やっぱりなかよし
「はぁぁぁ……」
おおかみさんはもう何度目か分からない大きなため息をつきました。
大切な大切な小ウサギさんを抱きしめることができなくなって一体何日が経つのでしょう。ずっとしっしょにいたいのに、小ウサギさんは近寄ってくることさえ少なくなったのです。今までずっと夜は一緒に寝ていたのに、最近は寝ることはおろか、キスさえもできない状態なのです。
考えれば考えるほど、気分は沈んでゆきます。
「はぁぁぁぁ……」
もう、これは、完全に嫌われてしまった。……と、思うより他ありません。
この前から、ラグラスはずっと考えていたことがありました。
このところ、ラグラスはずっとあの輝く笑顔を見ることさえできずにいます。あの笑顔を再び取り戻すにはどうすればいいのでしょう?
ずっとそのことばかり考えていました。
でも、実はその答えはもう出ていました。ただ、それを口にすることができず、何日も過ぎているのです。
もしかしたら、今日は微笑んでくれるかもしれない、そう思いながら毎日が過ぎて来たのです。でも、ついに、ラグラスはもうそんな日が来るのは無理なのだと悟ったのです。
そして、出した答えを言うしかないと決心をしたのでした。
プリムラは、ちょっと離れたところでちょこんとすわり、じーとラグラスを見ています。ラグラスはそんなプリムラにちらっと目を向けました。すると、とたんに、さっきまで向けられていた瞳が顔ごとぷいっと逸らされました。
あああっっっ、やっぱり、お嬢ちゃんん~~~~っっ
おおかみさんは泣きたくなりました。
自分は、プリムラをそんなに怯えさせるような何をしたのでしょう?
ラグラスはそっぽを向いたプリムラを見ながら意を決して向き合うことにしました。
「……お嬢ちゃん、大切な話があるんだ」
ちょっとこっちへ来て欲しいと、ラグラスは小ウサギを呼びます。最近では普通に近寄れば逃げられてしまうので、ちゃんとお話があることを強調します。
思った通り、こうすればプリムラはちゃんと自分から近づいてきました。
けれど、ラグラスは見ていました。
真剣なラグラスの声に、プリムラがびくりと身体をふるわせ、一度自分を見たものの、すぐに目をそらし、またうつむいてしまったのを。
これは、もう、決定的だな、そう思いました。
プリムラは自分に近寄ることが、本当にイヤなのです。心のどこかで、以前のように元気に「はい」と返事をして、小首を傾げながら笑顔でぴょんぴょんと近づいてくるのを期待していたのです。
希望は儚く散りました。
ラグラスは、今、自分の下す判断が正しいのだと、思い知らされた気分でした。
そう、プリムラの笑顔を取り戻すには、やっぱりもうこの方法しかないのです。
その結論を出すまでの苦しみ、そして、言い出すまでの苦悩。
今、全てが終わるのです。
目の前に、うつむいた小ウサギがいます。
ラグラスは、とても悲しそうな目で、その姿を見ていました。何がこんなにもプリムラを遠ざけてしまったのでしょう。
ラグラスの口の中はからからでした。でも、その言葉を、ついに言いました。
「お嬢ちゃん、家へ、……帰るか?」
そう、プリムラに笑顔を取り戻す方法。それは、自分から離れることしかないと思ったのです。
優しいプリムラのことです。きっと自分からは言い出せないだろうと思って、だから、プリムラの負担にならないよう、ラグラスはなんでもないフリをして言いました。
ビクリ、と、小さな白いからだがふるえました。
身体が強ばっているのが分かりました。
そして、ゆっくりと、その顔が上げられ、赤い瞳がラグラスを見つめました。
久しぶりにこの瞳を見た、と、ラグラスは思いました。これが最後だから、忘れないようにしっかりと焼き付けておこうと、真っ直ぐにその瞳を見つめ返します。
長い沈黙の後、小さな身体が、小刻みにふるえはじめました。ラグラスを見つめる顔がとてもとても悲しそうにゆがみます。じわっと涙が瞳に溜まり、それをこらえるかのように、唇がかみしめられています。
うるうるとした瞳がラグラスを見つめます。
驚いたのはラグラスです。嫌われたくない、泣かせたくない、プリムラに微笑んでもらいたい、ただその一心で、辛いこの選択を決心したというのに、プリムラは喜ぶどころか、ぽろぽろと涙を流して泣き出したのですから。
「おおおおお、お嬢ちゃん?!」
突然、大粒の涙をぽろぽろと流し始めたプリムラに、ラグラスは激しく動揺してしまいました。どうして泣き出してしまったのか、まったく見当がつきません。わたわたと前足を上に上げたり下げたり、顔を上下左右に動かしたりと、どう動けばいいのか分からず、うろたえまくっていました。
その間も、プリムラは、涙をこらえようとするように、身を固くして、きゅうっと目を閉じています。でも、それでも、ぽろぽろぽろぽろと涙がこぼれています。
「……やっぱり、私、ラグラス様にきらわれちゃったんだ……」
