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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・夏〈解放〉と〈アイドル〉の物語
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第54話 相棒が生きていた証を残すためにも 4

 

 月島庵の継承者になる意思がないことをどうやって切り出そうか俺が策を練っていると、意外な人物が意外な言葉を口にした。


「あのさ、みんな。なんか勘違いしてない?」と月島は家族の顔を見渡して言った。「彼が私の恋人で、この店を継ぐ気でいるとでも思ってない?」

 

 四人はうんともすんとも言わず顔を見合わせる。祖父は自身のそばにいつしかデパートの紙袋のようなものを据えていたけれど、彼は気まずそうにそれを背中の後ろへ動かした。


 月島は続ける。

「ママ。私がひとりで帰省する時にはこんなごちそうは並ばないよね? パパ。私の結婚相手にお酌をしてもらうのが僕の夢だっていつも語ってたよね? おばあちゃん。いくらおばあちゃんが昔気質な人だからといっても、彼がただの友達だったら私が苗字で呼んだくらいであそこまで神経質に怒らないよね? 最後におじいちゃん。今隠したその紙袋に入っているのは、彼のために用意したカウボーイハットとアロハシャツだよね?」

 

 祖父はしょんぼりして紙袋の中身を取り出した。図星だった。そしてあろうことか、ハットもシャツもおそろいだった。

 

 月島は指先でこめかみを押さえた。

「ねえママ。私、きちんと前もって電話で話したよね? 夏休みに連れていく男の子は恋人じゃなくて私が片想いしている人だけどそれでもいい? って。それなのに、この『ついにお婿さんがやって来たぞワッショイワッショイ感』は、いったいどういうこと?」


「だって……」京さんの応答は歯切れが悪い。「涼が男の子を連れてくるなんて初めてのことでしょう? そりゃあ私たちだって、期待しちゃうってものじゃない」


「昼間、彼を見るために大勢のお客さんが店に押し寄せてきたけど、あれは?」

 

 京さんは苦笑いを見せる。

「お得意様の一人についぽろっと言っちゃったのよ。『涼が今度ボーイフレンドを連れてくるみたいなの』って。そしたらいつの間にか話が大きくなっちゃって……」


「あのね。みんなよく聞いて」と月島はため息まじりに言った。「この人にはね、私の他に好きな女の子(・・・・・・)がいるの。その子は私なんかよりずっと可愛くて思いやりがあって勉強もできて気も利いてそのうえ育ちまで良いの。私とは比べものにならないくらい素敵な女の子なの。彼はそんな素敵な娘と一緒に大学に行く約束をしているわけ。だからお店を継ぐ気はありません。それでも彼がこうして今東京にいるのは、私が無理を言って連れてきたから。飼っていたワンちゃんが死んで落ち込みがちだった彼に旅をさせて気晴らしさせてあげようと思ったの」

 

 俺は注意深く耳をすましていたけれど、彼女の声からは芝居じみた響きは聞き取れなかった。


 我慢比べをするような重い沈黙がしばらく続いたあとで、祖父が口を開いた。

「悠介!」


「な、なんでしょう?」思わず背筋が伸びる。


「おまえさんの好きなムスメは、ええケツ・・をしとるのか?」

「はい!?」


「結局はケツなんだろ?」と祖父は目に光を宿して言った。「とぼけなくてよいぞ。ケツが魅力的だからそのムスメさんにゾッコンなんだろ? 涼は見ての通りケツだけじゃなくムネまで貧相だからの。すまんな」


「ちょ、ちょっと待ってください! べつに僕は体の一部分だけを見てその娘のことを好きになったわけじゃありません」

 それで言うなら涼さんの小振りな胸やお尻は、それはそれでむしろ好みですよ、と偽らざる本音まではご家族に聞かせる必要はないだろう。


「なんだ悠介。それでもおまえさんは男か!」祖父はにわかに気色ばむ。「わしなんかもう近々80になるというのにバリバリの現役で最高のケツを探しておるぞ。敢えて通りに面した店先でせんべいを焼いているのも何を隠そうそのためだ。せんべいの焼け具合を確かめるふりして、おなごのケツを観察しとるわけだ。もっとも、いまだに理想のケツとは巡り合っておらんがな!」

