第47話 この温もりを風がさらってしまわぬように 5
「私たちの中に幽霊騒ぎを引き起こしている犯人の仲間がいるって、神沢君、本気で言ってるの?」
第二回校内捜査の翌日の放課後、俺と高瀬はさくら公園を歩いていた。空には楽園もないが雲もなかった。ふたりきりのデートならば申し分ないのだが、実際には犬もいる。まぁ要するに本旨はモップの散歩だ。
なんだか最近は毎日のようにここを訪れているな、と俺は思った。モップに行き先を委ねていると、自然とさくら公園に着いてしまうのだ。どうやらモップは桜の木が好きなようだった。
「本気で言ってるよ」と俺は、隣で桜色のリードを握る高瀬に答えた。「そもそも一連の騒動を起こしているのは、霊やもののけの類いなんかじゃない。血の通った人間だ。つまり、俺たちの前に幾度となく現れたあの“嘆きの女生徒”は、現役の鳴桜生がなりすましているし、音楽室でショパンを弾いていたのはピアノが達者な生徒ってわけだ。
女子トイレからはこの世のものとは思えないようなおぞましい声が聞こえてきたけど、あんなのはボイスチェンジャーを使えばなんとでもなる。床を這ってきた手に関しても、やはりなんらかのトリックが使われたと考えた方がいい」
なぜか高瀬は、俺の推理そっちのけで失笑していた。
「そういえば音楽室で手がこっちに這い寄ってきた時、神沢君、ものすごく格好悪かったよね。わけわかんないこと叫んでたし。『えんだーいやー!』って私には聞こえたな。高音だったから、ちょっとホイットニー・ヒューストンみたいだった。ねぇモップ?」
「……忘れてくれると、ありがたいんだけど」
「はい、忘れた」と高瀬が嘘をつくので、俺は諦めて話を本題に戻すことにした。
「とにかく、相当多くの人間が裏で動いていると俺は睨んでいる。そして俺たちの中に、犯行グループに内通している奴がいるんだ」
「どうしてそう考えるようになったの?」
「きっかけは、ある違和感だった」と俺は言った。「俺たちは昨夜、多くの不可解な体験をしてきたわけだけど、一夜明けてみて高瀬はおかしいと思わないか? 東階段ではまず例の女生徒が俺たちを待ち構えていた。音楽室の前に到着すればちょうどぴったり『別れの曲』の演奏が始まった。そして中に入れば血まみれの手(らしきもの)が這ってきた。西側へ走れば、今度は女子トイレから不気味な声がした。西階段には逃げ道を塞ぐように再び嘆きの女生徒が立っていた。恐怖ここに極まれり。怪奇現象のオンパレード。霊・霊・霊」
一呼吸。
「なんて言えばいいのかな。あまりにも出来過ぎなんだよ、なにもかも。タイミングも絶妙過ぎる。あれじゃあまるで遊園地のアトラクションじゃないか。お化け屋敷だ。そしてお化け屋敷に本物のお化けはいない。いるのは人間だ」
「お化け屋敷」高瀬は納得したようにうなずいた。「たしかに、作為的な印象はあったかも」
「だろ? ただ、そうは言っても、俺たちが忍び込んだのは夜の高校だ。入口から出口まで順路が決まっているお化け屋敷とはわけが違う。いつ・どこから・どこへ・どんな風に侵入者が動くのか。迎え撃つ側の犯行グループにとってそれらを予測するのは至難の業だったはずなんだ。にもかかわらず連中は、お客さんに恐怖を植え付けるにはもってこいのタイミングや演出で、俺たちをもてなしてくれた」
「そういえば、きのう私たちは途中で休憩を挟んだり、雨が降ってきたから予定を変えたりしたよね。そういうのもきちんと踏まえたうえで、向こうは対応してる感じだった。なんか妙に手際が良いというか」
「鋭い。そこで俺は次にこう考えた。俺たちの中にスパイがまぎれ込んでいて、お化け側に情報をことごとく漏らしているんじゃないかってね」
「情報――次はどこそこへ行くとか、何分後に着きそうとか、今休憩中とか、だね」
「ああ」聞き手が聡明なので、会話がはかどる。
「それがわかっていれば、お化けたちはさぞ仕事がやりやすかったに違いない。準備を万端に整えて、侵入者を脅かすことができる」
「でもね、神沢君。私は先頭にいた神沢君とは違って、後ろを歩いていたから他の三人の様子が嫌でも目に入ったんだけど、特別おかしな動きをしてる人はいなかったよ? たとえばスマホで電話をかけたり、メッセージを送ったり。私たちの中にスパイがいるとしたら、その誰かはどうやってお化け側の人たちと連絡を取り合っていたんだろう?」
その謎ならもうすでに解けているさ。そんな風に名探偵よろしく言い切ることができたなら格好が付くというものだけど、いかんせんそれらしき答えは、俺の凡庸な頭には一つとして存在しなかった。愛想笑いをして、取り繕うことしかできない。
高瀬は続ける。
「みんなは本当に怖がっているように私には見えたし、やっぱり私たちの中に犯人の仲間がいるっていうのは、ちょっと無理があるんじゃないかな?」
