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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・秋〈孤独〉と〈キス〉の物語
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第70話 あなたのいない世界でどう踊れというの? 4


 その姿は当然ながら客席の中で目立っていた。どう見ても怪しい人物だった。しかし誰も彼の存在に対しとりたてて注意を払ってはいなかった。その理由は会場全体を俯瞰してみればわかった。


 学園祭の真っ最中とあって客席には占い師以外にもピエロやらゾンビやらメイドやら、非日常的な格好をした連中がちらほらいて、どうやら彼もそのなかの一人だと思われているようなのだ。


 それは意図した結果なのかあるいはたまたまだったのかまでは不明だが、いずれにせよ占い師はそのただならぬ気配を消すことに成功していた。

 

 だが俺の目はごまかせなかった。そこにいるのは仮装した生徒などではない。忘れもしない一年半前の春の夜、月明かりにたたずむ占い師は妖気とでも呼ぶべき異様な不気味さを放っていた。そして今、照明が落とされ会場全体が月明かりほどの明るさになったことでその不気味さはよみがえり、彼の存在を際立たせていた。

 

 それが本物の占い師だとわかると、すぐに俺の頭にある疑問が湧いてきた。

 この日この時この場所に、どうして奴がいるのだ?

 

 鳴桜高校(うち)は地域に根ざした学校作りを標榜しているから、学園祭への一般市民の来場を歓迎している。よって学校関係者以外の姿があったとしてもそれ自体はさして珍しいことではない。しかしとはいえなぜ占い師が? そしてなぜよりによってこの劇の客席に?

 

 そこで俺は数日前に聞いたアリスの話を思い出し、はっとした。「占い師はみずからが占った人物が苦悩し不幸になっていく様子を見て楽しんでいる」というような仮説を彼女は立てていた。つまり俺のこともひそかにどこかから見ているのだ、と。


 どうやらその仮説は当たっている可能性が高いことを俺は認めないわけにはいかないようだ。この創作劇がどのような成り立ちであるかを忘れちゃいけなかった。


 “未来の君”をモチーフにした劇の主役を、以前に占った気難しい少年が務める。


 よくよく考えてみれば占い師にとってこんなに興味深いショーは世界中どこを探したってないはずだった。そのうえその劇ときたら、少年の“未来の君”候補だったうちのひとりが台本を書き、もうひとりがヒロインを演じているのだ。こいつは見所満載だ。

 

「よう、悪趣味なじいさん」と俺は心の中で占い師に語りかけた。最高の舞台を眺める気分はどうだい? と。

 

 するとそれが聞こえたかのように彼は口角を上げ、にやっと薄ら笑いを浮かべた。そしてこちらに背を向けると、会場の外へ向けて悠然と歩き出した。逃がしてたまるか、と俺は思った。


 反射的に追いかけようとした俺を止めたのは、シンシア役の加藤さんだった。


「神沢君、突然どうしたのよ!?」彼女は俺の腕をつかむと耳元でそうささやいた。「あと少しで劇は終わりなんだよ!?」

 

 加藤さんのこの劇に対する思い入れの強さはよくわかっていた。それでも俺は幕が下りるのを待ってなどいられなかった。


 理由はどうあれ、ずっと探し続けてきた占い師がわざわざ向こうから出向いてくれたのだ。とっつかまえて話を聞き出すまたとない機会が訪れたのだ。今この時を逃せばもう二度とその薄気味悪いツラを拝むことができないかもしれないのだ。


 “未来の君”とはいったいなんなのか。フードの下のその目には何が見えているのか。そしてどんな目的で俺や高瀬やその他多くの人を欺いてきたのか。俺にはそれらを問い(ただ)して謎を明らかにする使命がある。

 

 ここでグレイ役の俺が舞台を離れてしまえば確実に物語は破綻する。物語が破綻すれば一度は手が届きかけた優勝も泡と消える。そして優勝できなければ高瀬とキスする約束もなかったことになる。


 それでも俺のとるべき行動は決まっていた。占い師をみすみす取り逃がすわけにはいかなかった。

 

 ごめんね加藤さんと心で謝ってから俺は彼女の手を振り払うと、舞台から客席へと降り立った。どっとざわめく大勢の観客をかき分けるようにして俺は前へ進んだ。ピエロを退かしゾンビを払いメイドを押しのけて前へ進んだ。


 加藤さんの役者魂は見上げたもので、「グレイ、わたくしを放ってどこへ行くのです!」と臨機応変に舞台から叫び、あくまでも王女シンシアであり続けた。でももちろん俺は振り返らなかった。占い師も振り返らなかった。俺は占い師の背中を追って、群衆の中をひたすら前へ進んだ。

 

