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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・夏〈解放〉と〈アイドル〉の物語
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第62話 それはどれもお金では買えない大切なものです 3

 

 アポイントメントを事前に取りつけたわけではないけれど、voyageエンターテインメントの本社に行くと敏腕女社長は俺に会うことを二つ返事で了承してくれた。夕方の5時過ぎ、代々木の街は難しい顔をしたサラリーマンと学生と浪人生で溢れていた。


「誰かと思えば」と彼女は応接室に入った俺を見るなりすがすがしい顔で言った。「“時の人”のお出ましじゃない。そうだ。争奪戦になる前に、うちの事務所と契約してくださらない?」

 

 俺は首を振って断った。少しだけ、茶番に付き合ってやることにする。

「あいにく、芸能人になる気はさらさらないんでね」

 

 みちるさんは椅子の上で肩をすくめた。「ずいぶんと不機嫌なようで」

「そちらはずいぶんとご機嫌なようで」と俺は皮肉を込めて言った。

 

 彼女は言った。「そういえばたしか、明日の朝の便で東京を発つんじゃなかった? 今日は帰り支度で忙しいんじゃないの?」


「そうですよ」と俺は言った。「本来なら今頃、荷造りをしたり世話になった月島家の人たちにお礼を言ったりしているはずなんです。ただ、それらを差し置いてでも、俺はこうしてあなたに会いに来なくてはならなかったんです」


「あらまぁ。それはうれしいわねぇ。私もまだまだ女として捨てたもんじゃないってことかしら?」

 

 俺が冷めた目で黙って突っ立っていると、彼女はくすっと笑って向かいの椅子を勧めてきた。

「お遊びはこれくらいにしましょうか。まぁ座りなさいよ悠介。十代の若者が貴重な時間を()いてまで私に会いに来たのは、母親の旧友にムラムラしたからじゃないでしょ? 何かお話があるんでしょ?」


「俺にとってはあまり愉快とはいえない話が」と言い直して俺は椅子に腰掛けた。「みちるさん。正直俺はずっと不思議で仕方ありませんでした。あなたほどの拝金主義者がどうして俺たちにあそこまで献身的に協力してくれたのか。仮に偏差値46がIー1グランプリで活躍したところでこの会社の金庫にはびた一文入らないにもかかわらず、です」


「何を言ってるのよ。大会で優勝したいから力を貸してほしいと親友の息子に頭を下げられたら、一丁やってやろうかっていう気持ちに――」

 

 俺は手のひらを前に出し、それ以上のセリフをさえぎった。

「もう臭い芝居はやめましょう。あなたはアイドル日本一を決めるあの大会が出来レース(・・・・・)であることを途中から知っていた。いや、知っていたどころか、ミックスジュースを優勝させるための不正に直接関わっていた。大人の事情をよく心得ているタレントを何人か審査員として手配するよう、番組スタッフに頼まれたそうですね?」

 

 みちるさんはイエスともノーとも答えず指で机をコツコツ叩いていた。

「タバコを吸ってもいいかしら?」


「かまいませんよ」と言って俺は灰皿を差し出した。「なにしろここはあなたの会社なんです。タバコでも甘い汁でも存分に吸えばいい」

 

 彼女は黙ってタバコをくゆらせていた。「話を戻します」と俺は続けた。


「会社の利益にもならなければ、俺たちを優勝させることもできない。そんな状況ではあなたが手を貸す理由はどこにもないように思えます。でも実際は社長としての本業に差し障りが出るほど俺たちのために尽力してくれた。それはなぜだろう、と俺は考えていました。釣り合うだけの理由があるだろうか、と。そして今日になってようやくわかったんです。あなたの本当の狙い・・・・・が」

 

 みちるさんは灰皿に灰を落とした。「うかがおうじゃない」

 

 俺はユズの忠告を思い出した。

「なんでも聞くところによれば、あなたは自分の事務所のタレントを売るためなら手段を選ばない社長ということで、業界内ではかなり有名らしいですね。道義的に問題のあるような、あまり褒められないこともずいぶんとしてきたそうで。そして今回もあなたは、ずっと目にかけていた一人のタレントを売り出すための名案を思いついたんです」


「というと?」


「俳優として今ひとつ伸び悩んでいた大橋隆之助を一躍スターダムにのし上げて、知名度と人気を盤石なものにする。それがあなたの目的だったんですね」

 

 女社長はタバコを灰皿に押しつけて強引に火を消した。

「なかなか面白そうな説じゃない。詳しく話してごらんなさいよ」


「あなたの計画は、俺たち四人が協力を仰ぐためあなたに会いに行った二週間前のあの日から始まりました。あなたは“未来の君”をめぐる俺たちの複雑な関係性をうまく利用すれば、大橋さんの名前と顔を売ることができるとその回転の速い頭で気づいたんです。


 せっかくなのでドラマ風に置き換えてみましょうか。あなたが筋書きを書いた脚本家だとすれば、この物語の主演男優は大橋さんです。そして助演女優が柏木で、助演男優は俺といったところでしょうか」

 

