第57話 目を覚ますとそこには新しい世界が広がっていて 1
「キミさ、社交辞令って言葉を知らないわけ?」
アイドル日本一を決める“Iー1グランプリ”に挑戦すると決まってから一夜明け、俺たち四人は代々木にある芸能事務所voyageエンターテインメントを訪れていた。無論、母の旧友であり高校の先輩でもある黛みちるさんに協力を仰ぐためだ。
素人アイドルのバックアップを要請されたみちるさんは実にかったるそうに首を回し、「そりゃあ」と続けた。「たしかに『何か困ったことがあったら私を頼りなさい』と言ったわよ。言ったけどね、それにしたって……」
すかさず俺は頭を垂れた。
「昨日の今日ですみません。さっそく困ったことになったので、頼っちゃいました」
* * *
自分が困った状況に置かれていることに俺が気づいたのは、昼食をとっている時だった。月島家との取り決めどおり午前中は店の手伝いに勤しんだ我々は、京さんが作ってくれたそうめんを居間で暑い暑い言いながら食べていたのだが、そこで柏木が思い出したように「そういえば」と話し始めた。
彼女によればなんでも、大会へのエントリーは今日の夕方5時をもって締め切られるそうで、それまでにユニット名、アピールポイント、披露する楽曲等々をテレビ局に届け出る必要があるという。
そういう大事なことをどうして昨日のうちに言っておかないんだ、と文句をつけても始まらないので、俺は箸を止めて時計を見てみた。12時半だった。つまり俺はプロデューサーとして残り正味4時間ぽっちで彼女たちをアイドル日本一に導くためのシナリオを作成しなければいけないらしかった。
それがどだい無理な話であることは、まともな人間なら誰でもわかることだった。クラス全員で流行りの一発屋芸人に扮して近所を練り歩いていれば金賞が狙える学園祭の仮装大会に参加するのとはまるでわけが違うのだ。
もし誰も頼る人がいなければ匙を投げる口実にもなり得たかも知れないけれど、俺には「頼りなさい」と――たとえ社交辞令であっても――言ってくれている人がいた。そしてその人の肩書きは、すばらしいことに“芸能事務所社長”だった。
* * *
応接室の時計は3時を指していた。みちるさんはため息をついた。
「それで、アイドル未経験ながらIー1グランプリに出場するっていうお馬鹿さんはこの娘たち?」
お馬鹿さんは聞き流して明るく自己紹介するよう、俺は三人に手ぶりで合図を出した。柏木と月島に続いて高瀬がフルネームを告げたところで、みちるさんの目の色が変わった。「彼女が直行の娘さんね?」と横目で俺に質してくる。
俺はしっかりうなずいた。みちるさんからすれば高瀬は、元恋人――“未来の君”の実子に他ならない。そこに直行さんの面影を探すように顔をまじまじと見てしまうのも、無理はなかった。
「あの、私の顔に何かついてます?」と高瀬は気恥ずかしそうに言った。
「いや、失敬」とみちるさんは気まずそうに言った。「そうね……ま、人間、頼られるうちが花か。ましてや頼ってきてるのは高校の後輩たちだものね」
「それじゃあ」柏木は身を乗り出す。「協力してくれるんですね!?」
「ただし」と先輩はぴしゃりと言って、両手の指をテーブルの上で組んだ。「やるからには本気で勝ちにいくわよ? いい? 私は負けることと中途半端なこととボランティアが大嫌いなの。これは決して遊びじゃない。真剣勝負。私はあくまでもビジネスとしてあなたたちに関与していく。それでもいいのなら、私直々にマネジメントさせてもらうわ」
もちろん俺たちに異存はなかった。三人娘は快活に「はい」と声をそろえた。
「とはいえ、しょっぱなから『優勝に向けて突っ走れ』ってのはあまりにも現実的じゃないわね」みちるさんはさっそく業界人らしくビジネスライクに話を進める。「まずは予選を勝ち抜いて生放送に顔が出ることを考えなくちゃね」