 俺が不覚にも目をつぶってしまったのは、思いきり手を伸ばせば占い師の肩をつかめるという距離まで迫った時だった。それは一瞬の出来事だった。スポットライトの強烈な光がまともに目に入ったのだ。加藤さんが演技を続けていることから、物語はまだ終わっていないと判断した照明係が、機転を利かせてこちらに光を当てたらしかった。


 あまりのまぶしさに俺は目を閉じると同時に足を止めてしまった。目を開けても光の残像が残っているせいで、すぐには何も映らなかった。俺は進むことも戻ることもできなかった。そして視界が戻った時には占い師の姿はもうどこにも見えなくなっていた。


 外へ逃げたのかどこかに隠れたのかはたまた人智を超えた秘術を使ったのかはわからない。でもとにかく奴は消えてしまったのだ。その不気味な気配とともに。

 

 占い師を見失った俺は気づけば客席のど真ん中で呆然と立ち尽くしていた。息は切れ、唇は渇ききっていた。そんな俺に無慈悲に突き刺さったのは、観客たちの無数の視線だ。


 彼らはまだ俺が騎士グレイを演じているものだと思っているようだった。客席に降りたのも演出の一環だと思っているようだった。無理もない。舞台ではシンシアがなおもグレイの名を呼び続けている。おまけにスポットライトだって当たっている。


 そう、幕はまだ下りちゃいないのだ。

 

 でも、と俺はじわっと体中から汗が噴き出るのを感じつつ思った。でも俺は、いったいどうすればいい? 


 今さら台本通りシンシアと旅立つべく舞台に戻るわけにはいかない。なにしに客席へ降りたんだという話になる。かといって会場の外へ逃げるわけにはもっといかない。この30分間はなんだったんだという話になる。みなさんの中に実は未来が見える占い師がいて、と切り出すなんてもってのほかだ。この男は頭がおかしいのかという話になる。


 どこからともなく神様が現れて都合良くなにもかも解決してくれるということも期待できない。エウリピデスの時代のギリシャ悲劇ではないのだ。


 俺はぞっと青ざめた。どうすればこの物語をうまく締めくくることができるか、まったく思いつかない。しかし何かオチ(・・)がつかないことには観客が納得しないし幕も下りそうにない。最悪だ。占い師を捕まえることもできなければ劇を終わらせることもできない。最悪だ。


 頭が真っ白になって気を失いそうになった、その時だった。


 誰かが向こうから――舞台とは真逆の方から――こちらへ一直線に走ってくるのが見えた。その誰かも俺がそうしたように観客をかき分けるようにしてこちらへ走ってきた。もうひとつのスポットライトがその誰かを照らした。それはすべての出番を終えたはずの柏木だった。


 彼女はその勢いを保ったまま俺の胸に飛び込んできた。俺はなんとか全身でその体を受け止めた。「ずっと待ってたわ、グレイ!」とレイチェル役の彼女はふたつのスポットライトが重なった後で言った。「やっぱりあたしを選んでくれたのね!」


 俺は一瞬混乱したが、すぐに状況を呑み込んで、深くうなずいた。柏木は物語を終わらせるためにこうしてもう一度現れたのだ。

 

 まさかこうなることを予見していたわけではないだろうが、彼女は物語の途中から、最後にグレイと結ばれるのはレイチェルであることをほのめかすセリフをアドリブで口にしていた。


 結果的にそれが活きた。途中経過はともかく、伏線は回収されたのだ。


 今にして思えば、俺が加藤さんの手を振り払ったのは観客の目にはシンシアとの決別に映ったはずだった。客席に降りて占い師を追う俺はレイチェルの元へ向かう騎士グレイに映ったはずだった。そしてレイチェルはやってきた。ふたりは抱き合った。


 だからこそ観客は沸いた。「こういうことだったのか」という風に彼らが納得しているのが雰囲気でわかった。これがこの物語の結末なんだ、と。となればもうこのまま劇は終わってよかった。幕は下りるはずだった。これ以上ハプニングはいらなかった。柏木はもう何もしなくてよかった。


 しかし――。


 柏木のなかでこの劇はまだ終わってなんかいなかった。それは突然のことだった。何の前触れも予兆もなかった。俺は何が起こったのか瞬時に理解することができなかった。


 それ(・・)が起きて一秒後には観客がほとんど悲鳴に近い歓声をあげたことがわかった。二秒後には柏木が絶対にやっちゃいけないことをやったことがわかった。そして三秒後には渇ききっていた唇が何かに潤いを与えられていることがわかった。


 あぁ、と俺は十秒近く経ってようやくすべてを理解した。


 大勢の人が見守る中で生涯初めてのキスをすることになるなんて、人生何が起こるか本当にわからない。

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