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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・冬〈決断〉と〈親子〉の物語
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第80話 真昼の空で輝くあの大きな太陽のように 2


「私に嫌がらせをしていたのは北向きたむき先生って、それ、本当なの?」一時間遅れで氷祭り会場にやってきた高瀬は、俺の話を聞いて驚いた。そして呆れた。「『先生』なんて呼ぶ必要はないね。女の敵の北向海斗。犯人は本当にあの人なの?」


「まず間違いない」と俺は言った。「あいつが刑務所から出てきた時期と嫌がらせが始まった時期はぴったり重なっているし、動機もある。それになにより、後をつけ回したり無言電話をかけたり郵便物を盗んだり。どれもあの変態がいかにも好んでやりそうな手口だ。もっと早くに気づくべきだった。あれこれ難しく考えすぎた。純粋に俺たちが今まで関わった人間の中で、一番こういうストーカーじみたことをしそうな奴を思い浮かべればよかったんだ」


「動機」と高瀬はつぶやいて、身構えた。「私、あの人に恨まれているの?」

 

 俺は首を振った。「たしかに動機は恨みだよ。ただし、北向が本当に恨んでいるのは高瀬じゃない。太陽だ」


「葉山君? じゃあどうしてあの人は私に危害を加えようとしていたの?」

 

 俺は寿司屋の写真をコートのポケットから取り出した。談笑する高瀬と太陽、そしてそれぞれの両親が写っている。

「俺たちははじめ、この光景を見た犯人が勘違いしているんじゃないかと考えた。つまり高瀬と太陽が親公認の恋人同士だと誤解しているんだと。そこまでの読みは当たっていた。北向は本当に誤解していたんだ。太陽にとって最も大切な存在は高瀬だと。


 でもその先の推理が間違っていた。俺たちはてっきり、犯人は太陽に想いを寄せる女で、高瀬のことをねたんでいるんだと思った。でも実際は違った。犯人は女じゃなかった。男だった。動機は妬みじゃなかった。恨みだった。北向は太陽を恨んでいた。自分が何もかもを失ったのは、太陽のせいだと思っているんだ。北向は太陽が大切にしている高瀬を傷つけることで、その恨みを晴らそうとしたんだ」


「一年じゃ更生できなかったってわけね」高瀬は肩をすくめる。「高校生相手に大人げないなぁ。そんなんだから君は教師になれなかったんだよ、北向クン」

 

 ごもっとも、と俺は思った。

 高瀬は言った。「ここ最近嫌がらせがぱったり止んだのは、やっぱり誤解が解けたからなのかな?」

 

 俺はうなずいた。「高瀬と太陽が恋人同士に見えたのは、この写真のシーンくらいのはずだからな。さすがに北向も自分の認識の誤りに気づいたんじゃないか」

「それじゃあ、事件は解決したってことだね」

 

 俺はポケットから例の紙を取り出し、そこに書かれた〈ユルサナイ〉という五文字を目を凝らしてあらためて見た。そのまるで釘の先にインクをつけて書き殴ったような刺々しい筆跡からは、是が非でも復讐を遂げるという執念めいたものを感じずにはいられなかった。胸騒ぎがしていた。


「まだ油断はできない」と俺は言った。「あいにく北向はそんな諦めのいい男じゃない。あいつは教師になる夢を失った。逆に太陽はもうちょっとでプロのドラマーになる夢が叶う。もしかすると北向は次はこんな風に考えるんじゃないかな。『あのガキを二度と楽器の弾けない体にしてやる』って」

 

 ありえるね、と言いたげに高瀬は眉をひそめた。そしてはっと何かに気づいて、あたりを見渡した。会場はどこもかしこも祭り客で賑わっていた。

「ねぇ、ひょっとしてあの人、今夜ここに来るんじゃないの?」


「実は俺も同じ事を考えた」と俺は言った。「これだけ混雑していれば人混みに紛れて太陽に近づくことは簡単だし、逃げることも難しくない。恨みを晴らす場としてはもってこいってわけだ」


「ということは、葉山君、危ないんじゃ?」

「大丈夫。太陽にはもうすでに電話で今の話を伝えてある。伝えたうえで、ふたりでどうしようか対策を練った。あいつ、北向を捕まえるために、どうやらおとりになる気でいるらしい。悪いけど、高瀬にも一仕事してもらうよ。もちろん、すべては北向がここに来ればの話だけど」


「来ないのが一番いいんだけど」


 ♯ ♯ ♯ 

 

 高瀬の言う通りだけど、残念ながら北向は来た。


 祭り会場に現れた黒のニット帽を深めにかぶった猫背の男が北向海斗であることは、俺も高瀬も一目ですぐにわかった。なぜなら服役生活のせいか顔の脂肪はいくぶん落ちたものの、彼の代名詞とでも言うべき浅はかさや身勝手さまでは削ぎ落とされていなかったからだ。始末が悪いことにさらにそこに卑屈さまで加わっていた。風船を持った子どもたちが彼の顔を見て逃げていった。

