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【完結済】未来の君に、さよなら  作者: 朝倉夜空
第二学年・春〈愛情〉と〈幽霊〉の物語
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第48話 あいにくこっちだって未来が懸かっている 2


 俺は気分を切り替えて口を開いた。

「先生はもう40年近くこの高校の教壇に立たれてきましたが、七不思議はいったいいつ頃から生徒の間で語られるようになったんですか?」


「あれはたしか、20年くらい前だろうか」と答えて松任谷先生は白髪の混じった頭に手を伸ばした。「私の髪も今とは違って、まだ黒々としていた」


「20年前」意外と最近なんだな、というのが俺の感想だった。


「先生のお話、記録しておいた方がいいよね」と高瀬は小声で言った。「助かる」と俺は言った。有能な助手が選んだのは、紙に要点を書くという原始的な記録法だった。すぐスマートフォンに頼らないのが、彼女のひときわスマートなところだ。


「続けます」と俺は言った。「七不思議はそれぞれ、鳴桜(ここ)で過去に起きたとされる事件や事故が発端となっています。つまり、『化学教師の子を妊娠した女子生徒がその教師に毒薬を飲まされて死産した』であるとか、『厳しい指導の末に剣道部員がついには命を落とした』であるとかです。そこで質問なんですが、これらは本当にあった出来事なんですか?」

 

 松任谷先生はコーヒーを飲むのをやめて「まさか」と大きく手を振った。

「いいかい? よく聞きなさい。熱を出した女生徒を男の教師がマイカーで家まで送り届けただけで偉い人がすっ飛んでくるのが、君たちの通う公立高校という場所だよ。そこへ持ってきて、今君が言ったような世間の耳目を引くセンセーショナルな事件がしばしば起こるとなれば、この高校はとっくにお取り潰しの憂き目にあっているだろう」


「ということは、七不思議はすべて生徒の作り話なんですね?」

 ペンとメモ帳を手にそう尋ねる高瀬は、政治家に張りつく記者のようでもある。

 

 先生はうなずくだろうと思った俺の予想は外れた。

「それがそうでもないのだよ。ひとつだけ・・・・・、本当に起きたことがある。もっとも、それにしたって後から面白おかしく脚色が加えられたがね」

 

 高瀬はペンを強く握る。「そのひとつとは、七不思議の中のどれなんですか?」


「君たちが俗に『嘆きの女生徒』と呼んでいるものだ。あの件だけは、実際の出来事に基づいている」

 

 俺と高瀬はどちらからともなく顔を見合わせた。彼女は表情が青ざめていくのを隠せなかった。それもそのはずだ。ある意味では最も虚構であってほしかったエピソードがほとんど事実だというのだから。それでは、と考え、俺も血の気が失せていくのを感じる。それでは、我々の前に二度三度と現れたあの女生徒の正体は――。


〈嘆きの女生徒=現役鳴桜生の変装説〉は俺の誤りだったというのだろうか?


「松任谷先生」先に正面へ向き直ったのは高瀬だ。「それは、間違いないんですか?」


「間違いない」と先生は断言した。それから無感動にコーヒーを口に含んだ。

「君たちも知っていると思うが『嘆きの女生徒』は、書道部を見舞ったある不幸が”起承転結”の起となっている。そして何を隠そう、その不幸があった当時の書道部顧問が、この私だったのだ」


「松任谷先生が書道部の顧問をされてたんですか?」と俺はあらためて尋ねた。驚いていた。彼のキャリアのどこを嗅いでみても、墨汁の匂いなどしない。


「ちょうど書道に通じている教師が一人もいない時でね。手が空いていた私に役目が回ってきたというわけだよ」


「書道部を見舞ったある不幸(・・・・)

 高瀬は自身がメモ帳にしたためた文字を読んだ。

「その不幸とは、書道家として大成する夢を持った男子生徒の大怪我ですね。階段で足を踏み外した恋人を守ろうとして踊り場に身を投げ出し、結果として、彼の右手には強い麻痺が残ってしまった。恋人の無事と引き替えに、彼は未来を失った」


