第73話 それとも次に来るのは13月なのだろうか? 2
「自分の娘が20年後からタイムマシンに乗って会いに来た。キミは本当にそれを信じるっていうのか!?」月島はカップを手に持ったまま固まる。「いったいどうしちゃったんだ神沢。キミらしくもない」
「まず、絶対にないとは言い切れないだろ?」と俺は言葉を選んで答えた。「20年後の世界がどうなっているかなんて今の俺たちにはわからない。なんせ明日どうなっているのかさえ俺たちにはわからないんだから。明日どこかの好奇心旺盛な少年が新しい惑星を発見してもおかしくないように、20年後にはタイムマシンが完成していたとしてもおかしくはない」
月島は白い目で見てくる。「それ、本気で言ってる?」
「言っておくが、俺だってあの子の話を完全に信じたわけじゃないぞ」と俺は弁解するように言った。「どっかから家出してきたんじゃないかっていう疑いは常に持っている。ただ、ユイがうちに来て今日で三日目になるわけだけど、ホームシックになっているようには見えないし、身元が明らかになるような情報を――たとえば実際の名字や家族のことを――うっかり口走ることもないんだ。
ニュースを見てみてもどこかで小さい子が行方不明になったって話は聞かないし、警官がやたら近所をうろうろしてるってこともない。となれば……なぁ?」
理解を示してくれたのは、高瀬だ。
「たしかにもし家出なら、7歳の子が三日も家からいなくなっているわけだから、いくらなんでも親は黙ってないよね」
「だよな!」俺は身を乗り出す。「それに、たとえ何らかの事情で家出しなきゃいけなくなったとして――何らかの事情で俺に世話になることを決めたとして――『自分は20年後からやってきた娘だ』と嘘をついて家に置いてもらおうなんて大それたことを、7歳そこらの子が思いつくもんだろうか?
で、仮にそれを思いついて実行に移したとしても、三日間ものあいだいっさいボロを出さずにいられるもんだろうか? そんな風に考えていくと――自分でもおかしいことを言ってるのは百も承知だが――本当に未来から来たんじゃないかって思えてくるんだよ」
空いたカップを下げに来た女の店員が、俺とだけは目を合わせなかった。けっこうけっこう、と俺は開き直った。開き直らなきゃやってられなかった。店員が立ち去ると柏木が口を開いた。
「悠介がユイちゃんに対してやけにつかみどころがないって感じるのも、未来から来たんだとすると、ちょっと納得だよね」
月島は首をかしげる。「と言いますと?」
「ほら、あたしたちも小さい時からよく大人の人に言われなかった? 『今の子は何を考えてるのかよくわからん!』みたいなこと。それとなんとなく似てるなぁと思って。時代が変われば子どもだって変わるでしょ? ユイちゃんが20年後の未来を生きてる子なら、悠介がつかみどころがないって感じても当然じゃない?」
「なるほど」と俺は妙に腑に落ちてつぶやいた。なるほど。それで言うなら、柏木も未来人なのかもしれない。
高瀬は時計に目をやった。針は三時をさしていた。
「ちなみに今、ユイちゃんは神沢君のおうちで何してるの?」
「ぐっすり昼寝してるよ」と俺は姫様の寝顔を思い出して答えた。「なんでも時間旅行の時差ボケのせいでちょうど今くらいになると眠くなるんだと。まったく、そういう細かいところまでしっかり“時の旅人”なんだよ。もう、笑うしかない」
月島は笑わず顔を近づけてきた。
「総合すると、神沢は今、『ユイちゃん時の旅人説』を7、8割信じちゃっているってことでOK?」
「6、7割かな」と俺はやや下方修正して認めた。
「そんなに」と高瀬はつぶやいた。そしてミルクティーを飲みながらひとしきり考えた。「ねぇ神沢君。神沢君がこの話をそこまで信じるなんて、本当は他にもっと大きな理由
が、何かあるんじゃないの?」
高瀬のその推察は実に鋭かった。彼女は俺の性格をよくわかっていた。俺だって本来なら信憑性がゼロに等しいこんな話を、一人暮らししていることを言い当てられたり同じアレルギーを持っていたりするだけで、ここまで信じたりはしなかった。
