表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・秋〈孤独〉と〈キス〉の物語
241/434

第69話 冬の海でひとり、暖を取るような 1


「何から話せばいい」食事を終えると、アリスが疑問符抜きで言った。

 

 急に気が変わったりしないか心配していたので、俺はほっとした。

「おまえの話しやすい順でかまわないよ」


「それじゃ、両親がどういう人かその説明もかねて“あの時”のことから」

 

 人生の教訓になるほどの強い孤独を覚えた時のこと、と俺は頭で置き換えた。


「小さい頃の私はパパっ子で、ママよりパパになついていた」とアリスは語り始めた。「私は一人っ子で、パパは画家、ママは写真家。とはいっても当時はどっちも全然売れてなくて、いろんな仕事を掛け持ちしながら生計を立てていた。そうそう、パパは一時期、鳴桜高校(うち)で美術科の臨時講師として働いていたこともある。だいぶ昔の話だけど」


「へぇ」

 そしてアリス自身もまた、将来は画家になるべく美大を目指している。好きだった父親の影響なのかあるいは血なのか。まぁいずれわかるだろう。俺は話の続きを待った。


「パパは人の手が入っていない、ありのままの自然を描写することが多かった。絵のモチーフになる風景を求めて、休みの日になるとよく朝からクルマに乗って山や川や湖に出かけていった。だからパパっ子の私は、休みになるたびいつも寂しい思いをしていた。


 我慢に耐えかねた私はある日曜日の朝、どうしてもパパと一緒にいたいと駄々をこねた。泣きわめく私を見かねたママは、出発前のパパのクルマに私をそっと忍び込ませた。ママも根っからの芸術家肌だからパパの創作への情熱はよく理解していて、『たまには娘と遊んであげて』なんてストレスのたまった専業主婦みたいなことは言わないの。『パパと一緒にいたいならあなたがモチーフ探しに同行しなさい』という発想ね。画材に混じって私がトランクに潜んでいることなんか知らずに、パパはクルマを発車させた」


「その時、おまえはいくつだったんだ?」と俺は尋ねた。


「たしか7歳」アリスは気恥ずかしそうに髪をすく。「親離れが遅かったのは、認める」

 

 俺も人のことを笑えた義理じゃなかった。

「7歳の娘を乗せたクルマは動き出した。それで?」


「二時間くらい走ったと思う」とアリスは続けた。「トランクを開けて私と目が合ったパパは腰を抜かすくらいびっくりした。私が慌てて事情を説明すると、パパはすぐに納得して、モチーフ探しの同行を許してくれた。ま、普通に考えて、二時間の道のりをトンボ返りするわけにはいかないし、7歳の子をクルマに置き去りにするわけにもいかないものね。足手まといだろうがなんだろうが、どのみち私を連れて行くしかなかったの」


「ママの目論見は当たった」

 

 アリスはうなずいた。

「その日パパがモチーフ探しをするのは、背の高い木が生い茂る雑木林のような場所だった。奥に行くときれいな泉が湧いているところがあるみたいで、まず私たちはそこを目指すことになった。


 その時点ではまだパパはタバコに火をつけながら『なぁアリス。これから行く泉にこの100円ライターを落とすとな、水の精が現れて、あなたが落としたのは金のライターですか? それとも銀のライターですか? と聞いてくるんだ』って冗談を言っていられた」

 

 そのうち冗談を言っていられなくなるような不測の事態が起こるわけだ。俺は耳をすました。


「たしかに泉はきれいだった」とアリスは言った。「水は透き通っていて、ぱっと見にはどこまでが水面でどこからが空かわからないくらいだった。どことなく神秘的で、本当に白いローブを身にまとった妖精が泉から現れても不思議じゃなかった。


 パパはそんな泉に一瞬にして心を奪われた。絵描きの血が騒いだみたい。子どもみたいにはしゃいで、ライターを泉に投げ込みそうにもなった。……そうだ。言い忘れていた。当時はまだ二月で、雪はほとんどなかったんだけど、そのかわりすごく寒かったの。ママにコートを着させてもらっていたのに、それでもまだ寒くて、パパに上着を一枚借りたくらい。パパは持参したアウトドア用の椅子に座ると、泉のある風景のラフスケッチを始めた」


「今は寒くないか?」と俺は尋ねた。

「大丈夫」と彼女は答えた。

 

 アリスパパはラフスケッチに没頭した。いかにも芸術家らしく、彼は一度自分の世界に入り込むともう他のものは何も目に入らなくなってしまった。そうなると退屈なのはアリスである。モチーフ探しの冒険はもっと長くなると思っていたし、周囲には遊べるものなんてない。水の精も現れない。暇を持て余した7歳の少女はほんの出来心から、何か楽しいことを探すため泉を離れた。それがまずかった。


「崖のようになっている場所があって、私はそこで足を踏み外して下に落ちてしまったの」成長したアリスはそう言った。「さいわい小さい崖だったからケガはなかったんだけど、当時の私の背ではどうやっても自力では元の場所に戻れそうになかった。泉からはまだそんなに離れていなかったから、大声で助けを求めればさすがにパパが気づいて引き上げてくれたと思う。


