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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・夏〈解放〉と〈アイドル〉の物語
201/434

第57話 目を覚ますとそこには新しい世界が広がっていて 4


「晴香が昨日までとは全然違う。動きにキレがある。ねぇ悠介。さては私の知らないところで、何かあったでしょ?」

 

 とぼけたことをのたまう女社長をいさめる権利が俺にはあった。

「いい加減にしてくださいよ。怒りますよ?」

 

 みちるさんが柏木に真っ赤な嘘をついた翌日の午後、昨日までに引き続き我々はスタジオでパフォーマンスの練習を見守っている。


 俺の“未来の君”が高瀬だとみちるさんに聞かされて一旦はスタジオから飛び出した柏木だったが、偏差値46の一員としてIー1グランプリに出場する意向に変わりはないようで、30分もしないうちに戻ってきては高瀬や月島と一緒になって歌のレッスンを受けていた。


 ただし帰りの電車でも月島庵に着いてからも、俺には目もくれなければ話しかけもしなかった。もちろん今日も朝から俺など存在しないように振る舞い続けて、今に至っている。

 

 隣から漂ってくるメンソールの匂いが(しゃく)に障った。

「よくもまぁ自分の半分も生きていない若者の人生をめちゃくちゃにしかねない大嘘をついておいて、しれっとしていられますね」

 

 みちるさんは煙草を消すどころかむしろ、うまそうに煙を大きく吐き出した。

「でもさ、ほら、見てごらんなさいよ。今日の晴香は本当にキレッキレじゃない。しゃかりきになって練習に励んでる。あの子はね、辛いことや悲しいことがあるとそれをバネにできるタイプ。逆境に強いのね、父親の恭一君に似て。私の目論見(もくろみ)どおり、晴香は自分が悠介の“未来の君”ではないと聞かされて、発奮したのよ。そんなあの子に刺激されたのか、優里と涼もこれまでで一番動きが良いでしょう? 結果オーライじゃない。おほほほほ」


「良いか悪いかは別として、よく考えたなとは思いますよ」と俺は多分に皮肉を込めて言った。「俺が柏木に『みちるさんは嘘をついている』と言えば、それはもう『“未来の君”はおまえなんだ』と告げるのとほとんど同じです。そうなれば高瀬だって『自分が“未来の君”ではないこと』を知るでしょう、近々。


 高瀬と同じ未来を歩むことを望んでいる俺にとって、それだけは避けたい事態だ。いつかは本当のことを言わなくちゃいけないと思いますよ。ええ。高瀬に限らず柏木にも月島にも。


 でもそのタイミングは少なくとも大会本番まで一週間を切った今ではない。絶対に今じゃない。そう、俺は柏木にどんな言葉で罵られようがいくら無視されようが、みちるさんの発言を訂正することができないんです。しばらくのあいだ彼女に“未来の君”は高瀬だ、と思い込ませておくしかないんです」嘆息。「よく、考えましたね」

 

 みちるさんはしたり顔をする。「その時々の状況や個々人の思惑なんかを考慮に入れつつ、最小の労力で最大の成果を出す。それが私のお仕事ですもの。社長としては有能でしょ?」


 俺は冷笑した。「人間としては最低ですけどね」


 ♯ ♯ ♯


「そうそう、今日はゲストを呼んでるの」とほどなくして敏腕社長は言った。

「ゲスト?」と俺は聞き返した。


「現役で芸能活動をしていて、肌で大舞台を知る人間にもあの子たちを見てもらおうと思って」

「なるほど。芸能事務所社長の特権を惜しみなく使うというわけですか」


「そういうこと。ゲストの顔を見たら、腰を抜かすわよ?」


 みちるさんが招いたゲストは見覚えがある人物だったので、さいわい腰が抜けることはなかった。


 彼がスタジオに一歩足を踏み入れると、それだけで途端に空気が華やいだ。鈍い俺でさえそう感じるのだから、年頃の娘たちが彼の登場に気がつかないわけもなく、三人はダンスの練習を中断してドアの方を見やった。

 

 最初に反応したのは柏木だった。彼女は黄色い声を上げてまっしぐらにゲストの元へ駆け出した。

「大橋さん! どうしたんですか!?」

 

 人気急上昇中の若手俳優はごくごく自然に手を差し出して柏木と握手を交わすと、みちるさんに対し、肩をすくめるような仕草をした。

「社長、人使いが荒いっすよ! オレ今日何時上がりだと思ってるんすか。映画の撮影が長引いて32時っすよ! ついさっきっすよ! 一睡もしないでここに来てるんですから」


「芸能人は忙しくてナンボでしょ」と所属タレントの訴えを一蹴した女社長は、彼を近くに招き寄せ、自己紹介するよう促した。

 

 ぶつくさ言いつつも彼はそれに応じた。

「どうも。俳優の大橋隆之助(おおはしりゅうのすけ)だ。昔の総理大臣みたいで正直個人的には気に入ってないんだが、巷じゃハシリューなんていう愛称で呼ばれてる。俳優と名乗る前は歌や踊りもちょっとだけ囓ってたんで、アドバイスできることもあるかと思う。よろしくな」