 

 北向は氷で作られた見事な彦根城にもパルテノン神殿にもいっさい目もくれず、太陽と日比野さんのあとをつけていた。俺は太陽に電話をかけてそのことを伝えた。


 やっぱり来たかあの野郎、と太陽は言った。あとは打ち合わせ通りに、と俺は言った。作戦開始だ、と太陽は言った。そして彼は北向の存在に気づかないフリをして、人混みの中を進んでいった。

 

 俺と高瀬は、太陽と日比野さんの後をつける北向の後をつけていた。


 もちろん俺にも高瀬にも、北向に気づかれないよううまく尾行をする自信はなかった。しかし尾行のやり方は前方の北向をお手本にすればよかった。皮肉でもなんでもなく彼の尾行はうまかった。尾行とはこうやるものだと背中で教えてくれていた。さすがプロのストーカーだと俺たちは感心した。北向のようなどうしようもない男からでも学ぶべきことはきちんとあるのだ。俺たちは北向先生の尾行術を大いに参考にして、彼の後を追った。

 

 やがて太陽は事前に俺と打ち合わせた通り、会場中央にある氷のすべり台へと向かった。すべり台といっても住宅街の公園にあるような小さいものではなく、全長20メートルはある巨大なものなので、すべるためには当然高い場所へ登らなければならない。


 北向の動きに変化が起きたのは、太陽と日比野さんが固まった雪でできた階段を登りはじめた時だった。彼はここぞとばかりに体をかがめて歩く速度を速めると、人々のあいだを縫って一気にふたりに近づいた。俺たちも北向にならって移動し、一気に彼との距離を詰めた。

 

 雪の階段を登りきると、そこはちょっとした広場のようになっていて、すべり台の順番待ちをする人たちでごった返していた。行列の最後尾に太陽と日比野さんが並び、その後ろに北向もぴたっと張りつくように並んだ。それを見てすかさず俺と高瀬もその後ろに並んだ。サンドイッチで例えるならば、俺たちがパンで北向がハムだ。


 すべり台の回転率は思いのほか早く、行列はぐんぐん前へ進んでいった。並びはじめてから三分もたたないうちに太陽たちの順番が来た。


 目の前にあるニット帽の中の頭で北向が何を考えているか、俺たちにはわかっていた。俺はすぐに体を動かせるよう神経を集中した。そして高瀬はスマートフォンで動画を撮り始めた。


 係員に促されて太陽がすべり台に向かったその直後、北向の右腕がひそかに持ち上がった。右腕は太陽の背中に向かってまっすぐ伸びていた。背中に手が触れかけたその瞬間、俺は背後からその右腕を力いっぱいにつかんだ。

「させるかよ!」

 

 その言葉が合図となって太陽はすばやく振り向き、北向の左腕をつかんだ。

「おびき出されているとも知らずに引っかかったな!」

 

 北向は泡を食っていた。俺は指にいっそう力を込めた。

「懲りずに何度も同じ過ちを繰り返すあんたのことだから、同じ状況を作ればまた同じことをやると思ったよ。初詣の時、神社の石段の上から高瀬の背中を押したようにな!」


「同じ手を二度も食いません」と日比野さんは振り返って言った。

「言い逃れはできないからね」と高瀬は言って、スマホを北向に見せた。「証拠はバッチリおさえてあるから」

 

 何事かと周囲がざわつきはじめた。騒ぎが大きくなると面倒なので、俺たちは北向を連行してひとけのない静かな場所へ移動した。


 ♯ ♯ ♯ 

 

「さて」日比野さんは便器の黒ずみを見るような目で北向を見ていた。「この人、どうしましょうか?」

「警察に突き出そう」と俺は即座に言った。


「それだけは勘弁してくれ!」と北向は弱者ぶって言って、足にすがりついてきた。「ほんの出来心だったんだ。魔が差しただけなんだ。反省している。頼む。もう刑務所には戻りたくない。あんな不自由な生活、もうまっぴらだ!」

 

 俺はこいつから直接被害を受けたわけではないので、高瀬に判断を委ねることにした。

「どうする?」


 彼女は身を守るように俺の影に隠れた。

「私に嫌がらせをしていたのは誤解が元だっていうし、この人の本当の狙いは葉山君だったみたいだから、葉山君に任せるよ」

 

 太陽は腕を組んで北向をにらみながらそれについて考えた。腕組みは一分ほどで解けた。

「北向さん、アンタ、ついてるよ。ここ最近のオレはとてもハッピーなんだ。世の中に実力が認められてもう少しでプロのドラマーになるっていう夢が叶うし、こうして良い仲間たちにも囲まれている。夢を失った孤独なアンタとは大違いだ。教育実習でうちの高校に来て女子にワーキャー言われてた時に比べれば、ずいぶんちたな。アンタがかわいそうになってくるよ。かわいそうだから、特別に許してやる。良かったな、オレがハッピーで」

 

