第61話 いつだってその瞳はきらきら輝いていた 1
「第一回Iー1グランプリ決勝戦!」
そのタイトルコールと共にいよいよ生放送が始まった。俺はひな壇型の観覧席からステージを見下ろしている。スペインから帰ってきた太陽も一緒だ。500ある座席は日本一のアイドルが決まる瞬間をその目で捉えるべく集まった人々でほとんどが埋まっていた。
彼らの大半はひいきのアイドルの名前が入ったハッピやらハチマキやらを身につけており、さらには戦国時代の合戦を彷彿とさせるのぼり旗を振って応援する気合いの入った人もいたりなんかして、こぢんまりとしたスタジオにはライブ会場のような熱気が立ちこめていた。
実はこの大会は出来レースで優勝者はすでに決まっているなんてもし彼らが知ったなら、暴動が起きるかもしれない。
「二時間のあいだ、どうぞお付き合いください」白のタキシードを着た若い男がステージの中央で喋る。「司会進行を務めさせていただきます、シンジラレ内藤です。よろしくお願いします」
「誰?」と俺は拍手が鳴りひびくなか隣の太陽に聞いた。「シンデレラ内藤?」
「シンデレラじゃねぇよ」と太陽は言った。「ホントになんにも知らないのな。シンジラレ内藤! 今ブレイク中のお笑い芸人だよ! 事あるごとに目の玉が飛び出るようなハイテンションで『アンビリーバブル!』って叫ぶ芸風が受けてるんだ。特に中高生にな」
「それ、面白いか?」と俺は中高生のはしくれとして疑問視した。
「人気があるんだよ、とにかく! だからこうやって日曜夜7時の生放送の司会を任されてんの!」
「へぇ」としか言いようがない。
ステージ上では、MC陣の自己紹介が続いていた。
「こんばんは。内藤さんのアシスタントを担当します、アナウンサーの醍醐みさきです。暑さに負けないように、みなさん、最後まで一緒にがんばりましょう」
「誰?」と俺は再び芸能通に尋ねた。
「好感度ランキングでいつも上位にくる女子アナだよ。野球選手の三崎大悟と付き合っていて、今年のオフに結婚するっていうもっぱらのウワサだ。この二人すごいよな。生まれる前から運命で結ばれていたとしか思えない。なんせ名前が――」
「三崎大悟? そんな選手いたっけ?」
「もういいよ……」太陽はさじを投げた。
司会の内藤はわざとらしくこちらを見渡していた。
「観覧席もいい感じに盛り上がってますねぇ。放送中、僕たちがマイクを持って観客の皆さんの声を拾いに行きますから、そのつもりでいてくださいね!」
それからは醍醐アナの腕の見せ所だった。
彼女はわかりやすく大会のあらましを説明し、スポンサー会社を淀みなく読み上げ、ゲスト審査員の紹介を流暢に行った。審査チームは著名な経済評論家や落語家などで構成されていた。8人が男で2人が女だった。そのなかにはもちろん俳優代表として大橋隆之助もいた。彼は名前を呼ばれると人畜無害な笑みを浮かべてカメラに会釈した。なので俺は舌打ちした。
「さて内藤さん、そろそろ今夜の主役たちに登場してもらいましょうか」
「そうですね。男ばかり映っていてもむさ苦しいだけですからね」
「それではみなさん」と醍醐アナは会場の笑い声が収まってから言った。「どうぞ盛大な拍手でお迎えください。厳しい予選を勝ち抜いた10組と惜しくも決勝進出を逃した5組です」
予選突破組には登場に際して花道と紙吹雪とスポットライトが用意されていたのに対し、落選組にはいかなる演出も施されなかった。舞台袖からぞろぞろと出てきただけだった。
「おっ、来たぞ来たぞ」太陽は耳元でつぶやく。「三人娘のお出ましだ。それにしてもひどい待遇の差だな」
「まぁいいじゃないか」と俺は悔しさをこらえて返した。「本来ならきのうで終わりだったんだ。こうしてステージに上がれてテレビに映るだけでも、一夏の思い出くらいにはなるだろ」
太陽はあたりを見回す。「それにしてもよ、やっぱり多いな、ミックスジュースのファン。こんな人気ユニットが11位で予選敗退なんて、番組的にいいのかね?」
