第43話 君を葬り去る準備はできている 5
「あら、葉山君じゃない。なになに、今日はどうしたの、お友達を引き連れて」
周防のお姉さんは仕事の手を止めて、俺たちを生徒会室に迎え入れてくれた。
こぢんまりとした室内には、長方形の大きなデスクが中央に存在し、それを囲むかたちで椅子が配置されていた。何か問題が起これば今すぐにでも会議を始められそうだ。
周防姉は部屋の一番奥の席に腰掛けていた。彼女以外の役員はいない。
「会長、すいません。突然押し掛けちゃって」太陽は人懐っこく言う。「さっそくなんですが、折り入ってご相談したいことがありまして」
「予算に関する陳情以外なら聞く耳を持つけれど?」
「大丈夫です!」そこで太陽は俺の背中を文字通り押した。「ほら、お膳立てはしてやったから、あとはおまえさんが話すんだ」
俺は喉の調子を整え、自己紹介をしてから「実は――」と切り出した。
「うちのまなと、イヤな奴だったでしょう?」
それが弟の行いを知った姉の第一声だった。
「こんなことを言うとお姉さんには申し訳ないですが、思い出しただけで胸糞が悪くなります」
うんうんわかるよ、という風に周防姉は苦笑し、大人っぽい仕草で前髪をかき上げた。
「まなとはうちの両親にとっては待望の男の子だったからね。過保護に育てちゃったんだよ。私がどれだけあの子の尻拭いをしてきたことか」
全校集会などで彼女が壇上に立っている時は思わなかったのだが、我らが生徒会長はこうして近くで見てみると、比較的きれいな顔立ちをしていた。
しかし弟とはそれほど似ていないようだ。
お姉さんの顔の方がどことなく攻撃的だし、表情の作り方からはやや神経質そうな印象を受ける。
ただ実際には弟の方が攻撃的だし神経質なのは間違いなかった。肝心なのは見た目ではなく内面なのだ。彼女はこちらが恐縮してしまうほど謙虚に話に耳を傾けてくれた。かぐや姫、と俺は思った。
「なにはともあれ、あなたたちがここへ来た理由はよくわかりました」と彼女は言った。「まなとに私からきつくお灸を据えてほしいと。かいつまんで言えばそういうことね?」
俺はうなずき、他の三人もそれに倣った。部屋の主の勧めで、話の途中から我々も椅子に座っている。
「たしかに、姉である私の言うことならばまなとは聞く耳をもつだろうし、仮に私の説得がうまくいかなかったとしても、生徒会長として退学は重すぎると学校側に訴えれば、神沢君の処罰を軽減することができるかもしれない。とりもなおさず、私が動けばまなとの企みは崩れることになる。さて、神沢君。君の命運は私の一存にかかっているみたいだよ?」
俺が返事をするよりも先に口を開いたのは、隣の柏木だった。
「会長さん、どうか助けてやってください! こいつ、独り身で苦労して学校に通ってるんです。気は利かないし頭は固いし捻くれてるし脚フェチだしムッツリスケベだけど、決して悪い奴じゃないですからっ!」
「おい」聞き捨てならない点がいくつかある。
「会長、オレからもひとつお願いしますよ」と太陽も続いた。「悠介という娯楽がなくなると、高校生活が味気なくなっちまいます。こいつといると、飽きないんですよ」
「そっちのショートカットが似合う子はどう?」
周防姉に発言を求められた月島は、何を思ったか髪を指でくるくる巻く仕草をした。
「なんていうかぁ、大好きなダーリンが困っているのってぇ、わたし的にはツラくて見ていられないからぁ、マジで助けてあげてほしいなぁって。そんなわけでぇ会長さん、よろしくお願いしまぁす」
生徒会室が静まった。冬の朝のような静けさだった。月島は額に手を当てた。
「素敵な仲間に囲まれて君は幸せ者だね」周防姉は俺を羨むような目で見てくる。「まなとにもこういう友だちがいれば、ちょっとは丸くなるんだろうけどね。いや、逆か。あんな性格だから友だちが一人もできないのか」
友達なんて僕にはいらないのさ、とどこからともなく聞こえた気がした。
