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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・春〈愛情〉と〈幽霊〉の物語
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第51話 ずっと探していた場所 4

 

 鮮やかな12色の光で作られた文字が、12枚の窓を、夜空を、彩る。


 配色も趣向が凝らされている。暖色から寒色へ、虹みたいにだんだんと色が変化していくから、見る者の目に自然に入ってくる。それによって文字も連続性をもつ記号として理解しやすい。


 なんといっても、夜の真っ暗闇とのコントラストが良い。さびれた地方都市ならではの夜空の使い方だ。タイムズスクエアや歌舞伎町だったらこうはならないだろう。過疎の進む田舎も悪いことばかりじゃない。


「A組の子たちだね!?」と語調を強めてカンナ先生はベッドから立ち上がった。「涼、今すぐやめさせな! 何時だと思ってるの! こんなことが学校にばれたら――」

 

 そこでカンナ先生の肩にそっと手を置いた人物がいた。大先生だ。その手の置き方には貫禄と説得力があった。彼女は愛弟子を再度ベッドに座らせると、すかさず自らもその隣に腰を下ろした。するとカンナ先生はもう何も言えなかった。恩師は「それでいいの」という風に教え子の背中を撫でた。

 

 校舎では幕開けの文字が消え、次のメッセージが表示される。


〈カンナ先生、21ねんかん〉


〈おつかれさまでした!!!〉


 文字の変換はそつなく行われる。さすがに電光掲示板のごとく瞬時に、とはいかないけれど、それでも間延びすることもない。一ヶ月の努力の成果だ。



〈先生とは1ねんだけでした〉


〈でもこの1ねんは とても〉


〈じゅうじつしていました!〉


〈サイコーで グレートで〉


〈ラッキーで ハッピーな〉


〈1ねんでした!〉


〈ほめられたこと〉


〈しかられたこと〉


〈なやみをきいてくれたこと〉


〈かたもみをさせられたこと〉


〈そして わらいあったこと〉


〈どれもがいいおもいでです〉


〈先生がかけてくれたことば〉


〈いつまでもわすれませんん〉


 

「ん?」俺は見間違いかと思って目を凝らした。やはり「ん」はふたつあった。しかしながら、そんな些細なミスで白けたりはしない。むしろ微笑ましくもある(つたな)さだった。実際カンナ先生はそこではじめて相好を崩した。


 先生は特等席で主賓としてこの宴を心ゆくまで楽しむことに決めたようだ。20秒ほどの幕間的な小休止を経て、A組は(はなむけ)のショーを再開した。


〈カンナ先生、もし もしね〉


〈たんにんをやめたことに〉


〈おいめをかんじているなら〉


〈そんなひつようはないよ!〉


〈わたしたちはだいじょうぶ〉


〈どんなこんなんがあっても〉


〈かならずそつぎょうする〉


〈まえをむいていきていく〉


〈こんやそれをやくそくする〉


〈だから先生は〉


〈あかちゃんをうむことだけ〉


〈かんがえればいいからね〉


〈おかあさんになることだけ〉


〈心にとめればいいからね〉


 

 ふと視線を窓の下の歩道に落とせば、そこにはいつしか小さな人だかりができていた。ある人は校舎と産婦人科を交互に目で追い、またある人はスマートフォンで実習棟を撮影している。そりゃまあ野次馬根性もうずくよな、と俺は思った。



〈あ、そうそう 先生は〉と第三節はどことなくフランクに始まった。


〈ひっしでかくしていたけど〉


〈わたしたちはきづいてます〉


〈先生がむかし〉


〈ふりょうだったこと〉


〈だって きづくよ〉


〈ときどきまきじたになるし〉


〈あまぐもにもメンチきるし〉


〈そのうえ おまけに〉


〈ちゃくメロがYAZAWA〉


〈これはもうきまりでしょう〉


〈てっけんがとんでこないか〉


〈まいにちがヒヤヒヤでした〉


〈おとこのこがうまれても〉


〈リーゼントにしないでね〉


〈おんなのこがうまれても〉


〈うんこずわりさせないでね〉


 