「ちゃんと優勝するから大丈夫だ」
「え?」
「なんでもない」
ステージにはすべてのユニットが出揃った。色とりどりの衣装に身を包んだ女の子たちが何十人とたたずむ光景は、それだけで華やいで見える。偏差値46の三人はといえば、しゃしゃり出ることもなく後方で借りてきた猫のようにかしこまっていた。
「さぁ内藤さん」醍醐アナはマイクを力強く握る。「ついにこの10組の中から初代アイドル日本一が決定するんですね」
内藤はそこでどういうわけか耳に手を当て、聞こえないふりをした。
「醍醐アナ、今、なんとおっしゃいました?」
その三文芝居は台本にはなかったようで、醍醐アナは面食らう。「で、ですから」
大丈夫、という風に内藤は手のひらを広げた。「醍醐アナ。驚かせてごめんなさいね。実はわたくし、大会運営本部からある秘密のメッセージを預かっておりまして」
にわかに会場の空気が張りつめていく。見れば、ステージの下にはいつしか、予選の審査員を務めた悪徳ディレクターがいた。俺が潜んでいるとも知らずトイレでこの大会の内幕をぺらぺら喋ったダミ声の男だ。内藤は仰々しく大会運営本部なんていう言い方をしたけれど、さしずめその機関は、あのろくでもない男のろくでもない頭の中に存在するのだろう。
内藤は続けた。
「10組しか決勝に進めないなんて、ちょっと寂しい気がしませんか」
「250組近くのユニットが予選にエントリーしてくれたわけですからね」
醍醐アナは臨機応変に答えた。
「そうなんです。そこで醍醐アナ。この大会の名前は何でしたっけ?」
「Iー1グランプリ、ですね」
「そうです」内藤は〈アイ〉と言って右手の人差し指を立て、〈ワン〉と言って左手の人差し指を立てた。そしてゆっくり両方の手を近づけた。「あれれ? こうすると、なにやら数字に見せませんか?」
「11に見えますね」醍醐アナは目を見開く。「まさか」
「その表情はお気づきになったようですね。そう。このIー1グランプリ、決勝に進めるのは10組ではないのです。実は11組なのです。そして敗者復活となるのはもちろん、予選11位だったこのユニット」内藤は満を持して得意の“アンビリーバブル”を披露したが、観客の歓声にあえなくかき消された。「いざ蘇れ! ミックスジュース!」
醍醐アナはすかさず彼女たちの元へマイクを持って移動し、前へ出るよう促した。上位10組のなかの何人かは露骨に「え、そんなのアリ?」という非テレビ的な不満顔をしていた。しかしカメラが捉えているのもミックスジュースの三人だった。
「それではさっそく、今のお気持ちを聞いてみましょうか」と醍醐アナは言ってマイクを三人に向けた。
「もうだめだと思っていたんで、夢みたいです」イチカは半べそで答える。
「信じられません。本当にアンビリーバブルです」モモコは冗談めかす。
「ちょっとちょっと」コミカルに転けるふりをしたのは内藤だ。「モモコちゃん、うれしいからって僕のネタを盗らないでよ! 営業妨害だよ!」
どっと笑いが起きる中、太陽が耳打ちしてきた。
「なぁ悠介。なんか城之内柚の様子がおかしくないか? 今は他の二人みたいに全力で喜びを表現しなきゃいけない場面だろ。でもよ、見てみろよ。あの娘、明るい顔をするどころか、思い詰めたような顔をしてる」
言われてみればたしかに、ユズの表情は硬くこわばっていた。我を忘れて飛び跳ねることもなければ、仲間の発言に合いの手を入れることもなかった。当然ながら彼女のそんな態度は番組の盛り上がりに水を差した。
「えっと、リーダーの城之内さんは驚きのあまり言葉を失っているようです」
醍醐アナはインタビューを続ける。会場の誰もがユズの第一声を待っていた。やがて彼女は思いも寄らぬ台詞を口にした。
「マイクをお借りしていいですか?」
「ど、どうぞ」
ユズはマイクを受け取ると、うろたえるイチカとモモコを尻目にステージの中央へ歩み出た。そして「私にはとても大切な友達がいました」と生放送中にもかかわらず切り出した。その一言を聞いただけで、俺は、彼女がこれから何をしようとしているのか察した。