「よし、こうしよう」と彼女は手を叩いて言った。「まなとの姉としては、わかったよ、と言いたいところだけど、無条件にとはいかないわね。忘れてもらっちゃ困るけど、居酒屋でアルバイトをするのは重大な校則違反に違いないのだから。見方を変えれば私は、あなたたちの隠蔽工作の片棒を担ぐことになる。私はまなとの姉であると同時に、全校生徒の模範となるべき生徒会長でもあるわけだ。そんな私を巻き込もうというのだから、それなりの条件が必要になるよ」
その発言を受け、俺たちは顔を見合わせた。誰の顔にも「条件?」と書いてある。
「今校内はどこへ行ってもある話題で持ちきりなのは、あなたたちも当然知っているでしょう?」
「カンナ先生の退任についてですね」
自信を持ってそう答えた俺はいつだって世間の流れから取り残されている。そっちじゃなくて、と周防姉はすかさず言った。
「幽霊騒ぎに決まってますよねぇ」
柏木が得意になって回答し、周防姉はうなずいた。条件+幽霊騒ぎと来ればもう、嫌な予感しかしない。
「二週間以内にこの幽霊騒ぎの謎を解き明かすこと。それがまなとを私が説き伏せる条件」
俺たちは再度顔を見合わせた。今度は顔に書いてある文字がそれぞれ違う。
最も印象的なのは月島の青ざめた顔だった。そこには「サイアク」と心の声が染み出ている。あにはからんや、クールな都会っ子は幽霊や怪談のたぐいが大の苦手なのだ。
「新学年になってから三週間ちかくが経つけれど、幽霊の目撃証言や心霊体験談は毎日のように寄せられているの」周防姉は困惑した口ぶりでそう言いながら、一冊の大学ノートを俺たちの前に広げた。「もちろんこうして私たちの耳に入る事例は氷山の一角に過ぎないでしょうね。実際にはもっと多くの生徒が不可解な出来事に遭遇しているに違いないわ」
そのノートには、証言者の学年やクラス、怪奇現象があった日付や時間帯・場所などが綿密に書き記されていた。日付に注目してみれば確かに、始業式直後からほぼ連日、校内のどこかで何かが起きている。これではまるで呪われた学園である。
周防姉は語る。
「はじめのうちはね、私たちだって馬鹿馬鹿しいと思って聞き流していたのよ。ところがこれだけ騒ぎが大きくなってくると、そうもいかなくなる。事実、真相を究明しろという声が生徒会にちらほら浴びせられるようになってきた」
「そこでオレたちの出番というわけっすね」と太陽は言った。
生徒会長はうなずいた。「私たちもね、暇じゃないの。生徒会が学校のなんでも屋だと思ったら大間違い。特に私を含む三年生は受験生でもあるの。貴重な放課後をこんなわけのわからない騒ぎの捜査になんか使いたくないのよ。さぁみなさん。どうする?」
「やるしかねぇよな」太陽は乗り気だ。
「やりますか」柏木も諦めたように言う。
好むと好まざるとに関わらず、俺はやるしかなかった。だから深くうなずいた。
「約一名、さっきから違う世界にいるみたいだけど」周防姉の視線の先には月島がいる。
「ショートカットの似合うあなたはどうする?」
「無理はしなくていいぞ」
俺がそう声をかけると、月島はおよそ表情というものを欠いた顔つきで「やったるわ」と謎の意気込みをみせた。そして「おばけなんて――」とどこかで聞き覚えのあるメロディを明るく口ずさみ、動揺を童謡でごまかした。
「これで決まりね」と周防姉はあらたまった口調で言った。「では、生徒会長としてあなたたちに正式に特命を言い渡します。一連の奇怪な幽霊騒ぎの真相を突き止め、校内に平穏な日々を取り戻してください。期限は14日後の月曜日。それではかわいい後輩たち、グッドラック!」
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時間の長さの感覚はきっと人それぞれだろうし、そのうえ気分や状況によっても変わってくるだろうけど、ひとまず今の俺に限っていえば、二週間という時間はあまりにも短いように感じられた。
