第56話 地図なき航海の先に 5
「プロデューサー?」俺は自分の耳を疑った。「悪趣味なシャツの上に時代遅れのカーディガンを巻いて偉そうにイスにふんぞり返ってるあのプロデューサーか?」
「偏見持ちすぎ」柏木は呆れる。「とにかく、アイドルになるからには、なんてったって男受けを良くしなきゃいけないでしょ? でもあたしたち女の思う『カワイイ』と男の思う『カワイイ』って、全然違うの。
だからどうしたって、こういうカンジで売り出していこうとか、ここはこうした方がいいとか、そういうことを男目線でズバズバ遠慮なく言える人が必要なんだって。あたしたちのことをよく知っていて、なおかつ普段から誰よりスケベな目で見ている悠介は、まさにうってつけの人物じゃない」
俺は慌てて柏木に抗議する。「月島のご家族の前で誤解を招くような言い方するなよ」
「いいなぁ、悠介君」治さんは羨望の眼差しを向けてきた。「僕からすれば夢のような話だよ。「『プロデューサーさん、お疲れ様です』なんて一度でいいから言われてみたいもんだ」
この娘たちは間違ってもそんな高尚なセリフを口にはしませんよ、と舌の根元まで出かかったが堪えた。
「自分の感性が世の中に受け入れられるとは到底思えないんですが」
「大丈夫だって」と治さんは言った。「若いうちは何事も経験だよ。もしわからないことや困ったことがあったら、アイドルファン歴20年のこの僕も微力ながらアシストするからさ、やってみるといいよ。というか、やってよ!」
「涼パパ、そう来なくっちゃ」柏木は媚を売る。「もしあたしがメジャーデビューしたら、涼パパをファンクラブの会員一号にしてあげる」
「おおっ! なんたる名誉!」
屈託のない顔でデビュー後の青写真を描いていく柏木の頭には、俺と一緒に慎ましく居酒屋を経営する未来なんてもう存在していないみたいだった。華やかな舞台を夢見て目を輝かせる今の柏木は、たとえ裕福ではなくとも宇宙一幸せな家庭を築くと息巻いていた頃の彼女とはまるで別人だ。
「まぁいいさ」と俺は踏ん切りをつけて言った。「今さら確認するまでもないことだけど、この集まりの基本理念は『それぞれが望む未来の実現のために協力しあう』だ。おまえの望む未来が本当にアイドルデビューだって言うんなら、俺としても傍観しているわけにはいかないだろう。いいよ。やってやるよ、プロデュース」
柏木は何も返してこなかった。俺は自分が皮肉じみた言い方をしてしまったことを悔やんだ。気まずさを感じたので、彼女から目を逸らし、『Iー1グランプリ』のポスターを眺める。アイドル日本一への挑戦。真夏の東京決戦。ふと気になったのは、生放送がオンエアされる日時だ。
「おい柏木。本大会があるのは二週間後だけど、それまでどうする気でいるんだ? 俺は四泊分の準備しかしてきてないぞ?」
柏木は律儀に正座し、月島家の人々の顔を見渡した。
「そうなんです。だからみなさんのお力添えが必要になってくるんです。あたしたち三人を、大会のある二週間後まで、こちらに泊めてもらえませんか? お願いします」
「もちろんいいぞ、かわいこちゃん達」月島の祖父は、どあっふぁっふぁと笑った。
「どんなアイドルになるのか見届けるつもりだよ」治さんも了承した。
「お母さん、どうしましょう?」と京さんは言った。
「どうしましょうね」とつぶやいて考え込んだ祖母の顔には、商魂が垣間見えた。「それじゃあ、こうしましょう。『働かざる者食うべからず』とも言います。ですから、午前中はお店のお手伝いをしてちょうだい。そうしてくれれば、午後からは好きに時間を使ってかまいません。それでどう?」
