学園ラブコメ撮影
神崎玲音の件が一段落してからの数日、僕はようやく少しだけ、日常というものを取り戻しかけていた。
もちろん、完全に元通りというわけではない。
白須賀沙也加は相変わらず朝一番に僕へ声をかけてくるし、天雨美鈴はそんな彼女を静かな目で牽制しながら、いつの間にか僕の昼食事情にまで口を出すようになっていた。柊綾乃先輩も、廊下ですれ違えば何かしら確認事項を投げてくる。
十分おかしい。
冷静に考えれば、僕の高校生活はとっくに陰キャ向けの安全圏を踏み外していた。
それでも、少なくとも一つの渦は越えたのだと思っていた。
神崎玲音は、自分の光り方を見つけた。白須賀と比べられることに呑まれるだけだった彼女が、自分のままで立てる場所を掴んだ。なら、しばらくは大きな面倒も来ないだろう、と。
そんなふうに思っていた時点で、たぶん僕は甘かった。
五時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室に中途半端な気の緩みが広がった、その直後だった。
「えー、ちょっと静かにしろ」
担任が教卓を軽く叩く。
いつもの連絡事項にしては妙に声が通っていて、教室のざわめきが少しずつ引いていった。
「うちの学校、先日の学校案内動画の反響がかなり良かったらしくてな。追加で広報用のショートドラマ企画が立ち上がった」
その一言で、空気が変わる。
「ショートドラマ?」
「え、マジで?」
「白須賀さん出るの?」
あちこちから声が上がる。
担任は面倒そうに眉を寄せながらも、続きを口にした。
「配信向けの短い企画らしい。学校紹介を兼ねた青春もの……まあ、学園ドラマっぽい内容だ。撮影は土曜。授業に支障が出ないよう休日にやるそうだ」
そこで、ほぼ全員の視線が白須賀へ向いた。
当の本人はというと、頬杖をつきながらどこか楽しそうに瞬きをしている。
「出演の中心は白須賀。学校側の協力として、在校生も数名参加する」
嫌な予感がした。
こういう時の嫌な予感は、だいたい当たる。
担任が次に手元の紙を見た瞬間、僕はもう半分くらい諦めていた。
「あと、前回の動画に出た在校生男子の自然さが好評だったらしく、同じ生徒を使いたいという要望が制作側から出てる。沢渡」
「……はい」
やっぱり僕だった。
教室中の視線が一斉に集まる。
胃が痛い。陰キャはこういう瞬間に向いていない。向いていないのに、なぜ僕ばかりこういう役回りを引くのか。
「放課後、職員室で簡単に説明を受けてこい。正式に受けるかどうかは、そのあと決めればいい」
担任はそう言ったが、教室の空気はもう“沢渡が出る”前提で固まっていた。
白須賀は隣で、ひどく上機嫌そうに小さく笑う。
「沢渡くん、また一緒だね」
「嬉しそうに言わないで」
「だって嬉しいし」
即答だった。
その声は周囲にも聞こえる程度の自然なものだったのに、なぜか僕だけは、その中に妙な熱を感じ取ってしまう。
※ ※ ※
昼休み、僕はいつも通り屋上へ逃げた。
逃げた、という表現がたぶん一番正しい。
教室に残っていれば、ショートドラマの件で質問攻めにされるのは目に見えていたし、何より白須賀が妙に楽しそうだったのが怖かった。
屋上のベンチに座ってパンの袋を開けたところで、扉が開く音がする。
振り返らなくても分かった。
「やっぱりここにいた」
白須賀だった。
しかも今日は一人じゃない。
少し遅れて、天雨も姿を見せる。
「なんで二人とも来るの」
「沢渡くんが一人で変な顔してそうだったから」
「実際、してた」
白須賀と天雨が、ほとんど間を空けずにそう言った。
なんなんだろう、この妙な連携は。
二人は僕を挟むようにベンチへ腰を下ろす。
