第45話 おばけなんかよりもずっと怖いもの 1
待ち合わせをした6時半に校門前に着くと、もうすでに他の四人の姿があった。
おのずとみんなの手に目がいく。示し合わせたわけではないだろうけど、四人ともそれぞれ違うアイテムを持参してきていた。
「高瀬、それ何?」
彼女が握っているのは本物のゴルフクラブだった。
「五番アイアン」高瀬はしれっと答える。
「いやいや、そういうことじゃなくて」
「護身用だよ。お父さんの使わなくなったやつを借りてきたの。ほら、校内にいるのが話のわかる幽霊さんならいいけど、そうとは限らないでしょ? 凶暴かもしれない。血の気が多いかもしれない。もし襲いかかってきたら」そこでご令嬢は上品なスイングを披露して「やっつけるの」と意気込んだ。
「やっつけますか」
実体を持たないはずの幽霊に物理的な攻撃が効くかどうかは甚だ疑問だが、いつにも増して張り切る彼女を見れば、それは口には出せなかった。
というかそもそも、女子高生の娘の、ゴルフクラブを携行した外出を許している高瀬家の倫理観は一体どうなっているのだ?
次に俺は、今回の作戦に最も適さない人物に声をかけた。
「なあ月島。何度も言うが、無理することはないんだぞ。俺たち四人で行ってくるから。終わるまで近くのファミレスで時間を潰していればいい。パフェ代くらいなら出してやる」
「心配には及ばないよ」と怖いもの全般が苦手な月島は言って、勇ましく右手を突き出した。「なぜなら今夜の私には、心強いものがあるんだからな」
彼女が持ってきたのはお守りだった。お守りと言っても神社で売っているような荘厳なものではなくて、とてもカジュアルなものだ。
色とりどりのフェルトで出来ていて、上の口は紐できちんと閉じられており、中央には「悪霊退散」と糸で縫われた文字がある。手作りなのだ。そして、大きい。文庫本や葉書くらいなら中にすっぽり入ってしまいそうだ。しかし文庫本や葉書が収まっているお守りなんて見たことも聞いたこともないので、俺はそのサイズになった理由を月島に尋ねてみた。
「オバケが嫌がりそうなものをあれもこれも入れようと思ったら、こうなっちゃったんだよ」と彼女は自製のお守りを胸にあてがって説明した。「御札でしょ、塩でしょ、十字架でしょ、パワーストーンでしょ。これだけ詰め込めば、ものすごい相乗効果が期待できるってものじゃない?」
クールな都会っ子がこうして時々垣間見せるひょうきんな一面は、俺に人間という生き物の奥深さを教えてくれる。
「それ、すげぇな」柄にもなく、お守りに興味を示したのは太陽だ。「中はどうなってるんだよ。月島嬢、ちょっとでいいから見せてくれよ」
「ゼッタイだめ。葉山氏は知らないの? こういうのって、一回開けちゃうと効果がなくなっちゃうんだよ」
頑なに首を横に振り、お守りを我が子のように抱きしめる月島。そこまでやられたら太陽は諦めるしかない。
柏木の持ち物はコンパクトなビデオカメラだ。テストテストとつぶやきながら、月島と高瀬を撮影している。男の声色を使って、こういうのに出演するのは初めてかな? 好きな体位は? 経験人数は? などとわけのわからない質問をねちっこく続け、二人の顰蹙を買う。
つい一時間前まで俺と真剣な話をしていた女とはまるで別人のようだ。
正直なところ俺は、今しばらくは柏木との会話を避けたかった。彼女が提示してくれたビジョンに対する自分の考えをはっきりさせるまでは、むやみに口をきくべきではないように思えたからだ。
ただいかんせん、流れからして、ここでビデオカメラについて触れないわけにもいかなかった。不自然だ。高瀬は賢く月島は聡い。何かあったんじゃないかとかえって怪しまれてしまう。
「柏木がこいつを持ってきた理由はわかる」と俺は言った。もちろん声に緊張が表れないよう注意して。「探索の様子を録画しておけば、後で何度でも見直すことができるし、もしかしたら俺たちが気付かなかったところに、映っているかもしれないもんな。何かが。今夜はひとつ頼むぞ、撮影係」
柏木はカメラのモニタに視線を据えたまま、「誰が撮影係だ」とぶっきらぼうな返答を寄越してきた。
「あたしがこれを持ってきたのは、あくまでも自分のため。勘違いしないでください。もし心霊映像が撮れたら、それをテレビ局に売って一儲けするんです。ま、悠介がどうしても映像を確かめたいって言うんなら、知り合いのよしみで見せてやらないこともないけど」
「ちゃっかりしてるなぁ、柏木は」太陽が笑う。
「だって今はお金が必要なんだもん」
柏木はそこで言葉を切って、俺にだけわかるようにウインクをした。
「近々、うちのお店を改装することになったの。ちょっとでもその足しにしたくてね」
俺を除く三人にとってそれはまったくの初耳だから、皆一様に驚きの表情を浮かべる。
しばしのあいだ、「鉄板焼かしわ」のリニューアルに関するQ&Aが繰り返された。俺だけは蚊帳の外だった。柏木の気まぐれな口からいつ俺の名前が飛び出すかわからないので、頃合いを計って話題を変えることにした。
「太陽、おまえの意図が一番意味不明だ。首から下げてるそのギターは何だ?」
「ギターじゃねぇよ。ウクレレだ」太陽は手を振る。「今弾いてやるからよく聞けよ。音色がギターとは全然違うから」
彼がひとたび演奏を始めると、途端にトロピカルな雰囲気が俺たちを包んだ。ありふれた雑木がヤシの木に見え、春の夜風は潮風と砂の匂いがした。なんてことは、さすがにない。雑木は雑木のままだし、夜風は夜風のままだ。
「うーん。ハワイアーン」
柏木が艶めかしい腰つきで踊る。フラダンスのつもりなのだろう。
「ウクレレが素敵な音を出すのはわかったけど、それをどう使うの?」
高瀬が俺の質問を言い直した。
「オレが誰だか忘れてもらっちゃ困るな」太陽は白い歯を見せて、演出なのか、ぽろろんとウクレレを鳴らした。「生まれながらのミュージシャンだぞ。相手が国家権力だろうが幽霊だろうが、オレは音楽一本で闘う。オレの魂のこもった音楽を聴けば、幽霊も成仏するはずだ。いくらなんでもドラムセットは携帯できないからな。代わりにこうしてウクレレを持ってきたってわけさ」
練習を終えた野球部員が我々を一瞥して去って行った。バイク用のヘルメットをかぶって打席に立つバッターを見るような目つきだった。
四人に隠れて、ため息を吐いている自分がいた。
なんだか皆、ちょっとずつずれている。
夜の高校に潜入するのだからと、真面目に懐中電灯を持参してきた俺がこれでは馬鹿みたいだ。
なにはともあれ、幽霊騒ぎの真相に一歩でも近付かねばならない。そのためには彼らに頼らねばならない。ゴルフクラブでもウクレレでも、好きなものを持ち込めばいい。
「そういえばよ」と太陽はあらたまって言った。「こうして五人揃って何かをやるのって久しぶりだよな。今回は悠介の絶体絶命のピンチだ。幽霊騒ぎを無事解決し、悠介の未来を守ってやろう!」
三人娘はそれぞれ何かを考えた後で、「おー!」と腕を上げた。五番アイアンと巨大お守りとビデオカメラが、夜空に舞う。
俺は頭を垂れるしかない。




