だんなさまはおおかみ 3
その夜のことです。
ラグラスにくるまれて眠っていたプリムラはふいに目を覚ましました。
ラグラスはこんなに側にいるのに、とても不安で不安でたまらなかったのです。
ずっとずっと一緒にいたいのに、自分が側にいる資格がないように思えて。
ラグラスの体はあったかくて気持ちよくて、いつまでも眠っていたいのに、プリムラは再び眠りにつくことができませんでした。
目が覚めてしまったので、プリムラはなんとなくラグラスの体からそっと抜け出ました。ラグラスを起こさないように気を付けながら、こっそりと外へ出ます。
きれいな満月がぽっかりと浮かんでいます。
プリムラは月を見上げながら呟きました。
「おつきさま、おつきさま。私をおおかみにして下さい。いつまでもラグラスさまの側にいられるように、ラグラスさまに似合うようなおおかみにして下さい」
祈っても、おおかみになれないことはわかっています。でも、それでも祈らずにはいられないような気持ちでした。
呟くと、悲しみがこらえられないくらい込み上げてきて、ぽろりと涙になってこぼれました。
ふっと祈るプリムラに影が差しました。
「……お嬢ちゃん……」
びっくりして振り返ると、ラグラスが後ろにいました。起こさないように気を付けていたのに、いつの間に後ろまで来ていたのでしょう。
ラグラスが後ろから抱きしめるように体を寄り添わせた。
「………俺と、ベロニカの話しを、聞いていたのか?」
プリムラには、ラグラスがどんな顔をしていっているのかわかりません。この低い声が、怒っているのか困っているのか、プリムラには声だけではわかりません。
「……ごめんなさい」
いたたまれなくなって、プリムラは呟きました。きっとラグラスは困っていると思いました。
ラグラスとベロニカは自分には聞かれたくないと思ったから、こっそりと話していたはずです。なのに、聞いてしまったのです。だから、きっとラグラスは困っているのです。
「ごめんなさい……」
もう一度プリムラは呟きました。
小さな体が小刻みにふるえ、閉じられた目から、ぽたり、ぽたりと涙がこぼれました。
「どうしてお嬢ちゃんが謝るんだ? 不安にさせたのは、俺だろう? 謝るのは俺の方だ、すまない」
ラグラスの言葉を聞いて、プリムラは違うと首を横に振りました。
「ラグラスさまは、おおかみさんで、だから、お嫁さんはきっとおおかみさんの方がいいはずです。なのに、私はうさぎで、ラグラスさまにつり合わなくって……」
「……お嬢ちゃん!!」
ラグラスはプリムラの言葉を遮りました。
「どうしてそんなことを考えるんだ!!」
ラグラスがプリムラに対してこんなに大きな声をあげるのは初めてでした。
びくっとプリムラの小さな体が強ばりました。
ラグラスはプリムラの正面にまわり、うつむいたプリムラの顔をのぞき込みます。
「俺は、お嬢ちゃんじゃないと、いらない。お嬢ちゃん以外の誰ともこうして一緒にいたいとは思わないんだ。おおかみだとか、うさぎだとか、そんなことは関係ないだろう?」
「……でも……」
「何を心配しているんだ? 俺にどういう相手がふさわしいかどうかは、他人が決める事じゃないだろう。俺はお嬢ちゃんがおおかみだったら、なんて考えたことはないぜ。そのまんまのお嬢ちゃんを愛してるからだ」
プリムラをまっすぐに見つめるラグラスはとても真剣な顔でした。
けれど、それでもプリムラの瞳は悲しそうに伏せられています。ラグラスは小さくため息をつきました。
「じゃあ、仮に俺の仲間がお嬢ちゃんをふさわしくないと言ったとしよう。それで、俺が仲間の言うふさわしい相手と一緒になったとしようか。……でも、そうなったら、俺は幸せじゃないんだ。お嬢ちゃんでないなら、俺は幸せになれないんだ」
「ラグラスさま……」