本人に通告したとおり、ココアを飲み終わったら、有無を言わせずユイを家から追い出していただろう。
彼女の口から、あの言葉が、飛び出しさえしなければ。
* * *
「タイムマシンに乗って20年後からやってきた――」俺は皮肉混じりに、なるほどねぇ、と言った。「20年後なら俺は37歳だ。たしかに7歳の娘がいてもおかしくはない歳だな。つまり俺が30歳の時にできた子ってわけか。辻褄も合ってるし二桁の計算も合ってる。思いつきでこしらえた作り話にしては、なかなかよくできてるよ。褒めてやろう。たいした想像力だ。おまえは将来、SF作家でも目指すといいよ」
「おまえじゃない、ユイ!」と自称未来人は憤った。「もう、何度言ったらわかるの。『おまえ』はやめて。それに、ユイの話をどうして信じてくれないの。若い頃のパパがこんなにわからず屋だとは思わなかった!」
「期待外れみたいで悪かったな。あいにく俺はこういう性分なんだ。気にくわないなら今すぐ未来に帰れ。どうやったら帰りのタイムマシンが来るんだ? 電話をかけりゃいいのか? タクシーを呼ぶ時みたいに」
「なんか、すっごく意地悪」と彼女は頬を膨らませて言った。「よく聞いてよ、パパ。だいたいね、ユイに時間旅行を勧めたのは、学校の先生でもお友達でもないんだよ。未来のパパなんだよ?」
「かわいい子には時間旅行をさせよ、ってか」くだらない、と笑い飛ばして俺は、散らかっていたテーブルを片付け始めた。
「パパ、言ってた。高校生の頃のパパは、将来どうすればいいかわからなくてすごく悩んでいるはずだから、ユイが行って助けてあげてほしいって」
一瞬手が止まったものの、俺はすぐに片付けを再開した。
「そう簡単には騙されないぞ。俺たち高校生くらいの若者はな、誰だって多かれ少なかれ将来の不安を抱えてるんだ。20年後の高校生はどうかわからんが、あいにく現代の高校生はそうなんだ。別に俺だけが特別ってわけじゃない」
「でも誰だって未来の君のことで悩んでるわけじゃないでしょう?」
俺の手は今度は完全に止まった。「――おまえ今、なんて言った?」
「おまえじゃない、ユイ!」
「ああ……すまん」
「“未来の君”」と目の前の少女はたしかにそう繰り返した。「パパはそのことで今すごく悩んでるんだよね?」
すごくどころかものすごく悩んでいた。
“未来の君”はあなたに幸せをもたらす存在。占い師にそう聞かされていたのに、こないだの秋にそれが完全にひっくり返ったのだ。それで悩まないわけがなかった。
「なんでおまえ――ユイは、それを知ってるんだよ?」
「だーかーら、20年後のパパから聞いたんだって」
「ええと――」俺はテーブルの片付けをやめて頭の中の片付けに着手した。「つまり、『高校生の頃の俺は“未来の君”のことですごく悩んでいる。だからユイが会いに行って、助けてやってくれ』。20年後の俺が、そう言ったっていうのか?」
ユイは一度大きくうなずいた。そして悠然とココアを飲み干した。
「“未来の君”のことで、ユイは20年後のパパからこの時代のパパへ伝言を預かってる。とっても大事なメッセージ。どう? 聞きたくない?」
俺は心の声に素直に従うことにした。「聞きたいね」
「どうしよっかなぁ」とユイはもったいぶって言って、ソファにふんぞり返った。「教える気分じゃなくなっちゃったなぁ。だってこの時代のパパは、ユイの話をちっとも信じてくれないし、しまいには『帰れ』とまで言うんだもん。ねぇパパ。今のパパみたいなのを、ムシが良すぎるって言うんじゃないかな?」
憎たらしいやら腹立たしいやらで、俺のこめかみはぴくぴく震えた。いや、一本取られて悔しいのかもしれない。
いずれにせよ、“未来の君”という言葉が彼女の口から飛び出したことで、風向きが大きく変わったのはたしかだった。なんだか急に目の前の少女が自分の血を分けた娘に思えてくるから、不思議だ。
「なぁユイ」と俺は声をかけた。「ところで、ユイって、どういう字を書くんだ?」