 みちるさんは内線電話の受話器に手を伸ばした。「何か飲み物でも持ってこさせる?」


「遠慮しておきます」と俺は言った。ペースを乱されたくなかった。「さて。大橋さんが主役にふさわしくスポットライトを浴びる状況を生み出すには――理由は後で説明しますが――柏木がIー1グランプリの生放送の舞台に立つことが絶対条件でした。


 この計画が巧妙だったのは、あなたの思惑と俺たちの目標が合致していたところです。だからあなたは本気で俺たちを決勝の舞台に立たせようとしましたし、俺たちは利用されているなんてこれっぽっちも疑うことなくあなたの指示に従いました。


 あなたが直行さんの娘の高瀬を自分の娘役に指名したのは、てっきり、元恋人に対する当てつけか何かだと思ってましたが、あれも実はれっきとした戦略の一環だったんですね」

 

 みちるさんはもう一本タバコを手に取り、口紅みたいなライターで火をつけた。

 

 俺は少し声を高くして続けた。「メンバーの一人は巷じゃ『伝説のアイドル』と呼ばれている私の娘。おまけに披露する歌も私の大ヒット曲。となればパフォーマンスが最低限のレベルにさえ達していれば、大会関係者が勘案してこの子たちを決勝に残さないわけにはいかないだろう。


 この業界の仕組みをよく知るあなたはそんな風に予測を立てていました。ところが、ここで大きな誤算が生じます。あなたの熱心な指導もむなしく、三人の演戯はテレビに映せる最低限のレベルにすら達しないことがわかったんです。その見立てが当たっていたかどうかは……予選のあの出来を思い返せば、ここで論ずるまでもなく明らかですね。悲しいですが」


「なぁんだ」と彼女は楽しげに煙を吐き出して言った。「それじゃ計画がおじゃん(・・・・)じゃないの」

 

 俺は余裕をもって手を振った。

「いえいえ。この程度のことでくじけるほどあなたはヤワな人じゃない。偏差値46の三人は予選で実力不足を露呈したにもかかわらず、12位という高い順位になり、“あと一歩で決勝進出を逃したユニット”として結果的には生放送の舞台に立つことになります。


 それはあなたが臨機応変に脚本を書き換えることで、誤算すらも味方につけたからに他ならないわけですが、同時に、皮肉にもあなたの本当の狙いに気づくきっかけを俺に与えることにもなりました。


 本当はこんな芝居じみたクサいセリフは吐きたくないんですが、あなたの脚本では俺も役者の一人だったようなので、敢えて言わせてもらいます。さぁみちるさん。ここからが本番です。主役を活かすためいけにえ(・・・・)になった愚かな脇役が登場する第二幕に移りましょうか」


 俺はここに来る途中のキオスクで買った写真週刊誌を取り出して、あらかじめ折り目をつけておいたページを彼女の前で開いた。例の、柏木と大橋が写った記事がそこにはある。


「みちるさん。突然ですがここで問題です。この写真には明らかにおかしいところがひとつあります。それはいったいどこでしょう?」

 

 彼女はタバコを持っていない方の手で週刊誌を掴み、ざっと目を通してからそれを雑に放り投げた。

「別におかしいところなんかないわよ」


「またまた。よく見てくださいよ。あなたなら気づかないはずがない」

 そこで俺は、端正な大橋の顔を指さした。

「正解は、彼の格好ですよ。いいですか? 長身でハンサムな人気俳優が真っ昼間の繁華街を異性と一緒にサングラスのひとつもかけず歩いている。そのことに違和感を覚えないほど、あなたの目は節穴じゃないでしょう? ここに写る大橋さんは芸能人としてあまりに不用心すぎます。帽子もなければマスクもない。カツラも付け(ひげ)もない。これではまるで、週刊誌に『撮ってください』と言っているようなものだ。いや、実際にあなたは言っていたんじゃないですか? 心の中で」


「隆之助に変装せず晴香と食事に行くよう、私が仕向けたとでも言いたいわけ?」


「その通りです」と俺は答えた。「先日俺は、城之内柚(ユズ)と街で会う機会があったんですが、その時の彼女は指名手配犯かとこっちが見まがうほど抜かりのない変装をしていました。でもそれは彼女のような人気者であれば、当然のことなんです。プライベートで面が割れて良いことなんて何一つありませんからね。


 でも大橋さんはこうして一切の変装をしなかった。この不自然さに気づいた時、俺の中ですべてが一本につながりました。裏で脚本を書いている人物の存在が明らかになったんです」

 

 みちるさんの指に挟まれたタバコの灰が長くなっていた。彼女は少し慌てて灰を落とした。

「仮に私が隆之助に指示を出していたとして、こんな写真をわざわざ週刊誌に撮らせた理由はなんだと言うの?」


「他でもない。助演女優の柏木に舞台に立ってもらうためですよ」

「ちょっと何を言ってるかわからないわね」


「それじゃあ、わかるように説明します」と俺は言った。「このままでは偏差値46が予選落ちしてしまうと恐れたあなたは、強硬手段に打って出ます。番組ディレクターに、八百長に加担する見返りとして、彼女たちをどんな名目でもいいから生放送の舞台に立たせるよう掛け合ったんです。最悪、パフォーマンスは披露しなくてもいいから、と。


