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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・春〈愛情〉と〈幽霊〉の物語
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第53話 満開の桜を咲かせて 1

 

 夏至が近いせいで、午前4時という時間にもかかわらず外はほのかに明るくなっていた。夜と朝が共存する街は、俺の知る街とはまるで別の街だった。


 明らかに俺より年下の女の子が明らかに不惑を迎えている中年男と一緒にホテルから出てきたかと思えば、女性器のありとあらゆる呼称を叫びながら自転車で暴走するジェントルマンもいた。


 そこはまったくもっておかしな世界だった。法も秩序もあったもんじゃなかった。もっとも連中からしても、死んだ犬を背負って歩く目つきの悪い男子高校生がいる世界は、まともに見えなかっただろう。


 でも俺は目的を果たすべくひたすら歩き続けた。まともだろうがおかしかろうが、俺とモップが共に生きていたのはこの世界だ。


 さくら公園に着くと、入口にはすでに四人の姿があった。もうすでに夜は街から完全に退場していた。高瀬の両目の下にはごまかしきれないくらいのくま(・・)ができていて、彼女もまた一睡もせず朝を迎えたことがうかがえた。


「こんな朝早くからすまないな」と俺は高瀬以外の三人に詫びた。「どうしてもおまえたちも一緒にモップを見送ってほしかったんだ」

 

 太陽は沈痛な面持ちだ。「なんだよ、本当に死んじまったのかよ……」


「花見からまだ一ヶ月くらいしか経ってないよね?」柏木は口元を手で覆う。「あの頃は元気そうだったのに。こんなの、急過ぎるよ……」

 

 月島は俺の背中のモップを撫で、下唇を噛んだ。

「神沢はこの公園にモップ君を埋葬するつもりなんだね?」

 

 俺はうなずいた。

「いろいろ考えたけど、それが一番だと思った。ここはモップと出会った場所だし、散歩で何度も来た場所だし、なんといってもみんなで楽しく花見をした場所だ。モップはこの公園が本当に好きだった。最後くらい、お気に入りの場所で眠らせてやりたいだろ?」

 

 高瀬は園内を見渡した。

「どうせなら、お花見をした桜の木の下がいいよね。あの木は特別目立つから、公園の外からでも『あそこにモップが眠っているんだな』ってわかるもの」

 

 誰もそれについて異を唱えはしなかった。俺たちは誰が言い出すでもなく粛々と歩き出した。

 

 桜の木は一ヶ月前とは打って変わって青々とした若葉を茂らせていた。朝露に濡れた葉は陽光を浴びて、きらきら輝いて見えた。新しい季節はすぐそこまで迫っているようだった。俺は夏を共に迎えられなかった相棒を土に還すべく、太陽が持ってきたシャベルを借りて地面を掘り始めた。


 おそらくこうして公共の場に動物のしかばねを埋めるのは法律か何かに抵触するのだろうけど、そもそもルールを定め運用する大人側に最低限のモラルを持つ人がもう少し増えてくれれば、俺は徹夜明けにこんな穴を掘らずに済んだのだ。この程度の掟破りで誰かにとやかく言われる筋合いはない。罰金を払えというならいくらでも払ってやる。モップの安眠を思えば安いものだ。


 とはいえ誰かに行為を見とがめられると、実際問題として面倒なことになる。罰金で済めばいいが、高校の教師が動き出すような事態は、きっとモップだって求めていない。


 俺が敢えて早朝を埋葬の時間に選んだのは、そういうわけで、なるべく人目を避けるためだった。

 

 できあがった深く広い穴に五人でモップを寝かせ、あとは土をかけるだけという段階になり、太陽が口を開いた。

「それじゃあ、最後にひとりずつモップにお別れの言葉をかけてやろうか」


「私からでいいかな」とくぐもった声で言って月島は目についた白い野花を摘み、それをモップに供えた。「やれやれモップ君。こう見えても私は案外動物好きだったりするのだよ。だから寂しいよ。忘れちゃいけないのはあの時だ。カンナ先生の産婦人科で馬鹿丸出しの男たちに絡まれた私を、必死になってかばってくれたよね。立派だったよ。格好良かったよ。頼もしかったよ。可愛かったよ。……バイバイ」

 

 退いた月島と入れ替わるようにして柏木が穴に近づいた。柏木の哀悼の辞は「コラ、だめじゃない!」とまくし立てることで幕を開けた。「なんで死んじゃうのよ! もっと長く生きなさいよ、ダメ犬! あたしはね、最初はあんたのことなんか大嫌いだったの。口は臭いし、あたしの役割は奪っちゃうし、おまけにどうしようもないくらいスケベだし。


 でもね、ここで花見をした時に、あんただけがあたしの弁当を素直に美味しそうに食べてくれて、ほんのちょっと見直したんだよ。嬉しかったよ。あたしも鬼じゃないからさ、これからは可愛がってあげようかなって思ってた矢先だったのに……。ごめん、ダメ犬は撤回する。あんただってあんたなりにがんばって生きたんだもんね。……ねぇモップ。次生まれてくる時は、最初から悠介に飼われるといいね」


「生まれ変わっても犬って決まってるのかよ」と突っ込んだ太陽が三番手だ。「よっ!」と気さくに始まった。「短いあいだだったけど、おまえもすっかりオレたちの仲間だったよな。フリスビーで一緒に遊んだ時におまえがきれいなお姉さんにぶつかって、そのおかげでパンツが見えたのは、オレたちだけの秘密だぞ。赤、だったな。って、喋っちまったけど。なぁモップ。おまえさんの会員番号5番は、永久欠番として残しておくからな。名誉会員殿、どうぞ、天国から未熟なオレたちを見守ってくれよ」

