第61話 いつだってその瞳はきらきら輝いていた 2
どよめきは収まるどころかむしろますます大きくなっていた。無理もない。観客のおよそ半数はミックスジュースのファンなのだ。声援を送るために来たのにリーダーの引退表明を聞かされたとあっては、たまったものじゃない。
司会のシンジラレ内藤はスタッフの指示を受けて「ここで一旦コマーシャルをご覧いただきます」と言った。真顔だった。今こそアンビリーバブルと声の限りに叫ぶ場面ではないのかとふと思ったが、本当に驚くべきことが起こるとその専売特許は聞けないらしい。
ユズは観客席に向けて再度一礼した。それからマイクを醍醐アナに返し、なんの未練もなさそうにステージから去っていった。イチカとモモコは迷子になった子どもみたいにあたふたとしていたが、結局はユズの後を追った。
三人の姿が消えると、ディレクターが他のスタッフや司会陣を集めて協議を始めた。コマーシャルの時間を利用して今度の対応を練っているのだろう。
「おい悠介」隣の太陽が話しかけてくる。「これからどうなっちまうんだ? とりあえず、ミックスジュースは出場辞退ってことだよな?」
「そりゃあ不正を告発しておいてぬけぬけと参加するわけにはいかないだろう」
「ていうか、そもそも、番組を続行できるのか? これってあれだ、放送事故ってやつだろ」
「史上最大級の」と俺は補足した。
ほどなくディレクターたちは何かを合意して持ち場に戻った。そろそろコマーシャルから明けるようだ。
まず醍醐アナが口を開いた。
「想定外のことが立て続けに起こってしまいまして、我々も大変慌てております」
「まったく、こんな司会者泣かせの番組、初めてですよ」内藤は芸人らしく軽口を叩くも、誰一人として笑わなかった。えー、と気まずそうに喉の調子を整える。「先ほど運営本部に確認を取りましたところ、城之内柚さんの仰ったことには、いくつか事実と異なる点や誤解があるとのことでした」
この期に及んでまだシラを切るのかこいつらは、と俺は呆れた。これではまるでユズが公共の電波を使って虚言妄言をまき散らしたのだと言っているようなものだ。具体的にどこがどう事実とは異なるのかを明示しないのもまた、たちが悪い。
「しかし」と醍醐アナは何食わぬ顔で言った。「出演者や視聴者のみなさま方に大きな疑念を抱かせてしまったことも、事実でございます」
「そこで」と内藤はすました顔で言った。「審査方法を見直したうえで、第一回Iー1グランプリを開催したいと思っております」
醍醐アナはうなずいた。「本日お越しいただいたゲスト審査員の方々に優勝者を選出していただくことに変わりはありません。ただし、評価の観点が予定していたものから変更となります。審査員のみなさまが勝者にふさわしいと思うユニットを選ぶのではなくて、いちばん観客席を沸かせたと思うユニットを選んでいただきます。つまりもっとも会場を盛り上げたユニットに初代王者の栄冠が与えられることになります」
「ああ、それはフェアですねぇ。やはりアイドルは人の心を掴んでこそアイドルですからねぇ」
「放送、続くみたいだな」と俺は言った。
「なるほど、そういうことか」太陽は納得している。「番組のオープニングでユズがあんな一人舞台を演じてみせたもんだから、視聴率が跳ね上がって、やめるにやめられなくなったんだ。良くも悪くも数字がものを言う世界だからな。皮肉なもんでユズのあの行動は、結果的にこの番組への注目度を高めたってわけさ」
「さすが芸能通」と俺は唸って、再びステージに目をやった。
「それではドタバタしましたが、あらためてタイトルコールの方を」と内藤が仕切り直そうとしたところで、思わぬ人物が横槍を入れた。ちょっと待ってください。そう発言したのは、審査員席の大橋隆之助だ。
「このまま決勝戦を始めるのはおかしくないですか? だって内藤さん、さっきこう仰ってましたよね」そこで彼は先ほど内藤がしたように、〈アイ〉と言って右手の人差し指を立て、〈ワン〉と言って左手の人差し指を立てた。「『Iー1グランプリなのだから決勝に進めるのは実は11組だ』と。でも敗者復活枠のミックスジュースがステージから姿を消してしまった以上、このままだと10組で優勝を競うことになる。Iー0グランプリじゃないんだから、もう一組敗者復活させて、11組で競うべきですよ」
内藤は伺いを立てるようにディレクターの方をちらりと見た。「この際あんたのアドリブに任せる」という風にディレクターは台本を丸めて捨てる素振りをした。
