第61話 いつだってその瞳はきらきら輝いていた 3
俺はスタジオに戻って生放送の続きを観覧することにした。
番組はオープニングのハプニングがまるで嘘のように順調に進行していった。
司会のシンジラレ内藤が機知に富んだ喋りでアイドルの魅力を引き出せば、醍醐アナはインタビュアーとしてゲスト審査員や観客の声を精力的に拾ってまわった。二人とも自分に与えられた役割を文句のつけようがないくらいそつなくこなしていた。
いよいよ残るユニットは偏差値46のみという段階になって、俺の中での評価がこの二日で一変した人物が近づいてきた。「おつかれさま」と彼女はけろりとした顔で言った。そして俺の右隣の席に座った。「誰?」と左隣から太陽が聞いてきた。
「偏差値46が優勝するために全身全霊を捧げてくれた神様みたいなお方だ」と俺は、多分に嫌味を込めて我々を騙し続けてきた強欲な女社長を紹介した。
「なによ悠介」みちるさんは高圧的に足を組む。「ずいぶん含みのある物言いをしてくれるじゃない。私が何かした?」
「俺にじゃなくて自分の胸に聞いてみたらいかがですか」と突き放して俺は、ステージの上に意識を向けた。
「さぁ!」司会の内藤がちょうど声を張った。「アイドル日本一を決める戦いも、ついにラスト一組の登場を残すのみとなりました!」
「最後の最後まで目が離せません!」醍醐アナが常套句を述べる。
「いやぁ、醍醐さん。思い返せばこの大会は、しょっぱなからアクシデント続きでしたよね。わたくし長年この世界に身を置いておりますが、いち芸能人として、直感的にまだ何かが起こりそうな気がしてならないんですよ」
「それはどうですかねぇ。内藤さんは、考えすぎじゃないですか?」
「いえいえ、だって、これから登場するのはあの偏差値46ですよ? 僕の持ちネタがもうこれ以上使われないことを、今夜だけは祈ります」
「大丈夫だと思いますけどね」
残念ながら醍醐アナのその見通しは甘かった。内藤の直感が正しかった。
もくもくと噴き上がるスモークの中から現れた人数が三人ではなく四人であることを認識した内藤は、勘弁してくれよという風に一旦は天を仰いだ。そしてすぐさま「アンビリーバブル!」とマイクを握りしめて叫んだ。どことなく嬉しそうに。
いたって冷静だったのは、醍醐アナだ。カメラに映らないところでステージ下のディレクターになにやら確認を取っている。こんなの許しちゃっていいんですか、と言っているのが読唇術を使わずともわかる。
彼女がそう思うのも至極当然だろう。なにせ三人でエントリーし三人で予選を戦ったユニットがこの決勝ではどういうわけか四人に増えているのだから。そしてその増えた四人目とはあろうことか城之内柚なのだから。ただちに失格を言い渡されたとしてもおかしくはない。しかしながら、今にして思えば、そうはならないだろうという目算がユズにはあったのではないか。
ついさっき引退表明した人気絶頂のアイドルが他のユニットに加わってパフォーマンスを――現役最後のステージを――見せる。
それが良いか悪いかは別にして、多くの人の関心を引くことだけはたしかだ。こんなに美味しい見世物をあのがめついディレクターがみすみす逃すはずはない。おそらく彼女は長い経験からそう踏んでいた。そしてその読み通り、ディレクターは両腕で○を作った。さっさと持ち場に戻って場を盛り上げろ、と醍醐アナをけしかけるほどだ。
四人での出場が黙認されたとはいえ、観客席も黙っているかといえば、そうは問屋が卸さなかった。先ほど控え室で高瀬が危惧したように、会場は三人の決勝進出が決まった時以上のブーイングに包まれた。絶望的な雰囲気だった。それでもまだ、希望がまったくないわけでもなかった。よく耳を澄ましてみれば、ユズに対する声援もちらほら聞こえる。彼女の熱狂的な――きっとどこまでもついていくというタイプの――ファンなのだろう。
「おい悠介、こりゃいったいどういうことだ!?」と太陽が尋ねてきた。
「まぁ見てろって」と俺は答えた。
「ちょっと、私、何も聞いてないわよ!」とみちるさんが不満を垂れた。
「まぁ見てなさいって」と俺は答えた。
ステージ上で最初に口を開いたのはユズだった。
「みなさん、聞いてください!」と彼女はマイクを通じて客席に訴えかけた。「私たちを非難するなら、どうかパフォーマンスを見てからにしてください! 決勝の舞台にふさわしくない出来であれば、どんなバッシングも甘んじて受けますから!」
そう大見得を切るとユズは、口調をがらっと変え、今度は穏やかに語った。
「さて、なぜ私が“偏差値46”の一員として登場したのか、もちろんみなさんは気になりますよね。その答えは、これから披露する曲を聴いていただければ、わかると思います」
「今はまだ教えてもらえないということですね」と内藤は言った。
「まぁ見ていてください」とユズは答えた。