言葉にすると、悲しみが増したのか、ついに、ひっくひっくと声をあげて泣き出してしまいました。
たとえ狼狽えていようとも、小さく呟いたその言葉をラグラスは聞き逃しませんでした。
「……なんだって……?」
思いもよらないその言葉に、ラグラスは混乱してしまいました。
嫌われているのは自分のはずです。なのに、プリムラは自分に嫌われたと言って泣いています。
「ごめんなさい……。こんな風に、泣いたら、ラグラス様は、迷惑ですよね……」
とぎれとぎれに呟く声。
あまりにも悲しそうな声に、ラグラスの胸はつぶれそうでした。
「私が、ヘンになっちゃったから、……こんなんじゃ、嫌われて、当たり前ですよね……」
泣きじゃくりながら、呟く声に、ラグラスは、思わず、プリムラを抱き寄せそうになりました。でも、この数日の苦い記憶が、ラグラスをとどまらせました。抱きしめれば、プリムラは逃げてしまうかもしれません。
「お嬢ちゃんこそ、俺のことを嫌いになったんじゃないのか?」
おそるおそる訊ねたラグラスの言葉に、プリムラが「え?!」と顔を上げます。よほど驚いたのでしょう。その言葉に涙が止まっていました。
「私が? ラグラス様を? どうして?」
本当に理解できないといわんばかりに、目がまんまるく見開かれています。ラグラスは戸惑いをかくせません。
「イヤ、だから、俺は、狼だし、その、やっぱり、お嬢ちゃんは……」
しどろもどろになりながら、自分が嫌われたと思われる理由を口にしてみました。
でも、プリムラはやっぱり、よく分からないというように首を傾げています。涙に濡れてうるんだ瞳が、不思議そうに輝いていました。
プリムラが自分に怯えているように見えたのは、どうやら、ラグラスを「おおかみはうさぎを食べるこわ~い動物さん」と思ってたからというわけではなさそうです。
ラグラスさまがおおかみさんだから、だからどうしたというのかな?
と、いわんばかりの瞳です。
そして、そのせいで更にラグラスは困惑してしまいました。
「その、だから、お嬢ちゃんは、俺が近くに行くとすぐに逃げるし、なめたり顔を近づけると怖がってるだろう?」
だから……と言葉を繋ぎ、ラグラスはここしばらくを思い出して、自分の言葉に撃沈されそうになりました。しかし、その言葉で目が潤んだのはプリムラの方でした。
「……ごめんなさいっっ だって、だって!! ラグラスさまが近くにいるとドキドキして、すごく緊張してっ 前は、すごく安心できたのに、私、何だかヘンで……っ」
泣きそうになりながら告白するプリムラに、ラグラスは愕然としました。
「やっぱりお嬢ちゃんは、俺がこわいんだな……。俺のことを嫌いになったんだろう……?」
「ええ?!」
ラグラスが悲しみに呟いたとたん、否定するような叫び声がプリムラから上がりました。
「私がラグラスさまを嫌いになるはずなんてないです!! いつも、いつも優しくして下さるのに、こわいだなんて……っっっ」
「え、いや、だが、しかし、お嬢ちゃん……」
互いの言葉に、二匹は黙り込んで、互いの顔をじっと見ます。
「「…………」」
ラグラスは、ようやく、互いに勘違いしているらしいことに気付きました。
どうやら、プリムラは、自分を嫌いだなんて、これっぽっちも思ってないようなのです。自分の言葉をすぐさま否定してくれました。自分がしている誤解を解こうと必死になってくれました。
ほっとしました。
もう、なぜ避けられたかは、どうでもよくなっていました。プリムラに、嫌われていないのです。
それだけで、幸せでした。
帰っていいと言った自分に、涙ぐみながら、嫌われたと言って泣いたプリムラ。
それだけで、十分でした。プリムラは、今でも一緒にいたいと思ってくれているのです。
「……お嬢ちゃん」
ラグラスは、真剣な顔で小ウサギさんを見つめます。小ウサギさんは、「はいっ」と、緊張気味に返事をし、ビシッと姿勢を正しました。
「俺は、お嬢ちゃんを愛している。ずっと傍にいたい。……・お嬢ちゃんも、そう思ってくれるか?」
「はい! もちろんです!!」
「よかった」
ほっとして、ラグラスは息をつきました。
「ケンカをしていたわけじゃないが……。仲直りをしような、お嬢ちゃん」
微笑んで、涙に濡れた目元へ優しくキスをします。
優しいその微笑みにぽうっとしていたプリムラは、久しぶりのキスに、「きゃあっ」と、小さく悲鳴をあげ、うつむいてしまいました。
それが怖がってではないことを、もうラグラスは知っています。そしてプリムラの耳はぺこんとたれ、ぷるぷると震えていますが、真っ赤になっています。その二つの答えに、ラグラスは、プリムラがどうして自分を避け始めたのか、わかったような気がしました。
真っ赤になってドキドキして動けなくなっている小ウサギさんを、ラグラスはとても幸せな気持ちで抱きしめたのでした。