おくさまはこうさぎ。 3
「…………」
ラグラスは駆け寄りながらプリムラが自らセージとジニアに近づいていくのを心臓が止まるような思いで見つめていました。
間に合わない!!
思った瞬間、目に飛び込んできたのははにかんだような照れくさそうな二匹のおおかみの笑顔。
駆ける足が思わず止まりました。張りつめていた緊張感が一瞬にしてゆるみました。
……分かっていた、分かっていたことです。
それでも心配をせずにはいられなかったのです。
脱力して思わずへたり込んだラグラスの横に、遅れてやって来たベロニカが同じように「ほぅ~~……」と深い息を吐いて座り込みました。
「……分かっていたことだよな……」
ぽつりと呟いたラグラスの横で、「そうね」とベロニカがガックリと肩を落とします。
そしてラグラスとベロニカは、プリムラに一生懸命話しかけている若い二匹のおおかみとうれしそうにニコニコしながら話しているプリムラを、しばらく苦笑気味に見つめていたのでした。
森の中を4頭のおおかみがゆっくりと進みます。
ラグラスは若い二匹のおおかみから群の情報を聞き出していました。ここまで来た経緯、目的を知るためです。
それがやはりプリムラ捕獲にあると知って、ラグラスは眉をひそめました。
これから群に向かうということ、それはプリムラが危険にさらされる可能性が高いということ。
改めてそのことをラグラスは思い知らされたのです。
ラグラスは悩みました。
少しの危険からでも遠ざけたい、大切な大切なプリムラ。
そのプリムラを、ラグラス自身がその危険の中心へと連れて行こうとしているのです。けれど、ここで引き返せば、いつまでもその危険から逃げなければいけないという現実があります。だとすると、これが一番の安全策だというのも、また事実なのです。
ラグラスは、プリムラを群の者に会わせることで全て納得させるだけの自信がありました。プリムラにはそれだけの魅力があります。しかし、もし予想だに出来ない危険でもあればと、そればかりが心配なのです。
「おい、本気なのかよ。……そりゃ、今更俺だってあいつをどうこうしたいとは思わねーし、他のヤツだって、あいつを見たらそんなこと思わねーだろうけどよ……」
ラグラスの不安を突いたようにセージが「やめよう」と詰め寄ります。それに、ジニアも同意して続けました。
「俺も、そう思います。危険すぎるんじゃないかと……」
「……わかっている」
「じゃぁよぉ! 俺達だって、ちゃんとフォロー入れてやるしっ」
ムキになるセージに、ラグラスはお前の言いたいことはわかると頷き、しかし、と静かに言葉を続けました。
「……この後も、ずっとプリムラが狙われ続けるんだ。俺だってずっと傍にいられるわけじゃない」
今、全力で守りきれば、これからのプリムラの安全は保障される……そんなラグラスの考えがようやく二匹の若いおおかみにも伝わりました。そう、一番心配しているのは他でもないラグラスなのです。
そんなラグラスの目の前で、無邪気にプリムラがぴょんぴょんと飛び跳ねています。
初めて来る場所で、見慣れない風景が嬉しくてたまらないようです。
このプリムラの笑顔を、守りきるためなら、ラグラスはどんなことでもするつもりなのです。
愛しいプリムラ。
ラグラスはまぶしいものを見つめるかのように目を細めて小ウサギを見つめます。
「ほら、お嬢ちゃん、はしゃぐと危ないぜ。足下に気を……」
ぱたん。
声をかけたそばから何もないところで、こうさぎさん、こけました。
『……器用だ』
と、プリムラのこける姿を見た4匹のおおかみは呆然と立ちつくして思いました。4つ足の動物が、何もないところでこける姿は、めったに見られるシロモノではありません。
そんな彼らの目の前で、こうさぎは、うんしょと立ち上がり、後ろを振り返ると、照れくさそうに、えへへへへ。と笑いました。
前足をあげて、首を傾げて笑う姿の愛らしいことといったら!
おおかみ集団、かなり幸せ気分です。
そして、四匹のおおかみは、目の前の愛らしい小ウサギを全力で守ろうと心に誓うのでした。
そのころ。
「……遅いではないか!!」
おおかみの群の中で頂点に立つダイアンサスが少し苛立った様子で声をあげました。
「まぁ~た、ダイアンサスったら。そんなに時間は経ってないじゃない? カリカリしててもいいことないって」
ボスの側で軽くそれを笑いながら受け流すのはオーキッドです。
彼らが待っているのは、今となってはプリムラにメロメロになっている二匹の若いおおかみです。
小ウサギを捕獲して、もうそろそろ帰ってきてもいい頃なのですが、まだ帰ってきません。
ダイアンサスは腹心であるラグラスが群に帰ってこない理由がエサにしかならない小ウサギ一匹にあるなどと、未だに信じられません。自分を継ぐ者として今まで目にかけてきたラグラスがなぜ群を離れたかを知り、そして以前のように群に戻ってくることを望んでいるのです。
一方、オーキッドもまたラグラスが群に戻ってくることを望んでいました。とかく力による上下関係の厳しいおおかみ社会では、より自分の立場を上げることを望むものなのですが、オーキッドは今の位置に十分満足していました。というよりも、ガラでもない頂点に立つことなど望んでいないため、ボスに次ぐ地位という現在の位置は、オーキッドの望むところではないのです。これは能力の問題ではなく、向き不向きの問題です。オーキッドとしては性格的に遠慮したいのです。そんなものはラグラスにのしつけて渡したいぐらいです。
ほ~んとに、あのバカったらなにやってんのかねぇ……。
苛立っているダイアンサスの側で、内心ため息をつきながら、オーキッドは悪友に思いを馳せるのでした。
当のそのラグラスは。
……くそ、お嬢ちゃん……かわいいじゃないか!!!!
愛らしい小ウサギさんに、萌えてました。
オーキッドがラグラスの状況を知ることができないということは、幸せなことかもしれません。知っていれば、「あんた、ナニ一人で幸せに浸ってんだよ!」と怒鳴られたことでしょう。
ともあれ、小ウサギさんの愛らしさを再確認した4匹のおおかみは、再びプリムラを疲れさせないように、ゆっくりと山道を進んでいきました。
プリムラ一行が群のいる場所に到着する頃には、もう日も暮れかけていました。
「お嬢ちゃん、一日中歩き続けて疲れただろう?」
仲間との対面を前に、ラグラスは心配そうに声をかけます。
群のおおかみはまだ姿こそは見せませんが、きっともうラグラス達の存在に気付いているはずです。
神経を張り巡らせながらのラグラスの問いかけに、プリムラは、そんな緊張感など全然気付いてない様子で、「いいえ、大丈夫です!」と、元気に答えました。
「そうか」
ラグラスは優しくプリムラに微笑みかけます。
「これから、ラグラスさまの群の皆様にお会いできるんですよね、ちょっと緊張するけど、楽しみです」
嬉しそうな様子でプリムラが言葉を続け、ラグラスは「そうだな」と噛み締めるように答えを返しました。
そう、きっとお嬢ちゃんなら、これからの対面を、よい出会いにしてくれるだろう。
また、そうあって欲しい、ラグラスは祈るような気持ちで思いました。
そして、それを現実にするために、全力を尽くすのです。
「じゃあ、俺の仲間を紹介しなきゃな。行こうか、お嬢ちゃん」
ラグラスはこれから立ち向かわなければならない危機に向かって一歩を踏み出しました。
つづく。