「ああっ!」とここで俺が頓狂な声を出してしまったのは、大変なことに気づいたからだった。予選11位だったミックスジュースの次点はたしか――。
内藤は醍醐アナと顔を見合わせ、それから、オーケイ、と開き直ったように声の調子を上げた。
「ここまでアンビリーバブルな展開になったなら、もういっそ突き抜けちゃいましょう! ミックスジュースのまさかの棄権によってタナボタ的に決勝進出を決めたのは、なんとわずか二週間前に結成されたばかりの進学校に通う現役女子高生アイドル! Oh! 信じられない! まさにアンビリーバブル! さぁカモン、偏差値46!」
前へ歩み出る三人に対し観客席から浴びせられたのは、歓声でも拍手でもなくヤジだった。ブーイングと言った方がいいかもしれない。右を見ても左を見ても裁定への不満を訴えている人ばかりだ。俺と太陽だけが周囲から完全に浮いていた。
「おいおいおい」内藤はムキになる。「偏差値46は予選12位なんだから、この判断はいたって順当だぞ!」
太陽は眉をひそめた。「この騒ぎはいったいどうしたっていうんだ!? これじゃあ喜びたくても喜べないよ!」
俺は言った。「決勝戦を観覧しに来るくらいだから、ここにいる人はみんな知ってるんだ。予選での三人のパフォーマンスがどれだけひどかったかを」
「そんなにひどい出来だったのか?」
「プロデューサーの俺が言うのもなんだが、まぁひどかった」
太陽は流し目であたりを見回した。「それでみんな怒ってるのか」
俺はうなずいた。「決勝進出にはふさわしくないだろう、ってな」
ステージからは醍醐アナが静まるように呼びかけ続けていたけれど、一向にブーイングが収まる気配はなかった。出場を辞退しろ。地元に帰れ。ついにはそんな乱暴な言葉まで飛び出す始末だ。
「とにかく」と内藤は決然とした声で言った。「泣いても笑ってもこの11組で競います! 注目の決勝戦は、CMのあとで!」
「三人とも、だいぶ動揺してるな」太陽が案じる。
俺は出演順を知らせるモニターを見てみた。そこにはいつの間にかミックスジュースの名前が消えて、代わりに偏差値46の名前が映し出されていた。
肝心の順番は11番目――最後だ。
「さいわい、出番までにはまだ時間があるな」と言って俺は腰を浮かせた。「太陽すまん。控え室に行って、あいつらに声をかけてくる」
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控え室のドアを少しだけ開けて中を垣間見ると、案の定三人には笑顔がなかった。夢もなければ希望もなかった。哀愁さえただよっていた。何も見なかったことにしてドアをそっと閉めてしまえば俺としては楽だったが、もちろんそういうわけにはいかない。深呼吸をしてから部屋に入り、努めて明るい声を出した。
「お疲れさん。いろいろあったけど、決勝進出、おめでとう」
「言っていて虚しくならない?」月島は空笑いする。「キミも聞いてたでしょ? 私たちに対する称賛の嵐。将棋で言えば詰み、チェスで言えばチェックメイトだよ。あの完全アウェーの中でいったいどうしろと?」
「出場辞退、できないかな」弱気なのは高瀬だ。「テレビカメラのなかった予選の時でさえあがっちゃって思うように体が動かなかったのに、生放送で納得いくパフォーマンスなんかできるわけないよ。しょせん私たちは、素人なんだよ」
柏木は頬杖をつく。「しかも審査基準が変わって、どれだけ観客席を沸かせたかが勝負になるからね。アンチはいてもファンはいないあたしたちが優勝する見込みは……あはは、ないね」
賞金が懸かってるんだからやるだけやってみようとは、彼女たちの沈痛な面持ちを見れば、口にすることができなかった。
「ここまでか」と俺は言った。「でも本当によくがんばったよ。一瞬でも夢を見させてくれた。感謝する。解散式と打ち上げを兼ねてこれから焼き肉に行こう。この二週間、ずっと食べるのを我慢してたもんな。今日は思う存分食っていい。もう衣装が入るかどうかなんか気にしなくていいもんな。棄権すると番組スタッフに俺から伝えてくる。みんなは休んでいて」
ドアを開けようと取っ手を掴んだその時、腕がものすごい勢いで奥に引っ張られた。誰かがこの部屋に――明確な目的を持って――やってきたのだとすぐに気づく。「アイドルは簡単に諦めちゃダメ!」とその誰かは猛々しく言った。ドアの向こうには、見覚えのあるアライグマの着ぐるみがいた。
「アライブちゃん?」俺は状況がよく呑み込めない。テレビ局のマスコットがなぜここに?
