表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・春〈愛情〉と〈幽霊〉の物語
172/434

第51話 ずっと探していた場所 1


 長い夜が明けた。結局俺は生徒会長の元へは行かず、2年A組の連中が何を企んでいるのか自力で解き明かすことにした。


 今日かぎりで校舎から幽霊はいなくなるという月島の話を信じて騒ぎは解決したと会長に報告してもよかったが、この一件にここまで関わった以上、全ての謎を明らかにしたいという思いの方が勝った。


 とはいえ、答えらしい答えはひとつとして思いつけなかった。思いつけないままついに放課後を迎えた。学校に残っていても特別頭が冴えるわけではないし、モップにメシをやる必要もあったので、俺は一度家に帰ってきた。柏木もついてきた。「悠介にはあたしが足りていない」という押しつけがましい理由をつけて。


「会長さんに解決したって報告すればよかったのに」柏木は制服姿でだらしなくあぐらをかく。スカートがはだけて肉感的な太ももが見え隠れする。「その方がずっと楽だったでしょうが」


「なんか悔しいじゃないか」視線を上に向けなきゃいけないのも、悔しい。「それじゃまるで『試合に勝って勝負に負けた』って感じだ。こうなったら意地でもすべての謎を解き明かしてやる。目指すは完全勝利だ」


 俺は幽霊騒ぎに関連するキーワードを片っ端からノートに書き殴り、語句と語句のあいだに線を引いたり、そこから連想される仮説を箇条書きしたりした。けれど成果は上がらなかった。どの仮説もまさしく机上の空論だった。時間だけがむなしく過ぎていった。

 

 テレビがひとりでについたのは、5時を少し過ぎた頃だった。霊の仕業か、と思ってびくっとしたが、犯人は例によってモップだった。この駄犬は水を飲みに行く途中で床にあったテレビのリモコンを踏んだらしかった。

 

 テレビはちょうど夕方の全国ニュースを放送していた。相変わらず国会では議員が品性のない野次(やじ)を飛ばし、海外では核廃絶に向けた形式的な会談が行われていた。世界は今日も愛と平和に満ちていた。


 やがて話題は芸能ニュースに移った。それは双子のタレントが故郷の富山で一日警察署長を務めたというものだった。双子はお仕着せの言葉を連ねながらも、そつなく富山の魅力を語った。


 双子(・・)富山(・・)。ツインズ&越中。他の言い方に置き換えても無駄だった。そのふたつの単語から俺があの光景を思い返さないわけがなかったのだ。


 睦まじい母と子。幸せな家族の一コマ。神沢有希子の笑顔。

 

 それはすぐに始まった。耳鳴りに端を発して目眩が訪れ、次に全身を悪寒が襲う。でも胃だけは熱い。熱くて痛い。胃酸特有のツンとした刺激臭が鼻を突く。吐き気が込み上げてくる。心と体が何かを拒絶している。


 まぎれもなく例の発作だ。もう嫌だ、と俺は叫びたかった。でも胃からの逆流物は叫ぶことさえ許してはくれなかった。

 

 歪みきった視界にかろうじて入ったのはモップだった。モップがソファから降りてこちらへやってくる。俺は頭をからっぽにしてモップの巨体に飛びついた。いや、正確には、手を伸ばしたらそこにモップがいたという方が正しい。


 いずれにせよ、大型犬の体温とやわらかな膨らみは俺の寒気をどこかへ払い、そして嘔吐を未然に防いでくれた。ん? やわらかな膨らみ?