彼女は右手の人差し指で空中に字を書いた。それは「唯」という字だった。神沢唯。なくはないな、と俺は思った。なかなか良い名前だ。なんというか、無難だ。二十画以上の難読漢字を三つか四つ並べて「これでユイって読むんだよ」と言われたら、頭を抱えるところだった。
「唯」と俺はあらためて名を呼んだ。「ココアのおかわりはいらないか? 小腹が空いたなら、ナポリタンくらいなら作ってやれるぞ」
「うわぁ」唯は露骨に顔をしかめる。「それ、ゴマすりってやつだよね。サイテー」
調子に乗りやがってクソガキ、と俺は小さくつぶやいた。
「ん? 今なんか言った?」
「いいや、なにも」
「だよね。クソガキ、なんて言えないよね。“未来の君”のことがあるもんね」
足下を見やがってクソガキ、と俺は今度は心で言った。
唯はすっかり上から目線になって、俺の顔をまじまじと見てきた。
「そっか、そんなに聞きたいんだ、20年後の自分からの伝言。それじゃあパパ。冬休みのあいだ、唯を娘としてこの家に置いてくれたなら、最後の日に教えてあげる。そういうのはどう?」
「冬休みのあいだ――」
ほぼ一ヶ月弱をこの小生意気な童と一緒に過ごさなければいけないと考えると、憂鬱を通り越して戦慄を覚えた。それにしてもこうして駆け引きじみたことをしてくるあたり、すっかり一丁前の女だ。まったく誰に似たんだ、と思ったところで、俺ははっとした。親は一人ではない。二人いる。
「なぁ唯。あのな、参考までに聞くんだけどな、お母さんはいないのか?」
「いるよ、もちろん」
「どんな人だ?」
「教えられない」
「お母さんの名前は?」
「教えられない」
「そこをなんとか。最初の一文字だけでもいいからさ。『ゆ』か? 『は』か? 『す』か? それともまさか『ア』か?」
「教えられないったら教えられないの!」と唯は諭すように言った。「あのねパパ。未来のことをこの時代の人に話すことはできないの。だってそんなことしたら、未来が変わっちゃうかもしれないでしょ? もしかしたら唯が生まれてこられなくなるかもしれない。だから教えられない。これは時間旅行をする上で絶対に守らなきゃいけないルールなの」
「徹底してますこと」と言って俺は、あることに気がついた。「あれ? ちょっと待てよ。それなら、20年後の俺が今の俺に宛てた伝言だって、ルールで話せないってことになるだろ」
「そ、それは……」
唯は大きな目をわずかに泳がせたが、すぐに、大丈夫、と胸を張った。
「20年後のパパは今のパパよりずっとずっと頭が良いから、そういうところはしっかりしてる。きちんと未来が変わらないような伝言になってるの」
「本当かよ」
“未来の君”に関する伝言が未来に影響を及ぼさないとは到底思えなかったが、とりあえず俺は、20年後の自分を信じることにした。
「話が逸れちゃったけど、結局パパはどうするの?」唯はソファで再びふんぞり返る。「伝言を教えてあげる代わりに唯を冬休みのあいだこの家に置いてくれる? それとも今すぐ追い出す?」
俺はぼんやり窓の外を眺めた。冬至が近いせいもあって、いつしかあたりは薄暗くなっていた。もうじき街は夜の闇に呑まれるだろう。抜け目ないな、と俺は唯を見て思った。そう簡単には追い出せないことがわかっていて、この娘は俺に選択を迫っているのだ。
* * *
「ねぇ神沢君。神沢君がこの話をそこまで信じるなんて、本当は他にもっと大きな理由が、何かあるんじゃないの?」
「唯の口から“未来の君”という言葉が飛び出したんだ」というのが高瀬の質問に対するしかるべき答えだったが、俺は正直にそれを打ち明ける気にはなれなかった。
“未来の君”が絡むと確実に話がややこしくなる。なにしろ高瀬と柏木は依然として不仲のままなのだ。こうして同じ卓を囲んでいてもいっさい目を合わせないのだ。ただでさえ正体不明の娘のことで手一杯だというのに、これ以上面倒を増やしたくはない。
「神沢君、聞いてる?」
「ああ……」
どう話を誤魔化そうか悩んでいると、店内のBGMが聞き覚えのある曲に変わった。それは太陽がドラマーを務めるアマチュアバンド「north horizon」の代表曲だった。渡りに船だった。
