第43話 君を葬り去る準備はできている 4
「その一・高瀬に対し好意がないことをきっぱり告げる。その二・『大学に行かせる』という約束を破棄する。その三・もう二度と彼女のそばに近付かない。以上、周防まなとが突き付けてきた『対俺三ヶ条の要求』だ」
月曜日の放課後、俺はさっそく仲間を頼ることにした。
実習棟三階の隅、おなじみの“秘密基地”には高瀬以外の四人が集まっている。渦中のヒロインは風紀委員の仕事で忙しいと言っていたので、さしあたってここへ来てしまう心配はないだろう。
俺は壁のカレンダーに目をやってから話を続けた。
「与えられた時間は今日から二週間。五月の連休が始まるまでのあいだに俺がすべての要求を呑まなければ、周防は俺の秘密を学校にばらすと言ってきた。ま、脅迫だな」
周防から渡された証拠写真を長テーブルの上に放り投げると、三人は身を乗り出してそれを見た。
「完全に居酒屋で働いている男子高校生だ」月島は端的に言い表す。
「まずいよね、これ」柏木にはいつもの軽薄さがない。
「シャレにならんぞ、悠介」と太陽は三人を代表するように言った。「おまえさんも重々わかっているとは思うが、うちの高校は校則で生徒のアルバイトを禁止している。どれだけ経済的に困っていても例外は認めないという偏屈な校則だが、悪法もまた法だ。校則に背けば罰は免れん。もしこの写真が教師の目に触れることになれば――」
半年分の雨を蓄えた雲のような沈黙が四人の間におりてきた。しばらくして柏木の口が動く。「停学?」
「停学で済めば、御の字だよな」と太陽は俺の顔色を見て言った。
「退学だよ」と俺は悪友の気遣いに感謝して正直に言った。「なにせ働いている場所が場所だ。これが本屋や喫茶店だったらまだ釈明の余地があるのかもしれないけど、居酒屋となるとそうもいかない。反社会的行為とみなされたらおしまいだ。鳴桜は進学校ということもあって、どこの高校よりも世間体を気にしているからな」
「そんなのおかしくない!?」柏木の怒りはもう最高潮に達している。「だってさ、悠介は遊ぶお金が欲しくて働いてるわけじゃないんだよ? 大学に行くための資金を自分で稼ぐなんて、むしろ褒められるべきでしょうが。それを追い出すなんて、何考えてんの? 変な学校! アタシは褒めてあげるから。悠介、えらいねっ!」
「お、おう」そうだろそうだろ、とうぬぼれている場合でもない。
「とにかくだな」柏木の暴走を予期したのか、太陽がまとめるように言った。「オレたちは最悪のケースを念頭に置いておいた方がいいだろう。つまり、周防の求めに応じなければ、悠介は高校を辞めなきゃいけなくなるってことだ」
月島は何度かうなずき、なるほどね、とつぶやいた。
「神沢が条件を呑んでも呑まなくても、その周防って奴からすれば目障りな恋ガタキを蹴落とせる最高のシナリオってわけね」
「月島」と俺は言った。「なんか、感心してない?」
「うむ。うまいこと考えたなぁと思って。その手があったね。周防君、お見事!」
「おまえな……」溜め息くらい吐かせてもらう。
「これ、盗撮したんだよね?」柏木は写真を手にとっていた。
「ああ。周防は私立探偵をお雇いになったそうだ。ご苦労なことで」
「陰湿ねぇ。やだやだ。男なら正々堂々と決闘でも申し込みなさいよ」
柏木と周防は、水と油に違いない。
「なぁ太陽。周防まなとについて知ってることがあれば、教えてくれないかな?」
高校きっての情報通に聞いてみた。どんな戦いでも、まずは敵を知る必要がある。
太陽はさわやかに承諾した。
「成績優秀、運動神経良し、芸術の素養あり、留学経験あり、英語ペラペラ。姉ちゃんは三年生で現生徒会長。集団行動を好まない一匹狼。人間性に問題あり。それでもツラが良いもんだから女の隠れファンは多し。父親は『周防が咳をすれば市が風邪を引く』と言われるほど影響力のある実力者。うん、まぁ、悠介よりスペックは数段上だな」
「悪かったな」
「人間性に問題あるのは神沢も一緒だしね」
月島はしれっと俺の気力を削いでくる。
「悪かったな」
柏木が黙っているはずがない。
「身分違いの恋をするから、こういう目に遭うんだよ」
同じ台詞を三度も続けたくないので、俺は彼女に対しふくれっ面をした。そしてなんとなく向かいの空席に目をやった。いつもならそこには高瀬の姿がある。
二週間後にはもう彼女と会えなくなるかもしれないと考えると、今にも気が狂いそうだった。思えば前の季節だって似たような状況だった。いったいどうなっているのだ。運命は俺と高瀬の仲を引き裂きたくて仕方がないのだろうか。
