころじゃないから。一ヶ月でクビ!」


「そうかい」

 

 この人魚に関しては少なくとも、天敵のサメに襲われる心配はいらないようだ。それどころかサメすら魅了して味方につけて、漁師の元に着く頃には、陸でも自分が生きるための秘術をちゃっかり聞き出しているかもしれない。

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