 

 東京都知事が聞いたら呆れて名誉都民の称号を剥奪しそうな台詞を立て続けにのたまう祖父に対し、月島がいつまでも黙っているはずがなかった。

「色ボケじじい、ちょっと静かにして!」

 

 礼儀には厳しい祖母も、孫を叱りはしない。それどころか「よく言った」と内心で称えているようにさえ見える。


「ずいぶん話が脱線しちゃったけど」老人の戯言は聞かなかったことにして、という風に京さんは手を振る。「悠介君はその素敵な女の子と交際しているわけではないのよね?」

「交際しているわけではないですね」と俺は正直に答えた。


「そして涼のことだってまったく眼中にないというわけでもないのよね?」

「ないというわけではないですね」と俺は正直に答えた。


「ねえ悠介君」と京さんはやけにあらたまって名を呼んできた。「こんなお願いをするのは本当に心苦しいし身勝手だと思うのだけど、高校を卒業したらこっちに来て月島庵を継いでくれないかしら?」


「悠介さん、わたしからもお願いします」祖母は深々と頭を下げる。


「僕からも頼むよ」治さんが続く。「僕も若い頃にお義父さんのもとで修行したんだけど、情けないことに三日で音を上げてしまってね。今でもそれを申し訳なく思ってるんだ。でも悠介君がお義父さんの後を継いでくれるなら、やっと肩の荷が下りるというものさ。うちの一員になってよ」

 

 説得のトリを務めるのはやはり当主だ。「わしで14代目になる」と始まった。


「『徳川幕府に追いつけ追い越せ』がわしのじいさん――12代目の口癖だった。このままわしの代で300年の伝統が途絶えるとなると、わしは天国のじいさんや先祖に合わせる顔がない。死んでも死にきれん。悠介。どうか、月島庵の15代目になってはくれんか。そして涼とのあいだにもし男の子が生まれれば、その子が徳川幕府を追い越す16代目になり得るんだ。男の子が生まれたのを見届けたらわしは心置きなくあの世に行ける。悠介。おまえさんのその手で、月島庵のせんべいを守り続けてくれ」

 

 俺の中で答えはとっくに出ていたけれど、真剣に悩むふりをするくらいの良識は持ち合わせていた。時計の秒針がちょうど一周したところで、口を開く。


「東京に来てまだ半日も経ってないですけど、月島庵が多くの人に愛されているということを僕は肌で感じました。このお店が東京にとって、地域にとって、本当になくてはならない存在だということも。ただ――」視線が刺さってくる。体に穴が空きそうだ。「ただ、僕はどうしても大学に行きたいんです。大学に行かなきゃいけないんです」


「ダイガク」誰かがそうささやいた。彼らの耳にはその四文字はさしずめ、月島一族にかけられた呪いの言葉のように響いたかもしれない。


「これは涼からも聞いてると思うけれど」京さんは身を乗り出してくる。「もし東京に来てくれるのなら、大学の費用はうちで出してあげられるのよ。それに対して悠介君は負い目を感じなくたっていい。だってそれくらいして当然よ。一人の有望な若者に無理を言って古い店を継いでもらうわけだから。悠介君はお金のことは気にせず受験勉強に集中できる。どう? そんなに悪い話ではないでしょう?」


「とてもありがたいお話です」と俺はお世辞抜きで答えた。「でも、行きたい大学はもう決まっているんです。その大学は東京にはありません。僕が生まれた街にあります。そこの獣医学部を出て、そのままその街で獣医になるのが、僕の夢なんです」

 

 治さんは腕を組んで唸った。

「どうして悠介君は、そんなにふるさとから離れたくないのかな?」

 

 俺は両の手のひらに目を落とした。季節が変わってもそこにはまだモップの温もりが息づいている。俺をあの発作の苦しみから幾度となく救ってくれた温もりだ。そう簡単に消えやしない。消えるわけがない。