「大丈夫」背後からのその声で、柏木が抱きしめてくれたのだと気がつく。「大丈夫だからね、悠介。発作が治まるまでずっとこうしているから」

 

 とっくに発作は治まっていたし、第二波が来そうな気配もなかったけれど、できることならいつまでも背中にやわらかな膨らみを感じていたかった。


 でも飼い主の下心を見透かしたかのようにモップがソファに戻ったので、「ありがとう」と礼を述べて俺は体勢を正した。

 

 柏木の目は、たちまち怒りとも憐れみともつかない光で満ちていく。

「もう頭に来た! こうなったら、五月の連休を使ってもう一回富山に乗り込んで、有希子さんに文句言ってこようかな!」


「やめとけって」しっかり止めておかないと、彼女なら本当にやりかねない。「向こうではあの人は良い母親をやってるんだから、それでいいじゃないか。そんなことをして何かが変わるわけじゃないだろ」

 

 なにげなく発した「良い母親」という言葉が、やけに耳から離れなかった。そういえば俺はこの春、まったく同じフレーズを一人の女性に対して使ったのだった。内心で、という括弧(かっこ)つきではあるが。「この人ならば疑いの余地なく良い母親になるんだろうな」と。あれはたしか進路指導中だった。


 それは突然の出来事だった。閃きが、宿った。ようやく点と点がつながった。


「盲点だった」と俺は立ち上がって言った。「俺は”これまで”のことばかり考えていた。でも大事なのは、考えるべきは、”これから”のことだったんだ。発作が起きるのが怖くて、俺は無意識のうちに、母親というキーワードを遠ざけていたんだろうな。あの人(・・・)は今、一人の教師から母親になろうとしている。となれば――」

 

 当然のことながら柏木はぽかんとしていた。それでも持ち前の切り替えの早さで彼女はすぐに状況を呑み込んだ。

「悠介、わかったの? 月島たちが何をしようとしているか」


「だいたいの方向性はな。ただ、具体的にこれだと言えるものはまだ見えない。でも大前進だ。もう少しだ。もう少しでこの事件は解決する」

 

 解決の時は思ったよりもずっと早くやって来た。

 

 きっかけは柏木がぼそっとつぶやいた一言だった。「きれい」と彼女言った。その視線の先にはテレビがあった。テレビは引き続きニュースを放送していた。

「これ、どこの国旗だっけ?」そう柏木は続けた。「イタリアだっけ?」


「フランスだ」と俺は答えた。「フランス国民にもイタリア国民にも失礼だから、国旗の違いくらい覚えておいた方がいいぞ」


 そのニュースによれば、昨夜フランス大統領が来日し、それに合わせて民間のあいだでも様々な動きがあったという。なかでも象徴的だったのは、銀座にある高層ホテルの(いき)な演出だ。


 そのホテルは十階から三十階にいたる客室の窓をすべて使ってトリコロールを作り、大統領に対して歓迎の意を表していた。電気を利用すれば、客室を青く染めたり赤く染めたりすることはさして難しいことではない。


 東京の春の宵に、青白赤の三色はよく映えていた。柏木がきれいと言ったのはその場面だった。俺もきれいだと思った。そして立ち止まった。目を見開いた。ある可能性に思い当たったのだ。「これだ!」と思わず口に出していた。興奮で声は震えていた。

「テレビを点けたモップも、それからこのニュースに反応した柏木も、大手柄だ!」

 

 柏木の口はぽかんと開いていた。モップの口は臭かった。


「なあ柏木。誰か高校に残ってないかな? 大至急、確かめたいことがあるんだ!」


「優里ならいるかもよ。今日は風紀委員会の集まりが長引きそうって言ってたから」

 

 俺は駄目元で高瀬に電話をかけてみた。三度目のコール音の後で彼女は出た。

「高瀬。いきなりで悪いんだけど、今どこにいる? もう家に帰っちゃった?」


「ううん、まだ学校。ちょっと前に委員会が終わって、今は上履きを脱いだところだよ」


「もう一度上履きを履いて」と俺は言った。「履いたら、教室棟の三階に向かってくれ!」

「ど、どういうこと!?」


「詳しい事情はあとで説明する。さぁ、よーい、スタート!」

「は、はい!」

 

 ほどなくして受話口からリズミカルな足音が聞こえてきた。

「それで、三階まで行って、私はどうすればいいの?」


「教室はどこでもいい。どこでもいいからとにかく、三階にある教室から、俺が今から言う建物がどういう見え方(・・・・・・・)をするか、それを高瀬の目で確認してほしいんだ」


