第66話 ようこそ、不思議の国へ 3
「旦那、あっしの相談に乗ってくだせぇ」と月島涼に声をかけられたのは、明くる日の昼休みのことだった。
きのうの藤堂アリスの謎めいた言葉をどう解釈すべきか、授業もそっちのけで午前中ずっと頭を悩ましていた俺は、気分転換になればと思ってそれをこころよく引き受けた。もっとも、断る権利などはなっから俺にはないのだろうが。
我々はひとけのない中庭に移動してベンチに腰かけた。本題に入る前に、話題は学園祭の出し物に及んだ。話しながら月島は自作の弁当を広げ、俺は購買部で買った焼きそばパンを開封した。
「へぇ。脚本、高瀬さん。主演、キミと柏木」月島は箸を止める。「その劇は絶対面白くなりますなぁ。そうだ、最前列の席を今から確保しておかないと」
俺は大きく手を振った。「いいよ、観に来なくて。頼むから他の出し物に行ってくれ」
「いいや、必ず観に行く。これまでの経験からいって、本番で何もアクシデントが起こらないわけないからね。大勢の生徒の前で見世物になるのは柏木か高瀬さんかそれとも……」
「やめてくれよ、縁起でもない」
ウヒャヒャと月島は戯けた。「まぁでもマジメな話、キミと柏木が主役を演じるとわかっていながら、それでも敢えて脚本の執筆を引き受けたということは、さては高瀬さん、何か企んでるな」
「同感だ」俺は唇のかどを噛んだ。「高瀬と柏木の仲も良くないし、この先どうなることやら」
「楽しくなってまいりました」
ぜんぜん楽しくない、とつぶやいて俺は焼きそばパンを頬張った。「ところで、おまえの2年A組は何にするんだ? 鳴桜祭の出し物」
「お化け屋敷」と彼女は答えた。「ほら、私たち、クラス全員で春に幽霊騒ぎを起こしたでしょ? カンナ先生のために。その時に使った衣装とか小道具とかがそっくり残ってるの。それでせっかくだから再利用しようという話になって」
「地球にやさしいお化け屋敷」
「幽霊役にエコの重要性を説いてもらう?」と言って月島はくすりと笑った。「まぁ、そんなこんなでこっちは和気あいあいとやっとりますよ。キミたちH組みたいに殺伐としてませんわ。学園祭なのに楽しまないでどうする」
「いいなぁ」思わず声に吐息が混じる。「できることならA組に移籍したい」
月島は食指を動かす。「そのおいしそうな焼きそばをくれるなら、私から先生に掛け合ってやってもいいぞ」
「おまえさ」俺は呆れた。「昼メシが焼きそばパンだけの奴に『焼きそばよこせ』って言うのって、人としてどうなのよ」
♯ ♯ ♯
「それで、相談ってなんなんだ?」
たわいのない話が一通り終わったところで、俺は尋ねた。
「こっちも鳴桜祭関連の話なんだけどさ」そう前置きする月島は、どうしたことかいつになく照れていた。「実は私、ミスコンに出場することになっちゃって」
「ミス鳴桜コンテスト」と俺は正式名称で言い直した。それは彼女の飄々(ひょうひょう)としたキャラクターからはえらくかけ離れた言葉のように響いた。「なんで、また?」
「えっとぉ、姉が勝手に応募しちゃってぇ……」
「おまえ、お姉ちゃんいないだろ」
「冗談はさておき」一人っ子はやめときゃよかったという風に喉の調子を整えた。「私自身のスタンスとしては、『ミスコン? はいはい、どうぞ勝手にやってくださいな』っていう感じなのよ。でもクラスの人たちが『月島さん、出ろ出ろ』ってうるさくて。
キミも知っての通り、私は怖いのが苦手だから、学祭当日はお化け屋敷の仕事はほとんど何もできないの。でも2年A組代表としてミスコンに出場すれば、ちょっとはクラスに貢献したことになるかなと思ってさ。それでやむなくエントリーしたというわけ」
俺は中立的な目で隣を眺めた。ショートカットのよく似合う、きれいなお姉さんがそこにはいた。「出るからには、優勝できるといいな」
「No!」と月島はなぜか強い拒絶反応を示した。「問題はそこなんだよ。あのね、これはエントリーした後でわかったことなんだけど、今年のミス鳴桜は、学園祭の直後に開催される市の収穫祭にゲストとして参加しなきゃいけないんだ」
「そうなんだ」
毎年秋に行われる収穫祭は、この街でとれた農産物が格安価格で売り出されるとあって、多くの人でにぎわう。目玉イベントは、秋刀魚のつかみ取りだ。
「ゲストで呼ばれて何をするんだ? ステージで歌を歌うのか? それともつかみ取り?」
「歌やつかみ取りならまだマシ」と月島は泣きそうな声で言った。「なんかね、大地の恵みに感謝をあらわすとかで、毎年たまねぎのかぶり物を着けた人を山車に乗っけて街を練り歩くんだって。そして今年はそのたまねぎ役を務めるのが、ミス鳴桜なの」