 

 気づけば三人娘も俺たちのそばに来ていた。


「かっこいい」と高瀬はほれぼれして言って、俺の顔をちらりと見やった。

「脚長っ」と月島は感嘆して言って、俺の脚をちらりと見やった。

 

 いろいろと悪かったな、と俺は心でふたりに言った。

 

 ハシリューは俺と柏木を交互に指さした。

「君と君はオレと会うのが初めてじゃないよな。前に一度、たしか代々木の本社前で会ってる。あれ、デートだったのか?」

 

 それについて柏木は何も喋らなかった。もちろん俺も何も喋れなかった。


「おいおい、なんだよこの空気」ハシリューは端正な顔を引きつらせる。「オレ、なんかマズいこと言ったか?」

 

 すぐにみちるさんがなだめに入った。「まぁまぁ隆之助。多感な時期の子たちだから、なにかとあるのよ。それよりさっそく一度通しでパフォーマンスを見てちょうだい。感じたことは忌憚なく言ってもらってかまわないから」


「ラジャー」と徹夜明けの俳優はあくびを堪えて言った。


 ♯ ♯ ♯


 曲の披露が終わると、ハシリューは椅子から立ち上がって三人に拍手を送った。


「聞けば君たちはトーシロ(・・・・)だっていうから、こりゃひどいもんを見せられるぞと覚悟していたんだが、案外やるじゃないの。もちろんまだまだ粗さは目立つ。音程を外してる場所は一か所や二か所じゃ済まないし、ダンスはもっとメリハリをつけなきゃダメだ。でも不思議なんだが、見てると応援したくなってくるんだよな。一生懸命なのが伝わってくるよ」

 

 センターの高瀬が深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べた。両サイドの二人もそれに倣った。


「オレはなにも早く帰っておねんねしたくて適当なことを言ってるわけじゃねぇからな。君たちはある程度自信を持っていいと思うぞ。ただ……ただ、どことなく違和感があるんだよな」ハシリューは芝を読むゴルファーのような鋭い目つきで三人を眺めた。わかった、と手を叩く。「社長、この娘たちの並び(・・)はこのままでいいんすか?」


「そういうことは悠介に聞いて。プロデューサーは彼だから」

 

 俺はなんだか恐縮した。「ど、どうも」


「なぁ悠介」とハシリューは言った。「優里ちゃんには申し訳ないが、センターは晴香ちゃんの方が向いてると思うんだよな。オレの目が確かなら、三人のなかで一番テレビ映えするのは間違いなく晴香ちゃんだ。そんな彼女を脇に置いておくなんて、宝の持ち腐れだぞ。年間30本打つホームランバッターを7番に据えているようなもんだ」

 

 それを聞いて柏木が得意にならないわけがなかった。「ですよねー!」と始まった。「さすが大橋さん。目の付け所が違う! 大橋さんがプロデューサーだったらよかったのになぁ」


「おいおい、そんなこと言ったら彼の顔が立たないだろう?」ハシリューはまんざらでもない様子でこちらを見据える。「悠介。今からでも遅くない。考え直してみたらどうだ。Iー1グランプリで本気で勝ちにいくなら、悪いことは言わん。センターは晴香ちゃんにしろ」


「待ってください」と、俺たちの間に割って入ったのは、高瀬だ。「大橋さん。お言葉ですが、彼には彼のきちんとした考えがあって、今の配置になったんです。私は彼の考えを尊重しますし、センターに指名されたからには、必死でがんばるつもりでいます。ですからどうか、私にセンターを任せてください」

 

 有名人相手でも臆することなく高瀬が言い返したのだから、ここで黙っていたら男がすたる。俺は一歩前に踏み出す。


「芸能界で活躍されている大橋さんの仰ることは、俺の言うことなんかよりもずっと説得力があると思います。でも、ここが重要なんですが、偏差値46のプロデューサーは俺なんです。髪型を変えた方がいいとか、表情はこうした方がいいとか、そういうアドバイスであれば参考にさせてもらいますが、センターの変更だけは聞き入れるわけにはいきません」


 ハシリューは表情をまったく変えなかった。まるで“一切の感情を喪失した男”という役を演じているみたいだった。やがて静かにため息をついた。


「そうかいそうかい。オレたち演者にとっちゃプロデューサーの仰ることは絶対なもんで、そう言われたら引き下がるしかないんだが、まぁこれもなにかの縁だ。君たちのことは応援させてもらおう。実はオレもゲスト審査員としてI-1グランプリに出演することになっている。本番の舞台で会えることを楽しみにしているぞ」


 ハシリューがスタジオの出口に向かって歩き出すと、柏木がその後を追っていった。貪欲にダンスに関しての意見を求めている。


 なぜだろう、そんな柏木の後ろ姿は、いつになく大人びて見える。

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