第54話 相棒が生きていた証を残すためにも 2
「この店のない東京は富士山のない日本のようなものだ」とまで舌が肥えた江戸っ子に言わしめる”月島庵”はその名声とは裏腹に、ひっそりした住宅街の中で店を構えていた。
自慢のせんべいは店先で焼いているそうで、醤油の香ばしい匂いが店の30メートルほど前で立ち止まった俺の鼻にも届いた。俺の足が止まったのには理由があった。店には人だかりができていて、その中にはカメラを携えた人もいたのだ。そして彼らは店の取材というよりもむしろ、もうそろそろ訪れるであろう誰かを今か今かと待ちわびているように見えた。
誰か。たとえばそう、後継者のいない老舗せんべい店に救いの手を差し伸べに来た殊勝な若者とかを。
「やっぱり帰る」俺は危険を察知し、反射的に踵を返した。
「そうはさせるか」月島は俺のシャツの襟首を鷲掴みして、そのまま実家へのしのし進んだ。俺だって必死に足掻いたけれど、彼女の帰還の意志に勝つことはできなかった。
群衆は墨田区のタウン情報誌の編集クルーと、日頃から月島庵をひいきにしている常連客とで構成されていた。予想に違わず、彼らの目的は俺だった。
月島庵の後継候補に対する注目度の高さは瞠目に値するものだったけれど、それ以上に俺の目を見開かせたものがあった。店頭で伝統のせんべいを焼くおじいさんの格好だ。
せんべい職人の仕事着といえば和装と相場が決まっているものだとばかり思っていたが、とんでもない。彼はイルカが柄になっている水色のアロハシャツに身を包み、頭にはマカロニウエスタンでガンマンが着帽しているような小洒落たカウボーイハットをかぶっていた。
アロハシャツを着るなら麦わら帽子の方がコーディネイトとしてはふさわしい気もするが、とにかくそれはカウボーイハットだった。そしてビートルズの『レット・イット・ビー』を口ずさみながら――ところどころ英語が怪しかったが――せんべいの焼け具合をたしかめていた。
タウン誌の編集者も常連客も、そんなキテレツな店主がいるキテレツな光景をあたりまえのものとして受け止めていた。ということは、どうやら今日だけたまたまそういうエキゾチックな身なりをしているわけではないらしかった。
念のため「おじいさんって日本人だよね?」と孫娘に確認してみると、「生粋の江戸っ子でございやす」と返ってきた。
俺と目が合うと月島の祖父は『レット・イット・ビー』を歌うのを中断して「よう来た悠介! ウエルカム!」と、孫の帰省を喜ぶより先に俺を歓迎した。それがきっかけとなって、群衆からはどっと拍手が沸き起こった。もし今ここに神輿があったなら、俺をその上に乗せて近所を練り歩く勢いだ。
言うまでもなく皆の視線は月島ではなく俺に注がれている。これではどっちがこの家の孫なのかわからなくなってくる。
編集クルーが俺に取材を申し出てきたけれど、「長旅で疲れてますので休ませてあげてください」と月島が断りを入れ、俺を店内に導いた。そこには彼女の母親と祖母がいて、てきぱきと働いていた。ふたりが着ているのは三日月の模様がプリントされた法被だった。どうやらアロハシャツが月島庵の公式ユニフォームというわけではないらしい。
「あら、いらっしゃい」とおばあさんは非営業的な声と笑顔で俺を迎えてくれた。あいさつも兼ねて自己紹介くらいしようとしたけども、それより先に月島母が「この状況だと仕事にならないからどこかに隠れてもらって?」という風に娘に目配せしたので、俺は用意した言葉を呑み込まねばならなかった。
「二階に行こう!」月島のその勇敢な姿は、ゾンビの群れから恋人を救い出すヒロインのようでもある。
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俺が通されたのは月島本人の部屋だった。ベッドやテーブル、クローゼットといった家具はひととおり揃っているのだが、この六畳間には生活感がまったくといっていいほどなかった。それもそのはずだ。彼女がここに戻るのは今年の正月以来なのだから。
「バタバタしていて悪いけど、私はさっそく店の手伝いをしなきゃいけないんだ」月島はリモコンでクーラーをつける。心地よい風が汗ばんだ肌を撫でていく。「店の営業が終わる6時まで、神沢はこの部屋にいて。ごめんね」
俺は腕時計に目をやった。6時まではまだ3時間以上もある。
「おまえの部屋に俺一人を残していいのかよ?」
「大丈夫」月島は鏡の前で忙しなく身だしなみを整えた。「キミはそこのクローゼットから私の下着を取り出して『涼ちゃん、ハァハァ』って匂いを嗅いだりしないでしょ?」
「しないけどさ」本当にしないけどさ。
月島は鏡越しにくすくす笑った。
「冗談を言っている時間はないんだった。喉が渇いたら台所の冷蔵庫を開けて麦茶でもジュースでも好きに飲んでいい。というか、そんだけ汗かいてるんだから、飲め。もし小腹が空いたらせんべいをお食べ。うちには売るほどあるから」
彼女が部屋を出て行くと、俺はキャリーバッグからタオルを出して汗を拭い、肌にへばりついていたシャツを脱いで新しいものに着替えた。立ち上がって、クーラーの風を全身に浴びもした。ついでに両手も広げた。するといくらかすっきりした。
それにしても、俺が月島庵の跡を継ぐのが既定路線のようになっているのはどういうことだろう?
