第33話 ふたりの願いを叶えたまえ 4
<PM16:15(閉店まで4時間45分)>
レポーターに対する高瀬の受け答えは、如才なかった。
緊急生中継ということで「このような話を伺うので、こう答えてください」といったような事前の打ち合わせはなかったのだが、それでも彼女は矢のように向けられる質問に対し、明るく、はきはきと、キュートな笑顔のオマケまで付けて応じてみせた。
高瀬はよく「多芸は無芸だ」と自分を嘲笑したりもするけれど、その多芸さが活きる場面もやはり多いなと俺は強く実感していた。
100点は取れなくとも、コンスタントに80点から90点を取れる能力は、本人が思っている以上に価値があるのだ。
問題がひとつあった。
それは、俺が骨抜きにされてしまって、この後仕事が手に付くかどうかわからないということだ。
ぽっと頬を赤く染め、白くみずみずしい生脚を時折恥ずかしそうに撫でる高瀬サンタの愛くるしさと言ったら、「このまま家に連れ帰って、朝まで戯れていたい」なんて不埒なことを真剣に考えてしまうほどで、共に中継を見守っていた父上の睥睨におののきつつも、俺はいつか彼女と彼氏彼女の関係になる時が来たらこの格好をさせようと心に決めた。
「人の娘を見せ物にしたな」と直行さんは言った。
「スーパーバイザーの務めを果たしているだけです」と俺は冷静を装ってそれに答えた。
生中継も終盤に差し掛かり、いよいよ取材陣一行は、人々が集うクリスマスツリーのそばへやってきた。
ちょうど鮫島さんが「気をつけるっすよ!」と脚立を登る子どもに声を掛けているところだった。どうやら彼は、自分の役割に使命感を持って場をうまく取り仕切ってくれているようだ。
「さてさて、これが話題のツリーですね! わぁ、すごい数の人たちです!」
レポーターの女性は大袈裟に背中を反らせ、それから「実はある有名漫画でモデルとなったのが――」と大盛況の解説をはじめた。スポンサーとのややこしい大人の事情が背景にあるのか、掲載雑誌や作品の実名は伏せられる。
「それでは、可愛いらしいサンタさん!」レポーターは高瀬にマイクを向ける。「最後に、視聴者の方々にもお得な情報があるんですよね?」
俺は準備していたいくつかの商品をカメラの背後から高瀬サンタに手渡した。
「そうなんですよ」と彼女は芝居がかった声を出す。「『番組を見た』と言っていただいたお客様には、今日限定で、こちらのサラダ油、お味噌、小麦粉を半額でご提供いたします。皆様のご来店、従業員一同、心よりお待ちしております」
「あー、これは嬉しいですねぇ。タカセヤさんも出血覚悟の大盤振る舞いですね!」
「それから!」
高瀬は放送が終わりそうだと嗅ぎ取ったのか、すぐに言葉を継いだ。
「当店のツリーには、ご覧の通り、まだまだ余裕があります! 願いを託すチャンスは、今日の夜9時までですよ!」
「願いをかけるのは、今日しかだめなんですか?」
レポーターは不思議そうにそう尋ねた。
「今日しか、だめなんです!」と高瀬サンタは切実さが凝縮した声で訴えた。「うちのツリーに宿る神様は放浪癖があるので、明日にはもう、いませんから!」
<PM16:45(閉店まで4時間15分)>
「グッジョブ。素晴らしかった」
生放送の出演を終えた高瀬を拍手で迎えた。俺の隣では、直行さんが仏頂面で周囲の空気を凍て付かせている。
「お父さんにまでこの姿を生で見られることになるなんて」
サンタの格好をした高瀬が漂わせる気まずさは、女子大生がバイト先の風俗店で父親に出くわす際のそれに似ている。
「優里、嫌なことは嫌とはっきり断っていいんだぞ」
当然社長は愛娘の味方だ。むき出しの太ももだけを避けて動く視線が、なにより父親の心情を物語っている。
