第70話 あなたのいない世界でどう踊れというの? 1
秋らしいすっきりとした晴天に恵まれた連休の初日、今年で80回目を数える鳴桜祭がついに始まった。暑すぎず寒すぎず、雨や雷の心配もなく、時折吹くそよ風が心地よい実にすばらしい秋の日だった。
掃除や洗濯を鼻歌交じりに済ませ、マスターベーションに勤しみながらうとうと昼寝をするというのがおそらくこういう休日の最も有意義な過ごし方であろうが、あいにく家で惰眠を貪っているわけにはいかなかった。
午前中はミス鳴桜コンテストで推薦人を務め、午後になると創作劇で主役を演じなければいけない。昼食をとる余裕があるかどうかすら疑わしいほど今日の俺は多忙なのだ。
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「優勝を狙えるようなダークホースをエントリーさせる」月島が俺の説明を繰り返す。コンテストが始まる30分前、我々は控え室代わりのテントで向かい合っていた。「それが宿題の答え?」
俺はうなずいた。「今までおまえは、いかに自分の順位を下げるかってことばかり考えていただろ? 逆転の発想だよ。どうしても優勝したくないなら、他の誰かに優勝してもらえばいい」
「そんな、簡単に言うけど」月島は首をかしげる。「キミのまわりで柏木以外に優勝を狙えそうな子なんかいたっけ?」
いたんだ、と俺は思った。「まぁ、本番を楽しみにしてろって」
そこで首元に大きな赤の蝶ネクタイを着けた男がテントに入ってきた。ミスコンの実行委員長で司会も担う、太陽だ。小走りでこちらに近づいてくる。
「おい、今、外ですげぇかわいい子とすれ違ったんだけどよ、あれ、誰だ? あんな子、今まで見たことないぞ。他校から遊びに来た子かとも思ったが、鳴桜の制服着てるし……。近寄りがたい雰囲気だったけど、黒髪がきれいだったなぁ……」
それが誰なのかすぐに俺はピンときた。わかるだろ、という風に目配せする。
太陽は手を叩いた。「悠介がどうしてもエントリーさせたがっていたもうひとりって、あの子か!」
俺はうなずいた。そして声をひそめた。「それで太陽。例の件はどうなった?」
月島を優勝させないための方策として、藤堂アリスをミスコンに担ぎ出すことを思いついたまではよかったが、問題がひとつあった。友人もいなければ話し相手すらいない、メンチを切る相手だけはわんさかいる。そんな彼女が、推薦人を確保するのは実質的に不可能だったのだ。となれば取りうる選択肢は――俺の面倒が増えたとしても――ひとつしかない。
「月島嬢の推薦人でありながら他の子の推薦人も兼務できるかって相談だがな」太陽は腕を組む。「そいつはムリだ。大会の規定で一人が推薦できるのは一人までって決まってんだ」
「規定?」びっくりしてつい奇声が出た。「こんな片田舎の高校の半分お遊びみたいなミスコンで規定も何もないだろ。固いこと言うなって。だいたい、出場辞退者が続出しておたくら実行委員だって困ってるんだろう? ひとりでも多くエントリーしてほしいってのが本音じゃないのかよ」
本音らしかった。むぅぅ、と太陽は唸った。
ここぞとばかりに俺は続けた。
「彼女が出場すればミスコンは盛り上がると思うけどなぁ。でもそうか、規定は規定だもんなぁ。だったら諦めるしかないなぁ……」
太陽は苦渋に満ちた表情でテント内を見渡すと、何かを思いついたように膝を打った。奥の長テーブルから何かをかき集めて、こちらへ持ってくる。それは派手な柄のマスクだった。少なく見積もっても十面以上はある。
「ミスコンが終わった後、野外ステージではプロレスをやるんだが、こいつはその時に使うマスクだ。これだけあればひとつくらい拝借してもバレないだろ」
「それはつまり」言わんとしていることがわかって、俺の顔は引きつる。
「いいじゃない、神沢」月島が笑う。「マスクをかぶって別人になりきれば。ついでにその後のプロレスにも飛び入り参加しちゃえば? プランチャー!」
それから月島は太陽とタッグを組んで、このマスクが面白いだのこっちの方が変態っぽいだの人の顔をおもちゃにしてはしゃいでいたが、しばらくすると口をつぐんで俺の陰に隠れてしまった。
月島の動揺の理由は、彼女の視線をたどればわかった。いつの間にかテント内には、あの要注意人物がいたのだ。粘着体質の、あいつだ。
すぐさま俺は太陽に声をかけた。
「おい、なんでオクラが――奥村がここに来るんだよ?」
「なんでって」何も事情を知らない太陽は、きょとんとしている。「奥村も推薦人としてミスコンのステージに立つからだよ」
奥村が引き連れているのは、沼田さんという地味で伏し目がちな女子生徒だった。髪はぼさぼさで、メガネには拡大鏡みたいに分厚いレンズがはまっている。お世辞にも垢抜けているとはいえない彼女は、今にも泣き出しそうなほどおどおどしていた。
