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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・冬〈決断〉と〈親子〉の物語
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第76話 この恋をしてよかったと心から思える 3


 尾行の末に加藤さんの言わば“最高機密”を知ってしまった日の二日後、俺はいつものように居酒屋“握り拳”でのアルバイトに勤しんでいた。


 とはいっても朝から降り続けていた雪が夕方から吹雪に変わったせいもあって客の出足は鈍く、仕事と呼べるような立派なものはほとんど無いに等しかった。唯は今ごろ今日のママ当番である柏木と、暖かい家の中でままごとでもしていることだろう。

 

 ただひとりいた常連客も帰っていよいよ開店休業状態になった午後九時過ぎ、高校の後輩でもありバイトの後輩でもある藤堂アリスが「ねぇ」と声をかけてきた。

あのこと・・・・、怒ってる?」

 

 俺はおしぼり作りを中断した。「なんだよ、あのことって?」


「ほら、このあいだ私、あんたが止めるのを聞かないで“未来の君”の秘密を柏木晴香に話しちゃったでしょ? 『未来の君は幸せではなく不幸を招く存在』だって。そのことで怒ってるんじゃないかと思って」

「そんな風に見えたか?」


「だってなんだか、ムスッとしてるから」

「元々こういう顔なんだよ」と言って俺はぎこちなく笑った。「心配すんな。怒ってなんかないよ。どうせ遅かれ早かれいつかは柏木に本当のことを伝えなきゃいけなかったんだ。それにおまえの言った通り、いつまでも隠しておくのは、結果的にあいつのためにならなかっただろうからな。あの時はどうなることかと思ったけど、柏木のことを考えたらこれでよかったんだよ、きっと」

 

 そう、とにべもなく言って、アリスはおしぼり作りを手伝い始めた。


「それはそうと、すまんかったな」と俺はその夜のことを思い出して詫びた。「何の説明もなく突然子守を頼んじまって。唯の面倒をみるの、大変だっただろ?」


「べつに」アリスは謙遜するでもない。「だいたいあの子、どうしてかはわからないけど、私にあまり近寄りたがらなかったの。あんたが柏木晴香の後を追って外に出て、私とふたりきりになった後、そっぽを向いてそのまま布団に戻っちゃった」

 

 無意識に俺はアリスの金色の髪を見ていた。幼い唯にしてみれば、彼女はさながら、自分を食べに来た恐るべき山姥やまんばか何かに見えたのかもしれない。

 

 金髪女は言った。「しっかし、あんたもまぁよく次から次へとおかしなことに巻き込まれるわね。あの子、自分は20年後から来たあんたの娘だって言い張ってるそうじゃない? あはは。さすがに同情するわ。今にあんたの祖先も石斧かついで会いに来たりしてね」

 

 あながち笑い話でもなさそうだから、アリスのようには笑えない。


「あの子の正体、わからないの?」と彼女は聞いてきた。

「今のところはな」と俺は答えた。

 

 するとアリスは、おしぼりを持ったまま記憶をたどるように目を細めた。そしてほどなくして、思いがけぬことを口にした。

「私、あの子の顔、どこか・・・で見たことがあるような気がするのよね……」


「えっ!?」声が裏返る。「それは本当か?」

 

 彼女はうなずいた。

「私とふたりきりになったあとで、ほんの一瞬だけどあの子、まるであらゆる感情を喪失したようなからっぽの表情をしたの。その時私、『前にもどこかで同じ表情を見たことがある』って思ったの。あの子と会うのは初めてだったはずなのに。そんな子どもっぽくない顔をする子ってそうそういないじゃない? だから人違いじゃないと思うんだけど……」

 

 俺はクリスマスイブに月島から聞いた話を思い出していた。唯の表情については、彼女もつぶさに指摘していた。〈生まれてからずっと誰にも頼らずひとりで過ごしてきたかのような顔〉というのが月島流のたとえ方だった。表現の違いはあれども、おそらくふたりが言いたいのは、同じ事だ。


「なぁ」と俺は真剣な声で呼びかけた。「いつどこで唯を見たのか、なんとかして思い出せないかな?」

 

 アリスは小さく唸って耳の上あたりを指で突いた。「このあたりまで出てきてるんだけど……」

 

 ああっクソ、と彼女が髪をかき乱したところで、カウンターの脇にある店の電話が鳴った。近くで退屈そうに競馬新聞を読んでいたマスターが受話器をとった。すると彼はどういうわけかこちらを見やって、それから俺の名を呼んだ。


「おい悠介。おまえさんに用だってよ。口ぶりからすると、えらい急ぎみたいだぞ」  

 

 俺は胸騒ぎを覚えた。おしぼりをアリスに預けると、小走りでマスターの元に駆け寄り、受話器を受け取る。耳に飛び込んできたのは、柏木のうろたえた声だった。


「ごめん悠介、スマホに何回かけても出ないからお店にかけちゃった。迷惑じゃなかった?」 

 

 大丈夫だ、と俺は答えた。「それよりどうした、何があった?」


「あのね」と柏木は息を整えて言った。「唯が急に、熱を出したの」


「え」

 俺は家を出る時の唯を思い返した。玄関まで見送りに来て、行ってらっしゃいのチョップをかましてくるだけの元気はあった。それからまだ四時間しか経っていない。「ついさっきまであんなにピンピンしてたのに。どうして熱なんか」


「原因はわからないけど、とにかく二時間くらい前からみるみる具合が悪くなっていって、今体温を測ってみたら、39℃もあるの。どうしよう、命にかかわる病気だったら……。どうしよう、このままじゃマズいよ……」


「落ち着け柏木」と俺は落ち着かない声で言った。「今の唯の様子は?」


「布団で横になってはいるけど、息苦しいみたいでぜぇぜぇ言ってる。アイスも食べないし水も飲まない。苦しいから食べられないし飲めないんだよ。こんなちっちゃいのに、かわいそうに……」柏木は電話の向こうで、大丈夫だからね、と唯に声をかけた。今にも泣き出しそうな声だ。「ねぇ悠介。仕事中悪いんだけど、今から帰ってこられないかな? あたし、ひとりじゃもう、どうしていいかわかんない!」

 

 俺は電話であることを忘れて何度もうなずいた。

「わかった。今すぐ帰るから、それまでなんとか持ちこたえてくれ」


 窓の外の猛烈な吹雪が目に入って、無意識に舌打ちしている。

 唯の正体がなんであれ、あの子が大事な存在になっていることに、そこで初めて気がつく。

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