プリムラはラグラスを見つめ返し、けれどすぐにうつむいてしまいました。ラグラスの言葉はとってもうれしかったのですが、それでもプリムラはどうしても素直にうなずけなかったのです。だって、ふさわしくないことに変わりはないのですから。
すると、プリムラのその気持ちを読みとったかのようにラグラスが突然問いかけていました。
「お嬢ちゃん、ふさわしいっていうのはどういうことだと思う? お嬢ちゃんは俺がうさぎじゃないとお嬢ちゃんにはふさわしくないと思うか?」
「……え?」
「つまり、お嬢ちゃんが感じていることはそういうことだろう? お嬢ちゃんがおおかみじゃないから、俺に似合わない。裏を返せば、俺はうさぎじゃないから、お嬢ちゃんには似合わないって事だろう? 俺はお嬢ちゃんにふさわしくないって事だろう?」
プリムラはびっくりしました。
「……そんな! ちがいます! そんなこと思ってないです……!!」
あわてて言うと、ずっとこわい表情だったラグラスがやっとわずかに微笑んでくれました。
「……わかってるさ。ただ、俺はお嬢ちゃんに、お嬢ちゃんが考えてることの無意味さをわかって欲しかったんだ。だが、お嬢ちゃんの仲間は間違いなく俺はお嬢ちゃんにふさわしくないと思うだろうな」
「……そんなこと……」
プリムラは否定しようとしたのですが、ラグラスが遮りました。
「なぁ、お嬢ちゃん。ふさわしいとか、ふさわしくないとかって言うのは、見る者の立場や見方によって違うものなんだ。そういう価値観もあるんだと知っておくのは、大切なことだ。だが、他人が言ったからといってそれに振り回されるのはおかしいとは思わないか?」
優しい声でしたが、とても真剣な瞳でした。
プリムラはようやくラグラスの言葉の意味が分かりました。
ラグラスの気持ちと自分の気持ち、それが一番大切なのに、その一番大切なことを見落としていたのです。
一生懸命うなずいていると、ラグラスがなでるようにプリムラをぺろぺろとなめました。そして真剣な声が耳元でしました。
「お嬢ちゃんは、仲間に俺を夫だというのは恥ずかしいか?」
「いいえ!!」
プリムラはあわてて顔を上げると叫びました。
「反対されたら、俺とはもう一緒にいられないと思うか?」
「いいえ!!」
プリムラがいっしょうけんめい言うと、ラグラスはにっこりと笑いました。
「そうか。なら、信じてくれないか? 俺もお嬢ちゃんを奥さんだということを誰にでも誇れるということを。仲間にも、世界中の誰にでもな」
とっても優しい笑顔です。プリムラの大好きなラグラスの笑顔でした。
「……はい、ラグラスさま。……はい」
うれしくてプリムラはうなずきながら泣きました。
ぽろぽろあふれてくる涙をコシコシとこすりながら、泣きました。
「おおおお、お嬢ちゃん?!」
ラグラスはおろおろとしながら、プリムラをのぞき込みます。
「言い方がきつかったか……? 怒っているわけじゃないんだ、その……」
あわてるラグラスにぷるぷると首を振って「違います」と笑顔を浮かべた。
「私、ずっと、ずっと、ラグラスさまと一緒に、いたいです。でも、いいのかなって。考えちゃうと、眠れなくて……。でも、もう、大丈夫です」
ラグラスはにっこりと笑うプリムラをきゅーっと抱きしめました。
「行ってらっしゃい、私、待ってます」
プリムラは抱きしめられたまま、体をすり寄せて言いました。
「……お嬢ちゃん」
そうして月明かりの下、二匹はいつまでも寄り添っていました。
うさぎさんは、もう「おおかみだったら」なんて言いません。だって、おおかみさんとうさぎさんの気持ちは一緒なのですから。胸にもやもやっとあった不安は消えてしまいました。
そして、うさぎさんとおおかみさんは今日もやっぱりらぶらぶで幸せなのでした。