これがもしカリフラワー料理しか食べてはいけない二週間だったり、エド・ウッドが作った映画しか見てはいけない二週間だったり、マスターベーションを禁じられた二週間であればとてつもなく長いように感じたはずだが、現実に俺の前にあるのは、高校に残れるかどうかが懸かっている二週間だ。
これからの人生を大きく左右する時間としては、残酷なまでに、短い。
そんなわけで俺は生徒会室を出るやいなや「今からさっそく捜査開始だ」と宣言した。限りある時間を一秒たりとも無駄にはできない。
「いったいどこから手をつけるよ?」と太陽は言った。
「そうだな……」
俺は周防姉から渡された“怪異ノート”に目を落とし、少しの間考えをめぐらせた。
「まずは校内で聞き取り調査をしてみよう。ここに書かれていることがすべてじゃないと会長も言っていた。重要な手がかりを得られるかもしれない」
うんともすんとも返ってこなかった。
なにも無視することはないじゃないかと思い顔を上げると、どういうわけか三人の体は固まっていた。
彼らの顔の向きは一致している。視線をたどると、その先には、高瀬がいた。
「何してるの、みんな」と彼女はこちらに近づいて言った。
「ちょっとした野暮用ってヤツさ」太陽が取り繕う。
「優里こそ、どうしたの?」柏木のイントネーションが乱れる。
「私は、風紀委員のおつかいで職員室に行く途中」
高瀬は書類の束を脇で抱えていた。
「なんかさ、みんな、妙によそよそしくない?」
「そうかい? 気のせいだ」太陽はとぼける。
四人の中でぼろを出す人間がいるとするならば、それはまず間違いなく俺だ。そして高瀬もそう考え始めている。だから俺の目を覗き込んでくる。俺はノートをさりげなく背中へ隠す。緊迫した空気が廊下を満たす。時間が止まる。
「もともと無理なんだって」そんな台詞で時計の針を進めたのは、月島だった。「二週間も高瀬さんに隠し通せるわけがないんだよ。遅かれ早かれ、ばれちゃうに決まってんの。神沢、もう、教えちゃうよ?」
「おい、ちょっと待てって!」
「待たない」月島は俺の制止を一蹴した。「「高瀬さん。すごーく端折って話すけど、二週間以内に幽霊騒ぎを解決しないと、神沢、高校を辞めさせられちゃうことになったんだ。これだけ聞けば今何が起こっているか、賢い高瀬さんだ、わからないわけないよね。今私たちが出てきたのは生徒会室。会長さんは誰の姉? あとは推して知るべし。いろんな人の事情を察してね」
それを聞くと高瀬の顔色が激変した。赤みが差し、皺が寄る。書類が脇から落ちる。床が紙の海になる。彼女はポケットからスマートフォンを取り出し、液晶に指を走らせる。しかし月島がすぐに端末を奪い取った。
「もう一度言うよ。いろんな人の事情を察してね。たとえば、周防君にこのことを問い詰めちゃったりするのは、NG」
「結局こうなったか」
柏木がため息をついて、俺の背後からノートを引っ張り出した。
「えっと、まずは地道に校内で聞き込みをするんだっけ? ノートにない新しい情報が得られるといいね。それじゃ、一仕事始めますか。悠介の未来のために」
柏木が廊下を進み、太陽も後に続いた。月島はスマートフォンを高瀬に返してから二人を追った。生徒会室前には俺と高瀬と大量の書類が残された。
俺は床に散乱した書類を一枚一枚拾い上げていく。そのあいだ高瀬は口を真一文字に結んで立ち尽くしていた。俺と周防のあいだに何があったか、考えを巡らしているのだろう。
やがて俺は拾い集めた書類を高瀬に差し出した。しかし彼女はそれを受け取らず、首を横に振った。そして口を開いた。
「私がしなきゃいけないのは、風紀委員の仕事じゃない。私がしなきゃいけないのは――」
そこで言葉を切ると高瀬は体を反転させて、三人の後を追うように駆け出していった。
そのようにして未来を懸けた春の二週間は幕を開けた。