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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・秋〈孤独〉と〈キス〉の物語
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第65話 私はガラスの靴なんか履きたくはない 2


 2年H組の教室内では、守口のアイデアに賛成する声が多数を占めていた。このままでは俺と柏木の意向をたしかめることもなく彼女の案で決まってしまいそうな雰囲気だった。一致団結もへったくれもなかった。そんな状況に一石を投じるべく、俺は椅子から立ち上がって口を開いた。


「みんな、鳴桜祭と修学旅行が近いからって浮かれすぎだ。冷静になって考えてみろよ。柏木はともかくとしても、俺は劇で主役を張るような器じゃないって!」


「またまた。何をおっしゃいますやら神沢サン」

 壇上では友人のはずの太陽が、あろうことか愉快そうにニヤついていた。

「生放送の日、幸運にも隣の席で神沢サンを拝見しておりましたが『“未来の君”はおまえなんだ!』って観客席からステージに向けて叫ぶそのお姿といったら、それはもう(さま)になっていましたよ。他の演者がかすむくらいに。ヨッ! 憎いね! 千両役者!」


「太陽てめぇ……」

 あのかぶき者はいったい能天気な頭で何を考えているのか。おおかた、俺を見世物にして楽しもうとしているのだろう。いずれにせよ、(しゃく)なので、ある提案をしてみる。

「なぁみんな。学園祭で優勝を狙うなら、太陽を主役に据えた方がいいんじゃないか? あいつは顔がいいし、華もあるし、なにより人気がある。俺なんかよりずっと主役向きだ」


「残念だったな、悠介」太陽はにんまりする。「オレはミス鳴桜コンテストの責任者と司会を任されているから、そっちの準備でてんやわんやで、とてもじゃないが劇の主役まで手が回らないんだよ。だから元から無理なの!」

 

 いっそミスコンにも出場すればいいのに、と柏木をけしかける無責任な声が出始め、それを俺は制した。

「ちょっと待てよみんな。なんか『劇で決定』だ、みたいなムードになってるけど、俺たちの意思はどうなる。俺も柏木もまだ主役を正式に引き受けたわけじゃないんだぞ?」


「あたしは別にやってもいいけど」と、柏木は前の席であっさり言った。「このままじゃ何も決まらないし、それになんだか面白そうだもん」

 

 喝采のなか、俺は(かが)んで柏木の耳元でささやいた。

「おまえ、本気か? 劇の主役ってセリフが多くて大変なんだぞ。元素記号の周期表を覚えるのでさえ『水平リーベ僕の』で止まっているおまえが、与えられたセリフをぜんぶ暗記できるのかよ」


「なによ、失礼な! あたしはね、元素記号みたいに興味のないことは覚えられないけど、興味のあることならバッチリ覚えられるの。たとえばサーティワンのアイスとかなら余裕で全部言えるんだから!」

 

 バニラだの抹茶だの言い出したので、わかったよ、という風に俺はうなずいた。でももう遅かったようだ。


「もうアッタマ来た。セリフくらい覚えられることを証明するためにも、こうなったら意地でもやってやる」言うが早いか、彼女は俺の右腕をつかみ、そのまま真上に伸ばした。「はいはーい、みんな、注目! なんだかんだ言って悠介も主役をやってみたいんだって。この人、素直じゃないの。へそ曲がりなの。そういうわけであたしたちに任せて。優勝してみせるから」

 

 俺は泡を食った。「おい! どういうつもりだ!」

 

 柏木はそれには答えず、手を振って教室内の声援に応えた。ただ、高瀬の方へ視線をやった際に、ほんの一瞬勝ち誇ったような笑みがわずかに頬に浮かんだことで、俺はようやく合点がいった。ああ、こいつは高瀬に見せつけたいのだ、と。自分こそが“未来の君”であることを。

 

 教壇では、太陽が満足そうに腕を組んでいた。「よし、これで決まりだな」


「まだ決まりじゃない」と俺は不屈の精神であらがった。「みんな、肝心なことを忘れているぞ。台本(・・)はどうするんだ、台本は。ねぇ加藤さん。創作劇をやるってことは、もちろん台本も独自のモンを準備しなきゃいけないってことだよな?」