それを聞いて俺はすかさず首を振った。そしてポケットから二種類の電池を取り出して高瀬に示した。満を持して、懐中電灯の一件を切り出す。
「捜査の攪乱か中止を目論んで、誰かが電池を古いものにすり替えたんだよ。そんなことが実行可能だったのは、俺と行動を共にしていた人間だけだ。俺だってできれば仲間を疑いたくなんかなかった。でも仕方がない。この消耗しきった古い電池が内通者の存在を物語っている。動かぬ証拠というわけだ」
高瀬の中でも俺の仮説が一定の説得力を持ち始めているのは、引きつった横顔を見れば明らかだった。短い沈黙があった。その後で、でも、と彼女は言った。
「でも、もし神沢君の言うことが正しいのだとしたら、その誰かは、どんな考えがあってお化け側の人たちに加担しているんだろうね?」
「そこなんだよ」俺は思わず額に手を当てた。「事件全体を通してわからないことはまだまだたくさんあるんだけども、中でもそこが一番の疑問点なんだ。幽霊騒ぎを解決できなきゃ俺は高校を辞めることになる。皆それは当然知っている。俺は高校を辞めたくない。皆それも当然知っている。なのにそいつはなぜ捜査の妨害をする? どうして真実を打ち明けてくれない? いったい何を考えている? 俺たち五人は、それぞれの未来のために協力しあうんじゃなかったのかよ」
困惑する俺を見かねたのか、高瀬は無人のベンチを指さして〈ちょっと休もう〉と目配せしてきた。俺は素直にそれに従った。
目の前にはこぢんまりとした池があり、そこでは他校の制服を着た一組の男女がスワンボートを漕いでいた。「付き合ってるのかな?」と高瀬は言った。「付き合ってるだろ」と俺は返した。
よく晴れた春の公園でスワンボートに乗る高校生の男女が恋人同士でないとしたらいったい何なのか。もっとも、よく晴れた春の公園で犬の散歩をする恋人同士になれない高校生の男女もいるが。まぁそれはさておき、ふたり揃って髪を派手な金色に染めるのが、彼らの愛の証であるようだった。
「あの髪の色じゃ、うちの高校だと問答無用でアウトだね」
風紀委員の顔も持つ高瀬は苦笑する。
「ああ。校門をくぐることさえ許されないだろうな」
「鳴桜はこの街の高校の中でもとくべつ厳格だから」
厳格、と俺は内心で繰り返した。空耳に違いないが、鐘が鳴る。吉兆の音色だ。
「なぁ高瀬。お化けたちの正体と犯行がもし明るみに出れば、連中は、ただじゃ済まないよな?」
「済まないね」と黒髪が似合う風紀委員はきっぱり答えた。「どんな理由があろうとも、完全下校時間を過ぎても校内に残っているのは、立派な校則違反。過去の実例に照らし合わせると、処罰は免れないよ。最低でも停学だろうね」
「だよな。俺たちが通ってるのは、規律にうるさい高校なんだもんな」
幽霊の正体やこまごまとしたトリックを解き明かそうと躍起になるあまり、俺は根本的なことを見落としていたようだ。視点が変われば見えるものも変わる。新しい考えも浮かぶ。一休みして正解だった。水上の金髪カップルに幸あれ。
「この事件の鍵を握っているのは、実は動機なのかもしれない」
犯人グループ側の視点に立ってみると、そんな台詞が口から飛び出した。
「下手をすれば停学処分を受けるのを承知の上で、多くの生徒が夜の校舎に残っている。そして幽霊に化けている。リスクを冒してでも、そうしなきゃいけない理由が連中にはあるんだよ。よほどの理由だ。彼らを突き動かしているのは、他の生徒が怯える姿を見て楽しみたいとか、鬱憤晴らしに羽目を外そうとか、そんな低次元で薄っぺらな動機じゃない。もっとシリアスで実利的な動機だ。
それさえ突き止めることができれば、あとは芋づる式に他の謎も解けそうな気がする。俺たちの中に潜む内通者・Xは誰なのか。そいつは何を考えているのか、も」
風に乗ってきた一枚の青葉がちょうど高瀬のスカートに舞い落ちた。高瀬はそれをそっと摘まんで小悪魔じみた笑みを頬に浮かべた。
「神沢君の推理によると、私だって内通者・Xの容疑者だよね?」
不意を突かれた俺は、言葉に詰まってしまった。
「そ、そういうことに、なるかな」
「それなのに、私にここまで話しちゃってもいいの?」
「高瀬に限って、俺を騙すような真似なんかするかよ」
「わかんないよ、探偵さん?」
高瀬は挑発的な声でそう言うと、手首を器用に動かし、鏡を見るような目つきで葉の両面を観察した。
「私には人一倍、裏表があるんだから」
「いや、それは知ってるけどさ」
「私がもし犯人の一味だったら、神沢君、どうするの?」
「その時は潔く高校を辞めて、さすらいの旅にでも出るよ。モップも連れて」
「それ、すごく楽しそう。私も参加していいの?」
諸国漫遊の旅をイメージしたのか、爛々と瞳を輝かせてモップを撫でる冒険好きを見れば、やはり彼女は容疑者リストから外しても構わないのだろうと思う。すなわち今俺の隣にいるのは、表の高瀬だ。
これでもし彼女が内通者であれば、俺はもう、いよいよ人間を信じない。