最近ずっとこんな感じだ。逃げ場がない。
「ショートドラマ、出るの?」
天雨が静かに訊いた。
「まだ説明受けるだけだけど」
「でも、ほぼ決まったようなものでしょ」
「そうだと思う」
「だよね」
その返しは短かったが、天雨の目はあまり穏やかではなかった。
白須賀はそれを横目で見ながら、わざとらしく明るい声を出す。
「学園ドラマってことは、たぶん放課後に一緒に歩いたり、教室で話したり、そういうシーンあるよね」
「あるかもしれないけど、だから何」
「別に? ただ、沢渡くんとそういうのするの、普通に楽しみだなって思っただけ」
さらっと言う。
こういうところがこの人は強い。
天雨の指先が、弁当箱の蓋をきゅっと押さえたのが見えた。
「……楽しみ、なんだ」
「うん」
「お芝居でも?」
「お芝居だからこそ、かな」
白須賀は笑っている。
でも、その言い方だけが少し重かった。
僕がパンを食べる手を止めていると、天雨が今度は僕を見る。
「沢渡くん、ちゃんと断ってもいいんだよ」
「え?」
「嫌ならってこと。無理してそういうのに付き合う必要ない」
「でも学校の企画だし……」
「だから厄介なの」
天雨の声は静かだった。
静かなのに、その中にある感情だけは妙にはっきりしている。
「白須賀さん相手なら、周りも“お似合いだね”とか簡単に言うでしょ。でも、そういう空気で押し切られるの、私はあまり好きじゃない」
僕は返す言葉を失った。
天雨はたまに、こういうふうにまっすぐすぎることを言う。普段は抑えているぶん、一度出ると余計に重い。
白須賀はすぐには反論しなかった。
少しだけ目を細めて、天雨の横顔を見る。
「美鈴ちゃんって、ほんと沢渡くんのことになると譲らないよね」
「譲る理由がないから」
「へえ」
空気が少しだけ張る。
屋上の風は涼しいのに、そこだけ妙に熱かった。
その時、屋上の扉がもう一度開いた。
「ここにいたのね」
現れたのは柊先輩だった。
けれど今日は、呼び出しのために来たわけではないらしい。手には書類を数枚抱えていて、少しだけ呆れたような顔をしている。
「先生方が沢渡くんを探していたわ。説明資料を先に渡しておいてほしいって」
「……それ、職員室じゃなくていいんですか」
「今、会議中で手が離せないそうよ。だから私が預かったの」
なるほど。それなら自然だ。
柊先輩はそういう実務の延長線上で動く人で、そのほうがむしろしっくりくる。
「今回の企画、学生側の窓口は生徒会も少し関わるの。私は備品と校内導線の管理担当」
そう言って、柊先輩は僕へ資料を差し出した。
表紙には企画名と簡単なあらすじ。
人気者の編入生と、目立たない在校生が、学校を案内する中で少しずつ距離を縮める――そんな、いかにも学園ラブコメらしい内容が数行でまとめられている。
「……やっぱり嫌な予感しかしない」
「そうね。私も少し思ったわ」
柊先輩は妙にあっさり同意した。
「ただし、あくまで広報目的の企画よ。過度な演出にならないよう、こちらでも調整を入れる予定」
「つまり柊先輩も見るんですね」
「ええ。見るわ」
その一言に、不思議な圧があった。
「学校の名前を使う以上、不自然な内容にはさせないし……沢渡くんが無理をさせられそうなら止める」
淡々とした口調なのに、その最後だけ少しだけ低い。
白須賀がすぐに反応した。
「副会長さん、それって過保護じゃない?」
「管理の範囲内よ」
「ほんとかな」
「少なくとも、あなたよりは建前があるわ」
火花が散った気がした。
天雨は無言でそれを見ている。たぶん、彼女は彼女で思うところがあるのだろう。
僕だけが、資料を持ったまま所在なく座っていた。
※ ※ ※