どうやら城之内柚は、本当に世界を敵に回すつもりらしい。
ユズは言った。
「その友達は利口で素直で、やんちゃで意地っ張りだった私とはまるっきり正反対の性格でした。それでも不思議と彼女とは気が合ったんです。小学校でも放課後でも私たちはいつも一緒に遊んでいました。彼女の実家は老舗のおせんべい屋さんで、遊びに行くと焼きたてのおいしいおせんべいを茶菓子として出してくれました。あの絶妙な味わいは今でも忘れることができません」
いわずもがな、会場はざわめいている。ユズはなんの話をしてるんだ。スピーチコンテストでも始まるのか。この番組のスポンサーはせんべい屋だっけ? そんな困惑の声もあちこちから聞こえてくる。もっとも、一番困惑しているのは、ステージ下の悪徳ディレクターだろう。なりふり構わぬ大きな身ぶりで、ユズに後ろへ下がるよう命じている。
しかし当の本人は意に介さず告白を続けた。
「あるとき、私たちのクラスに若い女性の先生がやってきました。その先生は色を識別できないというハンディキャップを抱えながらも、教師として独り立ちするため、涙ぐましい努力をしていました。先生は持ち前の寛容さと親しみやすさですぐにクラスに打ち解け、みんなから慕われるようになりました。そんな先生に、私は、妬みの感情を持ってしまったのです」
徐々にではあるが、話に聞き入る人も増えてきた。隣の太陽もすっかり聴衆の一人と化している。
「ずっとクラスの中心には私がいました」とユズはカメラを意識しつつも内省的な口ぶりで語った。「私が髪を切ればそれだけでクラスのトップニュースになりました。私が忘れ物をすれば誰かが必ず手を差し伸べてくれました。スポットライトは常に私を照らしていました。でもその先生が来てからというもの、状況は一変しました。
クラスメイトの関心は私から先生へと移っていったのです。毎日のトップニュースは先生の動向になりました。みんなの善意はハンディキャップと闘う先生に向けられました。私は表向きは平静を装っていましたが、心の中は穏やかではありませんでした。
そしてついに私は、ほんの出来心から、ひどいメッセージを先生に送りつけてしまったのです。卑怯にも、誰がやったのかわからない手口で。そのメッセージは先生の人格も尊厳も傷つけるおぞましいものでした。事の重大さに私が気づいた時にはすでに、その事件は誰もが知るところになっていました」
「ひどいメッセージってなんだろう」と太陽は誰ともなしにつぶやいた。
「空や海の青さがわからないことを罵ったんだ」と俺はぼそっとつぶやいた。
「エグいな……」太陽は青ざめる。「って、なんで悠介がそこまで知ってるんだよ?」
一から説明している場合ではないので、ステージを見ろ、と顎で合図した。
「そして思いがけないことが起こりました」とユズは言った。「不運にも、最初に紹介した私の友達が、メッセージを送りつけた犯人として疑われてしまったのです。そんな状況で私は、黙っていることしかできませんでした。犯人が自分だと名乗り出れば、今度こそ本当にクラスの中心にいられなくなる。そう思うと、怖くて、声を上げられませんでした。結局その友達は犯人と断定され、クラスのみならず学校中から冷たい目で見られるようになってしまいました。私は自分の居場所を守るため、大切な友達を見殺しにしたのです」
俺はその見殺しにされた友達の様子を見てみた。直立不動でカメラに向かって述懐するユズとは対照的に、そわそわと落ち着かず視線も定まらない。さしもの月島も少なからず動揺しているようだ。
「このように私は、大きな罪を犯しました。どこまでも身勝手な理由で、二人の人間にはかりしれない傷を負わせてしまったのです。すべては私の心の弱さが招いたことです。そして私は今、再び罪を犯そうとしています。しかし私はもう同じ過ちを繰り返したりはしません。黙ってなんかいません。今度という今度は、声を上げます!」