どうやら自分がミスコンに出ることに強いためらいを感じているらしかった。しきりにテントの外をうかがい、この場から逃げたがっている。奥村が嫌がる沼田さんを無理矢理エントリーさせたのは、誰の目にも明らかだった。
「こう言っちゃあの子に悪いけど」と俺は言った。「奥村の奴、本気で優勝を狙いになんかいってないよな?」
太陽は沼田さんと他の出場者を見比べた。「まぁ、場違いなのは、否めないよな」
「あの粘着野郎、それじゃあいったい、何が狙いだ?」
もちろん俺は、月島につきまとうのをやめるよう奥村をとがめた際に、彼が吐き捨てたセリフを忘れてはいなかった。
おまえらたしかミスコンに出場するんだよな? いいことを思いついた。楽しい学園祭になりそうだ。
奴はたしかにそう言った。思わず奥村と目が合う。「楽しい学園祭になりそうだ」と奴の口が不気味に動く。
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抽選によってステージに立つ順番は二番目がアリス、六番目が月島と決まった。ふたりの出番の間隔が空いたのは、彼女たちの推薦人を掛け持ちする俺にとっては幸運だった。
月島のひとつ前、つまり五番目に登場するのが沼田さん・奥村ペアであることがえらく気がかりだが、何はともあれまずはアリスだ。司会の太陽がステージで開会宣言を行うなか、俺たちは舞台裏で出番が来るのを待っていた。
「はぁ、死ぬほどめんどくさい」アリスは実行委員につけられたハート型の名札を煩わしそうに触る。「ねぇ、なんで私がミスコンなんていうくだらないものに出なきゃいけないわけ?」
ミス鳴桜に選ばれると市の収穫祭に呼ばれてタマネギの格好をさせられるんだ。そのうえその格好のまま山車に乗せられて市内を一周するんだ。それがどうしても嫌だと月島がごねるから他の誰かを優勝させなきゃいけないんだ。
正直にそんなことを打ち明けたらアリスが機嫌を損ねて帰ってしまうのは目に見えていた。
「将来画家になりたいなら、いろんな経験をしておいた方がいいだろ」と俺は思いついたまま言った。「スランプに陥ったとき、もしかしたら今日の経験が活きてインスピレーションが浮かぶかもしれない」
「なにその、取って付けたような理由」アリスはたやすく見抜いて、会場の様子をうかがった。太陽がオープニングアクトと銘打って、陳腐なモノマネを披露している。「こんな馬鹿げたイベント、私のためになるとは思えない」
アリスをミスコンに出場させたのは、実は彼女自身のためという側面もないわけではなかった。
俺は声の調子を整えた。「おまえはもっと、人と関わった方がいい。話してみれば気の利いたことを言えるし、きちんと笑うことだってできる。人間関係がまったく築けないというわけじゃないだろ?」
「それとミスコンに何の関係があるの」
「学校中のおまえに対するイメージは、“見るからに素行が悪そうな不良少女”だ。それじゃあ物好き以外誰も近寄らん。でもこうして見た目から劇的に変身してミスコンの舞台に立てば、そんなとっつきにくいイメージもちょっとは変わるだろ」
アリスは鏡の中の自分を見た。そして不服そうに顔をしかめた。
「なにも友達を百人作れとは言わん。もちろん彼氏を百人作れとも言わん。でも話し相手の一人くらいは早いうちに作っておいたほうがいい。毒にも薬にもならないたわいのないことを気軽に言い合える話し相手を。なんせおまえの高校生活はこの先まだまだ長いんだ。
この前『孤独は恐い』って言っていたよな? 今のままだとそのうち、気づけば孤独になっていたなんてことになるかもしれんぞ。いつかみたいに」
「馬鹿みたい」と悪態をつくアリスだが、名札を破り捨てて帰ってしまわないだけ、立派だった。
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結論から言えば、俺の思惑は怖いほど当たった。
金色に染まっていた髪を元の色に戻し、柔らかい印象を与えるメイクを施したアリスの登場は、観客を驚かせ、どよめかせ、そして沸かせた。「こっちの方がずっといい」「やばい、好きになりそう」なんて声も聞こえてくるほどだった。
はじめは目を丸くしていた審査員役の生徒たちも、やがて状況を飲み込み、変身を遂げた理由だったり出場に至った経緯だったりを前のめりになってアリスに尋ねた。アリスの受け答えには愛想というものがおそろしく欠如していたが、そんなことは些細な問題だった。
開校以来の問題児と評される藤堂アリスが見違えるほど可愛くなってミスコンの舞台に立っている。それだけで皆の注目をかっさらうには十分だった。