あはは、と乾いた笑いが漏れる。「ここはよく採れるからな、たまねぎ」
「知らんがな」都会っ子はしょげた。「とにかく、とてもじゃないけど、私はそんなのムリ。想像してごらんなさいな。たまねぎの真ん中から顔を出した私がわっしょいわっしょいと担がれるエキセントリックな光景を。そんな姿を衆目に晒した日にゃ、あたしゃ、お嫁に行けないよ」
案外かわいいんじゃないか、と思ったのは俺が地元生まれだからか。
「誤解すんなよ。べつに私はたまねぎが嫌いなんじゃないの。むしろ好きよ。どんな料理にも合うし」そう言って月島は弁当箱から環状の揚げ物をつまみ、俺の口に押し込んだ。オニオンフライだった。「でもそれとこれとは話が別。たまねぎはかぶるものじゃない。食べるものだよ」
「うまい」と俺はフライの感想を述べた。そして頭で情報を整理した。「まぁでもさ、ミスコンで優勝しなければ収穫祭に呼ばれることもないわけだ。今から仮定の話をしていてもしょうがないだろ」
「失敬な。私はミス鳴桜になれないとでも言いたいのか?」
「す、すまん」
「こう見えても私には隠れファンが多いんだぞ」
「悪かったって」
月島は俺の困惑ぶりを楽しむように微笑んだ。
「いやね、私もね、さすがに優勝はできないと思うよ。エントリーしている子たちの顔ぶれを見れば、これがけっこうな粒ぞろいだからね。でもね、世の中にはね、万が一ってことがあるじゃない? そこで神沢。キミに折り入って相談があるんだ」
面倒に巻き込まれそうな気配があたりに立ちこめていたが、ここまで聞いておいて逃げ去るわけにもいかない。俺はおそるおそる続きを促した。
「実は」と月島は言った。「ミスコンに出場する子は推薦人をひとり確保しなきゃいけないの。推薦人にはコンテスト当日、大きな役割がある。自分が担当する娘の魅力やかわいさなんかを壇上から観客に向けてアピールするの。だってそういうのって、なかなか本人の口からは言えないでしょう、ナルシストじゃないかぎり?」
ミスコンに出ている時点ですでにナルシストのきらいがあるんじゃないかともふと思ったが、話が脱線するので俺は黙っていた。
「それでね」と不吉な声色で彼女は言った。「キミには私の推薦人になってほしいんだ。そしてコンテストの本番で、私のことを褒めたりなんかしないで、それとなく貶してもらいたいの。そうすれば、まぐれ優勝の可能性もなくなるでしょ」
「えぇ?」俺は眉をひそめた。「大勢の前で貶すなんて、おまえに悪いよ」
「私がいいって言ってるんだから、いいの。難しく考えすぎ。ほら、私に対して日頃の不満ってもんがあるだろう? それを良い機会だと思ってぶちまければいいだけなんだから」
「なるほど」
「なんだ、あるのか、不満」
「どう答えりゃいいんだよ」
「とにかく」月島は前髪を払う。「今からもう出場辞退はできないし、頼れるのは神沢しかいないんだよ。一肌脱いでくれよ。私をたまねぎの悲劇から救うために」
救いたいのはやまやまだったが、いかんせん今の俺には考えるべきことが山積していた。
思いがけず主役を演じる羽目になってしまった劇のこと。
高瀬が受けた“未来の君”の占いのこと。
そして藤堂アリスが口にした意味深な言葉のこと。
これ以上重荷を背負い込めば身が持ちそうにないなと思ったところで、月島がはっとして手を叩いた。
「そうだ。柏木は? 出ないの、ミスコン?」
「ああ、とくべつ出るような話は聞いてないぞ」
月島は指を鳴らした。「出そう。あの娘が出れば確実に優勝する。柏木なら、たまねぎだろうがじゃがいもだろうが絵になる。神沢、キミが説得すればきっとその気になるよ。ちょっと電話かけてみてよ」
それで月島の推薦人を務めなくても済むのなら、と思って俺は柏木へ電話をかけてみた。3度のコールの後で彼女は出た。
「あのさ」とさっそく俺は切り出した。「鳴桜祭でミスコンがあるだろ? おまえ、それに出る気はないのか?」
「ないよ」と柏木はさっぱり答えた。「ない。まったくない」
「え」俺は呆気にとられた。「出ればいいのに。おまえ、そういうの好きそうだろ」
「えぇ? いやだよ」
「なんで」
「なんでって言われても」
「出たくない理由が何かあるのか?」
柏木は電話の向こうでため息をついた。そして言った。
「ミスコンなんか出なくたって、あたしはこの学校で自分がいちばん美人だっていう自負があるし、それに、そんなくだらないことに時間と労力を使うくらいなら、悠介にとって少しでも良い女になれるよう努力する。だから出ない。以上。なんか文句ある?」
「……いえ、すみませんでした」
受話口に向かって一礼するしかない。




