第75話 にじをもういちどかけてくれました 4
地方都市の宿命だろうけれど、元日から営業している店はそれほど多くない。
できれば静かな場所で話したかったが、どこも開いていないのでやむなく俺たちは近くのショッピングモールへ移動し、その中のフードコートでこれまでの情報を共有することにした。
先月から何者かによって高瀬に対する嫌がらせが始まったこと。
高瀬家と葉山家が寿司屋で偶然会って一緒に食事をした日からすべてが始まったこと。
どうやらその犯人は高瀬が太陽の正式な恋人だと勘違いしているらしいこと。
したがってその犯人は太陽に想いを寄せる女だと思われること。
数日前に「ユルサナイ」と書かれた紙が高瀬の家のポストに投函されていたこと。
俺がそれらのことを話し終えると、高瀬はがくんと肩を落とした。
「年も変わったしきっと大丈夫だと油断していた私が甘かった……。みんな、ごめんね。せっかく初詣を終えたばっかりで清々しい気分だったはずなのに、こんなことで台無しにしちゃって」
「高瀬さんが謝ることはないですよ」と日比野さんがすかさず慰めた。
「そうそう」と柏木も続く。「優里は何も悪くないんだから。悪いのはその犯人だよ」
「そういえば」と高瀬は照れて言った。「晴香、さっきは守ってくれて、ありがとうね。足をくじいたみたいだけど、大丈夫?」
「平気平気!」柏木はたくましく笑って手を振った。「聞かれるまで忘れてたくらい。この程度なら、寝て起きたら朝には治ってるから、気にしないで」
日比野さんは言った。
「ところで高瀬さん。嫌がらせのこと、警察には相談したんですか?」
高瀬はうなずいたものの、同時に唇を噛んでいた。
「一応してはみたんだけど、警察の人が言うには『こういう事案は犯人が誰なのかある程度特定できないことには、こちらとしても動きようがない』らしくて。結局、パトロールは強化しますから、もう少し様子を見てみてくださいって言われて帰されたの」
「のんきに様子を見ていたら石段を降りている最中に襲われたんですが」柏木は皮肉っぽくつぶやく。「まぁ、神社の石段までパトロールはできないか」
ここ何日か嫌がらせがぱったりやんだのは、もしかすると高瀬が警察に駆け込んだことすらも犯人は把握していたからかもな、と俺は思った。
「とにかく、まずは犯人を特定しないことには、話にならんっていうわけだな」
「そういうことのようですね」と日比野さんは言った。
「ねぇ葉山君」と高瀬は言った。「さっき神沢君が説明した通り、たぶん犯人は私が葉山君にとって親公認の“本命の女の子”だと誤解しているんだと思うの。だってお寿司屋さんで私たちがたまたま会った日からいろんなことが始まったわけで。
そういう誤解をしそうな子に――そしてこういう攻撃的なことをしそうな子に――誰か心当たりはないかな?」
柏木が続いた。「どうせ取り柄は顔だけのアンタのことだから、乙女心を踏みにじるようなひどいフリ方をしたんでしょ?」
「してねぇよ!」と太陽は強く否定した。取り柄は顔だけってどういうことだ、とひとしきりぶつくさ言う。「高瀬さんには申し訳ないけど、ちょっとオレにも思いつかないんだよな。ここ最近は告白してきても『付き合っている人がいるから』って答えると、すんなり諦めてくれる子ばかりだし……」
高瀬に強い敵意を向ける人物はいったい誰なのか。
俺たちはしばし意見を出し合ってその特定に努めた。しかしながらそれらしい名前は一向に浮上してこなかった。意見が尽きると重い空気がただよった。するとほどなくして、それまでストロベリーパフェを食べながら黙って俺たちの話を聞いていた唯が、ぽそっと口を開いた。
「犯人って、タイヨーのカノジョのカトーサンなんじゃないかな?」
パフェグラスの底にある白玉をすくおうと、唯が懸命にスプーンでほじくる「かちゃっかちゃっ」という音がしばらく場を支配した。
やがて日比野さんと唯をのぞく四人は――二年近く加藤さんと同じ教室で過ごしている四人は――顔を見合わせた。誰の顔にも「まさか」と書いてある。実際、「まさか」と高瀬が言った。
「あのね、唯ちゃん。加藤さんは私たちのクラスでみんなにこう呼ばれているの。『いい人と評判の加藤さん』って。まさかそんな人が、こんなひどいことをする犯人なわけないでしょう?」
