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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第一学年・春〈出会い〉と〈宝探し〉の物語
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第7話 あなたがマントを差し出すならば 3


 体のあちこちから寄せられる痛みの訴えを退けながら、俺は月明かりだけを頼りに立ち上がった。そして朦朧もうろうとする頭で現状の把握に努めた。

 

 どれくらい転がり落ちただろうか?

 

 相当長いあいだ堪え忍んでいたように思うけれど、実際の距離としては50メートルといったところか。なんだか自分がツバメになっていた夢を見ていたような気もするが今はそれどころじゃない。


 不幸中の幸いだったのは、崖が直角ではなく、勾配が急ではあれども斜面だったことだ。おかげで衝撃がたびたび地面に吸収され、今はこうしてきちんと痛み(・・)を感じることができている。それはつまり、俺が生きていることの証明である。

 

 ヨーロッパのどこかの国には、坂の上からチーズを転がし、それを追いかけるというへんてこな祭りがあるらしい。そのへんてこなことをチーズではなく、俺は一人の女の子を追いかけてやってしまった。

 

 崖の上にいるはずの太陽、柏木、末永の姿はもちろん、彼らの声も確認することはできない。どうやら本隊とは完全に分断してしまったと考えた方がいいだろう。


 ポケットをまさぐると、俺はため息を漏らした。スマホがない。どうやら斜面を転がり落ちるあいだにどこかに落ちたらしい。でも不服は言っていられない。命があっただけ、まだマシだ。

 

 それになにより、第一の関心事は、高瀬の安否である。

 

 周囲を照らそうにも懐中電灯は崖の上に置きっ放しになったままだ。仕方がないので、手探りで高瀬の捜索を開始する。元は同じ場所から落ちてきたのだ。そう遠くには行っていないはずだ。


「高瀬! いるか!? いるなら、返事をしてくれ!」

 大声での呼びかけにも、返答はない。

 

 最悪の可能性が頭をよぎる。

 

 だいたいが、こうして俺のように骨の一本も折れずに立ち上がって歩けること自体、おそらくは奇跡みたいなことなのだ。打ち所が悪ければあるいは……。


「いかんいかん」

 頭を大きく振り、そんなどうしようもない考えをふるい落とす。

「高瀬! 俺だ! 神沢だ! もし声が出せないのなら、木を叩くか揺すったりして音を出してくれないか!?」

 

 耳を澄ますも、聞こえてくるのは、虫の鳴き声だけだ。


「くそっ!」

 俺は焦りと苛立ちから、足下にあった石を蹴り飛ばす。思った以上にそれは大きく、つま先に激痛が走り、その場に倒れ込んでしまった。

 

 足をさすりながら、俺はいったい何をやっているのか、と自問する。

 

 高校一年の春に林間学校で来た隣町の山で、大航海時代のスペイン帝国の秘宝を求めて捜索するうちに、急斜面を転がり落ち、石に八つ当たりして足を痛める始末。

 全然だめである。

 

「いや、そんなことよりもとにかく高瀬だ」

 自分を奮い立たせるようそう言って、立ち上がる。足の痛みも引いてきたので、俺は捜索のエリアを広げてみることにした。


 思い返せば高瀬はダウンジャケットを末永に差し出したままなのだ。早く見つけ出さなければ、凍え死んでしまうかもしれない。

 

 懐中電灯がない中でもようやく目が闇に慣れてきた。俺は今いる場所から扇を広げるように少しずつ捜索範囲を広げていった。


 人のうめき声のようなものが聞こえたのは、そうして10分ほど経った時だった。


「高瀬なのか!?」俺はあたりを見渡す。「もう大丈夫だ! いるなら返事をしてくれ!」


「か、かんざわくん?」

 

 俺は目を見開く。そして声のした方へと向かう。


 高瀬はうつろな表情で大きな木の幹の根元に横たわっていた。彼女は俺を視界に捉えると、まるで幽霊でも見ているような顔をした。

「どういうこと?」

 

 俺の最初の呼び掛けにも応じることができず、今自分が置かれた状況をわかっていないことを考えると、どうやら彼女は今の今まで気を失っていたらしい。

 

 なにはともあれ、高瀬は無事だった(・・・・・・・・)。俺が“未来の君”だと思っている女の子は死ななかった。それどころか出血や骨が折れている様子は見られない。

 

 俺は込み上げてくる安堵感で胸がはち切れそうになる。うれしくて高瀬に抱きついてしまいそうだ。でももちろんそんなことはできないから自分の胸に手をあてた。


「そっか……私、崖から落ちて……いたたたた……」

 状況を理解したと同時に、痛覚も目を覚ましたようだ。高瀬は体をよじって痛みと闘う。


「大丈夫か?」


「うん」と気丈に返した高瀬ではあるけれど、今度は冷たい風が彼女を襲った。「はくしょん」

 

 無理もない。もはや冬と言ったって過言ではない寒空の下、着ているのは学校指定のジャージだけなのだ。俺はすぐに自分のコートを脱ぎ、それを高瀬に後ろからそっと掛けた。男物だからぶかぶかで、細身の高瀬が羽織るとなんだか、丹前(たんぜん)みたいだった。


「だめだよ。神沢君だって、寒いでしょ?」

 

 そう言いつつも、とても暖かそうにコートに身を委ねる高瀬が可愛らしく見えた俺は、意識的に少し声のトーンを高めてこう言った。

「平気平気。むしろ暑過ぎたくらいだから、今はちょっと気持ちいいくらいだ」


 暑すぎた? と言いたげに彼女は首をかしげた。そしてはっとした。

「あーっ! 神沢君、今、私の真似したでしょう?」

 

「気づくの遅いよ」

 俺が声を上げて笑うと、高瀬も恥ずかしがりながら朗笑した。

 

 そこで今日一番の冷たい風が吹いた。コートがないのは、正直言えば、かなり厳しい。


 俺は言った。

「ここは風が吹きさらしだ。救助を待つにしてももうちょっとまともなところがあるはずだ。歩いて探してみよう。立てるか?」

 

 高瀬はこくんとうなずいて身を起こそうとするが、途端にその顔は歪んでしまった。

「たぶん、足を捻挫(ねんざ)してると思う。歩けそうにはないかな」


 歩けそうにはないってか、と俺は頭で繰り返していた。


 この状況下で男が歩けて女が歩けないとなると、とりうる合理的な選択肢など、人類が二足歩行で歩き始めた太古の昔よりそう多くはない。


 俺は高瀬に背中を向けて屈み、身を預けるよう促した。「さぁ」

「おんぶしてもらうしかないよね。失礼します」


 高瀬が足をかばいながら、俺の背中に体を寄せる。肩には羽みたいに軽い両手が添えられ、首筋には愛くるしい吐息が当たり、彼女の放つ優しくどこかスマートな香りが鼻腔を刺激する。

 

 そして左右の肩胛骨(けんこうこつ)の少し内側辺りには、一対の何か(・・・・・)が押しつけられている。女の子をおんぶして背中に当たるものなど、世の中に一つしかない。


「太陽。今ならおまえの気持ち、少しはわかるかもしれん……」

 俺は二度と会えるかわからない胸フェチの友を思って心でそうつぶやいた。


「どうしたの、神沢君?」

「あ、いや、なんでもない。よし、行こうか」

 

 不謹慎かもしれないけれど、この状況に少しだけ心が躍っているのは、否定できない事実だ。

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