「そ、そうだね」いい人と評判の加藤さんは、俺に申し訳なさそうに答える。「神沢君と柏木さんがもし主役を務めるなら、ふたりの個性を引き出すような台本が必要だよね」


「加藤さんには演劇部員として率直な意見を聞かせてほしいんだけど、限られた時間でそんな特殊な台本を書き上げられそうな人は、このクラスに果たしているんだろうか?」

 

 彼女は教室の中をひとしきり見渡した。そして肩を落とした。

「劇の台本なんだから、まずなんと言っても物語を作れる人じゃないといけないよね。しかもラブストーリーを。それだけでも難しいのに、そのうえ神沢君や柏木さんのことをよく知っている人となると……」

 

 加藤さんが諦めたように首を横に振ったのを見届けてから、俺は口を開いた。

「そもそも創作劇をやるっていう前提で俺と柏木に白羽の矢が立ったんだろ? それなのに肝心の台本が用意できないんじゃ、まったく話にならないよ。優勝めざして盛り上がっていたところ悪いが、どうやら一から練り直しのようだな」

 

 教室の中は時間が止まったみたいにしんと静まり返った。俺はやはり静かに席について、それからひそかに胸をなで下ろした。高瀬が“未来の君”の占いを聞いたばかりのこのタイミングで、俺と柏木が(クラスのためとはいえ)恋物語を演じたりなんかしたら、とてつもなく厄介な事態になるのは目に見えていた。


 不吉な占い師が再び現れ、高瀬と柏木の仲は険悪になりつつある。

 そんな危うい状況では、下手に波風たてるようなことはせずに、冬の訪れをただじっと待つのが賢明というものだろう。

 

 そう結論づけ小さくうなずいていた俺をすくませたのは、例の耳障りな声だった。


「まだ諦めるのは早いよ!」軽口の守口が立ち上がってそう叫んだ。「よくよく考えてみたら、一人だけ(・・・・)いるの。台本を書けそうな人が」

 

 俺のこめかみはずきずき痛み出した。悪い予感を察知したような痛み方だった。


「へぇ、誰だい?」と太陽が聞いた。

「優里」と守口はあろうことか答えて、高瀬の方に体を向けた。「ねぇ優里。たしか小説を書いているんでしょう? それも恋愛小説。だったら劇の台本だって書けるんじゃない?」

 

 そういえば守口にそのことを話したんだったな、と俺は喫茶店での高瀬との会話を思い出した。そしてすぐに彼女の迂闊(うかつ)さを恨んだ。なぜよりによってお喋りの守口にそれを打ち明けてしまったのか。賢いインコの前で秘密を打ち明けるようなものではないか――。


「優里なら書けるよ」と他の女子が俺の気も知らないで続いた。「だって優里って、神沢君や晴香とけっこう一緒にいることが多いでしょう? だからふたりの性格もよくわかってる。これは優里にうってつけの仕事だよ!」

 

 いつしか教室中の視線が高瀬に注がれていた。彼女は無表情のまましばらく黙っていたが、やがて短くした髪をどことなく煩わしそうに手で()いて、皆に問いただすようにこう言った。


「神沢君と晴香が演じるラブストーリーの台本を、私に書けっていうの?」


 * * *


「それで」と俺はおそるおそる切り出した。「高瀬は“未来の君”が誰なのか、占い師に告げられたのか?」


 彼女は口を真一文字に結んだ。そして短く一度うなずいた。

「具体的な名前は明かされなかったけれど、占い師が誰を指して言っているのかは、その人の特徴を聞けばすぐにわかった」

 

「……誰なんだ?」


「占い師は水晶玉を真剣な目で覗き込んで、私にこう言ったの。『あなた様の“未来の君”は少々やんちゃなようでございますな。いささか気性も荒い。その傍若無人たる振る舞いは、時としてまわりの者を困惑させることでしょう。さりとて――」

 

 俺の耳元では、薄気味悪い笑い声がよみがえっていた。あの男(・・・)の、声帯ごと切り取って海の底に沈めてやりたくなるようなどこまでも気色の悪い笑い声。


 高瀬は言った。「さりとて、あなた様を想うお気持ちはそれは強いものがあります。この水晶から想いの波動があふれ出てくるようであります。わたくしめの眼に今、どなたの姿が映っているのか、あなた様ならばお心当たりがございますな?」