「そういえば、このところ全国的に有名になってきてるんだろ、ノーホラ」
「そうそう」さっそく柏木が食いついた。「なんかね、有名なミュージシャンがラジオでノーホラのことを褒めちぎったのがきっかけで、注目されるようになったんだって。このまま順調にいけば、メジャーデビューもあるんじゃないかって話。あのバカ葉山、普段はおちゃらけてるけど、ドラムに関しては本気だもんね」
「メジャーデビューか……」音楽事情には疎い俺にはなんのこっちゃよくわからんが、とにかくすごいということだけはわかった。
「それにひきかえキミと来たら」月島は呆れ顔で見てくる。「パパデビューだっていうんだから、世話ないよ。おめでとう、新米パパ!」
「はいはい、どうも」
俺が相も変わらずわけのわからんゴタゴタに巻き込まれているあいだにも太陽、おまえは着実にプロのドラマーになるという夢に近づいているんだな。そう思うと悪友が頼もしくもあり羨ましくもあった。なにはともあれ、今この場においては、話を逸らすことに成功したようだ。
「とにかく」と俺は気を取り直して言った。「唯の正体が家出娘だろうが未来人だろうが地底人だろうが、今うちには7歳そこらの小生意気な娘がいて、冬休みのあいだずっと俺がそいつの面倒を見なきゃいけないってことに変わりはないんだ。
そもそも俺は子どもの扱い方なんかまるで心得ていないし、女の子だから、風呂やら着替えやら、俺ひとりじゃ何かと不都合なことも多い。食べ物の好き嫌いも少なくないから何日か後にはレパートリーも尽きるだろう。そしてこれがいちばんの問題なんだが――」
そこで俺はスケジュール帳をテーブルの上に出し、三人に見せた。12月から1月にかけてのバイトの予定が書き込んである。
「居酒屋は年末年始がまさに書き入れ時だから、見てわかるようにガッツリ仕事が入ってるんだよ。マスターにはこれまでさんざん融通をきかせてもらったから、この忙しい時期に休ませてくれとはとてもじゃないが言えんし、まさか『未来から来た俺の娘です』と唯を紹介して店に置かせてもらうわけにもいかない。
そうなると夜の何時間かは、唯を家でひとりにしておかなきゃいけないってことになる。本人は『留守番くらいできるもん!』って背伸びして言ってるが、暗くなるとひとりじゃトイレにも行けない子だけに心配ごとが多くて……」
俺の胸中を察したように、柏木は微笑んで言った。
「それであたしたちに唯ちゃんの母親になってほしいと泣きついてきたってわけね。これでようやく話がつながった」
俺は気が休まることのないこの三日間を思い出し、深くうなずいた。
「もう一度言う。唯には母親が必要だ。俺一人ではとてもじゃないが、面倒を見きれない。頼む、どうか力を貸してくれ」
月島がいつになく浮かない顔をしていたので、どうしたと声をかけると、「実を言うとさ」と返ってきた。「私、小学校低学年くらいの子って生理的に苦手なのだよ。なんかさ、読めないでしょ、言動が予測不能で。遊びたい盛りだからうるさいし、なまじ知恵がついてるから口答えはするし。
それにキミが言うには唯ちゃん、えらく生意気らしいじゃない。『ああ言えばこう言う』性格なんでしょ? うーん、私はちょっと無理だな。まぁもしこれが自分の子どもだっていうんなら――」
かわいいんだろうけど、と言いかけたところではじめて、月島の頭をひとつの可能性がよぎったらしかった。そう。唯が未来から来たならば――父親が俺ならば――母親は自分自身かもしれないのだ。そしてここに来てようやく、高瀬と柏木も同じことを考えたようだった。
三人は急にそわそわしだした。高瀬が両手で顔を扇げば、柏木に至ってはメニューを逆さに持った。しばらくそんな微妙な空気が流れたあとで、高瀬が口を開いた。
「とりあえず、唯ちゃん本人に会ってみたいな。今から神沢君のおうちに行けば、会えるんだよね?」
俺は時計を見てうなずいた。「ちょうどいい。そろそろ起こさなきゃいけない頃だ。あの姫様、ぐずって起きないんから大変なんだよ」