放課後、正式な説明は職員室ではなく、視聴覚室で行われた。
制作会社の担当者と、学校の広報担当、担任、それから白須賀。
僕は一番端の席に座りながら、自分がここにいること自体がおかしいとずっと思っていた。
「前回の学校案内動画で、沢渡くんの自然な存在感がとてもよかったんです」
制作会社の女性がにこやかに言う。
「今回は、白須賀さんの華やかさに対して、沢渡くんの素朴さがいい対比になると考えています」
素朴さ。
言い換えれば、陰キャっぽさを期待されているのだろう。
「撮影は土曜の午後。校内の通常活動が少ない時間帯を使います。最初はテスト読み合わせと簡単な立ち位置確認から入るので、そんなに構えなくて大丈夫ですよ」
構えるに決まってるだろう、と思ったが口には出さない。
隣を見ると、白須賀は脚本の初稿を真剣に読んでいた。
その横顔が、ふいに少しだけ柔らかくなる。
「……これ、いいかも」
「何が」
小声で聞くと、白須賀はページをめくったまま答えた。
「沢渡くんと、ちゃんと“二人の時間”があるところ」
何でもないように言う。
でも、その言葉の選び方が、ひどくこの人らしかった。
会議が終わり、視聴覚室を出るころには外はだいぶ暗くなっていた。
廊下に人影はまばらで、窓の外には運動部の掛け声が遠く聞こえる。
靴箱へ向かおうとしていた僕は、途中で天雨に呼び止められた。
「説明、終わった?」
「うん」
「どうだった」
「断れなくはないけど、断りづらい感じ」
「そう」
天雨はそれだけ言って、少しだけ黙る。
それから視線を上げ、いつもよりはっきりした声で言った。
「じゃあ私、土曜の撮影、見に行く」
「え?」
「クラスの協力者募集、出るでしょ。背景の在校生とか、図書室利用者役とか。そういうのなら自然に入れるから」
たしかに、資料の最後にエキストラ募集の欄はあった。
でも、天雨はそういう目立つ場へ自分から出るタイプではない。少なくとも今までは。
「なんでそこまで」
聞いてしまったのは、半分くらい本音だった。
天雨は少しだけ目を細める。
「見ていたいから」
「……何を」
「沢渡くんが、どんな顔で白須賀さんと並ぶのか」
その答えは静かだった。
静かなのに、逃げ道がなかった。
「それに、もし本当に“お芝居だから”で済まされない空気になったら、私はたぶん黙ってられないし」
そう言って、天雨は先に歩き出す。
黒髪が夕暮れの廊下に揺れて、その背中だけが妙に真剣だった。
僕はその場に少しだけ取り残される。
平穏なんて、やっぱりどこにも戻ってきていなかった。
むしろ今度は、学校という日常の中へ、芸能の非日常がさらに深く入り込んできている。
しかも土曜の撮影には、白須賀がいて、天雨がいて、柊先輩も管理側で立ち会う。
考えただけで、ろくなことにならない気がした。
そんな僕のスマホが、そのタイミングで震える。
画面には、白須賀からのメッセージが一件。
『土曜、楽しみだね』
そのあとに、少しだけ間を空けて、もう一通届いた。
『あれ、お芝居だからって思いすぎないでね』
意味が分からないふりをしたかった。
でも、あの人がそういう言い方をする時、大体ろくな意味ではないことを、僕はもう知っている。
暗くなりかけた廊下の真ん中で、僕はスマホを握ったまま小さく息を吐いた。
たぶん次の土曜、僕はまた一段深く、面倒な場所へ足を踏み入れる。
しかも今度は、ただの学校案内では済まない。
学園ラブコメみたいな脚本と、芸能の現場が混ざった場所で、周りにいる彼女たちが何も起こさないはずがなかった。
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