 弘前の元不良は照れくさそうに何やらぼそっと独り言を言った。大先生が失笑したところをみるとどうやら、「するわけないでしょ」といった感じのことをつぶやいたらしい。津軽弁で。


 するとそれが聞こえたかのように〈ジョーダンはさておき〉とA組は窓に表示した。


〈じつはわたしたちには〉


〈大きなしんぱいがあります〉


〈こうこうきょうしひとすじ〉


〈いきがいはねっけつしどう〉


〈そんなカンナ先生が〉


〈これからさきのじんせいで〉


〈みちにまよったりしないか〉


〈そしてとほうにくれないか〉


〈わたしたちはしんぱいです〉


〈でもね〉


〈もしみちにまよったら〉


〈じぶんをみうしなったら〉


〈いつでもかえっておいで〉


〈ここにかえっておいで〉


〈がっこうは せいとだけが〉


〈こたえをみつける〉


〈ばしょじゃない〉


〈というか どっちにしろ〉


〈そつぎょうしきのひには〉


〈かえってきてもらうから!〉


〈さよならは、いいません〉


〈きっとまたあえるよね〉


「あの子たち、一丁前に」

 カンナ先生はその後も言葉を続けたかったようだけど、それ以上喋ることはなかった。無言でうつむいてしまった。大先生がすぐさま、顔を上げろと肩に手を回す。


〈これがさいごです〉


〈この1ねん わたしたちは〉


〈先生にはげまされることで〉


〈ふあんやなやみ まよいに〉


〈うちかってきました〉


〈かんしゃとねがいをこめて〉


〈さいごは わたしたちが〉


〈しゅっさんにいどむ先生を〉


〈はげましたいとおもいます〉


〈あのことばで〉


 さあ、行こう――。そう聞こえたのは俺の空耳だろうか。


〈けっぱれけっぱれカンナ!〉


〈2Aカンナぐみ いちどう〉



 校舎の窓に文字が現れなくなってしばらく経っても、目には光の残像が焼き付いていた。ちょうど花火を見終わった後のような余韻や物寂しさが胸を満たした。でも花火と違ってこれには来年がない。一度きりだ。


「カンナ先生、無茶なことをしてごめんなさい」月島が2年A組を代表するように先生の背中に語りかける。「こうすることが校則違反なのはもちろんわかってます。わかってはいたんですけど――」


「その先は言わなくていいわ」と言葉をさえぎったのは大先生だ。彼女は隣に座る教え子を笑み混じりに見つめ、「まったくもう」と続けた。「カンナ、だめじゃない。自分と同じ問題児ばかり育ててどうするのよ。……でも、よく、よく、わかりました。あなたがたくさんの生徒に慕われているということが。それは簡単なことではありません。そして素晴らしいことです。21年間、がんばったね。おつかれさま。あなたは立派な教師です」

 

 大先生、そんなことを言ったら、と思った俺の予感は当たった。


 今夜の主役の両眼は、もうこれ以上涙を留めておくことができなかった。カンナ先生は感泣しながら、恩師に思いを吐き出しはじめた。

「私には、小さい頃から、自分の居場所がなかったんです。家にも街にも学校にも。いつか帰れる心のふるさとのような場所が欲しかった。自分のようなはみ出し者には、それは一生叶わない願いなのだと諦めていました。でも違います。今ならはっきり言えます。生徒たちが気づかせてくれました。あの鳴桜高校こそが、私のずっと探していた場所なんです」


 もし天職というものが実際にあるとして、それに巡りあえる人とそうでない人に我々が振り分けられるならば、カンナ先生は間違いなく前者なのだろう。恵まれた職業人なのだろう。