「仕方ないよ」と高瀬は諦め口調で言った。「タカセヤ西町店においては、スーパーバイザーさんの言うことは絶対なんだから」
「売上を伸ばすためには、なりふりかまっていられないんです」
「生放送も終わったし、着替えてくるね」
そう言って歩き出した高瀬を俺は制止した。
「だめだめ、だめだよ。閉店まで、その格好のまま過ごして」
「悠介、どういうことだ!?」いの一番に父親が反応する。
「この可憐なサンタ姿を目当てにして、来店してくれる方々もいるはずです。そんな人たちの期待を裏切るわけにはいかないでしょう」
「……優里を餌にするのか」
「すべては売上のため、です」
直行さんはしばらくのあいだ不服そうに口をもごもご動かしていたが、値の張りそうな腕時計に視線を落とすと、娘には「時間なので私はそろそろ本社に戻る」と事務的に告げ、俺にはドスの利いた声で「勝てば官軍、負ければ賊軍だ。売上20%増が達成できなかったら覚悟しろよ」とすごんできた。
どうしてこの人は、こういう、カタギらしからぬものの言い方しかできないのだろう? そんなんだから俺の母親に振り向いてもらえなかったんだよ、と嫌味のひとつだって言いたくなる。どんな制裁が下されるかわからないから、実際には言わないけど。
♯ ♯ ♯
直行さんの残した「勝てば官軍」の脅し文句が効いていたというわけではないけれど、閉店までの店内を言い表す言葉があるとすれば、それは「戦場」という一語をおいて他に俺には思い浮かばなかった。
未来を賭した残り四時間の大戦。
難攻不落と思われた城郭の強固な守りを、俺たちはついにこじ開けたのだ。
店長が大将として城攻めの指揮を執り、俺は軍師として彼に仕えるかたわら、前線からの救援要請があり次第、刀を手に自ら切り込んでいった。
サンタクロースの衣装で笑顔を振りまく姫様はさしずめ、血なまぐさい戦場に咲く一輪の花といったところか。
この頃には売上20%増を達成できないことが何を意味するか、従業員は口には出さずとも誰もが理解していて、一人一人が勇敢な兵士となって戦ってくれた。
トカイと合併し新体制になれば経営基盤自体は安定するものの、差し当たってそれは、末端の店員にはさほど恩恵のない話なのだ。
むしろ組織改革の名の下に冷や飯を食わされたり、首を切られたりするかもしれない。トカイの黒い噂は腐るほどある。ならば力の限り戦おうというのが彼らの総意であり覚悟だった。
ここに来てようやく“お荷物店舗”の烙印を押されていたタカセヤ西町店が一枚岩になったのだ。
この戦場においては、実際に倒れる者も現れた。大将だ。
異様な熱気が立ちこめる中、用を足す時間すら惜しんであくせく働き続けたのが祟ったのか、めまいを起こしてふらつき、そのままワインセラーにもたれかかってしまった。
瓶の割れる鋭い音と共に、葡萄の匂いが周囲に拡散した。
「現場を去るわけにはいきません」と強がる大将を他の店員さん共々説き伏せ、小一時間ほど店長室で横になってもらった。
「高血圧なんです」と彼は言葉に悔しさを滲ませ、薬を服用し、それから何度も謝った。
いつもは事なかれ主義で人望の薄い店長だけど、この時だけはどの店員の顔にも敬意が浮かんでいた。
司令官不在の非常事態を救ったのは、本社に戻った総大将だった。社長の権限で、他のタカセヤ店舗から数名の従業員を西町店へ派遣してくれたのだ。まさしく援軍だ、と誰もが胸を撫で下ろしたに違いない。
百戦錬磨の精鋭たちの加勢を受けて、敵陣は着実に後退していく。一軍は呼吸をひとつにして本丸を目指し前進する。
天守閣に、タカセヤの赤い御旗を打ち立てるために。




