だんなさまはおおかみ 2
すっかり木苺を平らげ、満腹感にプリムラがうつらうつらしているときでした。
「こんばんは」
突然のお客さんがやってきました。
「ベロニカさん!!」
ぴょこんとプリムラの耳が立ち上がり、閉じかけていた目が嬉しそうに輝きました。そしてそのままぴょこぴょことお客さんめがけてうれしそうに駆け寄ります。
そう、やってきたのは、ラグラスと同じ狼である美しいメスおおかみのベロニカでした。
「プリムラ! 久しぶりね、元気にしてた?」
ベロニカも招き入れられるなりプリムラに駆け寄りました。
プリムラはそんなベロニカを前に、ぴょこぴょことはねて喜んでから、ぴょ~んと抱きつきました。
ぱふんと小さな体を抱き留め、ベロニカはぺろぺろとプリムラをなめます。
「会いたかったです」
「私もよ」
「……………で、何の用だ?」
女二匹でいちゃいちゃしているところへ、低いラグラスの声が割り込みました。
不機嫌そうなその声を聞いてベロニカがくすくすと笑います。
「ああ、そうそう、プリムラがかわいいから忘れるところだったわ。はい、おみやげ」
ベロニカはそう言って、プリムラから体を離し、小さな体の前にニンジンを「はい」と置きました。
「わぁ、ニンジン! ありがとうございます! だいすきなんです」
お腹も満腹だろうというのに、大好きなニンジンを抱えるようにして持って、ご満悦な小ウサギさん。
「……?!(ナニ?!←ラグラス内心の声)」
ラグラスは一瞬固まってベロニカを見ました。フフフと勝ち誇ったようにベロニカが笑っています。
「お、お嬢ちゃん、ニンジンが好きだったのか?」
「はい、ニンジンは木いちごの次に好きです。でも、久しぶりだから、スッゴクうれしいです」
うなずくプリムラは満面の笑顔でした。
そう、いくら大好きなものでも、毎日食べていれば、たまには別のものも食べたくなるものなのです。
しまった! 食生活が違うから、そこまで気が回らなかったぜ……。
一番好きなものばかりしかプリムラにわたさなかったことを今更ながらに悔やむラグラスなのでした。
そんなラグラスをくいっとベロニカが引っ張りました。
プリムラはニンジンに心を奪われています。
「話しがあるのよ」
ベロニカがこそっと耳打ちをして、ちらりとプリムラを見ました。
わかった、とラグラスは小さく頷きます。プリムラには聞かれたくない話らしいとすぐに察したからです。
「プリムラ、ちょっとこれからラグラスと話しがあるからね、ニンジンを食べててね」
「はい!」
プリムラが元気よくうなずきました。
以上、ベロニカの簡単プリムラ餌付け講座終了。
ぽりぽりとニンジンをうれしそうに食べるプリムラを横目に、少し離れたところでコソコソとラグラスとベロニカは話し始めました。
「………で?」
ラグラスはいつになく真剣な視線を向けましたが、ベロニカはそれをため息と共に軽く受け流し、淡々と話しながら見つめ返します。
「今日、ボスがあなたのことを言ってたわ。最近、まったく群の方に戻ってないらしいわね。ナンバー2がいないんじゃ、群の統制が取れないわ」
「俺がいなくても、代わりはいるだろう」
だからどうしたというようにラグラスは言葉を返しました。
「ええ、そうね。今はオーキッドが上手くやってくれてるけど、あなたの方にボスが気を許してるのは事実よ。だから、あなたがナンバー2におさまっていると統制がとりやすいのよ」
「……放っておけ。俺一匹が欠けたところで規律が崩れるような群にいた覚えはないぜ」
「そうはいかないわ。あんまりあなたが戻ってこないから、また私があなたの最有力婚約者として浮上してるんだから」
それまで「何だそんなことか」ぐらいにしか思っていなかったラグラスは、耳を疑いました。それは思いもよらないことだったのです。
「……何だって?!」
「だから、そう言う事よ。私は、もう今更あなたに未練はないし、ましてやプリムラを悲しませる気もないから、まったくその気はないわよ」
「俺の気持ちは、……言うまでもないな」
迂闊だった。
ラグラスは思いました。
プリムラと一緒にいることばかり考えていました。群のことも、後のことも考えていないわけではなかったのですが、まさかそういう話しになるとは思いもしませんでした。
今更プリムラと別れるだなんて、カケラも考えていません。
「わかってるわよ。でも、ボスは本気よ。あなたがいつまでもふらふらしてるように見えるから、さっさと連れ戻して、落ち着かせようとしてるみたいね。あの様子じゃ、実力行使にでるわよ……?」
ベロニカもラグラスの気持ちは分かっていました。だから、一刻も早く知らせて手を打たねばならないと思ったのです。プリムラの存在を知られる前に、何とか。
「……まったく。困ったものだな……」
ラグラスは考え込みながらうなりました。
「でも、あなたなら上手く処理できるでしょう? だから、一度とりあえず群の方に帰ってきてちょうだい」
ニンジンを食べていたうさぎさんの耳がぴょこんとはねました。
エサに集中しているかのように見えたプリムラでしたが、さすがに木苺を食べたばかりで、おいしいとは思いつつも、いつものように意識はニンジンに向いていませんでした。
ぼそぼそと話している二匹の声は、実はしっかりとプリムラの耳に入っていたのです。
ラグラスさま、仲間さんのトコへ、帰っちゃうの……?
プリムラは何だか不安になりました。
自分はうさぎだし、決して狼にはなれません。ベロニカの方がずっとずっとラグラスと並んで絵になります。自分では不釣り合いに思えるのです。
私より、ベロニカさんをお嫁さんにした方が、ホントはいいのかもしれない……。
プリムラは考えながら、悲しくなってしまいました。
ぽり……。
ニンジンを噛むと、みずみずしい音がします。でも、何だかおいしくありませんでした。
考えれば考えるほど、ラグラスには狼のお嫁さんが似合うように思えてなりません。絶対、同じ種族の方がいいに決まってます。
ぽり……。
またひとくちニンジンを食べて、泣かないように一生懸命、込み上げてきそうな涙をこらえます。
「それじゃぁ、おじゃましたわね」
突然近くでベロニカの声がしました。
プリムラはハッと顔を上げます。
まさかプリムラが泣きそうになっているとは気付かないベロニカは、小さな顔に軽く顔をすり寄せてお別れのあいさつをします。
プリムラは一生懸命笑ってベロニカにおやすみなさいを言いました。
「お嬢ちゃん、もうニンジンはいいのか?」
プリムラが抱えるようにして食べかけのニンジンを持ったままじーっとしているのを見てラグラスが声を掛けました。
「は、はい。今日はもうお腹いっぱいになりましたから、明日たべます」
一生懸命笑いながらプリムラは言いました。
「………」
そんな様子を、ラグラスが真剣な顔でじっと見つめています。
「……お嬢ちゃん、どっか調子が悪いんじゃないのか?」
プリムラはびっくりしてぷるぷると首を横に振って否定します。
まるでラグラスが自分の気持ちに気付いたようでプリムラは驚いてしました。でも、こんな事を思っているだなんて、言えるはずもありません。言ったところで、優しいラグラスがそれを否定するのは、プリムラにはわかってしまうのです。
「我慢しなくてもいいんだぜ? 食べ過ぎたんじゃないのか?」
ちょっと見当違いではありますが、明らかにラグラスはプリムラの様子がおかしいことに気付いていました。
「大丈夫です。ホントに、何でもないです」
これ以上気付かれないように、プリムラはにこっと笑って言いました。