柏木が小さく挙手した。「あの、エントリーすれば、誰でも生放送に出られるんじゃないんですか?」
「そんなわけないでしょ! 何組が応募してると思ってるの。昨日の時点でもうすでに200組以上よ? その全組をテレビに出していたら24時間あっても足りないじゃない」
「200組って――」高瀬は青ざめる。そんなに? と唇が動く。
「本大会の前日に行われる予選会を勝ち抜いてはじめて、生放送へのキップが得られるの。枠はたったの10。つまり競争率は、最低でも20倍ってわけね」
「そんな狭き門を僕らは突破できるんですか?」
俺はつい自分の立場も忘れて尋ねてしまった。
「普通のことをしていたらまず無理でしょうね。なにか奇抜なことをしないと。勝負所はなんといっても歌とダンスだから、仕掛けを打つならそこよね。私が弱みを握っている変態作曲家を脅して曲を書き下ろさせてもいいけど、いまひとつインパクトに欠けるような……」みちるさんは高瀬の顔を見て何かしら着想を得たようで、そうだ、と手を叩いた。「新しい曲にこだわる必要はないんだ」
俺は小首を傾げた。「どういうことです?」
「あなたたち、私の曲を歌いなさい」
みちるさんはたしかにそう言った。
「今でこそ迫り来る更年期障害と税務署のがさ入れにビクビクするアラフォー女社長だけどね、私も上京したての頃はアイドルをしていたの。三人組の本格派アイドル“トラベリング”のセンター。1年そこらしか活動していなかった割には熱狂的なファンがついてくれて、今では『伝説のアイドル』なんて言われてるのよ。『あのトラベリングがこの夏復活!』となれば、話題性も抜群。あなたたちをなんとか勝たせようと躍起になる小賢しい番組関係者が目に浮かぶわ。決まり。私たちの代表曲『My sweet friend』を歌いなさい」
「私の父って昔からアイドルの応援が生きがいの人で」と月島は言った。「私も小さい頃からよく『トラベリングはすごかった』と聞かされていました。先輩の曲を私たちが歌えば、父はむせび泣いて喜ぶでしょうし、世間の関心も引くと思います。ただ――」
「ただ?」
「ただ、なかには納得しない人もいると思うんですよね。高校の先輩後輩というつながりだけじゃ、私たちのような無名ユニットが伝説的ユニットの曲を歌う妥当性はちょっと低いような気がするんです。一人でも多くの人を納得させるためにも――批判の芽をあらかじめ摘むためにも――もっと強いつながりがなにか必要じゃないでしょうか?」
「涼、なかなか目のつけどころがいいじゃない」みちるさんは感心しきりだ。「言われてみればたしかにその通りね。細かいことにいちゃもんをつけるケツの穴が小さい人間はいつの時代もいるものねぇ。つながり、か。つながり、ね」
彼女はそこでまた高瀬の顔をまじまじと見た。すると名案を閃いたようで、「こうしよう」と言って手を叩いた。
「三人のうちの一人が私の娘ということにしましょう。そうすれば誰も文句は言えないはず。だって親子ならばこれ以上説得力のあるつながりはないもの。血のつながりだもの」
「はいはい!」柏木がさっそく立候補した。「そういうことなら、あたしを娘にしてください」
みちるさんは自身と柏木の体つきを(とりわけ胸の大きさを)入念に見比べた。そして首を横に振った。
「晴香だけは無理がある。骨格があまりにも違いすぎる。悲しいけれど」
「それじゃどうします?」と俺は残る二人を横目で見やって言った。骨格でいうなら、月島の方が娘役にふさわしく思える。しかしみちるさんが指名したのは、こともあろうに、元恋人の血を引いた娘だった。
「優里。あなたに決めた。あなたが私の娘としてステージに立ちなさい」
「えぇ!?」高瀬は取り乱す。「本当の親子じゃないってバレたらどうするんですか!」
「バレたらその時はその時よ。それくらいのリスクを負わなきゃ、決勝なんておろか、本戦にすら進めないわよ」
みちるさん、さては、なにか良からぬことを企んでいますね?