「あいつか」と俺は手をテーブルの下に隠してつぶやいた。話の途中から手が震え始めていた。


「占い師は駄目を押すようにこう補足した」と高瀬は言った。「その“未来の君”とは、私が幼い頃からよく知る人物だ、と」

 

 俺は文字通り歯を食いしばった。ここで忌々しいこの男の名を口にしなければならないのは、痛恨の極みだった。「周防まなと(・・・・・)

 

 出し抜けに高瀬は笑い始めた。笑わなければやってられないという風に。ひとしきり笑うと彼女は表情をきりっと引き締めた。


「神沢君もよく知っていると思うけど、私はね、年上の人と話すときはきちんといつも敬語を使うの。相手がどんな人であってもどんなことを言われても、いちおう礼儀として。でもあのときだけは、そんなことちっとも気にかけていられなかった。気がつけば、冗談言わないで! って老占い師に突っかかっていた。そしてそのままマントに掴みかかりそうな勢いで彼に言って聞かせた。いかにまなとが冷徹な人間か」


 周防は目障りな俺を本気で社会的に抹殺しようと企むほど冷徹な人間だった。

 

 高瀬は続けた。「いったいどうしたらそんなまなとが私を幸せにする“未来の君”になるのか。百歩譲って私に“未来の君”がいることを受け入れたとしても、それがまなとだなんて絶対に認めるわけにはいかなかった。だから私は、より詳しい説明を占い師に求めた」

 

 俺も認めるわけにはいかなかった。だから深くうなずいて、耳をすました。


「占い師はもう一度水晶玉を覗き込むと、顔を上げてこんな風に言ったの。私は今、夢の時間を過ごしている、って」


「あなた様は今、夢の時間を過ごしておられます」と占い師はその夜高瀬に言った。「しかしいずれは現実に戻らねばなりませぬ。そしてあなた様はその時が来るのを恐れておられる。魔法が解けるその時を。そう、まるで、灰かぶり姫のようでございますな。真夜中零時の鐘が鳴れば魔法が解けて夢の時間が終わってしまう、かの有名な姫君」

 

 シンデレラ、と高瀬は思った。

 

 占い師は続けた。「しかしご心配めされますな。あなた様には白馬の王子こそおられませぬが、“未来の君”ならばおりまする。“未来の君”は決して苦境にあるあなた様を見捨てたりなどいたしませぬ。必ずやこの御仁があなた様にガラスの靴を履かせてくれることでしょう。そうして夢の時間は続くのです。よろしいですかな。未来の幸せを願うなら、この御仁が差し伸べる手を払いのけてはいけませぬぞ――」


 

 白馬の王子ならここにいると果敢に叫びたい気持ちをひとまず抑え、俺は占い師の言葉を注意深く分析した。それから口を開いた。


「どう考えても占い師の言う”現実”ってのはトカイとの政略結婚が控えた現実のことだし、”真夜中零時”ってのは、高校卒業のことだよな?」

 

 高瀬はうなずいた。「私はいくつも反論材料を用意して占い師の話を聞いていたんだけど、そこまで言い当てられちゃうとさ、もう黙るしかなくて。占い師の言ったことを完全に信じたわけじゃないんだよ? でも、まなとがトカイさんとの結婚を本気で阻止しようとしているのは――やり方が良いか悪いかは別にして――まぎれもない事実なわけで……」

 

 俺は何を言ったらいいのかわからず口を結んでいた。

 

 彼女は苦笑した。「それにしてもまなとが私にガラスの靴を履かせるなんて――もちろん比喩なんだろうけど――なんだかうまく想像できないな。というか、一緒に暮らす未来が想像できない」


「一連の話は、周防には?」

「まさか」彼女は慌てて手を振った。「こんなことをまなとに話したら、あの人なら本当にお城を建てかねないよ。豪華な舞踏会を開くために」

 

 そして「神沢君、君を城の下僕として雇ってやるよ」とかなんとか偉そうに言ってくるんだろうな、と俺は予想した。

 

 高瀬は深いため息をついた。

「占いの夜から何日か経ったけど、私、気が滅入っちゃってぜんぜんだめなんだ。食欲はないし、人の話は耳に入らないし、授業中も上の空だし。なにか変わるかなと思って何年かぶりに髪も切ってみたけど、効果はまるでないし。それどころか似合ってなくて余計落ち込む始末。ねぇ神沢君。これから私、どうなっちゃうんだろう?」

