第51話 ずっと探していた場所 2
夜の闇がマンホールのふたの溝まで行き渡った午後7時。校門前にはすでに制服姿の高瀬と太陽がいた。
「よう、お出ましだな」太陽が拍手で俺たちを迎える。「幽霊探偵?」
「ユーレータンテー」柏木が調子に乗ってエコーをかける。
たいして寒くもないのにさぶいぼが立った。
「そんな称号は要らん」
それにしてもスーパーバイザーやら幽霊探偵やら、季節を経るごとにどうもわけのわからん肩書きが増えていく。このぶんだと来年の春あたりは”自分探しの旅ソムリエ”とでも呼ばれているかもしれない。
「それで、答え合わせの結果はどうだったの?」高瀬は足元に来たモップを愛撫する。「月島さんに聞いたんでしょ?」
俺は直前にした月島との電話を思い出した。
「ああ、なんでも『80点だな。ぎりぎり合格にしてやってもいいぞ』だそうだ」
「あいつらしいね」と柏木は皆の気持ちを代弁した。
「ありがたいね」と俺はシニカルに言った。「というわけで、約束通り謎を解き明かしたご褒美として、俺たちは今から月島の言う『きれいなもの』を見せてもらうことになっている。さっそくだけど、みんな、移動するぞ」
「は?」声が裏返ったのは太陽だ。「おいおい、幽霊はこの校舎にいるんじゃないのかよ」
自然と笑みが漏れた。「幽霊たちが何をしようとしているか。校舎から離れてみて、はじめてそれがわかるんだ」
♯ ♯ ♯
俺がみんなを率いて目指したのは、校舎からは道路を挟んで向かいにある産婦人科医院だった。モップは駐車場の杭につなぎ止めておいた。
中に入ると太陽が耳打ちしてきた。
「ここって確か、カンナ先生が入院している産婦人科だよな?」
「そうだ」と俺は答えた。「俺たちが今から行くのは、他でもなく三階のカンナ先生の病室だ」
三階には月島の姿があった。彼女はラウンジで他の見舞客に混じってコーヒー片手にスマートフォンを操作していた。優雅だった。いちいち絵になっていた。そこだけ切り取ればまるで通信会社のコマーシャルを撮影しているようにも見えたが、もちろんそんなわけはないので、校舎に残っている幽霊たちと最後の打ち合わせをしているんだなと俺は推測した。「来やがったな」と月島は薄笑いを浮かべた。そして豪快にコーヒーを飲み干した。
「なぁ月島」俺にはひとつ確かめておきたいことがあった。「いくら約束だからって、本当にいいのか? 俺たちみたいな部外者がこれからカンナ先生の病室に入っても。おまえたち2年A組はまさにこれからの数分間のために一ヶ月もかけて入念に準備をしてきたんだろ? なんというか、その、邪魔になるんじゃないか?」
「今までさんざん邪魔してきたくせによく言うわ」
月島は呆れ顔を作りながらも、いいのいいの構わない、と意向に変わりがないことを改めて示し、それから俺にだけ聞こえる小声でこう続けた。
「正直なところ、私個人としては、キミたちが一緒にいてくれた方が何かと好都合だったりするのだよ。仕事がやりやすいというかね。鈍い神沢には、私が何を言ってるか、ちんぷんかんぷんかもしれないけど」
「ふぅん」と俺は気のない返事をした。小馬鹿にされるのは今に始まったことじゃない。
「それじゃそろそろ行きますか」月島は深呼吸してから歩き出した。「ちなみに、病室には”先客”がいるから、くれぐれも失礼のないようにね」
先客とは初老の女性だった。
60代と思しき身なりのきれいな人で、身重ゆえに自由のきかないカンナ先生の身の回りの世話をしていた。俺にはそれが誰であるかすぐにピンときた。
弘前で学校からも家庭からも見捨てられた不良少女を自宅に住まわせてまで更生させた人物――カンナ先生の恩師だ。
娘同然の教え子の出産が間近と聞いて、はるばる弘前からやってきたのだ。カンナ先生の先生にあたる人なので、俺は内心で彼女を大先生と呼ぶことにした。
「あらあら、にぎやかになりそうだこと」
大先生は成長した孫の顔を見たように微笑んだ。
「カンナ、あんたは幸せ者ねぇ。こうして生徒が続々お見舞いに来てくれるなんて」
月島はいくぶん畏まった声を出す。
「H組の彼らも、カンナ先生にどうしてもお礼が言いたいらしくて。もし迷惑だったら、すぐに帰しますから」
「迷惑とは思わないけどさ」カンナ先生はベッドの上で体の向きを変え、授業中と同じ顔つきで壁の時計を見た。「それより、もう7時過ぎなんだよ? あなたたちがこんな時間に出歩くことを、家の人はきちんと知っているの?」
「大丈夫です」と、これは、家の人がいる俺以外の三人が即答した。一人暮らしの俺も便宜的にうなずいた。
「弘前一の問題児も今やすっかり優良教師ね」大先生は感慨深そうに目を細める。「高校時代のあんたなんか、夜の7時どころか朝の7時まで外をほっつき歩いていたじゃないの。朝の出席点呼で酒臭いことも何度もあった」
「センセ、それは言わない約束でしょう」カンナ先生の顔が15歳くらい若返った気がした。「あの頃のことはせっかく今まで生徒には隠してきたのに。……ま、そうは言っても、あいにく葉山君以外はすでに知ってるんだよな。私の知られざる過去を。どうやらおめぇらとは不思議な縁があるみたいだな」
「みちのくの昇り龍」柏木はまるで禁忌の呪文でも唱えるようにつぶやく。
「さあさあ、入り口に固まってないでこっちにいらっしゃい」大先生はバスケットに手を伸ばす。「弘前の林檎はとってもおいしいし体にも良いわよ。みんなで食べましょう」
高瀬と月島は大先生とすぐに打ち解け、カンナ先生も加えた四人で、鳴桜高校の窮屈なカリキュラムの功罪について意見を交わしたり、この街と弘前の女子高生ファッションの違いを比較したりした。大先生の言葉の端々からは、教育現場の一線からすでに退いていることが読み取れた。
千人以上の生徒を受け持ってきたけれど教師としてのエネルギーの八割はカンナ一人のためだけに注いだ、と大先生は冗談めかして現役当時を振り返った。カンナ先生は文字通り頭が上がらないといった様子で、座高を低くして恩師の話に耳を傾けていた。
大仕事が控える月島は時折スマートフォンを触り、カーテンの隙間から校舎の様子をうかがった。
「おい悠介」右隣の太陽が声をかけてくる。「そろそろ限界だ。なんでオレは今こんな場所にいるんだ? さっぱり理解できんぞ。もやもやして、ちっとも話に参加できねぇよ」
左耳もささやき声を感知した。左隣にいるのは柏木だ。
「これからいったい何が始まるの? 気になって仕方がないんだけど。もったいぶってないで、いい加減教えなさいよ」
見れば、女性陣四人は相も変わらず四方山話に花を咲かせていた。本番が始まるまでは、まだいくらか時間がかかるようだった。
「いいだろう」と俺は言って、太陽と柏木にベッドから遠ざかるよう目で合図した。「おまえたちには特別に今から、鳴桜高校幽霊騒ぎの全容を話してやる」
柏木は林檎を頬張った。「よし来い」