第60話 この戦いでは大番狂わせは起こらない 3
審査結果の発表は、明日の決勝戦の舞台である大ホールにて行われることとなった。大ホールといっても帝政ローマ時代のコロッセオのように何万人も収容できるわけではないので、各ユニットを代表して一名だけ、そこへ入場することが許された。
となればおのずと、いったい誰が、わかりきった結果を聞きに行くのかという話になる。
案の定一人として手を挙げずにいたが、やがてセンターとしての役割を果たせなかった落とし前をつけなければと思ったのか、高瀬がとぼとぼと控え室を出て行った。
30分後、戻ってきた高瀬はどういうわけかいきいきしていた。「落ち着いて聞いてね」と彼女は興奮した口ぶりで言った。「えっとね、何から話せばいいのかな。とにかくけっこう波乱が起きて」
そこで扉を蹴破るような勢いで一人の少女が部屋に入ってきて、二人の仲間に何かを告げた。すると三人はライバルたちの冷ややかな視線をよそに、飛び跳ねて喜んだ。
高瀬はそれを横目で見てちょっと顔をしかめた。
「最初の波乱。予選通過1位はあの娘たち、√プレックス。すごいよね。私たちと同じでどこの事務所にも属してないノンプロなのに」
「はしゃいじゃってるなぁ」月島は傍観する。「おー、見事に他の娘たちのヒンシュクを買ってる。もっとやれ」
√プレックスの歓声が響くなか、高瀬は淡々と報告をつづけた。
「そしてこれがいちばん会場がどよめいたんだけど、あのミックスジュースが、まさかの予選落ち。優勝候補が明日の決勝に進めなかったの」
そんなわけあるか、ともう少しのところで俺は声を荒らげそうになった。優勝候補は順当に優勝することになってるんだぞ、と。
結局俺はトイレで思いがけず耳にした、この大会の黒い実態を彼女たちに言い出せずにいた。
華やかな舞台の裏で不正が行われているなんて知ったらこのお転婆たちは何をしでかすかわかったもんじゃないし、それよりなにより、ただでさえ気落ちしている三人に残酷な現実を突き付けるのは、追い討ちをかけるようで心苦しかったのだ。世の中には知らない方がいいことだってある。
それにしても、初代王者に仕立て上げなければいけないミックスジュースを予選で落とすなんて、あのダミ声のディレクターはいったい何を考えているのだろう? 素知らぬ顔で俺たちを欺き続けてきたみちるさんや大橋隆之助も含め、この業界の人は本当に腹の底が読めない。
「それで」と柏木が高瀬に近づいて言った。「あたしたちの結果は、どうだったの?」
「それが」と高瀬は言って、呼吸を整えた。「12位だった」
「12位!?」と高瀬以外の三人が驚くのも無理はなかった。舞台上でやらかした失態の数々を振り返れば、どうひいき目に見てもそれは高すぎる順位だ。下から数えて12位の間違いじゃないのか、とたしかめてみたくもなる。
「言いたいことはたくさんあるけど」一番最初に冷静になったのは月島だ。「決勝に進めるのは10位までだから、予選敗退ってことに、どっちみち変わりはないわけね」
柏木は月島の肩に手を置いた。「でもさ、月島に濡れ衣を着せた城之内柚に一泡吹かせてやることはできたよね。だってあたしたち、ミックスジュースには勝ったってことでしょ?」
「それがね」と高瀬は言いにくそうに言った。「ミックスジュースは実は11位だったの。決勝に進めないのは私たちと同じだけど、順位はいちおう、向こうの方がひとつ上なんだよね」
柏木はぎこちなく笑う。
「なんかさ、喜んでいいのか悔しがったらいいのか、よくわかんない結果だね」
月島はうなずいた。「ビミョーだ」
俺もうなずいた。「フクザツだ」
「あ、そうそう」高瀬は何かを思い出したように手を叩く。「11位から15位のユニットは『あと一歩で涙を呑んだ娘たち』として紹介するから、明日も来てくださいだって。だから私たち、生放送に出演することにはなるみたい」