もちろん俺も覆面推薦人としてアリスと共に舞台に立った。彼女を優勝させるべく、ありとあらゆる褒め言葉を用意してこの本番に臨んだわけだが、アリスへの興味が尽きない審査員の質問が長引いたせいで出番が省かれ、結局どんな歯の浮くようなセリフも口にすることはなかった。
舞台の端っこで謎のマスクマンが何をするでもなく突っ立っている光景は、さぞ滑稽だっただろう。
特技を何か披露してくださいとリクエストを受けたアリスが、観客席の脇にいためったに笑わないカタブツ体育教師の肖像画をちゃちゃっと描き、その絵がやけに二枚目に描かれていたことから教師が顔をくしゃくしゃにして笑った場面は、ミスコン前半戦における最大のハイライトシーンとなった。
四人目の候補者がアピールを終えたところで休憩となり、俺は舞台裏で一息ついていた。隣には、もう二度とミスコンになんか出ないと吐き捨ててどこかへ行ってしまったアリスに代わり、この後に出番を控える月島がいる。
「神沢の言うダークホースが、まさかあの子だとはね」月島が爪の手入れをしながらつぶやく。「一年生の藤堂アリス。キミもとうとう年下にまで手を出すようになったか」
これだから、訳あって彼女を家に泊めたなんて、口が裂けても言えない。はいはい、と俺は受け流した。
「まぁとにかく、会場は盛り上がってた」と月島は言った。「今のところ一番じゃない? このままいけばタマネギの格好をするのはあの子だ」
「それじゃあさ」と俺はほっとして言った。「ステージでわざわざおまえの評価を下げるようなことを言わなくてもいいよな? 作戦だとわかっていても、大勢の前でおまえを貶すのは、やっぱり気が引ける」
月島は頑として首を縦に振らなかった。
「油断は禁物。神沢。絶対に私を褒めたりしないで。私のことを思うなら、お願いだから悪く言って。いい? 約束だからね」
「約束、ねぇ」
アリスの時ではなく月島の時にこそマスクをかぶるべきだったと俺は後悔した。
休憩が終わり、いよいよ後半が始まる。司会の太陽に名前を呼ばれたのは、五番目の出場者である沼田さんだ。この期に及んでもまだ沼田さんはステージに立つことを必死に拒んでいたが、推薦人の奥村がなかば力尽くで彼女を舞台へと連れて行った。その様子はさながら、無実の市民を処刑台へ連行するかのようだった。
「あの人」月島は訝しむ。「絶対なんか企んでる。何が目的?」
奥村の目的は比較的すぐにわかった。彼は沼田さんの魅力を滔々(とうとう)と説くこともなければ、緊張から受け答えがしどろもどろになる彼女をサポートすることもなかった。顔を真っ赤にして立ちすくむ沼田さんはそっちのけで、出し抜けにこんなことをのたまいはじめたのだ。
「今日エントリーしている人のなかでひとり、ミス鳴桜に絶対にふさわしくない人がいます」
言わずもがな、他の候補者をおとしめるような発言はご法度だった。司会の太陽が慌てて制止したけれど、奥村は意に介さず話し続けた。
「僕は中学の頃、オクラと呼ばれていじめられていました。今でも忘れられないのは、いじめグループに囲まれて『これで一品できあがり』と頭から醤油やかつおぶしをかけられたことです。その場には彼女もいました。そしてその子は、虐げられる僕を見て愉快そうに笑ったんです。そんな人が果たしてミス鳴桜に輝いていいのでしょうか? ミスコンに出るくらいだから彼女は外見はきれいです。でも心はきれいなんかじゃありません!」
「誰だそいつは!」と観客の中から声が飛んだ。そんなひどい奴は吊し上げろ、と。
その反応を待っていたかのように奥村は一歩前へ進み、ポケットからハンカチを取り出した。
「このハンカチはその時彼女が落としたものです。そしてここに持ち主のイニシャルがあります。S.T。みなさん、もう誰かわかりますよね。僕の話はこれで終わりです」
候補者の中でイニシャルがS.Tなのは一人しかいなかった。
「あの粘着野郎、これがやりたかったがためにわざわざ沼田さんを利用して、ミスコンのステージに上がったのか」俺は隣で唖然とするS.Tを見た。「なぁ月島。いちおう確認しておくけど、おまえは奥村を嘲笑ってなんかいないよな? それどころかむしろ、気遣ったんだろ? 汚れたあいつを見るに見かねて顔を拭くようにと、貸してやったのが、あのハンカチだ」
「見事に恩を仇で返されちまったぜ」
これで私の優勝は完全に消えたな、と月島は呑気に笑うが、俺のはらわたは煮えくり返っていた。世の中にはついてもいい嘘とついてはいけない嘘がある。月島に不名誉な濡れ衣を着せたままにしておくわけにはいかない。剣と鎧を装備していなければ騎士じゃないと思ったら、大間違いだ。
俺は立ち上がって舞台に向かって歩き出した。
「すまん、月島。おまえとの約束、守れそうにねぇわ」