あなた様の“未来の君”は柏木晴香様でございます。老占い師のそんな言葉が聞こえてくるようだった。
「さて悠介。そろそろおまえさんの胸中を当ててみせよう」と太陽は言った。「先週末に周防の脅迫を受けたおまえは、土日を使ってどうしようかひとりであれこれ考えてみた。ところがこれといったアイデアは浮かばない。もちろん高瀬さんにこのことを打ち明けるわけにはいかない。困った。焦った。吐いた。弱った。そこでオレたちに相談してみることにした。おおかた、そんなところだな?」
「一年も一緒にいれば、そのくらいお見通しだよな」
首筋にくすぐったさを感じながらも、俺は三人の顔をしっかり見渡した。
「今回ばかりは本当に参っちまった。どうか、みんなの知恵と力と時間を俺に貸してほしい。頼む」
すかさず挙手したのは月島だった。
「周防君の要求通り、高瀬さんと絶交すればよろしいのではないでしょうか」
柏木がわざとらしく拍手をはじめた。
「ああ、それは名案だ。そうしようそうしよう。これにて一件落着!」
「あのさ」二人がそう来るのは想定の範囲内だった。「俺にそんなことできるわけないって、ふたりともわかってるよな?」
「あのさ」月島は俺の口調を真似る。「私と柏木にとって高瀬さんがどういう存在か、キミはわかってるよな?」
「わ、わかってるよ」
「わかってるのに、協力しろって言ってるの?」
「言ってるの?」柏木がエコーをかけた。
「二人には悪いと思うよ。デリカシーも欠けていると自覚している。でも本当に他に手立てがないんだ。そこは大目に見てくれよ」
「まぁまぁ」と太陽はなだめるように言った。「柏木と月島嬢の気持ちもわかるけどさ、悠介の未来が危うくなっているのはまぎれもない事実なんだ。オレたちの集まりの基本理念はなんだ? 柏木、言ってみろ」
「それぞれの未来のために、協力する」と柏木は面白くなさそうに答えた。
太陽は指を鳴らした。「ま、つまりはそういうことだ」
月島はしょうがないな、という言いたげに肩をすくめた。
太陽はスマートフォンをしばらく操作し、それから「ビンゴ」とつぶやいた。「周防君もやっぱり人の子なんだねぇ。見過ごせない大きな泣き所見ーっけ。よっしゃ。こうして座していても何も始まらん。まずはここから攻めてみるとしようか」
♯ ♯ ♯
太陽が学内に張りめぐらせた蜘蛛の巣みたいなネットワークが捕らえた情報によると、周防まなとは一歳上の姉に頭が上がらないらしい。いわゆる、シスター・コンプレックスなのだという。
周防の高圧的で尊大な性格を思い返せば、それはにわかには信じがたい話だったが、わずか二時間そこらの対面で一人の人間のすべてを見抜けるほど俺の観察眼が優れていないのも事実だった。
人にはいろんな貌がある。俺も高瀬も柏木も月島も太陽もそうなのだから、彼も例外ではないのだろう。周防まなとはシスコンなのだ。
「お姉さん、あたしたちなんかまともに相手してくれるのかなぁ?」
柏木が不安を口にした。高瀬を除く俺たち四人は、生徒会室目指して廊下を進んでいる。会長である周防の姉に会うために。
近くを女子バレー部の一団が勇ましい掛け声を響かせて通り過ぎていった。放課後だ。ありふれた放課後だ。しかし愛着のある放課後だ。俺はこの高校を辞めたくない。
「大丈夫だって」と太陽が応じた。「生徒会長ってことでどうしてもお堅い印象を持たれがちだけど、これが話してみると案外、竹を割ったような性格の人だから」
柏木の表情がみるみるこわばった。どうやら“竹を割ったよう”の意味が理解できていないらしい。
「ねぇ悠介」と彼女はこっそり耳打ちしてきた。「かぐや姫って、どういう性格だったっけ?」
「かぐや姫? なんの話だ?」
「竹を割ったような性格って、かぐや姫のことじゃないの? ほら、竹取物語っていうでしょ。竹から生まれたかぐや姫」
柏木はいたって真剣だった。真剣だからこそ、呆れるどころかいじらしく思えてしまう。
「えっとね」と俺は笑うのを堪えて言葉を選んだ。「かぐや姫はとても素直で、まっすぐな性格だったんだよ。だからこそ月に帰ることを許されたんだ。つまり太陽が言いたかったのは、生徒会長は気立ての良い人だから、むやみに怖がらなくていいってことさ」
柏木の頬がゆるんだ。
「なーんだ、やっぱりあたしの思った通りじゃないの。心配して損した。あのバカ葉山、難しい言葉を覚えたもんだから、使いたくて仕方なかったんだよね」
ありふれた放課後のありふれたやり取りだ。俺はこの高校を辞めたくない。