 それを聞いて俺は顔をしかめずにはいられなかった。その理由は二つあった。単純に放免は手ぬるすぎると思ったのがまず一つ。そしてもう一つは、北向をいたずらに刺激するような物言いはよせ、と思ったからだ。これ以上失うもののない、堕ちるところのない人間ほど怖いものはないんだぞ、と。


 なにはともあれ、太陽が許すと言ったら許すしかなかった。個人的にはちっともすっきりしなかったが、俺に決定権があるわけでもない。やむなく北向を解放すると、彼は振り返ることなく一目散に会場の外へ走り去っていった。それを見届けると俺たちは、せっかくなので四人で一緒に氷祭りを楽しむことにした。


 氷像をひとつひとつ見て回り、氷の迷路に挑戦し、腹が減ると屋台で焼き鳥や焼きそばを買ってみんなで食べた。ちょうどカーリングのリンクが空いていたので、二対二にわかれてカーリング対決もした(太陽・日比野さんペアの圧勝だった)。そして今度こそ氷のすべり台をすべった。それぞれ三回も繰り返しすべった。そのようにしてフィナーレの花火を見る頃には、俺の中からもやもやした気持ちはすっかりどこかに消え去っていた。


 ♯ ♯ ♯ 


「いろいろあったけど、楽しかったね」と高瀬は隣で言った。祭りからの帰り道、俺たちは太陽と日比野さんの20メートルほど後ろを歩いている。今夜の主役のふたりをこれ以上邪魔しちゃいけないという俺たちなりの配慮だ。夜の住宅街は行き交う車も少なく、静かだった。「カーリング対決で負けたことだけは、悔やまれるけど」

 

 俺はダブルスコアになった点差を思い出してうなだれた。

「あの二人、おそろしいほど息がぴったりだった」


「ね。幼馴染みの絆の強さを見せつけられた」高瀬は羨ましそうにそうつぶやくと、見て見てと言って前方を指さした。気恥ずかしさからか二人は距離こそとっているものの、いつになく会話が弾んでいるのは雰囲気からわかった。「なんだかすごく良いムードじゃない?」


「このぶんだと、あのラブレター・・・・・の出番はなさそうだな」

「せっかく私たちが一生懸命、アドバイスを送って完成したラブレターなのに」

 

 高瀬はほとんど寝ていたくせに、と俺は小声で言った。

「ん? なにか言った?」


「なにも」と言って俺は高瀬の方を向き、笑ってごまかした。

 

 その時・・・だった。その時何かが俺の意識を捉えた。何かがおかしい、と俺は思った。何かあり得ないことが起きている、と思った。


 いったい何が起こっているのか、俺はすぐに把握した。顔から笑みが引いていくのがわかった。俺の意識を捉えていたのは、一台の車だった。そして違和感はその車が生み出していた。


 視界の端に映ったそのセダンは夜だというのに、ヘッドライトが点いていなかったのだ。いや、それ以上におかしいのは――あり得ないのは――速度だ。セダンは住宅街の狭い道をまるで一般道を走るような速度で走っている。走って、こちらへ近づいてくる。


 車だからもちろん無表情な鉄の塊に過ぎないのだが、その姿はどことなく憎しみに駆られた生き物のようにも見えた。北向だ、と俺は直感的に思った。あの男は太陽への復讐をまだ諦めていなかったのだ。懲りずに俺たちの後を車でつけていたのだ。


「高瀬、危ない!」俺は咄嗟に彼女の手を引き、道路の端に逃げた。


 轟音を残し走り抜けるセダン。揺れる空気。運転席には、やはり北向が座っていた。彼は俺と高瀬のことなど元から眼中になかったらしく、ハンドルをきることなく20メートル先へ――太陽目がけて――車を直進させた。


「太陽!」と俺は喉が壊れるほどありったけの力を込めて叫んだ。「逃げろっ!」

 

 高瀬も状況を呑み込み、隣で叫んだ。「葉山君! 後ろに気づいて!」

 

 セダンは速度を落とすどころかむしろ上げて、太陽に向かっていく。当然その距離はあっという間に縮まっていく。俺たちの声はエンジン音にかき消されたらしく、太陽は振り返りすらしない。ああ、もうだめだ、と俺は覚悟した。太陽が死ぬ、と。


 そこで思いも寄らないことが起きた。


 日比野さんが後ろを振り返ったのだ。殺意を持って迫りくるセダンを見たその顔には、驚き、怒り、疑問、焦り、そして諦めのようなものが次々浮かんでは消えた。


 それから彼女はほんの一瞬、俺の目を見た。まるで「後のことはお願いします神沢さん」とでもいう風に。


 そして太陽の元へ近寄ると、その体を思いきり両手で突き飛ばした。突き飛ばされた太陽は道路の端へ転がり、日比野さんだけがその場に残った。そしてセダンはそこへ突入した。

 

 日比野さんの体はボンネットに乗り上げ、セダンの屋根を越え、頭から地面に強く叩きつけられる。

 

 雪が真っ赤な血で染まっていく。

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