そいつはその愛くるしい風貌に反してずかずかと部屋に入り込み、着ぐるみから顔を出した。中から現れたのは、おそらく今、巷でもっとも名前をインターネット検索されている人物だ。
「ユズ!」柏木はすぐさま臨戦態勢をとる。「どうしたのよ!? その格好はなに?」
ユズはぜぇぜぇ言いながら着ぐるみを脱ぎ捨てた。
「さっき派手にやらかしちゃったでしょ? それでいろんな人から逃げる必要があったの。マネージャー、スタッフ、スポンサーのお偉いさん。ああ、それから、イチカとモモコね。大勢の人たちから追い回されて逃げ込んだ部屋で偶然この着ぐるみを見つけて、これだ、と思ったわけ。着ちゃえ、って。マスコットだもん、局内を自由にうろついていても不自然じゃないでしょ? 我ながら名案。まぁアンタみたいに私たちの襲撃計画を企てる野蛮な女には到底思いつかないでしょうね」
「ざんねんでしたぁ。きのう、あたしも同じこと考えて実行しました」
「はぁ? 嘘つかないでよ!」
「いや、これは、本当」と俺は証言した。「きのうのアライブちゃんは、柏木だった」
ユズは顔をしかめた。
柏木は言った。
「ていうか、アライブちゃんのことは別にどうだっていいの。生放送で小学生の時のあやまちを認めたり月島に平謝りしたり、挙げ句の果てには大会の実態をぶちまけてそのまま引退宣言するなんて、いったいどんな心変わりがあったのよ?」
「あのねみんな聞いて聞いて、なんていうのは、あいにく私の性に合わない」と突っぱねてユズは、どういうわけか俺の方を横目で見た。「ただこれだけは言える。誰かさんが、『世界を敵に回す勇気を持てば楽になる』ってことを――今思えば簡単なことを――気づかせてくれたの」
俺の何気ない一言がトップアイドルに引退を決意させたのかと思って一瞬ぎょっとしたけれど、考えてみれば、そもそも彼女はみずからを取り巻く状況を快く思っていなかった。金魚のフン同然のイチカとモモコが煩わしくて仕方なかった。罪を抱えながら多くの人に『ユズちゃんユズちゃん』とちやほやされることに後ろめたさを感じていた。身を引く覚悟は常に彼女の心の中にあったのだろう。
城之内柚がマイクを置くのは、時間の問題だったのだ。
高瀬は怪訝そうに口を開いた。「ところで城之内さん、ここへは何の用で?」
「そうそう」ユズは思い出したように手を叩く。「この暑い中わざわざこんな着ぐるみを着てまで私があなたたちに会いに来たのには、きちんとしたワケがあるの」
「ワケ?」と俺は言った。
ユズはうなずいた。「三人とも、よく聞いて。棄権するなんて言わないで。決勝戦に出場して。あの地響きみたいなブーイングを聞けばもう二度とステージに立ちたくないっていう気持ちもわかるけど、もうひと踏ん張りしてみて。このどん底から逆転優勝するために、良い考えが私にはある。それを伝えに来たの」
「良い考えって、なによ?」と柏木は興奮を抑えて言った。
「偏差値46に4人目のメンバーとして私を加えて。そうすれば、勝機はほんのわずかだけど見えてくる」
思いがけぬ提案を受けて俺たちは顔を見合わせた。眉をひそめたのは柏木だ。「あの引退宣言はどうするのよ? 撤回するの?」
ユズは首を横に振った。「私は『本日をもって引退する』と言ったの。だからこの後にもう一度ステージに立ったとしても、それは嘘にならない」
「でもね」と高瀬は言った。「こう言ったら城之内さんに悪いけど、今の城之内さんに反感を持ってる人はすごく多いと思うんだ」
「そりゃあね。なにしろ『世界を敵に回す勇気』をもってあの舞台に臨んだわけですから」
「だよね。ということは、城之内さんがメンバーに入っても野次や罵声が大きくなるだけなんじゃないかな?」
「それは百も承知。だから面白いのよ。落ちるところまで落ちたら、あとは上がるだけでしょ」
「マイナスにマイナスを足しても結局のところ、マイナスにしかならないのにな」