「あの二人のことは、今でもよく覚えているよ」と先生は言う。どういうわけか俺と高瀬の顔を交互に見ながら。「普段はぼんやりしているがひとたび筆を持てば鬼気迫る顔つきに変わる青年と、お転婆でやや気難しい性格の少女。これがなかなか似合いの男女だった。彼女は彼が書道に打ち込んでいる時の真剣な顔を見るのが好きでね。よく部室まで入ってきては、他の部員の目もはばからずうっとりしていたよ。そして部活動が終わるとふたりで一緒に帰るんだ。とは言うものの、交際においては彼がだいぶ譲歩しているようだったね。彼女の気まぐれに振り回されて、彼はくたびれていたよ。そうだ。それは君たちふたりの関係性によく似ているんじゃないかね?」


「松任谷先生」俺は右手を前に出して話をさえぎった。「あの、何か勘違いされているかもしれませんが、僕たちはそういう仲・・・・・ではないんです」


「これは失敬した」先生は照れ笑いした。「何事に関しても早合点するのが私の悪い癖でね。てっきり交際しているのかと思ったよ」

 

 丸く収めるために笑顔を取り繕う俺とは対照的に、高瀬は隣でいつになく眉をひそめていた。こっそりメモ帳を覗いてみれば、そこには〈振り回してる? わたしが?〉とある。困惑と苛立ち、その両方を表す顔文字も確認できる。


 帰り道では、拷問さながらの質問攻めが待っていそうだ。


「なにはともあれ」と先生は俺の憂鬱も知らないで話を進めた。「あれはまことに痛ましい事故だった。書道教室の外が急に騒がしくなったので何事かと思って駆けつければ、ついさっき彼女と一緒に教室を出た彼が階段の踊り場で身悶えているではないか。利き手である右手が元の二倍近く腫れ上がっていてね。野球のグローブをはめているのかと見まがったほどだ。その大事な右手で彼女を守ったわけだね。病院での治療と懸命なリハビリもむなしく、結局彼の右手が事故以前の状態に復することはなかった。将来のある若者が夢を諦めていく過程ほど、見ていて胸が締め付けられるものもないよ」

 

 今の話を聞いて、どうにも腑に落ちない点がひとつだけあった。そこで俺は実習棟三階の見取り図をポケットから取り出して広げ、あらためて先生の発言内容を精査した。やはりそうだ。明らかな矛盾がある。本人にそれを確かめてみるべきだ。


挿絵(By みてみん)


「先生は今たしか、こうおっしゃいましたよね。『書道教室の外が急に騒がしくなった。何事かと思い部屋の外に出れば、踊り場で彼が身悶えていた』と」


「言ったが、それがどうかしたかね?」


「そんなはずはないんです。これをご覧ください」

 俺は見取り図を180度転回させて先生に示した。

「書道教室があるのは三階の西側です。たしかにその外にはすぐの場所に階段があります。ただしこれは、西階段(・・・)なんです。転落事故が起きたのは、正反対の位置にある東階段ではないのですか?」

 

 東階段の嘆きの女生徒。それがこの七不思議の正式名称のはずだ。

 

 先生には、前言を撤回する気配がまるでなかった。

「何を言うか。事故が起きたのは西階段だ。学生時代に雷に打たれたからといって、私は頭までおかしくなったわけではないぞ」


「西階段?」高瀬が自らを省みる時間は終わったらしい。そんなはずは、と消え入る声で言う。「どういうことだろう、神沢君」

 

 俺が言葉に詰まり首を傾げていると、先生が興奮気味に続けた。

「聞いたところによればなんでも、君たちは東の角にある旧手芸部室をよくわからない目的で占拠しているそうじゃないか」


「すみません」と俺は五人を代表して謝った。


「別に咎めようというのではない。それより、自分たちの行動をよく思い返してみなさい。君たちは旧手芸部室から帰る際、三か所ある階段のうち、どこを最もよく使うかね」


「東階段です」即答したのは高瀬だ。右に同じ。東階段は秘密基地から目と鼻の先にある。


「そうだろう」と先生は満足したように言った。「気まぐれで中央階段を使うことはあっても、遠く離れた西階段を使うことはまずないはずだ。それと同じだよ。西の角にある書道部室から帰ろうとした彼らふたりが、なにゆえ東階段に向かうのだね。不自然じゃないか。事故が起きたのは、西階段だ」