「さっき涼さんも言った通り、僕は飼っていた犬を春に亡くしました。そいつは元は捨て犬でした。そして捨てられるのもうなずけるようなダメ犬でした。でもそいつは僕に多くの大事なことを教えてくれたんです。人にとってはダメ犬でも僕にとっては飼い犬を超えた存在――そう、言うなれば相棒でした。相棒が生きていた証を残すためにも、そいつが眠るふるさとの街で、犬のための仕事を僕はしたいんです」


 なぁモップ、と俺は思った。おまえは俺にこんなことを言わせてるんだよ、と。


 決意は固そうだな、とここで交渉を断念するほど月島家の人々は割り切りが早くなかった。祖父に至ってはあきらめるどころかむしろ「ブラボー!」と手を叩いた。


「『なんとなく』や『とりあえず』で大学を目指す若者も多いと聞くが、悠介はきちんとそういう『ココロザシ』があって大学に行きたいと言っておったのか。なるほどな。気に入った! ますます気に入った! 15代目にふさわしいのは、おまえさんのような気骨のある男だ! 悠介、犬の世話を焼くのもいいかもしらんが、ここはひとつ、せんべいを焼いてくれ!」

 

 わずか一ヶ月前までは俺だって将来の展望を持たずに大学進学を考えていたのだが。いずれにせよ、俺はマイナスイメージを彼らに植え付ける必要がある。


「僕は最低な人間ですよ? 考えてもみてください。さっき涼さんも言っていましたが、僕には好きな娘がいます。にもかかわらずこうして他の娘の――涼さんの――誘いにほいほい乗ってしまうんです。飛行機に乗って実家まで来てしまうんです。下心だってないと言えば嘘になります。最低じゃないですか。そんな人間を信頼できますか?」


「正直でよろしい!」当主は何度も大きくうなずく。「わしが一番信頼できないのはな、裏表のある男だ。あわよくばオイシイ思いをしようと腹の中では企んどるくせに、変に気取って『見聞を広めるために東京に来ました』とかほざく男なんか信じられるか。裏表があるのは、せんべい(・・・・)だけで充分だ。なんてな! どあっふぁっふぁ!」

 

 参ったな、と俺は豪快な笑い声を聞きながら思った。このぶんだとおそらく、何を言っても肯定されてしまう。宗教上の理由で毎朝5時には西南西の空へ向けてふんどし一丁でオカリナを吹かなきゃいけないんですと聞いても、彼らは俺を受け入れてくれるだろう。それじゃあ朝ご飯は4時にしましょうね、と融通を利かせてくれるだろう。参った。

 

 かくなるうえは、切り札を出すしかないようだった。

「みなさん」と俺は言った。「僕の父親(・・・・)が今どこにいるのか、涼さんから聞いてご存じですよね?」

 

 四人は限界までぱんぱんに膨らんだ風船を押し付け合うように無言で顔を見合わせた。最終的に風船を持たされたのは治さんだった。「刑務所、だよね」


 俺はうなずいた。「図書館に放火した罪で、今も服役しています。僕はれっきとした犯罪者の息子なんです。父の起こした事件は新聞にも載りましたし、テレビの全国ニュースでも報道されました。僕の素性を知りたいと思えば、誰だって簡単に調べることができます。


 月島庵は由緒あるお店ですよね? そして後継者に対する注目は、区のコミュニティ誌が取材に来るほど高い。僕がお店を継げば、遅かれ早かれ誰かが僕の正体を暴きますよ? 犯罪者の子が月島庵のせんべいを焼いているという話は、たちまち広まるでしょう。そうなればこの店の看板に傷がつきます。いいですか? 僕が15代目になるということは、そういうことなんです。どう考えたって、僕は後継ぎにはふさわしくないですよ」