まあいいさ、と俺は自分に言い聞かせるように独りごちた。月島の心にどのような魂胆が渦巻いていようとも、墨田区民がどれだけ俺に期待をかけていようとも、俺にはこの店を継ぐつもりが毛頭ないということだけははっきりしている。
俺の夢はただひとつ。生まれ育ったあの街で獣医になることだ。東京でせんべいを焼くことではない。心が痛むが、月島のご家族にはそれをきちんと告げる必要がある。俺の口から。
高瀬は今頃どうしているだろうか、と俺はふと思った。
都会のせんべい屋の娘さんの部屋にいながら地方のスーパーの娘さんのことを考えてしまったのは、獣医になっている未来をイメージしたせいだろう。
高瀬は『未来の君に、さよなら』のリライト作業をとうに終え、とある中堅出版社が主催する新人賞に完成した処女作を応募していた。「夏休みには動きがあるかも」と高瀬は自信ありげに語っていた。まぎれもなく今は夏休みだ。その動きが今日あったとしてもおかしくはない。
俺ははっとしてキャリーバッグからスマートフォンを取り出した。そして慌てて機内モードを解除した。しかし高瀬からの連絡はなにも入っていなかった。
それで俺は残念がると同時に安堵した。
好きな娘が心血を注いで挑戦した小説の新人賞で満足いく結果を得られたという一報を、他の娘の部屋で知る。それはいかなる観点から見てみても男としてあまり褒められるものではない。ましてや高瀬は、副賞の賞金を俺の学費に充てるため奮闘していたのだ。もし俺の所在が彼女にばれたら、どんな言葉で罵られても俺は反論できない。
しかしそのようなリスクを背負うことになっても、俺は東京に来ないわけにはいかなかった。
俺の運命を翻弄し続ける”未来の君”の謎に迫りたいという好奇心をどうしても抑えることができなかったのだ。すべての発端である老占い師が姿を現さない以上、20年前に俺と同じように占われた黛みちるから直接話を聞くより他に、その好奇心を満たす方法はないように思えた。
彼女の母親によれば、黛みちるは現在、代々木にある芸能プロダクションで働いているということだった。未婚で、子どもはいない。
先輩本人に会って聞きたいことがあるんですと俺が言うと、彼女の母親は手紙を一筆したためて俺に持たせてくれた。「会社の受付でこれを渡せば、あなたが怪しまれることもないはずよ」と彼女は言った。それだけでもありがたいのに、なんとバーベキューの写真と”未来の君”という記述があった日記帳まで貸してくれたのだった。
俺は感謝を告げて黛邸を後にした。そして飛行機代と宿泊費を浮かせるため、月島の誘いに応じる旨を本人に伝えた。もちろん真の目的は伏せて。それがついこのあいだ、晩春の出来事だ。
俺はバッグの奥からバーベキューの写真を取り出した。そこには高校生時代の母・有希子と柏木恭一、それから高瀬の父親と黛みちるが写っている。複雑に絡み合った糸を解きほぐすため、なんとしても代々木に行かなきゃいけない。
代々木へはどうやって行けばいいんだ? と首をひねったイナカ者の心臓を飛び跳ねさせたのは「東京に来てまで難しい顔してんなよ」の一声だった。見れば、ドアの前にはいつしか月島が立っていた。
「なな」ろれつが回らない。「なんだよ。せめてノックくらいしてくれよ」
「なにゆえ私が自分の部屋に入るのにいちいちノックしなきゃいかんのだ」ワンピースから三日月の法被に着替えた月島は、手にお盆を持っていた。「ほら、なんでも好きに飲んでいいとは言ったけど、神沢って意外と常識人だからさ、人の家の冷蔵庫を勝手に開けられないだろうなと思って。熱中症で倒れられたらこっちとしても困るわけでね」