「自分がどういうかたちでならば社会に溶け込んでいけるかを考えながら、これからの高校生活を過ごしてみてほしいの」


 カンナ先生は進路指導でそう俺に言ってくれた。では果たして、俺はこの社会のなかで自分の居場所を見つけられるだろうか? これが自分の天職だと胸を張って言える職業に就けるだろうか? 今はまだわからない。本当に大学に行くべきかどうかもやはりわからない。


 でもわかったこともある。それは懸命に仕事に打ち込めば、成長した自分に出会えるということだ。過去の自分と決別できる、と言い換えてもいい。


 カンナ先生のいかなる迷いもない表情がそれを俺に教えてくれている。過去の呪縛といまだに闘う俺にとってその表情は、何よりの教材だった。いわば最後にして最高の進路指導というわけだ。もちろん本人は意図してないだろうけど。

 

 ここで順番は前後するけど――言うまでもないことだけど――高瀬はとっくに泣いている。〈ちゃくメロがYAZAWA〉のあたりから感極まっている。自分のハンカチだけでは足りず、柏木や月島のハンカチまで借りている始末だ。


 俺は他の三人の様子もうかがってみた。柏木と太陽はカンナ先生にあらためて感謝を告げている。「本当にいつでも帰ってきてくださいよ!」と笑顔で言って、光のメッセージが2年A組のみならず全校生徒の総意であることを伝える大役を果たしている。


 月島はそんな光景を部屋の隅から眺めながら、スマートフォンに向けて「お疲れ様」と一言だけささやいた。校舎の級友に成功を知らせたのだろう。よく見れば月島の頬には幾筋もの湿った軌道があり、涙がすでに流れ落ちたことを物語っていた。


 泣きじゃくる高瀬と澄まし顔の月島を見比べ、なるほど、と俺はにんまりした。この病室に入る直前、月島がこう言った理由が今になってわかった。


「私個人としては、キミたちが一緒にいてくれた方が何かと好都合だったりするのだよ」

 

 人一倍プライドが高く照れ屋の月島は、是が非でもカンナ先生や大先生に泣き顔を晒したくなかったのだ。


 五人の中で最も涙もろい高瀬さんがA組渾身のメッセージを見て泣かないはずがない。少なくとも私よりは泣くはずだ。そうなればおのずと注目はそちらに集まる。あわよくば、私の涙は、うやむやになる。


 そのような計算がきれいな形の頭で働いていたのだろう。 おそろしいことに彼女の思惑通り、部屋の話題は今や「高瀬さん、泣きすぎだからね」の巻になっている。


 俺は言いたいことを言うべく、優しき策士に近づいた。

「月島。こういう事情があって幽霊騒ぎを引き起こしていたんなら、正直に言ってくれればよかったじゃないか。そうすれば――俺だって馬鹿じゃない。それにカンナ先生への恩もある――今夜を迎えるまで生徒会には黙っていたのに」


「まあまあ」と月島はなだめるように言う。「口外禁止はA組で絶対の約束だったんだよ。そこんとこをナニトゾ汲み取ってくれ。べつに神沢を信じてなかったわけじゃないけど、何があるかわからないでしょ? たとえば柏木がひそかに聞き耳を立てているとかね。


 大学に行かない私と違ってA組のほとんどの生徒は、予備校や塾で勉強する時間を割いてまで今夜のために動いていたんだよ。そういう殊勝な姿を見てるとさ、ほら、なんとしてでも成功させてあげたいと思うじゃない?」


 どの口がそんな台詞をのたまうのか、と思うと俺は可笑しくて吹き出しそうだった。なにをさも他人事のように言っているのか。今夜の作戦の成功を一番願っていたのは、他ならぬおまえだろう、と突っ込みたかった。でもやめた。月島は、自分で自分の発言の嘘に気付いていたから。


 皆の視線から逃れるようにくるりと背を向けた月島に、俺はそっとハンカチを差し出した。

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