 

 俺は高瀬が占い師にかけられた言葉をあらためて振り返り、それから自分が一年半前にかけられた言葉を振り返った。するとほどなくしてあることに気がつき、思わずはっとした。彼女の目をしっかり見据え、口を開いた。


「高瀬。これは気休めなんかじゃないんだけど、どうやら占い師の言葉は100%絶対に正確というわけではないみたいだ。俺の記憶が間違っていなければ、占い師はひとつだけ、嘘――というか、不正確なことを言っている。その食い違いがいったい何を意味するのか、今のところはわからない。だから直に会って、それを問いただす必要がありそうだ。探してみるよ、占い師を。それから、これも気休めなんかじゃないけど、その新しい髪型はとてもよく似合っている」


「ありがとう」と高瀬は言って、やっといつものように多彩な表情を見せてくれた。


 * * *


「神沢君と晴香が演じるラブストーリーの台本を、私に書けっていうの?」と高瀬は無表情で言った。


 言外に、そんな馬鹿げたことを本気で言っているの? というようなニュアンスの滲む物言いだった。


 普段は表情豊かで人あたりのよい優等生のそのどこまでも冷ややかな態度は、言うまでもなく2年H組の教室内に緊張を走らせた。


「あ、あのね優里」提案者の守口は、浮き足立つ。「なにもね、無理にとは言わないんだよ。気が進まないのなら、断ってもぜんぜんかまわないんだから」

 

 他の生徒たちも口々に高瀬をなだめたが、一方で、どうして彼女が顔を(こわ)ばらせてしまったのかわからず困惑していた。その理由を知る数少ない人物である太陽が――創作劇案を推した責任を感じたのだろう――俺にアイコンタクトを送ってから口を開いた。


「なぁみんな。やっぱり高瀬さんに台本書きみたいな裏方の仕事は似合わないよ。彼女にふさわしいのは表舞台だ。そうだ、シンデレラをやるのはどうだ? 高瀬さんをバッチリ主役に据えてさ。そうしたら高瀬さんのお姫様姿見たさにわんさか観客が集まるはずだ。優勝も夢じゃない」


「大丈夫よ、葉山君。ありがとう、気を遣ってくれて」高瀬は面映ゆそうに一瞬微笑んだが、その笑みもすぐに消えてしまった。「そう言ってくれるのは嬉しいし、シンデレラをやるなら反対はしない。でもね、悪いんだけど、私はガラスの靴なんか履きたくはないの。だから主役は、他の人でおねがい」

 

 それなら私がやる、と誰かが勇んで挙手するわけもなく、教室は再び沈黙に包まれた。


 近くの席で二人の男子が高瀬の発言についてひそひそ話をしていた。彼らはどうやら、高瀬がうおのめとか外反母趾(がいはんぼし)とかそういう足の病を患っていると勘違いしているらしかった。見当違いもいいところだが、実はな、とつまびらかに説明してやる義理もないので、俺は黙っていた。

 

 学園祭の出し物を決めるための会議は、暗礁に乗り上げたと言ってよかった。出口の見えない暗い迷路を大勢で右だ左だ言いながらさまよっているようなものだった。そんな我々のおぼつかない足下に導きの光を照らしたのは、意外な人物だ。


「ねえ加藤さん」と高瀬はすっと立ち上がって言った。「創作劇なら、鳴桜祭で優勝を狙えるんだよね?」

 

 演劇部の加藤さんは少し考えてうなずいた。


 高瀬は言った。「それじゃあ、加藤さんの目から見て、私に劇の台本が書けると思う?」


 加藤さんは今度は迷わず、書ける、と断言した。それを聞いた高瀬は、どういうつもりか柏木に一瞥(いちべつ)を投げ、短くなった髪をどことなく誇らしげに手で梳いて、クラス全体に向けてこんなことを問いかけた。


「ひとつだけ条件を出させてもらってもいいかな? わがままを言って悪いとは思うんだけど、この劇で誰がどの役を演じるか――つまりキャスティングだよね――そこを一任させてくれるなら、私は台本を書いてもいい」

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