 でも子どもって物事の優先順位があべこべなの。助かりたい気持ちより勝手に泉を離れたことを叱られる恐怖の方が勝っちゃうの。それで私は声は出さずに、なんとか歩いて泉に戻ることにした」

 

 不吉な予感しかなかったが、最悪の事態だけは避けられたのだろう。じゃなきゃ俺は今幽霊の昔話に耳を傾けていることになる。アリスに二本の足があることをたしかめてから、俺は続きを促した。


「結論から言えば、泉には戻れなかった」と彼女は言った。「だって雑木林ってどこもかしこも同じような風景でしょ? それで方向感覚が狂っちゃったのね。これは後になってわかったことだけど、自分では泉の方へ向かっているつもりだったのに、実際は真逆の方に進んでいたの。

 

 そうやってしばらく歩いて焦り始めた頃に、どこからか潮の匂いが漂ってきた。目をこらすと、木と木のあいだから海が見える。私は雑木林の中でさまよっているより浜辺にいる方を選んだ。釣り人でもサーファーでもとにかく誰でもいいから私を見つけてくれることを祈って」

 

 二月の海じゃあまり期待はできないな、と俺は思った。


「無人の浜辺に着いた私が真っ先にしなきゃいけなかったのは、暖を取る方法を見つけることだった。私の体は芯から冷えていた。だんだん空も暗くなってきた。このままだと死んでしまう。


 何かないかなと思ってパパから借りた上着のポケットを探すと――ホント奇跡的としか言いようがないんだけど――そこにはライターが入っていたの。例の100円ライターね。もしパパがそのライターを泉に投げ込んでいたら……って考えるとゾッとするわけだけど、とにかく種火は確保した。あとは雑木林からたき火に使えそうな木を運んでくればよかった。はじめはなかなか木に火がつかなくて苦労したけど、なんとか炎は大きくなって私はやっと座ることができた」

 

 その時の情景がよみがえったのか、彼女は膝を抱えて小さく丸まった。


「たき火の前に座ってけっこう時間が経った。でも私はちっとも暖かいと感じることができなかった。寒さは一向に消えなかったの。それはどうしてか、アンタにはわかる?」


「腹が減っていたから?」

 

 アリスは失望したようにため息をついた。

「その時私が襲われていたのは、空腹感じゃない。途方もない孤独感。釣り人も来なければサーファーも来ない。クルマも走っていなければ家も建っていない。海鳥の一羽すら飛んでいない。もちろんスマホなんかないからパパとママの声を聞くこともできない。聞こえるのは波の音とたき火の音だけ。


 まるで世界から私のいる浜辺だけが切り取られたみたいだった。そんな絶望的な孤独のなかにいるとね、心がうつろになってもう何もわからなくなっちゃうの。目の前の炎の暖かささえも。本当よ? 嘘だと思うならアンタもその海で同じ体験をしてみるといい。地図で場所を教えてあげるから」


「信じるよ」と俺は言った。下手すりゃ気が触れかねない状況に自ら身を置くなんてまっぴらだった。


「パパが捜索願いを出していたらしく、だいぶ夜が深くなった頃に警察の人が私を見つけてくれて結局は事なきを得たわけだけど、あの時感じた孤独感は今でも忘れられない。そしてその出来事は考えようによっては、ひとつの象徴(・・)だと思うの。つまり、この世界では一歩足を踏み外せば、誰もが途方もない孤独に陥りうるっていうね。アンタも気をつけた方がいい。油断していると、うっかり足を踏み外す。強い孤独は、心をダメにする」


「肝に銘じておく」

 

 アリスは居住まいを正して一息ついた。

「とにかく私は助かった。死ななかった。捜索隊に加わっていたパパと、それから話を聞いて駆けつけたママとの三人で抱き合って再会を喜んだ。ママは私をクルマに忍び込ませたことを、パパは私から目を離したことをとても反省していた。もう何があってもずっと三人で一緒にいるからと両親は泣いて私に約束してくれた。この出来事は私たち家族の結束を強めた――はずだった。ずっと三人一緒のはずだった」

 

 アリスはそこで急に口ごもった。ほどなくして彼女が発したのは、俺からすれば何の脈略もないように思える言葉だった。


「未来の君」とアリスは冷めた声でつぶやいた。「アンタは“未来の君”はどういうものだと思ってる?」

 

 俺は占い師に告げられたことを思い返した。

「未来の幸せを望むなら、共に生きていかなければならない、強い絆で結ばれた運命の相手」

 

 それを聞くと彼女はふふっと鼻で笑った。そしてすぐに表情を引き締めた。


「占い師の言うことを鵜呑みにしちゃってつくづく可哀想な奴。まぁいいわ。ゴハンのお礼に真実を教えてあげる。“未来の君”は幸せをもたらす運命の人? とんでもない。実際はその逆。不幸と破滅を招く、決して結ばれてはいけない存在。それが“未来の君”よ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