そこでユズは深呼吸をして、マイクに向かってこう叫んだ。
「この“Iー1グランプリ”は、いかさまです!」
しんみりとしたムードが一転、会場はどよめいた。ステージ上で取り乱したのはイチカとモモコだ。二人の制止をふりきって、ユズは告発する。
「公平な審査で日本一のアイドルユニットを決めるなんて真っ赤な嘘です。予選が始まる前から結果は決まっていました。優勝するのは私たちミックスジュースです。私たちは大会運営本部によって作られた、都合のいい勝者なのです」
ステージ下では何人ものスタッフが巣を水攻めされた働きアリみたいに右往左往していた。それでもおかまいなしにユズは続ける。
「大会運営本部にはある思惑がありました。それはこのIー1グランプリを何十年と続く息の長いイベントにしたいというものです。そのためにはこの第一回大会で知名度のあるユニットに優勝してもらうことが必要不可欠でした。そうすれば番組は盛り上がり、そして賞に重みが出るからです。
しかしここで想定外のことが起こりました。毎日テレビで見るような売れっ子のアイドルは、敗退するリスクを考えて、そもそも一組もエントリーしなかったのです。そこで急きょ白羽の矢が立ったのが私たちです。運営本部は優勝を保証するからぜひともエントリーしてほしいと事務所を通じて依頼してきました。この話を聞いたとき、私はあまり気が進みませんでした。それで最初は断りました。すると向こうは次にこうささやいたのです。
『大会後はトップアイドルとしての地位は安泰だよ』と。
それは、浮き沈みの激しい芸能界に身を置く私にとって、あまりにも魅力的な言葉でした。悩んだ末、大会へ参加するという決断を下しました。そうです。私の弱い心は、再び居場所を求めてしまったのです」
それからユズはこの大会の内情をあけすけに暴露した。
審査員の中に運営本部の息のかかった者が複数名いること。敗者復活から優勝した方がドラマになるからという打算的な理由で予選を落とされたこと。優勝賞金は全額慈善団体に寄付するよう命じられたこと、等々。
観客の中からは誰ともなしに怒声を浴びせる人も現れ、スタッフが必死でなだめていた。
隣の席から太陽が顔を近づけてくる。
「なぁ悠介。忘れちゃいけないけど、これって、生放送だよな?」
俺はうなずいた。
「全国のお茶の間で絶賛放送中だ。テレビの右上あたりに『LIVE』って出ている」
「エントリーした娘たちやそのファンは、そりゃあ黙っていられないよなぁ」
「スポンサーも黙っちゃいないだろうな」
「ユズはどうけじめをつけるつもりなんだ」
「おそらく」と俺はきのうの彼女の覚悟を決めたような顔を思い出してつぶやいた。「おそらく――」
「おそらく?」
「――いや、このまま見守ろう」
「もう少しだけ時間をください」とユズは言った。「番組を楽しみにしていた視聴者のみなさま、こうして駆けつけてくださった観客のみなさま、大会にエントリーしたアイドルのみなさま、アイドルを愛するすべてのファンのみなさま。そして小学生の時にひどいメッセージを送りつけてしまった先生、それから罪を肩代わりさせてしまった友達――私の大切でかけがえのないたった一人の親友。すべての人にこの場を借りてお詫びいたします。本当に、本当に、申し訳ありませんでした」
ユズは深々と頭を下げた。彼女は長いあいだ頭を下げた。もう二度と頭を上げることはないんじゃないかと誰もが思うほどそれは長い謝罪だった。でも彼女はふたたび顔をカメラに向けた。その目は潤っているようにも見えた。
「最後になりますが、このような混乱を招いた責任はひとえに私にあります。イチカもモモコも悪くありません。悪いのは私です。今日まで私たちミックスジュースを支えてくださった全国のファンのみなさま、本当にごめんなさい。そしてありがとうございました。わたくし城之内柚は本日をもって、芸能界を引退します」