 

 高瀬が続いた。「もっと一緒にいろんな場所に行ったり、おいしいものを食べたりしたかったよ。モップと別れるのはつらいけど、モップと会えなければこのつらさもなかったんだよね。そう考えると、やっぱりモップに会えて良かったんだ。ここにいるみんなは、モップが生きていたことを絶対に忘れないからね」

 

 高瀬は気丈にも涙を見せなかった。モップのことではもう泣かないと自身の中で固く決めたようだった。

 

 自分の番が回ってきたが、俺はどんな弔辞を口にしようか決められないでいた。言おうと準備していたのと似たような台詞がことごとく四人に先に使われてしまったのだ。

 

 どうしようか、と俺は自問した。でもそんなに難しく考える必要はなかった。日本語には、たった五文字でモップに対する俺の気持ちのすべてを伝えられる言葉がある。変に気取ることはない。(ささ)げるべきはその言葉だ。

 

 俺は穴の前にしゃがんでモップと過ごした日々を振り返りながら、ありがとうとだけ告げた。そしてモップの姿を心に焼き付けると、散歩の時にいつも着けていた首輪を穴に入れ、そこにショベルで土をかけ始めた。モップの体はみるみるうちに土に覆われていった。高瀬と同じようにもう泣くまいと思っていたのに、結局俺はまた泣いてしまった。太陽が「変わろうか?」と気遣ってくれたが、俺は首を横に振って最後まで役割を果たし続けた。

 

 モップの墓が完成すると、重苦しい空気が五人のあいだに漂った。俺はほとんど放心状態で突っ立っていた。


「そういえばさ」とムードを変えるように明るい声を出したのは柏木だ。「葉山君、さっき『モップの会員番号は5番で、永久欠番にする』とかなんとか言ってたよね?」


 太陽はうなずいた。「たしかにそう言ったがそれがどうした?」

 

 柏木は人さし指で墓の周りにいる人数を数えた。それから真顔で首を傾げた。

「待ってよ。その、会員番号とやらの割り当てはどうなってるの?」


「そんなもん、まず1番2番はオレと悠介だよ。なんつってもオレたちの出会いがなければこの集まりもなかったんだからな。そんで3番は次に加入した高瀬さんだ」

 

 柏木は眉間に皺を寄せた。「4番以降は?」


「4番は月島嬢で5番はモップ。以上」


「はぁ!? なんであたしには番号がないのよ? 加入した順で言うならあたしが4番じゃない!」


「誰がおまえの加入を正式に認めた?」と太陽は満を持して返した。「おまえは勝手にオレたちの部屋を見つけて、勝手に仲間入りを宣言して、勝手に居座り続けているんだろ!」


「ちょっと、聞いた?」柏木は信じられないといった顔で高瀬と月島に同意を求める。「ふたりの中ではもうあたしは、欠かすことのできないメンバーだよね?」


「さぁ?」と高瀬は明言を避け、「どうでしょう」と月島はうやむやに答えた。


「あんたらね、あたしを怒らせたらどうなるか思い知らせてやる――」

 そう(わめ)いて柏木は太陽も含む三人に攻撃を仕掛けた。三人は走って逃げた。もちろん柏木は自慢の長い脚を駆使して追いかけ、ドロップキックやらラリアットやらをお見舞いした。彼らはそうやってひとしきり騒ぐと、元の場所に戻って軽く笑顔を見せた。


 俺は今でも人心に(うと)い男だけど、ここで「なにやってるんだよ」と眉をひそめるほど愚かではなかった。彼らとしても少しでも悲しみを紛らわしたいのだろうし、それになにより、モップの死を五人の中で最も引きずるに違いない俺に元気を与えようとしてくれているのだ。


 だから俺は頬を数度叩き、顔を上げた。

「さぁ、そろそろ引き揚げようか。俺たちには学校がある。家に帰って登校の準備をしよう」


 ♯ ♯ ♯


 モップの死によって俺が気づかされた自分の潜在的な一面は、おそろしく涙もろいということだった。


 俺はモップと共に目覚めた朝を思い出して泣き、モップと共に眠った夜を思い出して泣いた。家では大量に余ったドッグフードが目につけば泣き、外ではモップがよく小便を引っかけていた電信柱が目につき泣いた。放課後にクラスの掃除当番がモップ係を押し付け合う光景を見ればまたそこでも泣いた。

 

 高校生活二度目の六月を俺は、そんな風に涙に暮れて過ごしていた。

 

 でもいつまでもめそめそと泣いてばかりいるわけにはいかなかった。気持ちを切り替えて前に進まなきゃいけなかった。その一歩を踏み出す機会は六月末に訪れた。

 

 実は俺は泣き虫な自分に嫌気が差す一方で、自分の中に小さくともたしかに熱い何か(・・・・)(きざ)しているのを感じていた。その何かは七月が近づくにつれ――涙を流せば流すほど――大きくなり、やがて神沢悠介という人間の支配権を体の内部から握るまでになった。その熱い何かとは、決意・・だった。


 俺はその決意を高瀬に話すべく、六月最後の土曜日に高瀬をさくら公園へと呼び出した。

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