「じゃあちょっと聞くけど、何かの拍子でその+が傾いて×になったら、どうなる?」
高瀬ははっとした。「あ」
ユズは笑みを浮かべた。「私が何を言いたいかっていうと、+を×に変えちゃうような風が、ステージの上では希に吹くってことなの。私はこれまでに何度もそういう風が吹くのを目の当たりにしてきた。でもその風を起こすのはあなたたち三人だけじゃ無理。もちろん私一人だけでも無理。四人が同じユニットになってはじめてそれが可能になる。逆転の風を巻き起こせる」
見れば三人の目つきには、鋭さが戻っていた。
どうやら焼き肉は、またの機会になりそうだ。
しかし俺には、ひとつだけ気になることがあった。「水を差すようで悪いけど」とユズにそれを質す。「実際問題として、パフォーマンスはどうするんだ? 偏差値46はずっと三人組のユニットとして歌やダンスの練習をしてきたから、ここであんたが入って四人組になると、何かと支障が出てくると思うんだが」
「あのさ、私を誰だと思ってんの?」ユズは胸を張る。「あなたたちがやる“トラベリング”の曲ならすべて、歌詞から振り付けに至るまでこの頭の中に叩き込まれてるっての。舐めないでよ。トラベリングは誇張でもなんでもなく本当に伝説のアイドルなの。私も憧れた一人で、死ぬほど練習したんだから。トリオの曲をどうカルテットの曲にアレンジするか。だいたいのプランはとっくに出来上がってる」
「そ、それはすまんかった」俺は詫びるしかない。
ユズは三人の方を向いた。「基本的には、黛社長に教わった通りに動いて。ところどころ変えてもらう場面もあるけれど、そこは私が手取り足取りレクチャーする。好都合にも、出番までにはまだ時間があるしね」
「ひとつだけ聞かせて」と柏木は言った。「どうしてあたしたちのためにここまでしてくれるの? 城之内柚ともあろうお人が」
「こう見えても私なりにけっこう責任感じてんのよ。私が台本通りにきちんと良い子ちゃんを演じていれば、あなたたちが繰り上げで決勝進出することもなかったわけで。それに――」
ユズはそこで下唇を少しだけ噛み、月島の顔をちらっと見た。
「ミックスジュースはメンバー間の仲の良さで売っていたということもあって、私はこれまで友情をテーマにした曲を多く歌ってきたんだけど、でも心のどこかでは、何か違うなってずっと感じていた。歌詞に気持ちが乗ることはただの一度もなかった。
だからラストステージくらいは無理矢理組まされた嘘の友達とじゃなくて、本当の友達と立ってみたかったの。親友と呼べるただひとりの人と。まぁ私が勝手にそう思ってるだけで、涼はそう簡単には私のことを許してくれないだろうけど」
月島は自分に集まった視線から逃れるように部屋の中をぶらぶら歩きはじめた。すると高瀬と柏木は小声で何かを話し合った。どうやら意思の疎通をはかっているらしかった。結論はすぐに出た。「月島」と柏木は言った。「どうするかは月島に任せるよ。月島がユズと一緒にステージに立つって言うんならあたしたちも気合いを入れ直すし、帰って焼き肉を食べに行くっていうんならあたしたちもヤケ食いする準備をする」
「よく考えて」と高瀬は優しく付け足した。
月島はなぜか俺の前で立ち止まった。そしてやたら甘ったるい声を出した。
「プロデューサーさぁん。優柔不断な私には、決められませぇん」
クールな月島が柄にもなくおちゃらける時というのは、実は照れている時だった。彼女の中ではすでに答えが出ていると判断してよかった。
さすれば俺がすべきことはひとつしかない。この照れ屋の背中を押すことだ。
「ユズは」月島の耳元でささやく。「一応勇気を出しておまえに謝ったんだぞ。今度はおまえが勇気を振り絞る番じゃないのか?」
月島は俺に対してあかんべえをしてから元の位置に戻った。
「柚にはいろいろと言いたいこともあるけど、今はとにかく秒でも時間が惜しい。四人で最高のパフォーマンスを見せるため、すぐに最後のレッスンを始めようじゃない!」