「わかった。3年C組に委員会の先輩がいるはずだから、頼んでみるね」

 

 俺は高瀬に建物の名を告げた。一拍間があった。重い間だった。高瀬の優れた頭脳は、その建物の名がインプットされただけで、今自分が全力疾走しているおおよその理由を導き出したようだ。


 着いたよ、と高瀬は息も切れ切れに言った。そして交渉のようなものを電話の向こうで始めた。どうぞどうぞ、と交渉相手の女子生徒は快諾した。風紀委員会の先輩なのだろう。再び高瀬は黙った。窓辺に向かう途中なのだろう。


「どうだ?」と俺は頃合いを見計って尋ねた。


「うん、見えるか見えないかで言えば、見えるよ。けれど、ここからだと、その建物は角度的に正面には捉えられないし、なにより、校庭のシラカバの木がとても邪魔かな」


「やっぱりな」高揚から、声が弾む。「高瀬、もうひとっ走りだ。今度は実習棟三階の俺たちの秘密基地から、同じ建物を見てくれ」


「実習棟三階!」言外に、私の聞き間違い? というニュアンスがあった。「実習棟三階へ行くには、今来た道を戻って一階の渡り廊下を抜けてまた階段を上るわけだから、すごく遠いよね?」

「まぁそうだね」


「でも急ぐんだね?」

「急ぐんだ」


「だから私は走らなきゃだめなんだね?」

「だめなんだ」

 

 高瀬は敢えて俺に聞かせるようにわざとらしくため息をついた。

「私、こう見えても一応けっこう良い家の娘なんだけどな。タカセヤの娘を電話ひとつで()き使える男の人って、世界中で神沢君くらいしかいないよね」

 

「お叱りは真摯(しんし)に受け止めるつもりです」と直立不動で返すほかない。


「仕方ないな。わかりましたよ。走りますよ。それじゃ、3分待っててね。一旦電話を切るからね」

 

 俺のスマホが鳴ったのは2分20秒後のことだった。どうやらこの街きってのご令嬢は、会心の走りを夕方の校舎で披露したらしい。


「バッチリ見える」と高瀬は開口一番に言った。「建物は真正面に見えるし、シラカバの木もここからだと邪魔にならない。そしてそれは、向こう(・・・)からこっちを見る場合にも言えることだよね?」

 

「高瀬、これが最後の扱き使いだ。今度は廊下を隔てた調理室に行って、そこから外を見てほしい」


「私たちが昨日捜査をした裏庭を見ればいいの?」


「ああ。正確には裏庭のその向こうだ。裏庭の先にどんな風景が広がっているか、俺に伝えてほしい。きのうは暗くて見えなかったから」


「何もない」と高瀬は答えた。「うん、家も店も交番もない。あるのは雑木林と川と原っぱ――自然だけ」


 俺は心が軽くなるのを感じた。

「高瀬、お疲れ様。これで、幽霊騒ぎは完全に解決だ」


「わかったんだね? 真相が」


「ああ。小学校の算数で言うなら『余りなし』。依然として残っていた七不思議の『鬼火』と『焼却炉のうめき声』の謎もたった今解明できた」


「ねぇ神沢君。2年A組の生徒たちは、いったい何をしようとしているの?」

「それは実際に俺たちもこの目で見よう」と俺は微笑んで言った。「校門前に7時に集合だ」


 電話を切ると、柏木が脇っ腹を小突いてきた。

「なによ、ニヤニヤしちゃって。そんなに優里と電話でおしゃべりするのが楽しい?」


「そ、そんなんじゃねぇよ」と俺はうそぶいた。「おまえも通話内容を聞いてただろ? 全ての謎が解けてほっとしたんだよ。そんなわけで柏木、モップ。今から出掛けるぞ」


 柏木はモップにリードをつけてやる。

「で、結局、幽霊たちはどんな悪巧みをしているわけ?」


「悪巧み?」と俺は言った。「とんでもない。俺たちの鳴桜高校に棲み着いていた幽霊は悪霊なんかじゃない。言うなれば、心優しき守護霊だよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