 言われてみれば、たしかにその通りだった。ここ最近は寝る間も惜しんで見取り図とにらめっこしていたくらいなのに、俺はその不自然さを読み取ることができなかった。無念だ。

 

 高瀬の鋭い視線は、メモ帳と先生の顔を行き来していた。

「それでは、この七不思議はもともと『西階段の嘆きの女生徒』と呼ばれていたということですね?」


「授業中と同じで、高瀬さんは飲み込みが早いね」

 

 なんだか松任谷先生に話を聞く前より謎が深まってしまったような気がしないでもない。ただ、一度は揺らいだ〈嘆きの女生徒=現役鳴桜生の変装説〉が再び強度を得たのも事実だった。先生がコーヒーを飲み終わるのを待って、俺は考えを述べることにした。


「新年度になってから、多くの生徒が東階段で女生徒の霊に遭遇したと言っています。実際に僕らもこの目で見ました。旧式のセーラー服、病的に青白い肌、顔全体を覆う長すぎる髪。どれをとってもまさに霊と呼ぶにふさわしい”何者か”が、東階段の踊り場にいたんです。でも悲劇の舞台が西階段である以上、その”何者か”は、霊ではあり得ませんね? なにしろそこに留まり続ける動機が彼女にはない。もちろん東階段で別の悲劇が起こっていれば話は別ですが」


 先生は何度かうなずいたものの、それもつかの間、腕を組んで眉根を寄せた。

「そもそも、霊というのが私にはよくわからんがね」


「松任谷先生はオカルト否定派なんですか」と高瀬が尋ねた。


「そういうことではない。いや、肯定派か否定派かと聞かれれば答えは後者だが、私が今問題にしているのは他のことだ。仮にこの世に霊という存在があるとしても、果たして、死んでもいない人間が、霊になるものなのだろうか?」


「死んでもいない人間?」

 俺たちを前のめりにさせるには充分な引力がその台詞にはあった。


 高瀬はもっと前傾姿勢になる。

「私たちが知る『嘆きの女生徒』では、事故の後、ふたりは高校を去って心中したそうなんですが、違うんですか?」


 先生はため息をついた。

「とんでもない。それこそが、私がさっき言った『面白おかしく脚色された』部分だ。彼らが高校を去ったのは本当だがね、その先が事実とはまったく異なる。彼らは心中なんていう馬鹿な真似はしていない。今この時も、生きている」


 松任谷先生が嘘をついているようには見えなかった。それにだいたい、この件で俺と高瀬を惑わしたところで、彼に何らかのメリットがあるはずがない。幽霊から(そで)の下を渡されてでもいない限り。

 

 先生は腕時計を指で二度三度軽く叩いた。「君たちの質問に答えるかたちをとっていると、どうしても冗長になってしまう。ここはいっそ、時系列に沿って話をしてみよう。その方がわかりやすいだろう」


 俺たちはうなずいて耳をすました。


「西階段の転落事故からすべては始まったと言えよう」と先生は言った。「今からおよそ20年前、これは実際に起こったことだ。他でもなくこの私が生き証人である。事故で右手に麻痺を患った男子生徒にとっては、書道を続けることはおろか、ノートをとることさえ困難だった。周囲の励ましや気遣いも、むしろ彼には重荷に感じられたようだ。彼は卒業を待たず、高校を自主的に退学してしまった。


 そうなると居心地が悪くなるのが、ひとり残された彼女だ。なにせ彼は彼女を守るために、それまで培ってきた技量と将来の希望をいっぺんに失ったのだからね。すでに『スーパー高校生』としてメディアの注目も浴びていた彼は、我が校の期待の星だった。かすり傷ひとつ負わず、高校生活を平然と送り続ける彼女への風当たりが日増しに強くなるのは、言わば自然の成り行きだった。考えてみればこれはえらく理不尽な話だがね。まあ、いつの時代も高校とは多くの理不尽に満ちあふれた場所だよ。そんなわけで、彼女もついに高校を去ったわけだ」

