第43話 君を葬り去る準備はできている 1
「単刀直入に用件を言おう。神沢悠介君。優里から手を引くと誓ってもらいたい」
高瀬が最近よく会っていた男の正体は、同じ高校に通う同級生だった。
周防まなと、と彼は名乗った。基本的に他人のことには興味がない俺は、彼の顔に見覚えもなければ彼の名前に聞き覚えもなかったのだが、逆に向こうはこちらの素性をすでに詳しく知っているようだった。
「彼女のことを優里と呼ぶんだな」と俺は周防の要求を無視して返した。
「出会いは幼稚園の年長組の頃までさかのぼる。言わば幼馴染みさ」
心臓のそばで何かがぶるぶるっと震えた。嫉妬している。ふうん、とぶっきらぼうな相づちを打つことしかできない。
「それで」周防は真向かいの席から身を乗り出してくる。「神沢君。僕の願いは聞き入れていただけるのかな?」
「断る」と俺は満を持して答えた。
「わからないなぁ」
愉快そうに周防は笑う。笑えるだけの余裕が彼にはあるのだ。
♯ ♯ ♯
俺は周防直々の呼び出しを受けて、学校近くのファミリーレストランに来ている。午後三時の店内に客の姿はあまり多くなかった。
三日前からうちに住むようになったモップは、今頃何をしているだろう? 犬など飼ったことがないから、妙にそわそわしてしまう。静かに昼寝でもしていてくれるといいのだが。
俺のそんな心配をよそに周防は「そう簡単にはいかないよな」と言いながらメニュー表を手に取った。
「せっかくファミレスにいるんだ。楽しく食事でもしながら語り合うとしようか」
俺は別に空腹ではなかったし、そもそも例の発作がいつ起きるともわからないから、何かを食べる気になんかなれなかった。
それでも何も注文しないというのも決まりが悪いので、飲み物を選びつつ周防の容貌をひっそり観察してみることにした。
見ていてやけに不思議な気分になってくる顔立ちだった。
目も鼻も唇も女の子から剥ぎ取ってきたと言われても信じてしまうくらい中性的かつ衛生的なのに、面の奥からは、どんな男よりも強い独占欲や危うい嗜虐性が滲み出ているのだ。
そんな彼の顔を眺めているのは、まるで精巧なだまし絵を見ているようでもあった。不思議な気分にもなるわけだ。しかし俺はだまされない。
周防は女心をくすぐる端正な顔の持ち主には違いないが、感性がちょっとでも優れた女性ならば彼を恐れて敬遠するのも間違いなかった。
そこまで考えて俺は、では、と吐息を漏らした。では、高瀬の感性はいったいどこに行ってしまったのだ? 幼稚園の年長組からずっとだまし絵のからくりに気付かないほど彼女は鈍感な女じゃないだろうに。最近になってこんな男と頻繁に会う必要がどこにあるのだ? わからん。謎は増すばかりだった。
もやもやを払い落とすように頭を振ったところで、店員がオーダーをとりに来た。スタイルの良い女子大生風のお姉さんだ。果たしてこの人はどの程度の感性の持ち主だろうか? と邪な興味が湧いたので、俺は彼女の振る舞いをこっそり観察してみることにした。
女子大生風はまず品定めする目つきで俺と周防を見比べると、周防にだけ会釈をし、髪を整え、周防にだけ微笑みかけた。どうやら素敵な感性をお持ちのようだ。
「ここはメロンソーダは置いてないのかな?」と周防がサーロインステーキセットを注文した後で横柄に尋ねた。
「メロンソーダはドリンクバーにございますが」と女子大生風はほがらかに答えた。
「わからないなぁ」と周防は不満げにつぶやいた。「僕に言わせれば、ドリンクバーのメロンソーダはメロンソーダじゃないんだ。僕が欲しいのはね、親の仇かっていうくらいシロップが濃厚で、きれいにカットされたクリスタルみたいな氷が過不足なく入っていて、鮮やかなサクランボが気持ちよさそうに泳いでいて、時間が経って氷が溶けるとちょうど飲み頃になる愛と平和に満ちた飲み物なんだよ。それをメロンソーダと呼ぶんだ。わかる?」
女子大生風はそれこそクリスタルみたいにこちこちに固まってしまった。しかし周防はなおも同じ口調で話し続けた。
「素材はドリンクバーのメロンソーダらしき緑の液体で妥協するからさ、それを厨房に持って行って、今僕が言ったような王道のメロンソーダを改めて作ってきてよ。ここは野戦病院じゃない。ファミリーレストランだ。氷とサクランボと愛と平和くらい、いくらでもあるでしょう?」
そこでついに女子大生風の視線が俺に向けられた。助けを乞う目だ。