「おばあちゃん、ありがとう!」言うが早いか、柏木は祖母の背後にまわり肩を揉みはじめた。「テレビに出たら月島庵のおせんべいをバンバン宣伝してくるから! ステージ衣装にこのお店のロゴを入れてもいいよ!」
あはは、と治さんは脳天気に笑う。「プロデューサーが悠介君でスポンサーが月島庵ってわけか。こりゃ面白いことになりそうだ」
面倒なことになりそうだ、と俺は思った。
高瀬と柏木はそれぞれ自宅に電話をかけて事情を念入りに説明し、保護者から東京滞在延長の許可を取りつけた。
俺は保護者はいないが雇い主ならいた。なので居酒屋“握り拳”のマスターに電話をかけて、東京でちょっとしたアクシデントに巻き込まれて五日では帰れそうにないんですと報告した。
それを聞いたマスターは怒るどころかむしろほっとした声色で「そいつはちょうど良かった」と言った。「これまでだましだまし腰痛とつきあってきたが、もう限界でな、病院に行ってみたんだ。そしたら手術しなきゃいけないって医者は言うじゃねぇか。それでしばらく店を休まなきゃいけねぇんだ、ちきしょう」
「しばらくってどのくらいですか?」と俺は聞いてみた。
「だいたい二週間ってところか」とマスターは答えた。
「お大事に」と言って俺は電話を切った。そしてため息をついた。どうやら運命の神様はこの夏休みを東京で過ごせと命じているらしい。
なにはともあれ、アイドル日本一を目指すという大博打に打って出るための足場は整いつつある。問題は――。
柏木は腕を組みながら元の席についた。「こうなると、残る問題はアイツだな」
「月島さんだね」と高瀬は言った。
俺は天井を見上げた。「月島が二階の部屋に閉じこもったままじゃ、まったくもって話にならんぞ」
高瀬はうなずく。「たとえ部屋から出てきても、晴香はスカウトさんを見返すため。私は賞金のため。私たちふたりには『Iー1グランプリ』に挑戦する理由がある。でも月島さんにはそれがない。なのに一緒にユニットを組んでくれるのかな?」
俺たち三人はどうすれば月島がやる気になるかしばし話し合った。でもこれといった妙案は誰の口からも出てこなかった。当然だ。もともと月島は目立ちたがり屋でもなければ芸能界への憧れを持っているわけでもない。それどころか深刻な男性恐怖症を抱えていて、地球上の99.9%以上の異性には強い拒絶反応を示してしまう。そんな17歳がいったいどうしたらアイドルになりたいなんて思うだろう? アイドル日本一になることになんらかの価値を見出すだろう?
あり得ない。プロデュース以前の問題である。
意見が出尽くすと、誰の顔にも疲れがにじんだ。そんななか、「見て見て!」と声を張り上げたのは柏木だ。彼女の長い指の先にはテレビがある。
そこに映し出されていたのは、派手な格好をした三人の少女だった。彼女たちは無数のフラッシュを浴び、何本ものマイクを向けられ、神妙な面持ちをしている。記者会見の最中なのだろう。
三人組のリーダーと思しき女の子はカメラに向かってこう宣言した。
「私たちミックスジュースは、二週間後に開催されるIー1グランプリにエントリーさせていただくことにしました」
リポーターのあいだからは、歓声ともどよめきともつかない声が上がる。
「ウソでしょ」高瀬の顔は引きつる。
「マズいな」と柏木まで弱気になったのは、意外だった。
だから俺は尋ねてみた。「この娘たちって、そんなにすごいアイドルなのか?」
「すごいなんてもんじゃない! 出す曲出す曲大ヒットだし、ドラマやバラエティに引っ張りだこだし、この前なんか総理大臣に招待されて一緒に花見してたし。なかでも今喋ってたリーダーの娘なんかは“アイドル界のカリスマ”って言われてるんだよ。とにかくミックスジュースは今一番勢いのあるアイドルグループなの。たしかあたしたちと同い歳。今高校二年生のはず」