 

 先生は高瀬のメモが追いつくのを待って、続きを語った。


「悲劇のカップルとなった二人の行方はいったいどうなったのか。それは退屈を持て余した在校生たちの格好の話題となった。他人の不幸は蜜の味ということなのか、皆の憶測はどれもこれも思いやりを欠いたひどいものだった。『彼が彼女を恨んで殺して山に埋めた』だの『彼を支えるために彼女は体を売るようになった』だの。


 そして中でもそうに違いないと多くの支持を集めたのが、心中説なのだ。ふたりして人里離れた地の湖に入水したというのだ。何をか言わんや、と私は呆れていた。書道部の顧問として、また青春時代に同じく不慮の事故で夢を諦めざるを得なくなった人間として、私は彼が高校を辞めたあとも独自に連絡を取り合っていたからね。彼の近況報告によれば、彼自身も彼女もぼちぼち元気にやっているとのことだった。彼のその声に、死の気配などまるで漂ってはいなかった。事実、ふたりはそれぞれ別の道を歩んで大人になり、今は立派な社会人になっているよ」

 

 隣で高瀬が小さく挙手する。

「その心中説がひとり歩きして、ついには怪談に発展していったんですね?」


「”階段”の”怪談”にな」

 先生は、それがあたかも世界中の人を笑顔にするジョークであるかのようにのたまった。義理とプライドの板挟みになったが、俺は義理をとって仕方なく笑った。一方高瀬はちゃっかりプライドを守った。女の方が男より寿命が長い理由の一端がわかった気がした。


 ここから先はとりわけ君たちの聞きたかった話になるはずだ、と先生は若者の気苦労を尻目に続けた。


「西階段に女生徒の霊が出るという噂が浸透するのと時を同じくして、実は鳴桜高校ではある問題が起きていた。完全下校時間である19時を過ぎても帰宅せず校内に残る困った生徒が目立ち始めたのだ。この高校は昔から宿直も常駐させていなければ、強力な防犯システムも備えていない。19時になれば正面玄関に鍵をかけるが、各教室や職員室などは無施錠のままだ。それもこれも、学校側と生徒側のあいだに信頼関係があるからこその『敢えてのゆるみ』だったのだ。


 ところが、定時を過ぎても帰らない生徒が出てくるとなれば、学校側も考えを改めなければいけなくなる。ゆるみを正さなければいけなくなる。貴重品が盗まれたり生徒の成績やプライバシーが流出するような事態になっては学校の面目丸つぶれだからね。『セキュリティの大幅強化やむなし』の声が職員室でも大勢を占めるようになっていった」


 “頭の悪い人間が入るのは難しい(合格できない)が、頭の良いネズミが入る(侵入する)のは簡単”と市民に揶揄されるほどのセキュリティの甘さは、今もまったく変わっていない。ということは、その多数の声はかき消されたのだ。なんらかの理由で。


「そうした状況に焦りを募らせたのが、当時の生徒会だ。厳格と自由、その両方を併せ持つ校風はわが校の自慢であり、また、多くの受験生が志望動機に挙げるポイントでもあった。もしセキュリティが強化されれば、校風から自由が損なわれて、鳴桜は普通の公立高校に成り下がってしまう。君たちの先輩はそんな危惧を抱いたのだ。そして生徒会は一念発起し、自浄作戦に乗り出すことになる。完全下校時間前に生徒を一人残さず帰すため、彼らが着目したのが――ここまで話せばもう君たちもわかるだろう――西階段に出る霊の噂というわけだ」

 

 賢い高瀬には、はやくも話の全容が見えかけているようだ。「それでは、まさか」


「そのまさかだ」と先生は言った。「すでに怪談として定着していた『西階段の嘆きの女生徒』を参考にして、当時の生徒会が、他の六つの怪奇譚を考案したのだよ。それが鳴桜高校七不思議(・・・・・・・・)の真相だ」

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