月島がコップに麦茶を注いでくれているあいだ、俺は姿勢を正すふりをして写真を背後に隠した。ばれないように、その法被はよく似合ってるな、などと三味線を弾く。
「そりゃどうも」と彼女は無愛想に答えて、再び仕事に戻っていった。
俺はほっとして麦茶を飲み、それから写真をバッグの奥深くにしまった。やはり月島の部屋にいるあいだくらいは、月島のことを考えるのが無難であるようだ。
月島のこと。
俺の命をこの世界につなぎ止めた娘のこと。
そういえば俺は彼女のことを知っているようで知らなかったりする。よくよく考えると謎の多い娘だ。高瀬より女っぽい一面もあれば柏木より男勝りな一面もある。誰よりもプライドが高いかと思いきや、あっさり弱みをさらけ出してきたりもする。
俺が的外れなことを言うと怒る。的確なことを言っても怒る。頭の形の良さを褒めると怒る。脚を見ると怒る。でも、脚を触っていいよ、とか抜かす。舐めていいよ、とか抜かす。右投げ左打ち。料理が得意。夜中に電話をかけてきて「マンボウを飼いたいんだけど、どうしたらいいんだろう」という相談を延々とし続ける。
……なんだか余計に謎が深まってしまった気がする。
月島の人格形成に対し、中学時代の暴行未遂事件が大きく影を落としているのは間違いないだろう。しかしくだんの一件が彼女のパーソナリティの一切を決定づけたというわけでもなかった。俺が覚えている限り、シニカルで浮き世離れした傾向は事件以前の月島にも認められた。
彼女はまだ芯が通りきっていない十代前半の少女にしては珍しく、とにかく何者にも迎合しない娘だった。学級委員長を決める選挙で当選する見込みのない(けれど言っていることは案外筋が通っている)泡沫候補にひとりだけ票を投じるような娘だった。地震の被災地に折り鶴を贈ろうという話がクラスで持ち上がった時も「かえって迷惑になるからやめよう」と異を唱える娘だった。
決して揺らぐことのない独自の価値観を持ち、その価値観に忠実にしたがって取るべき行動を決めていく。月島涼とは今も昔もそういう娘だ。謎が多くともそれだけははっきりしている。
俺は部屋を見渡して、ここで暮らしていた頃の月島の様子を窺い知れるものがなにかないか探した。彼女がいつの時点でその価値観を身につけたのか、いささかなりとも関心があった。
人の過去を詮索するようでなんだか気が咎めるけれど、なんせ時刻はまだ3時半だ。6時まではまだだいぶある。
たしかあいつは小学5年の時に俺たちの街に来たんだよな、と俺は思い出した。父親の出向に興味本位でついてきたのだ。となれば、転校していく月島に対する寄せ書きなり、それまでの記念写真を収めたミニアルバムなりがあってもおかしくないはずだ。
俺は階下にいる月島に悪いなと思いつつ本棚を物色し、勉強机の引き出しを開けた。
下着類が目に入らないよう注意を払いつつクローゼットを調べ、押し入れを調べた。
しかし探していたものはどこにも見当たらなかった。それで俺はなるほど、と思った。月島は案外義理人情に厚いところがあるから、置きっ放しなんかにせず俺たちの街まで持っていたんだろうな、と。
結論からいえば、俺のその読みは見当違いもいいところだった。
月島はそもそも、寄せ書きもアルバムも与えられていなかったのだ。
小学生の彼女がある出来事によって耐えがたい屈辱にまみれた結果、転校を余儀なくされたということ。そしてその出来事こそが彼女の価値観を一変させたということを俺が知ったのは、耐えがたい暑さが東京に居座り続けていたこの日の夜のことだった。