「わけないでしょう?」と柏木も続いた。「だって加藤さんって、オレオレ詐欺だと気づかずお金を振り込もうとしているおばあちゃんに声をかけて被害を防いだだけじゃなく、電話の向こうの詐欺師を説得して改心までさせたっていう伝説があるほどの“スーパーいい人”なんだよ? その加藤さんがまさか……ねぇ?」
俺たちはうなずいた。いい人エピソードを集めたら本の一冊くらい難なくできあがりそうなのが、加藤さんという人だった。実を言えば俺も高瀬から最初に相談を受けた時は、太陽の本当の恋人――つまり加藤さんが犯人なんじゃないかと疑ったわけだけど、彼女の聖人ばりの人となりを思い出し、即座にその可能性を打ち消したのだった。
「なぁ唯」と俺は言った。「なんで唯は、加藤さんが犯人だと思うんだ?」
唯はいちごソースのたっぷりかかった白玉をおいしそうに頬張った。
「別に理由なんかないよ。なんとなくそう思ったから言ってみただけ」
そこではっとして眼鏡をかけ直したのは、日比野さんだ。
「唯ちゃんの勘はあながち外れていないかも、です! みなさんは加藤さんと同じクラスで日頃から良い評判を聞いているせいで、彼女はそんなことをするはずがないってバイアスがかかっちゃっているんですよ。ここは一度、その先入観を取り払って、客観的に考えてみましょう!」
「みましょう!」と唯は手をあげて言った。
日比野さんは言った。
「陽ちゃんと高瀬さんが家族ぐるみで食事をとったと知って、いちばん心中が穏やかじゃなさそうなのは誰です? そして高瀬さんに嫉妬しそうなのは? そう、陽ちゃんと実際に付き合っている加藤さんです。彼女なら、高瀬さんが陽ちゃんの本命なんじゃないかと疑心暗鬼になって、『ユルサナイ』ほど強い敵意を抱いたとしても、おかしくありません。今のところ、いちばん怪しいのは加藤さんです」
「加藤さんが犯人……」高瀬は小さくつぶやく。「なんだか信じられないな。加藤さん、いったいどうしちゃったんだろう。私のよく知る加藤さんとはこれじゃあまるで別人じゃない。それとも最近、何か人が変わるような出来事でもあったのかな――」
高瀬はそこで口に手を当て、あ、と言った。
「あ」と柏木も言った。
「あ」と俺も言った。
「あぁ……」と太陽は頭を抱えて言った。
俺たち四人は――とりわけ太陽は――その出来事に心当たりがあった。
「みなさん、突然どうしたんです?」
「あのね実はね――」柏木は、バラさないでくれという太陽の訴えを退け、例の件を日比野さんに打ち明けた。俺は念のため唯の耳を両手でふさいだ。
いくら忍耐強い日比野さんといえども、「加藤さんは妊娠しているらしいのだ」と聞けばさすがに幼馴染みに愛想を尽かすだろうと思っていたが、返ってきた反応は意外なものだった。
「あり得ません!」と日比野さんはきっぱり言いきった。「妊娠なんて、何かの間違いです! もし仮に妊娠していたとしても、父親は陽ちゃんではありません。柏木さんの言うとおり、たしかにこの人は顔くらいしか取り柄がないかもしれませんけどね、幼稚園の頃から一緒の幼馴染みとしてこれだけは自信を持って言えます。陽ちゃんは女の子を無責任に妊娠させたりするようなダメな男じゃありません!」
うなだれていた太陽は顔を上げた。「まひる、オレの潔白を信じてくれんのか?」
日比野さんは力強くうなずいた。「やましいことはしてないんでしょう?」
そういう雰囲気にはなったが、酔い潰れてよく覚えていない、と太陽は正直に答えた。
「そんなところだろうと思った」と日比野さんは呆れて言った。「こうなると、加藤さん、ますます怪しいですね。高瀬さんのことといい、妊娠のことといい、何が狙いなのかはわかりませんが、とにかく、彼女のまわりを調査する必要がありそうです!」
「ありそうです!」と唯は俺の手を払いのけて高らかに言った。「よし、待ってろ、カトーサン! 唯の大事なゆうりママをいじめたり、ダチのタイヨーを困らせたりするなんて、こっちがユルサナイぞ。唯たちがチョーサに行くから覚悟しろ! ハンゲキ開始だ!」
口元にべったりパフェのソースをつけた少女が、どうやら調査隊のリーダーを務めるらしい。