太陽は目をぱちくりさせた。「悠介と同じこと言ってやがる」
「それではあらためて紹介いたしましょう。ラストを飾るのは、偏差値46のみなさんです!」
醍醐アナが仕切り直すように四人を紹介すると、内藤は手元の資料に目を落として口を開いた。
「ではこちらの三人にもお話をうかがってみましょう。まずは優里ちゃんから。実は優里ちゃんはなんとあの伝説のアイドル“トラベリング”の黛みちるさんの娘さんだそうですね。今日この舞台に立つにあたって、なにかお母様から言葉はかけられましたか?」
「えっと」高瀬はぎこちなく笑った。「一生懸命がんばりなさい、って」
それからも内藤は母親に関する質問を立て続けにぶつけた。それらに対する高瀬の答えは良く言えば当たりさわりのない、悪く言えば面白味のないおそろしく平凡なものだった。
俺の前の席の客が退屈そうに背伸びをして、親の七光りか、とつぶやいた。そりゃヘタクソなのに予選12位にもなるか、と。いっそのこと背もたれを蹴り上げてやろうかとも思ったが、その指摘はあながち外れているわけでもないので、堪えた。
内藤は次に柏木にマイクを向けた。
「晴香ちゃんは今人一倍ドキドキしてるんじゃないの? だって、ウワサの彼氏がすぐそこのゲスト審査員席にいるんだから」
さっそく太陽が顔を近づけてきた。「彼氏? おい何の話だ、悠介」
「あいつ、迂闊にも週刊誌に撮られたんだ。大橋隆之助と二人でメシを食いに行った時に」
「はぁ? なんでおまえさん、柏木をハシリューと二人きりにさせたんだよ?」
「こっちにもいろいろあったんだよ」と俺は言った。俗世から逃れてスペインで優雅にバカンスを楽しんでいた奴に俺の気苦労がわかってたまるか。
壇上に目を転じれば、内藤と柏木が問答を続けていた。内藤がハシリューへの恋愛感情を認めさせるべく鎌をかければ、柏木は人気俳優の名声やプライドを損ねぬよう慎重に言葉を選んでそれを否定した。
当の大橋はといえば、そんな柏木の応対を悔しがるどころかむしろ、どことなく愛おしそうに見つめていた。
内藤の関心は残る一人、月島へ移った。
「君は今、実家のせんべい屋さんが大変なんだってね。なんでも跡継ぎがいないうえに一人でせんべいを焼いているおじいちゃんが倒れちゃったそうで。いやはや、これは廃業の危機じゃないの。でもさ、最後には、すべて丸く収まるといいよね。ほら、せんべいだけに」
つまらない男のくだらない発言は月島をさぞ苛立たせただろうなと俺は思った。放送禁止用語を連発して股間を蹴り上げやしないかと心配した。しかし彼女はしっかり予選の反省をしたらしく、「おじいちゃん、見てる?」とカメラに手を振って言った。「私、がんばるからね! 絶対元気になってね!」
「それではそろそろスタンバイの方を」と醍醐アナはタイムキーパーを見て言った。
四人が曲の準備に入ったことで、会場にはひとときの静寂が訪れた。俺はこの時間を利用して、ふと気になったことを隣にいる元伝説のアイドルに尋ねてみた。
「今さらですが、偏差値46に歌わせる曲を『My sweet friend』にしたのには、何か特別な理由があるんですか?」
「理由」みちるさんは指を立てる。「強いて言えば、あなたよ」
「俺? なんでまた」
「この曲はね、タイトルの通り、友情を歌った曲なの。多感な時期の女の子同士の友情。ただ当時曲作りを任されたのがこれが女心なんかひとつもわからないボンクラ男でね、メロディはなんとか出来上がったものの、他は何も思い浮かばないって言って途中で放り出しちゃったの。
で、その後を引き継がされたのが私。いっそミチルちゃんが歌詞を書いちゃいなよって。でも私としても身一つで東京に出てきたわけだし、仕事が忙しくて友達を作る余裕なんかなかったんだ。だから――」
「なるほど」と俺はやっと理解した。ともすれば彼女が母・有希子の親友だったことを忘れそうになっていた。
「だから私は、ユッキーのことを思い出して歌詞を書いたわけ。結果この曲は飛ぶように売れて、私たちの代表曲になった。まぁ当の本人は自分がヒット曲のモチーフになっているなんて、思いも寄らないでしょうけどね」
俺は苦笑してうなずいた。「テレビも見なければクラシック以外は断じて音楽と認めないという人ですから」
「偏屈なこと。誰かさんと同じで」
最後のイヤミは聞き流すとして、それにしても、と俺は思う。
みちるさんが母との友情を綴った歌が長い時を経て今、月島とユズの一度は壊れた友情を再構築しようとしているのだ。なんというか、つくづく不思議な巡り合わせだ。
そして気づけばいつしか、客席全体がざわついていた。どうやら俺と同じく、彼らはちょっとした奇跡が起きていることに気づきはじめているらしかった。
舞台では、曲の準備が整ったようだ。風向きは確実に変わった。
勝負の五分間がいよいよ幕を開ける。