「前座みたいなことをやらされたりするの?」とつぶやく柏木の瞳には、怪しい光が灯る。「10位のユニットとミックスジュースがケガをしたら、繰り上げで12位のあたしたちが決勝に出られるとか、ないかなぁ?」
控え室の空気がピンと張り詰めたのは、それからすぐのことだった。室内にいる誰もが緊張しているのに、柏木一人だけが冗談めかしてミックスジュースの襲撃計画を企てていた。
「誰を襲うって?」背後からのその声に、武闘派ははっとして振り返った。そこにいるのは、ミックスジュースのモモコとイチカだった。リーダーのユズはといえば、後方で億劫そうに壁にもたれかかって腕組みしている。
「な、何しに来たのよ?」柏木は後ずさる。
「あんたたちに用があって」とモモコは言った。
イチカが継いだ。「予選のパフォーマンスを見させてもらったけど、まぁひどかったよね。ひどすぎてタオルが投げ込まれるかと思った。それなのに、なんで12位になるの? あり得ないんだけど」
「そんなの知らないよ!」と柏木は言い返した。「そういうことはあたしたちに聞くんじゃなくて、審査員に聞きなさいよ!」
モモコとイチカは聞こえよがしにひそひそ話をはじめた。「どうせ体でも売ったんでしょ」と俺の耳にも届いた時にはさすがに、柏木は二人を本当に攻撃するんじゃないかと危惧したが、彼女もそこまで子どもではなかった。「はいはい」とあしらう。「勝手に言ってれば? 予選落ちしたからって、あたしたちに八つ当たりするのはやめてよね。優勝候補のトップアイドルさん?」
それを聞いた二人は、すかさず後ろを振り返った。
「ちょっと、なんで今日に限って黙っちゃってるのよ?」とイチカ。
「いつもみたいにユズからもなんか言ってやってよ」とモモコ。
ユズは腕組みしたまま無表情でこちらに歩いてきた。しかし彼女が言葉をかけた相手は俺たちではなく同僚だった。
「勘違いしないで。私は、『ついてきて』って言われたから仕方なくついてきただけ。いい機会だから言わせてもらうけれど、何かあるとすぐにこうやって私に頼るの、やめてよね。あなたたち、私がいなきゃ何もできないの?」
「仲間割れ?」と高瀬が俺の耳元でささやいた。
俺は口を手で押さえた。「もとから一枚岩じゃなかったみたいだ」
ユズに袖にされて体裁が悪くなったのか、モモコとイチカは顔をそれこそ桃や苺みたいに紅潮させて控え室から出ていった。ひとり残されたユズは、ため息をつくとどういうわけか俺に向けて小さく手招きした。部屋の外に来て、ということらしい。
訝しがる三人との間で板挟みになったが、知らんぷりをするわけにもいかない。俺はすぐ戻ると言い残してユズの後をついていった。
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「何度も絡んでごめんね」とユズはうんざりしたように言った。「止めても聞かないのよ、あのふたり。リーダーとして無礼を詫びるわ」
俺にも偏差値46のプロデューサーとして詫びることがあった。
「こちらこそ約一名、物騒なことを目論んでいてすまん」
「ああ、私たちを襲撃するとかなんとか? しっかし発想が原始的よね。今は石のヤリを担いで獲物を追っかけ回すような時代じゃないってのに」
ここで柏木の悪口を言っていても埒があかなかった。
「それはそうと、そっちは謝る相手が違うんじゃないのか」俺は口うるさいのを承知で指摘した。「あんたはこの先も芸能界に居続けるだろうが、明日の決勝戦が終われば、月島はスポットライトとは無縁の高校生活に戻っていく。そうなればきっともう二人が顔を合わせることはないんだろう。互いのわだかまりを解消できるチャンスは、限られているんだぞ?」
「わかってますよー」とユズは俺から目を逸らして言った。「わかってる。私だってなんとかしなきゃとは思ってる」
「だったら」
「いいの」ユズはゆずらない。「私には私のやり方があるんだから放っておいてよ。これは私と涼の問題。誰の指示も受けない」