「それについては、私たちもよく話し合ったの」と京さんは言った。「悠介君の言う通り、きっといつまでもお父さんのことを隠してはおけないでしょうね。お客さんの中には悠介君に心ない言葉を浴びせる人だっているかもしれない。でもね、何があろうとも、月島家一丸となって悠介君を守ります。もしお父さんのことをあげつらう人には――たとえお得意様でも――もう二度とうちの暖簾(のれん)をくぐらせません。それが私たちの出した結論。月島庵の総意です」


「一蓮托生ですよ」と祖母は付け足し、祖父と治さんはうなずいた。どうやら京さんの話は額面通り受け取っていいらしい。

 

 俺の頭に真っ先に浮かんだ言葉は「ありがとう」でも「本当ですか?」でもなく「どうして」だった。


「どうして僕のためにそこまでしてくれるんですか? お店の存続を考えれば背に腹はかえられないというお気持ちがあるのかもしれませんが、それにしても、僕に対して寛容過ぎますよ」

 

「簡単な話だ」と祖父がそれに答えた。「涼はわしら月島家の人間にとって、かけがえのない宝なんだ。おまえさんはその涼が認めた男だ。だから手厚く迎える。それだけのことだ。何も難しいことはない。わしらはな、涼の物事を見る目を信じておるんだ。涼が白だと言えば白だし黒だと言えば黒なんだ。善と言えば善だし悪と言えば悪なんだ。そんな涼が連れてきたのが悠介、おまえさんだ。賭けてみるだけの(あたい)はあるだろう」


「そういえば」京さんは笑うのを堪えていた。「電話でいつもこの子が何を話すかってね、勉強や友達のことは差し置いて、ほとんど悠介君のことなのよ。『あのねママすごいんだよ。ゆう君が私の料理を褒めてくれ――」

 

 そこで何も聞こえなくなった。月島が俺の耳をふさいでいる。ゆう君(・・・)


「ちょっとママ!」と彼女はわめいた。「娘との電話の内容をバラしちゃうとか、それでも母親? あり得ないんだけど!」

「何も隠すことないじゃないの。本人の前だからってすっかり”女子”になっちゃって」

 

 そんな妻子のやりとりを微笑ましそうに眺めていた治さんは、俺の肩に手を置いた。「悠介君、とにかくね、みんな歓迎してるから。お父さんのことで辛い思いもたくさんしてきただろうけど、心機一転して、うちに来るといいよ」

 

 その言葉を噛みしめる間もなく祖父が話しかけてきた。

「だいたいな悠介。さっきおまえさんは『自分が15代目になれば店の看板に傷がつく』というような心配をしておったが、それで言うなら、もうとっくに傷はついてるんだ」

 

 かすかではあるが、空気が張り詰めたのを俺は感じた。「とっくに傷はついている? どういう意味です?」

 

 一転して今度は誰も俺と目を合わせようとしない。「なんだ涼」と祖父は言いにくそうに言った。「もしかして、悠介にあの話(・・・)をしておらんのか?」

 

 月島は前髪をかきあげた。「特別する必要もないかと思って」

 

 治さんは目をしばたたく。「それじゃあ悠介君は、どうして涼が君の街の小学校へ転校したのか、その理由を知らないのかい?」


「僕らの街へ出向が決まった治さんに、興味本位でついてきたものだとばかり」

 少なくとも俺は、本人からそのように聞いていた。


「興味本位」祖母はそれを否定するように咳払いをした。「涼。悠介さんに本当のことを知ってもらうのが、(すじ)というものだよ」


 月島は家族の顔を順に見た。そして最後に俺の顔をまじまじと見た。

「ですよねぇ。きちんと話さなきゃね、あのこと(・・・・)


「おい、無理しなくていいんだぞ」と俺は月島に耳打ちした。


「いや、無理する」と彼女も耳打ちで返してきた。「キミからすると私はいまだに『謎多き女』なんだろう? 私はいつまでもそんな風に思われたくないのだよ。気は重いけど、そのイメージを取っ払うため話す。がんばるから、そうだな、ちゃんと話せたら、今夜は一緒の布団で寝てよね。いいでしょ? 下心があって私の誘いにほいほい乗ってきた最低な人間の悠介君?」

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