その顔に浮かんだやけに無垢な笑みを見ていると、そう勘繰らずにはいられない。
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「次に考えるべきは、ユニットの方向性ね」と喫煙室で一服やってきたみちるさんは言った。「三人はどんなユニットで売りは何か。つまりコンセプトを決める必要があるわ。ただの歌って踊れるアイドルなんて掃いて捨てるほどいる。勝ち残るためには、ライバルとの差別化を図らないと」
「たしかに個性的なアイドルも多いみたい」
高瀬は昨夜のうちからさっそく情報収集に励んでいた。
「本格的な漫才もできたり持ち歌が演歌だったり。あ、円周率の小数点以下をひたすら暗記し続けているアイドルもいるんだって。どこまで覚えたかライブで発表するのが恒例で、ついこのあいだ三千桁に到達したらしいよ」
なんでもアリだな。それが俺の正直な感想だった。そのうち古代エジプトの緻密なミイラ作りをライブで実演してみせるアイドルも出てくるかもしれない。ファンのボルテージが最高潮になる決めゼリフはきっと、「おまえもミイラにしてやろうか!」とかだ。
みちるさんは意地悪そうに唇の端を曲げた。
「ちなみに、あなたたちは円周率をどこまで言える? はい、晴香から」
「3」と柏木は勉強不足を露呈した。
「3.14159」と高瀬は優等生の面目を保った。
「3.141592653――」28桁までそらんじてみせた月島の意外な一面には、いつも驚かされる。
「参考までに聞いておきたいんだけど」俺は話を本題に戻した。「最大の敵になりそうなミックスジュースは、何を売りにしてるんだ?」
「ミックスジュースは円周率も覚えないし一芸にも頼らない」と柏木は言った。「売りはとにかく、リーダーの城之内柚だよ。他の二人――モモコとイチカ――ははっきり言ってお飾りみたいなもので、城之内柚の引き立て役になっちゃってる。それだけ強いカリスマ性がユズにはあるってことだよね」
「私に言わせればミックスジュースのコンセプトは」とみちるさんが続いた。「『ユズのユズによるユズのためのユニット』って感じね。業界内でも『ミックスジュースならぬユズジュースだ』なんていう風刺の声まである。もっとも、そういう皮肉を言われるのは売れっ子の証なわけだけど」
「なるほど」と俺は言った。ユズジュースとはいかにも苦そうな代物だ。
柏木は気を引き締めるように拳を握る。
「ミックスジュースに隙があるとすれば、そこだね。優里、月島。あたしたちはワンマンユニットにならないよう、誰か一人だけ、というんじゃなくて、三人で一緒にがんばろう!」
がんばろうの掛け声むなしく、コンセプト決めは難航した。
三人娘に共通する特徴で真っ先に思いつくのはやはり“未来に困難が待ち受けている”という点だが、そんな看板を掲げたところで誰からも見向きされないのは目に見えていた。世の中がアイドルに求めているのは明るさや安らぎといった前向きになれる要素であって、不幸な身の上話やろくでもない大人への恨み言ではないのだ。そういうのは免疫がある俺の耳にだけ入れておけばいい。
「時間がないよ」とみちるさんは腕時計を見て言った。「エントリー締めきりまでもう一時間を切ってる。もう『これはどう? あれはどう?』なんて呑気にやってる場合じゃない。悠介。この際、プロデューサーとしてキミが独断で決めちゃいなさい」
「受験生アイドルでいきましょう」と俺は少し考えてから言った。「それならば、現役女子高生という強みと進学校に通っている強みを最大限活かせます」
「えぇ?」柏木はさっそく難色を示す。「あたし、受験なんかしないんだけど」
「これを機におまえもちょっとは勉強しろ。円周率を聞かれて『3』としか答えられないのはさすがに恥ずかしいぞ」
「グループ名はどうするの?」みちるさんは急かすように腕時計を指でつんつん突く。「さぁ、パッと頭に浮かんだのでいいわ。5秒以内に」
「ええ!?」俺がたじろいでいると、もう1秒が失われてしまった。高瀬の顔を見る。さらに1秒が経過する。柏木の顔を見る。月島の顔を見る。残り1秒。どうしよう? 受験生、そしてアイドル――。
偏差値46。
気づけば、そうつぶやいていた。「偏差値46」と今度はしっかり言い直す。
「私、そんなに低くないよ」と高瀬はものすごく不満そうに手を振った。
「あたし、そんなに高くないよ」と柏木はすこし嬉しそうに手を振った。
「さぁ続きまして“偏差値46”の登場です。それでは皆さん拍手でお迎えください!」と月島は左手をマイクに見立てて言った。そして前髪を払った。「あはは。泣けるね」
二週間後に月島が流す涙は嬉し涙か、悔し涙か、それとも――。