俺だって聖人じゃないから「ここはレモンスカッシュは置いてないのかな?」と始めて、先ほど受けた差別の報復をするのも一興だったけど、さすがにそれは可哀想なのでやめた。俺は聖人ではないけど狂人でもない。「おい周防」と凡人なりにたしなめる。「無茶なことを言うのはやめろって。店員さん、困ってるだろ」
次にメニュー表から自分が飲むカフェオレを簡潔に注文すると、目配せで、行ってくださいと女子大生風に伝えた。彼女は逃げるように小走りで去った。
「どういうつもりだ」呆れて周防を問い質す。彼はどこかの王族みたいに悠然と背もたれに体を預けて、目にかかる長めの前髪を手でいじっていた。
「馬鹿な女ばかりだ」その台詞を周防は言い慣れている節があった。「神沢君。僕のことを救いようのないキチガイだとでも思ったかい?」
「おまえ、まさか、わざとあんな真似を?」
周防は声を出して笑った。塔の上から地上の人々に放水するような笑い方だった。
「彼女は僕に色目を使ってきたからね。君も見ただろう? あれは僕に好感を抱いた女の目だ。もし僕がその気になって口説いたら、今晩中にでも彼女は股を開いたよ。僕のことなんか何も知らないくせに。実に嘆かわしい。僕はね、ああいう、表層でしか物事の価値を判断できない馬鹿な女を見ると、無性に困らせてやりたくなるんだよ」
「おまえ、性格歪んでるよ」
とても俺が言えた義理ではないけど、言わずにはいられなかった。
「あはは。昔から優里にもよく言われるんだ」
再び心臓のそばで震えが起きた。嫉妬に対する免疫がないのだ。それを見抜いたように、周防は「僕はね」と自信をみなぎらせた。「僕はね、優里のことを想ってる」
「そうなんだろうな」
「優里はよくできた女だ。あんな娘、そうはいない。いそうでいない。あるゆる意味において、さっきの店員のようなタイプの女とは対極の存在だ。仕方がない。魂のクオリティが違うんだ。勝負にならない。外観が美しい女は世の中にごまんといるが、魂まで美しい女となると、途端に一握りになってしまう」
捨て犬一匹放ってはおけない心の優しい女の子だ、と俺は心でなかば同意した。完全に同意できないのは、彼女の内面にどす黒い少女が眠っているのを知っているからだ。俺はそのどす黒い面ですら愛せてしまうけれども。
周防は俺の目を直視した。
「聞くまでもないが、それでも念のため聞くが、神沢君。君も優里のことが好きなんだろう?」
その問いかけに対し、俺は少しも迷わず首を縦に振った。しばらく静寂があった。その静寂は周防ではなく俺の言葉を要求していた。求めに応じ「好きだ」と言う。
「そうかい。好きか」
「ああ。好きだ」
「でもね、優里のことをより好いているのは、この僕だ」
「いいや、俺だ」
「優里に対する想いは」周防の頬には挑発的な笑みが浮かんできた。「絶対に僕の方が強いよ」
「そんなことはない!」口がひとりでに動く。足もひとりでに動く。気付けば周防の顔が眼下にある。椅子から立ち上がっていたのだ。「俺の方がおまえなんかよりずっとずっと高瀬を強く想っている。共に過ごした時間はまだ短いかもしれないけど、それでも、世界中の誰より強く高瀬のことを想っている。俺は高瀬のためなら死ぬことだってできる!」
一切の話し声が店内から消えた。
見れば、周防はくすくす笑いながら人さし指を俺の斜め後ろに向けている。振り返ればそこには女子大生風がいた。彼女はカフェオレの載ったトレーを持って気まずそうに立ち尽くしている。
「おい神沢」周防はわざとらしい声を出した。「ここはファミレスだぞ。場違いなことを言うのはやめろって。店員さん、困ってるだろ」
女子大生風ははっと我に返ってカフェオレをテーブルに置くと、何も言わずそそくさと去っていった。
「謀ったな」と俺は着席しながら言った。疑いの余地なく顔は真っ赤だ。「おまえの位置からは、店員が来るのが見えていた」
「これでおあいこだ」と彼は返してきた。「君一人に良い格好をさせるかよ。ただもちろん、先ほど僕が表明した優里への想いの強さは、はったりでも誇張でもない。100%本気だ。あはは。負けないよ、神沢君。言っておくけどね、僕だって優里のためなら死ねるんだ」
「それじゃあ死んでくれ」
「いやいやどうぞお先に」
これはまたなかなかの難敵が登場したぞ、と俺は気を引き締めていた。一癖も二癖もある特異な同級生、周防まなと。
この男の顔を見ながら飲むカフェオレはえらく苦い。