 ディレクターとしてもあなたに借りができた以上、その要求を無下にするわけにはいきませんでした。ただし、実力の伴わない娘たちを生放送の舞台に立たせるのなら、せめてそれなりの話題性(・・・)が必要になるというようなことを言われたんです。まぁ早い話が、数字を取れるよう何かしら手を打ってくれということですね。


 そこであなたが真っ先に目をつけたのが、大橋さんによく懐き、またアイドルになるためのアドバイスをしきりに求めていた柏木です」

 

 俺は一呼吸置いて、週刊誌を手にとった。

「こうして写真に撮られ、交際報道の出た二人の男女が生放送で同じ画面に映る。うん、よく考えましたね。たしかにこれはなかなか見物です。ダミ声のディレクターもこの週刊誌が発売された時は、さぞにんまりしたんじゃないですか」


「へぇ。その写真にそんな秘密がねぇ」彼女はまるで他人事だ。


「まだシラを切りますか。いいですよ。たしかにこの写真はあなたの暗躍を絶対的に裏付ける証拠とは言いがたいかもしれない。では――」

 俺は週刊誌を置くと、今度は別の写真を取り出した。そこにはアクリル製の額縁に納められたサイン色紙が写っている。

「こいつならどうです? これは月島の親父さんの部屋にあったものです。できれば現物を持ってきたかったんですが、そんなことをしたら死ぬまで部屋の主の生き霊に枕元に立たれそうなので、どうか写真で勘弁してください。これはあなたが書いたサインですね?」

 

 彼女は写真を直視せず流し目で見た。「そのようね」


「調べてみたところ、どうやらここ最近書かれたもののようです。なぜ一区役所職員の部屋に、伝説のアイドルの真新しいサインがあるんですか? 面識などないはずなのに」

 

 みちるさんは無言でタバコを消して、小さく舌打ちした。


「答えられるわけありませんよね。ならば俺が代わりに当ててみましょう。あなたは月島の祖父に病で倒れるふりをするよう要請するため月島家を訪れ、その際にこのサインを残したんです」


「なんのためにそんなことを」と彼女は独り言のように言った。


「念には念を入れたんですよ」と俺は言った。「柏木と大橋さんの熱愛報道だけでは心許(こころもと)なかったあなたは、次に月島の実家に目を向けます。老舗せんべい店の味を長年一人で守り続け、ついに倒れた当代。そんなおじいちゃんを元気づけるため、孫娘はけなげにアイドル日本一を目指す。なるほど。こっちもなかなか悪くないシナリオだ。なんせ感動的です。PTAも目くじらを立てない。


 口説き文句には困りませんでした。涼を優勝させるため、であるとか、お店の宣伝になる、であるとか。あなたが幸運だったのは、あそこのじいさんが実に変わった人で、一芝居打つことに難色を示さなかったこと。そしてそれ以上に不幸だったのは、月島の父親が筋金入りのアイドルファンで、大人げなくサインをねだってきたことです。本当は書きたくなかった。でもあまりのしつこさに断れなかった。違いますか?」

 

 みちるさんはしばらく黙っていたが、やがて観念したように笑って、髪をかき上げた。「ここでもし知らんぷりしたら、それじゃあいったい何の用で涼の実家に行ったのかっていう話になるものね。はぁ。万全を期したつもりだったのに……まさか昔の人気が(あだ)となるなんてね」


「まぁでも」折れてくれた礼として、健闘を称えてやることにする。「万全を期した甲斐あって、一度は遠のいた柏木の生放送出演がぐっと近づいたんじゃないですか」

「ありがと」


「ここまでくればエンディングまでもう一息です」と俺は続けた。「柏木についてはなんとかなりそうなメドが立ちました。一方で、あと一人、操らなければいけない登場人物がいます。そう、俺です。あなたの企てでは俺も大橋さんや柏木と同じ舞台に――とはいっても声の出演のみですが――立たせる必要がありました。それはあなたにとってさほど難しいことではなかった。なぜなら、たった一つ(・・・・・)のセリフを口にするだけでよかったから」


「すばらしい」

 みちるさんは手を叩く。はやくも開き直っている。

「晴香っ! 悠介の“未来の君”は、優里なのよ!」


「それは引っ込み思案な俺を誘き出すには充分な言葉でした」と俺は怒りを押し殺して言った。「そのクソみたいな嘘によって俺は柏木の誤解をいつか解かなきゃいけなくなりましたし、彼女がアイドルを目指すため本当に東京に残るかもしれないという不安や焦りに駆られました。


 もちろん大橋さんの存在も大きかった。あの人の柏木に対する軽薄な言動の数々は、『こんな男に柏木を任せられるか』と俺に思わせましたからね、強く」


「悠介が比較的まともな男の子で助かったわ」


「ウブな、の間違いでしょう」あるいは、馬鹿な、か。「なにはともあれ、これで役者は揃いました。さぁ、いよいよ、生放送当日です。これから先、どんな未来が訪れようとも、俺はこの日のことは一生忘れないでしょうね」

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