会見は質疑応答へと移っていた。参加動機をリポーターに問われ、やはり中央のリーダーがていねいに答えている。
「まわりの方々からはエントリーすることに反対されました。もう充分有名なんだし出場しなくたっていいだろうと言われました。これからデビューする娘たちのチャンスを奪うことになるという批判の声もあると思います。それでも私たちは、自分たちがアイドルとしてどれくらい輝けるのか、真剣勝負の舞台で試してみたいんです。私たちミックスジュースは、日本一のアイドルになります!」
実は俺は彼女たちが画面に登場してからというもの、いわく言いがたい違和感を覚えていた。その違和感の正体は、時間の経過とともに少しずつ明らかになってきた。リーダーの娘が喋れば喋るほど、どうも月島家の人たちが居心地の悪さを感じているようなのだ。彼らにとってこの空間は最もくつろげる場所であるはずなのに。テレビを消して、と誰かが言い出しかねないような雰囲気がある。治さんに至っては、伏し目がちになって口を真一文字に閉じてしまった。人気絶頂のアイドルが映っているにもかかわらず、だ。
なにかあるな、と俺は察した。しかしそのなにかを特定することはできない。老舗のせんべい店と十代のアイドルグループのいったいどこに接点があるだろう?
俺は双方をつなぐ糸を探るべく、テレビを注視した。画面にはちょうど彼女たちの氏名が字幕で表示されたところだった。
左から順に桂桃子、城之内柚、藤井苺花。
三人とも名前に果物が入っている。“ミックスジュース”というユニット名の意味合いはさしずめ、それぞれの個性を混ぜ合わせることでより旨味が増すといったところか。
それはさておき、なにが月島家の面々の表情を曇らせていたのか、ようやくわかった気がする。ミックスジュースのリーダー・城之内柚。おそらくは彼女こそが――。
「みなさん、ちょっといいですか」と俺は言った。「気を悪くしたらすみません。きのうの夜、涼さんが話していた“ユズ”って、もしかして、今テレビに出ている城之内柚ではないですか?」
重苦しい沈黙の後で代表して答えてくれたのは、京さんだ。
「そうよ。小さい頃から歌やダンスのレッスンを受けていたユズちゃんは、中学生になって本格的に芸能活動を始めて、今や押しも押されもしない全国区の人気者になったの。あの出来事があって、逃げ隠れるように悠介君たちの街へ行った涼とは対照的に、ね」
高瀬が目をしばたたく。「神沢君、どういうこと?」
「全部話すと長くなるから細かいところは端折るけど、月島が東京を離れて俺たちの街の小学校へ転校したのは、ある事件で濡れ衣を着せられたからなんだ。あいつの中では今でもその時のことがわだかまりとして強く残っている。そしてその事件の犯人は、月島の大親友だった彼女――」俺はカメラの前で無害な笑顔を振りまくトップアイドルを顎で指し示した。「城之内柚なんだよ」
高瀬と柏木は何かを言いかけて絶句した。
しかしそれ以上に言葉を失っていたのは、上座にでんと座る月島の祖父だった。まるで先祖が化けて出たかのようにただ一点を見つめている。ほとんど放心状態だ。何事かと思い彼の視線をたどれば、そこには、先祖ではなく子孫がいた。
ぼさぼさの髪とよれよれのシャツで22時間ぶりにお出ましした月島は、「やるしかねぇな」とおそろしく低い声でつぶやいて、スイカを豪快に平らげた。
「さすがに腹が減って死にそうだったから一階に下りてきてみれば、なんだか面白そうなことになってるじゃないの。話は全部聞かせてもらった」
彼女はテレビを横目で一度見て、それからいつにも増してクールに笑った。
「高瀬さん、柏木。私たち三人で日本一のアイドルになってやろうじゃないの」