そんな風に突っぱねられたら、俺はいかなる言葉も呑み込むしかない。
「用が済んだなら、帰るぞ。あんたと二人であまり長くいると何かと面倒なことになる」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」ユズは松葉杖を掴んでくる。「肝心なことを聞き忘れてる。モモコとイチカがしたのと似たような質問になって悪いんだけど、いったいどんな手を使って、あのド素人ユニットをもうちょっとで予選通過ってところまで押し上げたの? 下駄を履かせたんでしょう?」
「あんたが思ってるようなことは何もしてないよ。下駄もガラスの靴も履かせていない」
「またまた。裏で汚いことしたんだよね? じゃなきゃ12位なんて到底なれるわけないもの」
三人の名誉のためにも、ここは怒ってよかった。
「どうして12位になったのか、本当に俺もわからないんだ。ただひとつ、これだけは言える。やましいことは何一つしていない。裏でなんらかの思惑が働いたのかもしれないけれど、少なくとも俺はそこに関与していない。ひどいパフォーマンスだったと酷評されても反論できない。ただ、俺たちは、正々堂々と闘った。あんたたちとは違って」
「それはどういう意味よ」ユズの顔はみるみる青ざめていく。「あんた、まさか――」
俺は周囲に人がいないのを確認した。
「偶然、小耳に挟んじまってな。この大会にエントリーした千人近くの気持ちや努力を踏みにじるようなかたちで初代王者に輝く三人組ユニットの名前を」
ユズはうんともすんとも言わなくなってしまった。黙秘を決め込んだようだった。しばらくすると、俺たちの前を派手な衣装を着た二人組のお姉さんが通りがかった。ユズははっとして姿勢を正し、それから二人に挨拶した。しかし彼女たちはそれを無視するばかりか、まるで路地裏の娼婦を蔑むようなどぎつい視線をユズに送った。そして去った。
二人の姿が見えなくなるとユズは深いため息をひとつついた。
「なるほどね。あの人たちはこの業界長いからなんとなくわかるんだ。私たちが予選11位から逆転優勝するカラクリを」
俺は黙って聞いていた。ユズは肩をすくめて話し続けた。
「あんたはアイドルに詳しくないから知らないだろうけど、あの二人ってけっこう有名なコンビなのよ。私たちがデビューしたての頃は妹みたいにかわいがってくれたのに、私たちが売れていくにつれだんだん態度が変わっていって、今やついにシカトされる始末。はぁ、つくづく怖い世界。……なんだかイヤになっちゃったな、なにもかも」
最後の台詞だけは、聞き捨てならなかった。万が一の事態に備えて、窓辺をふさぐ。
「おい、はやまるなよ」
ユズは笑った。「なに変なことを想像してるのよ。飛び降りたりなんかしないわよ。どうせ死ぬなら、今まで稼いだお金を一円残らず使い果たしてから死ぬっての」
「そうかい」と俺はとりあえずほっとして言った。
「飛び降りないからその代わりに」ユズは口角を上げる。「何度もお願いして悪いけど、あんたさ、やっぱり私のことをさらってくれない?」
「断る」と俺は断った。「何度も言って悪いが、世界中を敵に回すわけにはいかないんだ」
「あんたみたいな一般人にも人生があるのか」とユズは上から目線で言って、窓の外をどことなくうつろに眺めた。「世界中を敵に……ね。うんうん。なるほど。私、いいことを思いついちゃった」
「いいこと?」
「不本意だけどあんたには何かとお世話になったからね。特別に教えておいてあげる。明日の決勝戦は、ちょっと面白いことになるよ。歴史が変わる。楽しみにしておいて」
そう言い残すとユズは、俺の反応を待たずに廊下を歩いていった。その途中彼女は何人かのスタッフやアイドルに話しかけられたが、いっさい相手をしなかった。
その背中には、並々ならぬ覚悟がにじんでいるようにも見える。まるで絞首台に向かう気高き女王のように。




